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ゴータマ・シッダールタには師がなく、自らの修業の末に啓示を得て教えを説いたと聞きました。
そのときシッダールッタが説いた純粋な教えとは何だったのでしょうか。
仏教は歴史が古いのであとから付け加えられたものが随分あると思います。
八正道などは分かりやすくてよいのですが、次のようなものを本人が説いていたのか疑問に思います。

1.仏像などを造ることを許していたか?偶像崇拝の禁止。
2.捨身飼虎などの自らの過去世の話。
3.人間の魂は輪廻転生するものである。
4.輪廻転生の鎖を断ち切ることが悟り。
5.只管打坐。ひたすら座ることで悟りを得ることが可能。
6.須弥山を中心とする三千世界。
7.仏を守護する天や明王の存在。
8.阿弥陀仏来迎や極楽浄土の存在。
9.未来仏である弥勒菩薩の存在。
10.宇宙の中心の大日如来の存在。
11.末法思想。

A 回答 (10件)

1について。


釈迦在世の時代にはそもそも仏像が一般的ではありません。仏像ができるようになるのは釈迦の死後かなり経ってからです。無仏像時代といいますが、それもストゥーパ(仏舎利塔)や菩提樹、足跡、法輪(車輪の形)で仏を象徴することから始まっていて、似姿としての仏像が表れるまでには悠に5世紀ほど経っているのではないでしょうか。偶像そのものが作られなかったのですから、結果的に釈迦本人が偶像崇拝を禁じた記録はないということになります。

ただしかし、原始経典から釈迦の考えを伺うことは可能です。例えば雑阿含経の中には、釈迦が病床にあるヴァッカリという在俗の弟子を見舞った際に、彼が「余命わずかなので世尊の御み足を頂礼したい」と懇願したところ、釈迦が「私の老いた体を頂いても何にもなりはしない、法を見るものは私を見ることを知りなさい」と諭した顛末が記録されています(ヴァッカリ経)。
古い経典を見る限り、釈迦にとっては自分自身も自ら説く縁起という法の一部であったのですし、弟子に対しては「先に道を知った同志である」といった認識でいたようです。
これらからすれば、仮に自分の似姿である仏像が作られようとしても、釈迦は到底肯定しなかったと想像できます。

2.
ジャータカといわれる釈迦の前世譚が生まれた背景には、釈迦のわずか今生一代では到底その理法に近づけるものではない、という感覚があります。つまり法の受け手の側に、「常人にはとても得がたい法を体得した釈迦」への強い畏敬の念があればこそ生まれたものです。従って恐らく当人である釈迦が積極的に説いたわけではありません(わずかな説法の例外は度外視します)。

しかし、釈迦をそう受けとめる素地は同時代から強くあったので、ジャータカは釈迦の没後意外と早くに作られ始めているようです。五百篇以上あるジャータカのうち、捨身飼虎のエピソードは「大般涅槃経」や「金光明最勝経」にも出てきますが、その源をたどると「十二部経」などといって原始経典である「阿含経」よりさらに以前の分類形式のなかに含まれているのです。このあたりについて釈迦の直説かどうかの研究はなかなか難しいものです。

ジャータカには梵語で伝えられる一般の昔話と同工異曲のものも少なからずあります。いわば民話と混交する形となったのです。釈迦の徳が難しい教義によらずに理解され、結果的に仏教が民衆に広まったのは、このように親しみやすいジャータカを通して広く音楽や演劇など採り入れられるようになったからですね。

ジャータカの背景と似ているものに「過去七仏」といって、実は釈迦が生まれる以前からその理法は実は説かれていたのだ、といった信仰も強くありました。釈迦の覚りが普遍の理法に基くものであることを根拠づけようとするひとつの形式です。既に「増一阿含経」には、釈迦以前に覚りを開いていたという過去七仏の名前が出てきます。これなどもジャータカの発生と似たパターンです。

3と4について。
釈迦が答えを保留した質問のひとつに、「我(アートマン、つまり魂の如きもの)は不滅なのか」というものがあります。魂の存在が常識であるインド土着の思想との論戦を招くことなく、修行の重要さを説くためにその存在を肯定も否定もしなかった、と解してよいでしょう。

輪廻が苦である、という認識は仏教に限らず当時のインド思想にわりと共通した捉え方で、そこから脱出することが目的とされたのは事実です。阿含経には輪廻を抜け出て解脱を意味する「無有に入る」などという表現も残っていますが、釈迦にとっての解脱、つまり「涅槃」というのは基本的には「来世を想定せずに苦しみから抜け出る」ということを意味するものでした。
同じく阿含経の中には、「解脱すると来世でどこにいくのか」と詰問してくるバラモンに対し、釈迦が焚き木の火が消えることを例材にして、「解脱した私の弟子は、このようにどこへも行かずに(煩悩の)火を消すのである」と説くものがあります(見経)。

しかしながら、釈迦は対機説法を常としましたから、場合によってはインドでは空気のような「輪廻」の思想を否定しないほうが賢明と判断すれば、それに順じて説法を行った場合もあります。特に相手が在家信者の場合には、善行と持戒の結果として天に生じる、といった表現を用いている場合もあります。
(ただ、7とも関係しますが、天というのは本来は「光輝く神々の場所」というようなニュアンスで、単純に来世というふうにも言い切れない部分もあります)

5.
釈迦在世の時代から煩悩をコントロールする、という大きな目的のために持戒や禅定などの手段が用いられたわけで、釈迦は必ずしも禅定だけを勧めたわけではありません。ただ、静処にあって精神を統一する瞑想が相当に重要な位置を占めるものであったこともまた間違いありません。
非常に古い「法句経」には、恐らく釈迦の言葉として「言葉を慎み、心を調え、身体に不善を為さず。この三つによりて己を清めるべし。さすれば聖の説く道を得ん」(私訳)といった表現が形をかえて何度も出てきます。その己を清める手段のひとつが瞑想、禅定であったわけです。

只管打坐というのは曹洞宗の思想の表現で、少し抽象的に言うと「坐禅の中に全ての修行方法が包含されている」という意味あいで坐禅の価値を説くものです。難しくなるのであまり書きませんが、道元は坐禅を覚りの手段としてではなく、坐禅がそのまま即ち覚りであるという立場に立ってこれを説いています。これは空を説く中観やものごとの空間的な関係を説く華厳思想を経たうえでの大乗禅の、ある意味で究極の論理と言っていいと思います。従って(道元自身は只管打坐が釈迦の本意を正統に受け取ったものという強い自負を持っていましたが、)これを単純に時代を超えて釈迦の説いた禅定と比べることは残念ながらできません。

とりあえず半分書いてみましたが、ここで質問者氏の本意をできれば確認させてもらいたいと思います。
釈迦の真説のみが“本当の仏教”で、大乗で展開される後々のもろもろの教説は価値が低い、もしもそうお考えのうえで峻別をなさるためのご質問であれば、失礼ですが私は全く賛同しかねますし、時間と労力を投じて回答する気にあまりなれないからです。

この回答への補足

ご丁寧な回答いたみいります。

>釈迦の真説のみが“本当の仏教”で、大乗で展開される後々のもろもろの教説は価値が低い

 そのようなことは考えていません。
 寺院や仏像が好きでよく見てまわり、お寺関係の人から話を聞くのですが、話がいろんなところに飛ぶのでよくわかりません。
 密教、禅宗、浄土宗など同じ宗教とは思えないほど違っています。また仏像の種類も多種にわたっています。
 これを仏教が歴年を経るうちに多くの土着宗教や思想・哲学を吸収していった結果ではないかと考えました。
 そこで単純にゴータマ・シッダルタという人間が説いたオリジナルの教えは何だったのだろうと疑問がわいてきたわけです。

>時間と労力を投じて回答する気にあまりなれないからです。

 そうおっしゃらず、後半部分のご講義披瀝願います。

補足日時:2004/01/08 23:14
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補足にありましたが、


>そこで単純にゴータマ・シッダルタという人間が説いた
>オリジナルの教えは何だったのだろうと疑問がわいてき
>たわけです。
については、私の思うところをお伝えしましょう。
中国の高僧にある人が「仏教にはいろいろな教えや解釈があってよくわかりません。仏教の根本の教義とはつまり何なのですか」と尋ねたところ、次のような答えがあったそうです。
曰く、「良い事をして、悪い事をしない。」
質問者がさらに問うには、「そんなことは子供だって知っています。」
僧のさらに言うには「しかし、実践するにはわしでもなかなか難しいぞ。」

案外、そういうところなのかも。
結集(けつじゅう)と言って、釈迦の没後すぐに500人ほどの弟子達が集まって、釈迦の教えを集大成したそうです。
経典の冒頭に「私はこういうふうに聞いた。ある時釈尊が・・。」というのが多いのは、この時に弟子達が伝聞したことを述べ合ったことに由来するそうです。
そしてそれが文字になったのは何百年も後の事。
当然、法華経のような膨大なものを存命中の釈迦が語ったはずはないと思いますし、聖書と同じくして、今の仏典には実際の言葉は相当に少ないと思います。ただし、それらが釈迦の精神を様々に伝えたものであることは確かだと思います。菩薩なども釈迦の叡智の各象徴だろうし、今の仏教では釈迦はある象徴のようなものの気もします。

修行の中で、具体的には瞑想(右脳状態)に釈迦が見出したものは、生命のみならずに万物の源とはあるひとつのものであり(道教の「道」と同じ?)、科学的に言うと素粒子なのか、そういうものだ、と言うことです。
仏性が宿るとかブラフマンの思想、そういう表現がいいのかどうかわかりませんが、ともかく形相は理由あってそういう表現をとっているだけのその「あるもの」の表象であり、だから世の中は形あるものでそのままで存続することはない、ということ(無常)を、その時代的な言い回しになっているから、今の仏教の煩雑さの理由なのかも知れません。
ちなみに驚くべきことですが、イエスの教えにも全く同じことが語られていたそうです。今のキリスト教が否定する輪廻の思想もイエス自身がのべていたそうです。けれど、後世の教会がそれを削除しました。その削除の記録があるばかりで、オリジナルな聖書は既に残っておらず、現在のものになっています。
おそらく彼らの体得した真理は同じことであったのではないか、と私は思います。
表現は地域や文化によって違うでしょうが、宗教とは車みたいなもので、乗り回す地域でタイプも違い、乗る人の好みや感性、用途でも異なります。けれど目的は全て移動のため。宗教は魂を救いへと誘う乗り物なのだと思います。
だから、同じ仏教の中にも様々なタイプがあっても、早い遅いの違いはあれど、一様に「だれが正しく、どれが誤り」とは言えないのでしょう。
そういう意味では今の仏教の流れは、釈迦が見れば「誰の教え?」と言うことになるかも知れませんね。勿論、それでいいのでしょうが。

何だか、話が逸れちゃいましたね・・。すみません。
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この助言が、何か意味を成すだろうか。


 
「釈迦よ、あなたは何を説いているのですか?」
「釈迦よ、あなたの説いているのは何ですか?」
 
この問いに対して、
禅師なら黙するか。
「私の手をとり、あなたの行くところ何処にでも連れて行って、何でも私に見せてくれ。」
というのは導師だろうか。
 
慈悲か。
釈迦の教えとは何か?
慈悲。
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 基礎知識をかなりお持ちの方なのですね。

残りは、もう良い答えもあるし、特に言うほどのこともありません。そもそも下から答えたのも、重複にならないように考えてのことでした。

 最後に一個だけ。
 
 4さんのお話にもありますように、釈迦という人は、説法をするときに、何か不可思議な存在(考えても分からないものとか)世界の構造など分からないものにから話を立ち上げることはしないで、人間の生き方に話を持っていく傾向がかなりありますから、7,天については原始仏典にも文学的な装飾なのか(本当に見えたのか)色々に出て参りますが、ただし釈迦はただの霊能者ではありませんから、良い生き方について、「それを神(天)と言うのだ、天の生き方だ」という言い方はあります。最古層の仏典、スッタニパータにも出て参ります。従来の信仰を否定しないで、生き方の問題へと価値を転換しているわけです。だから何か存在を説く説かないという問への解答はちょっと出来ませんね。密教などで出てくる意味での明王は、釈迦よりもっと時代が下っての出現と記憶しておりましたが、違ったかしら?

 あとはもうご存じですから。

>死後の世界や異世界を説かないと宗教としては完結しないのではないでしょうか?
 元来「人間は死んだらどうなるのか」という疑問から宗教の発生があったのだと思います。そして徐々に神話を形成していった。その集大成としての思想が宗教に結実したのではないでしょうか。

 そうかもしれません。ただ、そういう死後とか神様の救済話とかを説く宗教(ごまんとある)と神様(これもわんさかとおられる)に満足行かない人が、釈迦だったのでは?と思っています。

 この形態の宗教は、今でも新興宗教までを含めて死ぬほどありますが、古代インドでも基本的には変わりませんよね。今で言うと、お札を貼って健康を祈願してそれで気持ちが落ち着く人もありましょうし、もうあちこちのお札を貼ってそれでも効果がなく、お札にすがるのではなく、なにかにすがって現実を変えたいとう思う気持ち自体を苦しみの元と考える人も出てくるでしょう。お札の量が足りないと頑張る人と、そうしう「信仰」を止めた人と、どちらが偉いとかそういう問題ではないでしょうし、個々の事情もありますけども、たくさんのものを失った人が原始仏教の釈迦の考えに、行き着くのはありそうな気がします。釈迦は、もうイヤになったのかもしれませんね。

この回答への補足

 仏陀の教えは、インドにとどまらず、東南アジア、中国、朝鮮、日本にも伝わり、いまも篤く信仰されています。
 それだけ普遍性のある教えであると思います。
 その中心には老病生死の悩みからの解放、倫理、道徳など生き方に関するものがあるのだと思います。
 ただそれだけにとどまらず、神話に似たものや、神秘的な内容をもつ教典が多数存在します。
 その量は膨大で、かつて法然さんも読破するのに苦労したようです。(3度読むのに15年かかった?)
 キリスト教やイスラム教の聖典に比べっても圧倒的に量が多いですね。
 それだけの量の教えを一人の人物が行ったのかというのが疑問の原点でした。

>従来の信仰を否定しないで、生き方の問題へと価値を転換しているわけです。

 このような柔軟な姿勢が、のちの多くの思想を取り込んでゆく要因になったのかもしれませんね。
 
 一方でイスラム教やキリスト教では、原点に帰ろうという復古主義、原理主義運動が盛んになってきています。
 しかし仏教でもそういう動きはあまり聞きません。
 もしそういう運動が盛んになるとしたら、どういう教えに帰れとなるのだろうと考えたのが疑問の二番目でした。
 教典が仏陀入滅後相当経ってかかれたために、原始仏教の研究も難しいのかもしれません。

>死後とか神様の救済話とかを説く宗教と神様に満足行かない人が、釈迦だったのでは

 そうだったと思います。
 ただ、在来の宗教や神を否定することに熱心ではなく、生き方を説くことに熱心であったと理解しました。

 とりとめのない話ですいません。
 大変勉強になりました。
 どうもありがとうございました。

補足日時:2004/01/12 16:43
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 仏教は哲学では無くて、実際に、実は、マトリックスみたいに存在している世界なんじゃないかな、と、最近思います。



 輪廻で調べたら、下記のサイトも出てきました。ご参考に。

参考URL:http://www.joyu.to/qa/11doctrine/021.html
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9,誤解を招くかもしれません。

一言だけ補足します。

>可能性としての、過去と将来の覚者の存在を認めてるわけですね。

そうなんですけど、「仏(阿羅漢)」になるのは、釈迦在世当時は、もっと簡単に考えられていたようです。
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 眠いですねぇ。


一つだけでは愛想がないので、お休み前に一つ二つ。それにしても、4さん、詳しいですね。「一般人」とは思えないです(笑)。


10,もう私から申し上げることは何もありません。漢字、ケアレスミスですかね。ビルシャナは、「毘廬シャナ仏」ですね。

9,過去に仏がいて、現在に仏(釈迦)がいれば、未来にも仏が居るという考えが出てくるのは、比較的簡単ですね。ただ、それが大乗仏教でご存じの、弥勒菩薩といつ結びついたのが、私もここは勉強したことがないので、ちょっと調べないと確実なことは申せませんが、仏が、釈迦以外にもいた、未来にも、出るであろうということは釈迦も認めていたと見て良いと思います。可能性としての、過去と将来の覚者の存在を認めてるわけですね。

8,この世界だけではなく、「十方」の世界に仏がいるという世界観を持ったのが、大乗仏教の特徴の一つですね。異世界の仏陀たちです。ですから、過去仏・未来仏の話しとは、(弥勒の兜率天信仰に見られますように、繋げられてしまっている部分もありますが)本来は別物です。異世界の仏は、釈迦は説かないです。

この回答への補足

ありがとうございます。

>異世界の仏は、釈迦は説かないです。

 もし説いたのであれば、素晴らしいファンタジ-作家でもあったのだなあと考えていました。
 死後の世界や異世界を説かないと宗教としては完結しないのではないでしょうか?
 元来「人間は死んだらどうなるのか」という疑問から宗教の発生があったのだと思います。そして徐々に神話を形成していった。その集大成としての思想が宗教に結実したのではないでしょうか。

 弥勒仏にも諸説あるようですが、「56億7000万年後に救済に現われる」という教理がそのまま信じられてきたことが奇跡のように思えます。仏教は神秘をまとっていますね。それが魅力となってこれほど伝来していったのかもしれません。

補足日時:2004/01/10 23:49
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補足を拝見しました。

それでは、続きを少し逆の方向から書いてみます。読みにくいのは私の責任でどうかご容赦ください。

釈迦の覚りの根本は、やはり「縁起」ということです。(これについては過去に簡単に回答していますので宜しければご参照ください)
「悟りとは?」:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=550238

要するに、この世の存在や現象は全て相互の関係のなかで生まれるもので、「本質」というものは存在しないのですが、それにも関わらずひとは確固たる自己があるかの如くに錯視して様々の苦しみを自ら招いている、という認識が釈迦の根本にあったのです。

雑阿含経には以下のようにあります。
「比丘達よ、縁起とは何か。生によりて老・死がある。如来が世に出ようと出まいと、これは法として定まり確立していることである。つまりものごとは相互依存的なのだ。如来はこれを知り、明らかにしたうえで『お前達よ、これを見なさい』と説くのである」(因縁法経、私訳)

つまりここでは、「死」というものは観念である、と説かれているわけです。「死」は「生」という概念と対でしか生まれない相依的なものだ、それなのに「死」を実体の如く観念してしまうことが苦を生んでいるのだ、という鋭利な指摘がなされています。
ここで説かれる縁起という関係性は当然釈迦という人間にも当てはまる普遍のもので、これこそを釈迦は「法」と認識していたのです。そしてその縁起を体得するために出家者はいろいろな修行を行ったというわけです。

しかし釈迦の没後、部派仏教としてよく知られているように、教団は守旧派と革新派の分派を細かく繰り返すようになります。この間にどんどんと教理要綱が複雑に積み上げられるようになっていき、理論が精緻化するにつれ、釈迦の経説の本質がかすんでくるようになるのです。

6にある「三千世界」なども、この間のアビダルマ仏教が「倶舎論」という書物を通じて確立させたものです。「倶舎論」は全30巻で、その全体が戒律や業論に関する細かな教学から始まって、下は物質の構成から人間の生存や知覚のシステム、上は宇宙の成り立ちを含めた空間論・時間論に至るまで、こと細かに記載されているのです。特にその中の第11巻「分別世品」に、どうやって考えついたものかわかりませんが宇宙の大きさ、須弥山の大きさや形態、そこに住むものの寿命や特質を始め、三千(千の3乗)あるという世界の構造がつらつらと記されています。

釈迦が回答しなかった質問には、「世界は不滅かどうか」「世界の果てがあるのかどうか」というものもあって、釈迦は本来はっきりした宇宙観を説いていません。「なぜ説かないのか」という質問には、「正智におもむかないため」と回答しています(阿含経)。つまり、覚りに役立たないことだから、として宇宙観をあえて持たなかった仏教が、インド的思想を吸い上げる形で壮大かつ精緻な世界観を持つようになったのは、この部派仏教時代のカテキズム偏重、特に「倶舎論」が大変大きな影響を与えたからなのです。

明王や天部も、この倶舎論で明記されているものもありますし、もっと早くから原始経典に出てくるものもありますが、概ねヒンドゥー教の神格や土着の信仰が形を変えながら仏教に取り入れられたものです。こういった過程自体はどこの宗教でもあるもので、宗教が一般に伝播するうえで不可避的に出てくるものですね。

さて、8と9を合わせて。
極楽浄土と地獄という考えがあります。地獄は、後のイメージとかなり違うものですが、言葉自体は原始経典にもよく出てきます。それに対して浄土は部派仏教を通じてもほとんど説かれることはなく、やっと出てくるのはいわゆる大乗仏教からといっていいと思います(「浄土」自体が中国での造語で、buddha-ksetra=仏国土を意訳したもの)。

もともとは、仏教が大衆化するなかで、この世をどうにもならない汚いものとみて、せめて死後の世界でよりよい世界を求めたい、という気持ちからこういう「他方世界観」が生まれたわけです。ほかにも阿しゅく仏の浄土(歴史的にはこちらが早い)とか、弥勒の兜率天も同様です(未来仏としての弥勒菩薩の件は、阿含経に出てくる逸話で弥勒と翻訳されるMetteyaという弟子が釈迦に将来のお覚りを約束してもらった、という話が下敷きになっています)。

ただ、どこかよそによい場所を求めるのは大衆的ではあっても釈迦の本意ではありませんから、後には浄土思想にも大乗的な転換が生まれています。「この世を浄土として切り開いていく」、あるいは「己心の弥陀」といって「西方浄土も阿弥陀も自分の心の中にある」といった現実と向き合う浄土思想も誕生したことは付言しておきます。

10.
大日如来や昆慮遮那仏といった仏は「法身仏」(ほっしんぶつ)と呼ばれます。もちろん後代になって生まれたものですが、これは「宇宙の中心」というより「宇宙とそこで起こる現象全体」を表すものとして生まれたものです。

冒頭に「この法は如来の出現と関わりなく定まっている」という釈迦の言葉を紹介しましたが、この考えが法身仏の生み出された背景にあります。つまり釈迦という人間は新たな原則や教理を打ちたてたのではなく、それ以前からある原理を表現したに過ぎない、宇宙の誕生以来この世界そのものを動かしている「縁起」という原理をただ明らかに示したに過ぎないのだ、という立場がやがて、その理法そのものを人格的に仏と見たてて法身仏を生み出したというわけです。

釈迦は自ら説く「縁起」の外にあったのではなくて、縁起そのままに生まれ、覚りを得て亡くなったのですし、人間も含め世界の動植物や岩石草木という存在全て、雨が降り風が吹くといった現象全てがそのまま「縁起」という法の表れである、というわけです。
法がこのように広く捉えられてくると、我々の平凡な日常もまた新たな意味を持った、ありがたい存在として感じられることになってきます。

この感覚が、例えば華厳ならば「昆慮遮那如来の光明の中に百千億の世界があり、そのなかの微塵ひとつひとつで釈迦如来が説法する」、といった世界観に通じてきますし、また禅の方向に向かえば「山川草木がそのまま無言の経を説いている」といった数々の詩的表現になります。大日如来も、世界の根本的な理法というものを密教的に結実させたものだというわけです。

法身仏を言うのならば、本当は仏性論と空についての論理を語らないと大乗仏教の意義ははっきりしないものなのですが、それぞれ簡単に説明しつくせるものでもありませんので触れません。ただ、法身仏という大乗の思想の背景が釈迦の立場に通じるものであったことだけは理解して頂けると思います。

最後に末法について。ごく簡単に…
末法思想というのは種々に言われますが、もともとは訓戒ですね。つまりアバウトに喩えれば、企業が変化する時流のなかで偉大な創業社長の遺戒をいかに伝えようかと腐心するが如きで、無常を旨とする仏教であれば仏教そのものも衰えることは避けられない、「今我々がしっかりと伝えなければ後々に正法が伝わらない」といった遺弟子たちの心情がペースになって、やがてこれがインドで下降史観として定式化してゆくわけです。5世紀頃のこととされています。
釈迦は弟子たちに不放逸を、つまり怠ることなく修行に励むことを重ねて強調し、放逸には悪果のもたらされることをも説いています。末法思想は、個人における不放逸と悪果の関係が拡大されて、仏教全体の歴史に当てはめられた結果の史観である、とみることもできるでしょう。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=550238

この回答への補足

 大変詳しいご説明おそれいります。
 仏教の教えは理解するのに複雑すぎるので、まず釈迦の真説を理解しようというのが質問の意図です。
 縁起とは、一切の事物は実体をもたず、複数の原因と条件が寄り集まって成立しているということを表すものだと理解しました。
 老病生死、釈迦も如来もこの理の一部であるということですね。

>釈迦という人間は新たな原則や教理を打ちたてたのではなく、それ以前からある原理を表現したに過ぎない

 この言葉は新鮮にひびきました。当たり前のことを当たり前だと確認したわけですね。ニュートンが引力を発見したのを思い出しました。
 華厳や禅の考え方が発生した背景もわかりやすかったです。
 三千世界、明王、天部、極楽、地獄などの教義が取り入れられた背景についてもよく分かりました。
 ただ密教の神秘性がどこから発生してきたのだけはまだ理解できません。即身仏の思想や現世利益、超能力などの発想がどこから生まれてきたのでしょうか。
 釈迦があえて説かなかった真理=密教という話を聞きました。在来の山岳宗教的なシャーマニズムと結びついたものでしょうか?

補足日時:2004/01/10 23:26
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再来するか分かりません。



11,末法思想。
中国仏教で大流行して、日本で再び大流行しました。ただし、釈迦の死んだ年の解釈の違いと、末法に至るまでの時間の長さの計算の違いから中国では、6,7世紀から末法。日本では、11世紀から末法になっていて、500年の隔たりがあります。印度仏教の経典にも末法の記述はありますが、大流行はしなかったとされています。有名な法華経、流行した経典の中では、数少ない末法を説く経典です。末法思想に似た思想に、世界の終末がありますが(世界は滅びてまたた再生される)、これは末法とは一応違うものですので、今は勘定に入れません。末法は、あくまでも釈迦(あるいは仏)が基準となっていて、仏法が衰えることに力点があって、それによって様々な災いも起きるという思想のことと一応定義されます。ま、時代が経つと衰えるという下降史観は(でもキリスト教の終末とは違って再生がありますけど)、印度にもあったということは言えます。

ただし、印度仏教と釈迦の仏教は、イコールではありませんから、印度仏教に末法思想があっても釈迦がそれを言っていたことになりません。

釈迦?
うーん、記憶にないですねぇ。それらしいことは、少しは言っているかもしれませんが、仮にそれっぽいことを少々言っていても、ほとんど言ってないと思いますねぇ。要するに、断片的な諭しや言葉尻、紛れ込んだものであって、釈迦の思想には、基本的にないものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
末法思想も偶像崇拝の延長線上にあるような気がします。
すなわち個人崇拝です。

現代に釈迦がおられたら、どのような説法をするのか興味がわきました。
釈迦の時代と現代との大きな違いは「科学」だと思います。
科学技術や行動情報社会の出現により生活も社会も宗教観も違ってきました。
それにも関わらず「生老病死」などへの不安はほとんど変わっていません。
説法するのにはより難しい時代になっていると思います。

お礼日時:2004/01/09 13:24

ゴータマ・シッダールタの教えは、人生は苦しみが本質で、それをいかに楽にするかという内容です。


1、偶像崇拝は大乗仏教以降でてきたものですので、釈迦の教えではありません。
3、4、輪廻転生に関しては何も語っていません。ただしもともとインド哲学の思想ですので、当時も一般的でした。
11、末法思想は11世紀の日本の思想ですので、釈迦とは関係ありません。

他はどこから出てきたのかしりませんが、多分ほとんど後世の思想か、インド哲学に由来するものではないかと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ゴータマ・シッダールタの教えは、人生は苦しみが本質で、それをいかに楽にするかという内容です。

 この教えが非常にわかりやすいですし、深く共感します。この基本的な教えと他の空想的な教えに間にギャップを感じていました。
 おそらく密教なんかも後世の遺物なのでしょうね。

>輪廻転生に関しては何も語っていません。

 やはり、そうですか。そういう話を小耳に挟んだことがあったものですから。
 仏陀は自ら教典を書かなかったので、後世の人の考えや思想、在来宗教が加わっていったのですね。

お礼日時:2004/01/08 08:18

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