これまでで一番「情けなかったとき」はいつですか?

(先日はお礼欄にまずいことを打ってしまいすいませんでした)

極めて本を読まない人の素朴な疑問です。
山崎豊子の華麗なる一族、を読みました。

ほとんど同じ文を使いまわした人物・背景説明がところどころ繰り返し現れることにちょっと白けました。冗長にならないような工夫が行き届かなかったのかと感じました。
(具体的にどことどこ、というのは印刷物1800ページの中から再度見つけ出すのは困難なのですが)

どうしてそうなったのでしょうか?
1.読者へ読みやすさの配慮?
2.推敲不足?
3.理由はわからないが作家の癖・特徴

二十歳、三十歳のころフレデリック・・フォーサイス(篠原慎、訳)を十本ほど読んだ時は、そのような冗長性は感じなかったと記憶しています。

この差はどうしてなのでしょうか?
A.小説の長さがダブり表現の起きやすさに繋がっている?
B.外国語作品は翻訳時にある程度の推敲がかかる?
C.質問者の記憶違い?

自分の疑問を書いてみましたが、詳しい方のご意見が伺えればと思います。

参考リンク
http://www.amazon.co.jp/review/RH6VYQ1PT1IKR/ref …

A 回答 (1件)

推測ですが…。


元々この小説は週刊新潮に長期連載されたものです。
2年半に渡っての連載ですから、途中で初期の説明などを忘れてしまう読者もたくさんいると思われます。そのために似たような説明文が繰り返し挿入されているのではないでしょうか。
フォーサイスのように細かく計算されたものを一冊書き下ろしで刊行するのとは事情が違うのかもしれません。
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この回答へのお礼

言われて気づきました。
そういう連載事情や読者層からすれば、あの内容もさもありなんという感じです。

ありがとうございます#

お礼日時:2012/02/20 23:04

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