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ハンデキャップがある人の特集とか

 身体的に問題がある人の 番組をよく見ます。

ここ最近  ただのさらし者にしているだけにしか 思えなくなってきました

こんな考え方は

異常でしょうか?

A 回答 (7件)

 さらしものという考え方を無くなればと願っています。



 自分達で前に出ることで知ってもらうということも頑張っておられます。ただ受け手側が未だに変わらないので、そのギャップがさらし者にしているという感覚につながると思います。心の中で普通の人と同じという感覚ではなく、かわいそうだとか、惨めだとか感じるからこそです。

 そういった感覚を無くすためにマスコミに出てくる方達が増えてきた事も有りますね。

 ネットという表現の場所。iPhoneなどに代表される端末など多く前に出る為のものがあるんですからね。

 隔離されてきたことが問題ですし、バリアフリーの考えを進めるためにも特集など組まないような社会が出来ると嬉しいですね。

 当たり前の事を良く考えれば当たり前じゃないほどすごいことをしているんだぞ。
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今まで一度も「晒し者」だと思ったことはありませんでした。

私が異常なのでしょうか?

本人の承諾を得ずに、本人が嫌がってるのに家族がテレビに取材させるんだったらそれはいけないと思います。
意識はしっかりあって、自分の意志で取材を受けるなら立派だなと思います。

一つだけ気になったのは、ネットでホワイトハンズという団体が麻痺した方の性処理をしてるというニュースを見たときです。内容の議論はまずおいといて、そういう“場面”をしっかり映されていたのはまずいのではないかと思いました。人権を侵害しているのではないか?と。本人は顔は出しているのに、団体側の女性は顔をモザイクで隠していました。
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そのような感じ方をする人は多いようです。

異常とは言えないでしょう。
私も苦手です。

しかし、こういった感覚や考え方が目で見てわかるハンディキャップを持つ人々の社会参加の障壁になっていることも確かなのです。

健常者と同じ仕事でも、障害を売り物にした晒し者でも、そのひとが望む生き方ができる社会のほうが良い社会だと思います。

ファッションモデルが高身長を、グラビアアイドルが巨乳を、コメディアンが不細工を売り物にするのと同じように、障害者が障害を売り物にしても許容できるように私はなりたいです。


具体的には、昔は小人プロレスは女子プロレスの前座として興行に組み込まれTV放送なんかもされていたのですが、晒し者のようで見ていられない、という視聴者の声が寄せられ放送されなくなりレスラー志願者が減り、次第に生興行でも試合が行われなくなりました。
小人プロレスのレスラー本人はこのことを大変憤っていました。

自分の意思で選んだ生き方なのに、外野の干渉で仕事ができなくなるなんてひどい話ですよね。
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 晒し者かもしれませんが、そういう人もいるってことを知ることも大切です。



なかなか普通の生活をしていて、体に色々なハンディキャップを持った人に遭遇することはありません。そういう人をケアする仕事につかない限りは。
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晒し者ですね、私はチャンネルを変えてしまいます。



ただ、生活費を稼ぐために本人からの申し出がほとんどだそうです。
大家族等の番組も家族を晒して収入にしているようです。
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本人が承諾して出ているのなら、良いのではないでしょうか?

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正論です。



あなたは異常では無いですよ、普通です。
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