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「厄祝い」というお祝いのしきたりを知ってる方、または経験談などありましたら教えてください。

長文です。お時間のある方よろしくお願いします。

主人が今年数え42歳の大厄です。
去年の前厄は、神社にて厄払いをして頂きました。
もちろん今年の大厄も、来年の後厄も厄払いは神社でして頂く予定です。

そこで厄払いでなく「厄祝い」というしきたりについて質問したいのですが
最近では減りつつある儀式のようですが、まだまだ年配者の方は厄年の身内に対して
厄祝いの振る舞いをする家があるそうです。
私も「そういうしきたり聞いたことがある・・」程度の認識です。

地域の考えや、地域によっても若干違う習わしがあると思うので
「100%これが正しい!」という答えがないのはわかっていますが
アドバイス頂きたく思います。

百貨店の銘菓コーナーに出向いてみたら、やはり善哉や厄除け饅頭等に「厄祝い」ののしをつけて
身内やお世話になってる人に配るそうです。
地方では未だに家の庭等で大きな鍋で善哉を作り、お祝いとしてふるまったりしてる所も多いそうですが
最近ではこういった菓子にのしをつけ配るものが多くなってるとの事でした(店員談)

こういったしきたりに反対派!・・という訳ではないのですが
この「厄祝い」という儀式?しきたり?は、
厄年である人間の邪悪な物を皆で分け合って退治(食べてしまう)しよう!という事は
私自身の考えではありますが「それはちょっとどうかな・・」と思う節があります。
その祝い品をもらう方達にとっては、今年自分の店や会社を経営する方、家を新築にする方、
お子様が生まれる方・・等、「こんな時に他人の厄をもらうなんてとんでもない」と
思う人も多いのではないか?と思うのです(考え過ぎですか?)

義母は自身の息子(主人)の大厄に、こうした品物を息子の職場へ送ろうと考えています。
私は上記に書いた通り(もらう側にとっても迷惑に思ったりするのではないか?)と考えたので
義母にその旨を告げてみました。
私の言う事もわかるそうなので、では社長のみに・・という方向になりました。
社長自身も、もしかしたらありがた迷惑かもしれないのですが(汗)

そこで、義母と一緒に百貨店に出向いたのですが、義母は厄年の当人の「母親」として送るとの事。
私はこうしたしきたりを実行するのであれば、嫁である私が(もちろん送り主は厄年である主人ですが)
するものだとてっきり思ってました。
もし主人が独身であるなら、親がしても構わないと思うのですが、
結婚して家庭を持っている場合でも、親にとっては自身の子供には変わりないのですから
その「子供の厄」に対して配偶者の有無にかかわらず実親が子の職場へ送るのは、おかしな事ではないですか?
私自身もそうですが、義母もこういったしきたりに詳しくなく
「では私(義母)は親として息子の厄祝いをするね」という考えです。

こう書いたからと言って私自身が義母と仲が悪いという訳ではなく
むしろとても優しい義母で普段から実母娘のような関係です。
ですが、義母がこう考えてる場合(実親として、厄祝いをする)
「厄年当人の主人からの品物」と「その親にあたる義母からの品物」が2つになってもおかしくないですか?
私はやはり先ほど書いた「他人の厄をわけて退治なんて・・」と思う方も少なからずいるものだと
思うので、義母が社長へ送るのなら、複数もらっても喜ばしい品物ではないのでは。。どうしようか・・
私(主人から)はやめておこうかと思ってます。

どうなのでしょう?

冒頭に書いた地域の差などもあると思うので、
100%の正解答を求めてるわけではないです。みなさんのお考えをアドバイスして頂きたいです。

●既婚者の上司(部下)の親から頂いたことあります。<特に変に思わなかった or 変に思った
●親からであろうが当人からであろうが、頂いて善哉おいしかったよ~
●正直言って、厄祝いなんて有り難迷惑でした・・・
●そんな物、そんなしきたりしない方がいいと思うけど。

・・何でもいいです。経験談や思ったことを教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

貴方のような考えの人が多くなって廃れてきた風習でしょうね。

私もかなり前に聞いただけで忘れていました。
この風習の原点は「相互互助」です。以前テレビなどで「慶びはみんなで分ければ倍になる。悲しみはみんなで分ければ半分になる」というCMだか“よびかけ”だかをやっていました。
元々日本人は相互互助の考えの民族性というか村社会の集合体だったんです。
神社で聞かれる祝詞に「大難を小難に小難を無難に」という言葉があります。仏教では「災難は払い除ける」という考えですが、神道では「災難は災難として受け止める、その代わり神様にできるだけ小さくして頂く」という考えがありました。地震や災害に何度も見舞われてきた日本人らしい考え方です。
(ちなみに災難が神の試練などという考えは西洋的なもので、日本では自然災害は基本的に自然の営みとして考えられてきました)

そこで相互互助の考えに則り、独りの災難を皆で割り振り、小難に替え、それをまたいで通るか神に願って無難に変えていくというのが「厄祝い」の考えの基本形です。

もう一つの考えとして仏教の「布施」があります。
なぜ食事を振舞うのか・・。
布施には4つの種類があります。
1)財施(ざいせ):金銭や衣服食料などの財を施すこと。
2)法施(ほうせ・ほっせ):仏の教えを説くこと。
3)無畏施(むいせ):災難などに遭っている者を慰めてその恐怖心を除くこと。
4)和顔施(わがんせ):笑顔をひとに見せること
これら布施は自分の得た徳を人に分け与えることで、やがて巡り巡って大きな徳となって戻ってくるという考えです。「情けは人のためならず」と同じ発想ですね。

つまり人に食事を与える事で、人に徳を分け与える、招かれた人も厄を受けると同時に、慰めることで自分の徳を分け与える。それが大きな徳となって戻ってくるからそれで自分の厄災を押しつぶしてしまえということです。
さらに大勢で集まり、談笑して、お互いに笑顔で徳の分けあいをするということです。

こういった原点の考えが個人主義の現代になってすっかりなくなってしまいました。
昨年の地震でも助け合いの呼びかけや物資などは供出しても、東北には行かない、東北のものは入れないという自分本位の考えしか見えてきません。
放射能汚染は大変だ、でも原発が無きゃ暮らせないからと負担を地方の人にだけ押し付けている。
これが普通と考えるか、寂しいと考えるかは人それぞれでしょう。
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この回答へのお礼

早々のご回答有難うございました。
せっかくとても奥深いご回答を頂いたのに、
返答が遅くなってしまい申し訳ございません。

回答者さまの仰るとおりですね・・
確かに今の時代、自分本位の考えに移行していってるような気がします。
とても勉強になるご回答どうも有難うございました。

お礼日時:2012/01/31 02:13

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