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近頃思うんですが、「弱者」とはどういう人を差すのでしょうか?
また、弱者と言われる人は弱者なのでしょうか?

私が思うに、なんだか不思議な定義だと思うんです。
なぜかというと、弱者と言われる人が(その件に関することの範囲内で)必ずしも弱いかというと、そんなことないと思うからです。

例えば、性差別の話が出ると、女性の差別が問題として挙げられ、女性が弱者とされますが、女性は弱者なのでしょうか?
弱者だとしたら、弱者なのでしょうか?

私が思う限り、女性が「強い」と感じる事もありますし、或いは本来女性だけではなくて、男性にも起きている総合的な社会問題が、女性だけの問題として歪められている事も多いと感じます。

例えば痴漢冤罪事件なんて、有名ですよね。
「この人痴漢です」と言われたら、仮に証拠がなかったり、被疑者に有利な証拠があったとしても、なかなか被疑者が有利な結果になることはありません。
仮に無罪になったとしても、被疑者にされた人は社会的制裁を受ける事がとても多いです。
痴漢事件じゃなくても、男女間での対人トラブルがこじれて、第三者が仲裁を必要とする様な状況に陥った場合は、男性側が有利になるという話はあまり聞きません。
私自身も、某所で全く身に覚えのない、いわれのない事で、(第三者からの)トラブルに巻き込まれた事があります。
第三者から、いきなり薮から棒にやられた事だった為、原因が全く分からず、後日家族を通じクレームを言った所、「別の女性からの(いい加減な)通報」が原因だったそうです。
またその時の状況から私が判断する限りだと、その通報・主張内容には不合理な点や矛盾点、考察すべし点があったのにも関わらず、向こうさんはそこを完全に無視し、完全に女性側の意見を鵜呑みにして、男性であるこちらの主張は全く聞かず、って事になりました。
また、あんな態度を取ったのにも関わらず、母親を通じてクレームを言った所、あっさり非を認めて謝罪を始めるという、随分と裏表な対応を取った為、かなり不満になりました。

他に、女性だけの割引サービスがあったり、男性が入れない商業施設とかが結構存在します。
後者の場合、函館のパスタ屋が一度物議を醸し出しましたし、他にもゲーセンのプリクラコーナーとか、女性専用の所がとても多いです。
無論、盗撮とか軟派とかの問題はあるのでしょう。
更には「男が(男だけで)プリクラ行くなんてキモい!」とか言う人もいるでしょう。
まず後者ですが、これは単にジェンダーを枠にはめた上での、決めつけと、プリクラの問題に限った問題矮小化なので論外とします。
前者は確かに問題ですが、それを「全ての男性をお断りする」程の必要性があるかというと、それは私はおかしいと思うんです。
ああいうコーナー変に柵とかで囲い込まず、不審者がごそごそ出来ない様にして、店員がきちんとチェックをし、客も不審者がいたら直ぐに店員に通報する、盗撮などは抑止する、様にすれば良いと思います。
プリクラだけの問題に矮小化せず、「犯罪が起きる事がある」→「だったら男性を全部出入り禁止にすればいい」という風な、そういう男性全部に一部の悪い人の責任を取らせる様なやり方は、良くないと言いたい訳です。
男性が居なくても起きる犯罪はありますし、もっと違った所から防犯をやっていけばいいと思います。
男性を全部犯罪者予備軍の様にしているのは、不合理だと思います。
ただの、「女性優遇」に成り代わってると感じます。
また、商業サービスに対する男性と女性の処遇に差をつけるのは、商業的な利益の為にやっている事だから、差別ではない、という意見がよくありますが、それを言うと就職の時とかに女性よりも男性の方が安定して働ける傾向にあるから、女性を雇わない、出世させない、そっちの方が会社の利益になる、ってのも是となるため、全く説得力のない話だと感じます。
また、学割とかがあるだろという話を持ち出す人もいますが、学生は仕事(やってるのはバイトぐらい)をせず独立していない、親の庇護の元にある人である事が前提、つまり一人前じゃないというのが前提にある故の物です。
これと同一視することは、女性は一人前じゃない、という様な、それこそ性差別的な物で全くナンセンスです。
だからそういう指摘は、ナシでお願いします。と予め釘を刺しておきます。

DVの件とかも、本来男性が被害者になっている事例もかなり多いのに、女性が夫や恋人から受ける暴力、みたいな、歪められた表現になっています。
後、就職の問題も、女性も大変な所は沢山ありますが、逆に男性が女性向けとされていた職場に切り込んで行くのも、とても大変です。
一般職で男性が応募してもなかなか入れません。
ショップの店員、など目に付く所の人は、女性の方がずっと多いです。
また、ホームレスは男性をたくさん目にします。
男性である事を理由に、就職ができず、裁判沙汰になった事例もたくさんあります。
だから、これだって本当は男女問わない、社会問題だと思うのですが、どういう訳か女性が受けている問題かの様に、歪められて表現される事がとても多いです。

男女問題から少し離れますね。
私の生活圏内にある、とある地上10階建て、地下1階建ての、商業施設にあるエレベータの話です。
メインホールに5機エレベータがあるのですが、そのうちの2つが一般商業エリアのみに停車する物、後の2つがレストランと映画館フロアにのみ停車する物、最後の1つが「高齢者と障がい者、妊娠している人や幼児連れの人」の専用エレベータになっています。
このエレベータ、必要なのか?とよく思います。
勿論、常に常に混雑していて、そういうエレベータを必要としている人が乗れない様なビルであれば、理解もできるのですが、このビルは私が知る限りそうでもありません。
それよりもこのビルで問題と感じるのは、かご自体は混雑していないが、特に一般商業エリア側用のエレベータは、全体に満遍なく商業施設がある故に、呼出し・停車階が多過ぎる事で、待ち時間が非常に長く、両者が団子運転をしている事が問題です。
呼んでから3分ぐらいエレベータが来ない事が常態化しています。
なお、上よりのフロアを使う場合のみ、レストラン階のみのエレベータに代わりに乗って、そこからエスカレータを使う方法もありますが、そちらは距離が遠い事自体が待ち時間を長くさせているし、乗り換えやエスカレータを降りる事で時間を使うため、あまり変わりません。
待ち時間が長いと感じているのは私だけでないみたいで、待ちきれずにエスカレータで上がっちゃう人も大変頻繁に目にします。
そうなると、無人でエレベータが停止する階が無駄に増え、更に待ち時間が増すという悪循環状態です。
その点、この状態で「弱者『専用』」のエレベータを作る事が果たして得策かというと、そう思えないんです。
実質、皆イライラしているせいか、このルールは殆ど機能していません(弱者じゃない人もこっそり乗ってる事がよくあります)。
いつもこのエレベータはガラガラか、あるいはそういうインチキ利用ばかりを目にします。
私も実は乗った事ありますが、他のエレベータと違ってすぐ来るのでびっくりです。

それよりもそういう環境なのであれば、専用エレベータは廃止して、車椅子やベビーカーなどエレベータを絶対に必要とする人、妊娠中など普通の人よりもたくさんのスペースを必要とする人、等が乗って来た場合に、エレベータのかご内に十分なスペースがない場合には、若い人や健康な人、急ぎではない人が降りて、そういう人に譲って、次のエレベータを待つ様にすれば良いと思います(優先利用です)。
専用エレベータはガラガラで、弱者でない人は何分も来ない、異常に遅いエレベータの到着を待つってのは、弱者支援の範囲を超えるものになっていると感じます。
あくまで、普通の人と同じ様に社会生活が営める、様に支援する事は必要ですが、特別待遇や優遇なんて、上に挙げた人達に必要な物ではないと思います。

さて、上に挙げたものを考えると、段々弱者が本当に弱者なのか分からなくなってきます。
弱者として扱われている人達をバックアップする制度が、色々と間違った方向へ進んでしまっています。
さらにそういう、『間違った方向のもの』に限って、過度なサービスになっています。
また、弱者としてはカテゴライズされていない人に、過度の負担を掛けるもの、逆差別になってしまうようなもの、あるいは逆差別ですらなく、独立した差別になってしまうもの、なども非常に多くなっています。

だから、弱者の定義ってなんなのでしょうか?
弱者は、弱者なのでしょうか?

A 回答 (8件)

弱者とは倒れている状態の人です、一人で起き上がれない人です


負のスパイラル入ってそれを打破する他人の助けも個人の意思も持たない人の事です

弱者に例えば社会的注目が集まったらその瞬間に弱者は強者に変わります

弱者は弱者であるが一般的に認識された瞬間にその特定個人やある程度の範囲の人々は弱者を脱します

あとは強者としてこれまで受け取れなかった取り分を要求するわけです



助けすぎ良くないんですけどね

営利的にうまみがあったりするんで、弱者を助けるって看板にすると
弱者保護という言葉の八割くらいは弱者保護の名を借りたれっきとしたシビアなビジネスですから

世の中あんまり正しいものは無いです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/24 05:24

同感です!!

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/01/28 20:00

> 男性が女性になることはできないと思います。



痴漢冤罪等に関しては、男性内における強者・弱者の問題として解決したと考えますので、「男性が女性になることはできない」などは、極論の部類かと思いますが・・。

どうせ極論なら、女装などと言う中途半端じゃなく、「性転換」と言う極論まで考慮すれば、解決するんじゃないですかね?
これなら女性と見なす人も多いと思うし、少なくとも「一般的な男性では無い」と言う見方が主流でしょう。

性同一性障害なら、法的にも(戸籍上も)性別変更が可能だし、その時点で疾患であり、社会的弱者だし。
疾患じゃなくても、本気で女性が有利と考えるなら、海外で性転換手術などは可能ですし。

「そこまではしたくない」と考えるなら、そこまでした場合に比べ、総合的には現在の地位が上(強者)であると言うことです。

しかし・・「女装を女性と見なすか?」など、質問者さんは、どうも視点がズレている様な気がしてならないのですが。

最初の回答で、基本の考え方はご理解戴いたと思います。
後は枝葉末節に拘ったり、極論にまで発展して意固地にならず、本質的・根本的な部分をお考えになればどうですかね?

別に私は「逆差別」の存在を否定はしてませんよ。
「逆差別は存在するが、それは強者が決めたルールである」と言う考え方です。

「それは違う」と言う疑問なら再回答しますが・・。
それに対し「女装」云々まで持ち出して、無理矢理、疑問をひねり出す必要性がありますかね?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

しかしながら、性転換をすれば、これまでのしがらみをぽんと捨てられて、男性が女性として普通に生きていけるかというと、そんなに世の中甘くないんじゃないかと思います。
それが保証されるならば、もっとやる人もいると思いますし、GIDなどが今程問題視されることも無かったのじゃないでしょうか?

お礼日時:2012/11/30 05:45

お礼、ありがとうございます。



> 、弱者が弱者として、あなたのおっしゃる意味での強者にカテゴライズされる理由とか、またそれ以外の人は弱者には含まれない理由とかはなぜなんでしょうね.

基本的には、「ルール決定者(≒強者)が、そう言うルールにしたから」ですよ。


> いつの間にか強者と弱者のパワーバランスが、平等というより、逆転状態に陥って行ってる感じがするのですが、なぜかなと思います。

強者・弱者が存在すると言う前提で、まず「平等」と言う概念が奇異です。
社会主義などが「平等」ですが、その社会主義においては、本来は強者・弱者と言う概念も無いハズです。

一方の資本主義社会においては、強者・弱者は存在します。
コチラは人権などは「平等」ですが、富の所有などにおいては不平等であり、不平等は是認する前提の社会です。

その代り、富裕層は多くの税は負担を負担し、逆に貧困層はその税の受益者になることで、「公平」な社会にしようとするのが資本主義社会の考え方です。

質問内容の女性や高齢者なども、この考え方の応用が可能です。
社会的強者が、責任や義務などを多く負担し、社会的弱者の負担を軽減したり、義務を免除するなどの特権を付与するワケです。

但し、富裕層の税を高くし過ぎて、貧困層の方が豊かになるなどの状況が起きれば、「平等」を通り越して「不公平」になります。
質問内容は、局所的にそういう事態が生じている可能性を指摘しているに過ぎません。

「平等」と言う基準は簡単ですが、「公平」は万人に公平な状態など存在し得ません。
例えば高齢者が増加すれば、高齢者専用エレベータの方が混むと言う状態になりますが、公平な社会作りと言うのは、定期的な見直しなども必要です。
あるいは「60歳以上利用可」などと線引きすれば、体力的に平均的な60歳より劣る59歳の人は、実質的には不公平な扱いを受けるなど、個人差などもあります。

質問者さんが不公平と感じる部分については、質問者さんにとっては不公平なのでしょう。
それだけのことですよ。

資本主義社会とは、強者と弱者のいずれかが優遇されやすい社会で、それを決めるのは強者です。
中間層が中途半端な存在と言って良いかも知れませんが、中間層の概ねは、強者になろうとしますね。

弱者の方が優遇されていると考えるならば、自分も弱者になると言う選択も、資本主義は容認するとは思いますが・・・。
ただ、「弱者が優遇され過ぎている」と感じて、そのルールを変更するのは強者であり、いつ何時、そう言うルール変更がなされるか判らないのも弱者です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ただ、一つ気になった事
>弱者の方が優遇されていると考えるならば、自分も弱者になると言う選択も、資本主義は容認するとは思いますが・・・。
男性が女性になることはできないと思います。
比較的容易にできるものならば、女装という手もありますけど、それは認めないという人も多いんじゃないでしょうか?
女装も女性に含むという価値観が万人にあれば、それは問題ないでしょう。

あなたの価値観の場合は女装は女性に含みますか?

社会的な物にせよ、法的な物にせよ、商業的な物にせよ、女装者を女性として扱うのが概ね一般であるのであれば、ここは解決です。

お礼日時:2012/11/25 02:01

世間、社会は様々な面でなお発展途上にあります。


強者と弱者とが認められたこと、お互いの問題点が質問者さんのようにまじめに、多角的に考えられるようになったということで、今後も更に社会は改善され、進歩し、より多数の人間が快適に暮らせるようになっていくだろうと期待できます。
以上
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/24 05:29

> 弱者の定義ってなんなのでしょうか?



基本的には、意思決定する側が強者で、その決定に従属する側が弱者と言う定義になろうかと。

たとえば資本主義社会においては、まず富の分配者と、分配を受ける立場に分割されます。
その中で、更に分配が少ない者(又は富の分配が受けられない者)が「弱者(社会的弱者)」に定義されるかと。
その弱者が社会保障等で厚遇される様な例が、「逆差別」などと言われる現象になります。

男女間の性差に起因する強弱も、同様の考え方が応用可能です。
性犯罪に関して言えば、加害を意思決定する側である男が強者、加害を受ける側が弱者と言う定義には、特に誤りは無いと思いますが。

質問者さんが長々と書いている痴漢冤罪等に関しては、基本、男女の強弱などとは全く無関係で、犯罪の性格などから、法学的に考慮すべき問題です。
痴漢においては、女性優位な司法判断が下る傾向は、逆差別的要素は全く無いとまでは言えませんが、逆にレイプ犯罪などにおいては、合意有無の認定において、被害女性側は全くその気が無くても、同室に投宿しただけで、女性側が不利に陥るなど、逆のパターンもありますので。

痴漢冤罪などで、敢えて強弱を考慮するならば、自分を強者と思っている側(即ち、男)の中で、解決されるべき問題の様に思われます。
引き続き痴漢冤罪を例に挙げれば、痴漢冤罪被害に遭う人間が弱者であって、その様な冤罪被害からは自分の身を守れる人間が強者となるわけです。

もっと簡単に言ちゃいますと、「痴漢事件」と「痴漢冤罪事件」はイコールでは無いにも関わらず、痴漢事件における弱者(痴漢被害者)と、痴漢冤罪被害における弱者(冤罪被害者)を比較している格好です。
最終的に法的・社会的に処罰される冤罪被害者が最弱であることは、当たり前のことでしょう。

更に「逆差別」などを含め、無理矢理ややこしく考えたら、「段々弱者が本当に弱者なのか分からなくなってきます。」と言うのは、当たり前のことであり、疑問を正当化するために悩んでおられる様な感じですよ。

尚、エレベータの問題に関しては、冒頭の通り、優先云々を決定するのはビル管理者側の専決事項であり、その決定が逆差別的になっていると言うだけのことです。
ここで考慮される強弱は、ビル管理者とビル利用者の関係であって、利用者間の強弱は、強者であるビル管理者によって作られた「ルール」に過ぎません。

もし質問者さんが、どうしてもそのルールに納得が出来なければ、司法判断を得る等し、ビル管理者以上の強者になる方法を考えれば良いです。

問題解決において、勝てる術を思いつくかどうか?も、法治国家などルールが存在する中での、強者・弱者の分かれ目と言えますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

まあ、確かにあなたのおっしゃる通りとは思います。
でも、弱者が弱者として、あなたのおっしゃる意味での強者にカテゴライズされる理由とか、またそれ以外の人は弱者には含まれない理由とかはなぜなんでしょうね。
また、そうやっていくと、いつの間にか強者と弱者のパワーバランスが、平等というより、逆転状態に陥って行ってる感じがするのですが、なぜかなと思います。

お礼日時:2012/11/24 05:28

”弱者の定義ってなんなのでしょうか?”


   ↑
本当の弱者とウソの弱者がいる、という
だけの話ではないですか。

・女性が弱者というのはウソの意味での弱者です。
生物学的に言えば、女性の方が強いです。
男が優れているのは、筋肉の瞬発力だけです。
他は総て女性が優れています。
それなのに女性が弱者と言われるのは、女性が
子供を産み育てる性だからです。
つまり、女性を弱者として保護することは、人類
全体を保護することに繋がる、ということです。
妊婦さんもしかりです。

・老人はどうでしょう。
肉体的には弱者ですが、経済的には強者の老人が
多いのです。
65歳以上の人の1/3は億以上の資産を持っています。
金があれば何でもできるこの社会において老人が
弱者であるはずがありません。
それでも弱者として保護する必要があるのか。
うだうだ理屈を言わないで、眼の前の肉体が
弱っている人を大切にしろ、てことでしょうか。

・障害者は弱者として良いと思います。
障害者用の設備などの多くは、健常者にも便利な
ものが多いのです。
障害者を弱者として保護することは、健常者を含む
全員の利益になる場合が多いのです。
一部、効率が悪くなることがあるかもしれませんが、
それによって他の人が受ける不利益が、重大でない
限り許容すべきでしょう。
過剰保護てのは確かにあるかもしれませんが、
それは弱者保護の歴史が浅いことに基づくものだと
思います。
そのうち、是正されるのではないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/24 05:25

定義はありません。



差別的ニュアンスがはありますが、それを差し引いてもかなり使いやすい言葉です。

個人的には、社会的弱者をイメージします。高齢者、障害者、子ども。
(自分の中では女性、経済的弱者は含まれない)

弱者に定義はなく、ある事柄に対して、その言葉を使うのです。
社会的弱者も議論の内容次第で範囲も変わるでしょう。
弱者単独でどの範囲かは決められないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/24 05:24

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