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あちこちで冬の雪山遭難が報じられてますが
普通の人はそういう過酷で危険なところへ好き好んで行かないと思います。
それにもかかわらず無理してでも行きたがるのは、どこかおかしいのではないでしょうか。
遭難すると高額な救助費用がかかるのも知ってて行くんでしょう。
何でそんな危険な遊びをする必要なんて有るのでしょう。

例えば新興宗教とかカルト教団の信者って周りからおかしいと思われていても自分はマトモなんだと思い込んでて、否定されると憤慨して何としてでも肯定して正当化するそうですが
それと似たような精神状態になってしまっていると言えるのですか。

A 回答 (11件中1~10件)

冬山の雪景色は綺麗ですよ~


動いてもあまり汗かかないですし、新雪はふかふかで転んでも痛くありません。
新雪のスノーシューハイクでもやると冬山にハマるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

でも
一歩間違えると
死が待っているのですよ。
他人までも巻き込まないで下さいね。

お礼日時:2013/01/07 23:15

運悪く遭難したと本人は言うかもしれません。


しかし、危険を回避する能力がなかったから遭難したのでしょう。

冬山に「挑戦」すると言います。
はじめから危険を承知なのです。

だから、早い話、「救助」は想定外なのでしょう。
ようするに、これは、救助費用を自分で払える人の遊びです。

確かに、我々には、冬山信仰は危険に見えます。
荒れた海で磯釣りするのと同じようなものですからね。

しかし、宗教には関係ないよ。
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この回答へのお礼

リスクを想定してチャレンジする
それってギャンブルですよね。

ギャンブルなら負けても自分が損するだけで済みますけど
冬の雪山遭難は他人まで巻き込む恐れがあります。

それじゃあ、ギャンブルよりタチが悪いですね。

例を言えば
ヘビースモーカーが自分だけ吸いたい衝動に駆られて
周りの人のことなど気にせず副流煙まみれにしても何も罪の意識を感じないのと
同じことでしょう。 自分さえ良ければそれでいいのです。
つまり、依存症です。

お礼日時:2013/01/07 23:13

>何でそんな危険な遊びをする必要なんて有るのでしょう。



「遊び」か。
そんな考え方しか出来ない人間に説明しても無意味。
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この回答へのお礼

遊び、レジャー、レクレーションという認識しか有りませんが
他にどういう考え方が有るのでしょうか。

行かなくても生活に困る訳じゃないんでしょう。

お礼日時:2013/01/07 11:12

>普通の人はそういう過酷で危険なところへ好き好んで行かないと思います。



普通の人では行かないのは勿論、行けないのでしょうね。行けるだけの訓練、鍛錬をしたら、やはり考えは変わるのではないでしょうか?
私はそういう経験がないので、よくも知らないで安易に人を批判したくないと思います。
勿論、私はそうでも、あなたは私と違うのだから、「自分のことは棚に上げて」言うのも自由だとは思ってます。

こういう質問をされてますね。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7770533.html
>マウンテンバイクに乗って里山を走ってて細く曲がりくねった道や木々の間を縫うように走るのがとても面白いです。

マウンテンバイクなど乗らない私から見れば、どうしてわざわざ、縫うように走るのか、できるだけまっすぐに走ったほうが安全なはずなのに。

「何でそんな危険な遊びをする必要なんて有るのでしょう。」と思ってしまいます。
そもそも、山にどうしてバイクで走るのかも私にはわかりません。山の中に住んでいて通勤に必要なら
判りますけど。

もしかしたら、マウンテンバイクというのも楽しくって、依存症になり易いのかもしれないですね。
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この回答へのお礼

マウンテンバイクに乗り過酷な雪山は走れません。

当然ですが、遭難して救助隊とかヘリとか出動して騒ぎになるような迷惑もかけません。


マウンテンバイクは山を走るだけでなく街中買い物とかポタリングも出来て便利です。

冬の雪山登山は過酷で危険でわざわざ行く必要性はありません。
無くても、一向に差し支えありません。
それでも、どうしても行きたい人は極一部の好き者限定でしょう。
全く一般的とは言えませんね。

お礼日時:2013/01/07 11:08

パチンコなどギャンブル系も儲かるわけないのに、自分だけは儲かると信じて行くのでしょうね。


ギャンブルとアルコールははっきり依存症と認知されているようで、精神科での取り組みのプログラムがあるようです。

さぁ、登山の治療プログラムですか?聞いたことがないですよ。

それよりももっと大勢の方が罹っている(?)依存症は、車でしょうね。
用もないのにドライブと称して、無闇にあちこち出かけて、事故にあってますね。運が悪ければ、加害者になり、高額の補償金を請求されるというのに、「何でそんな危険な遊びをする必要なんて有るのでしょう。」

登山は加害者にならないだけでもかなりマシなほうですし、冬山ともなると、絶対数が少ないから、きっと目くじらを立てるほどではないのでしょう。
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この回答へのお礼

クルマは仕事でもレジャーでも必要なものです。

しかし
冬の雪山登山は必要とは言いません。
単なる個人的趣味のレジャーです。

お礼日時:2013/01/07 10:52

〉普通の人はそういう過酷で危険なところへ好き好んで行かないと思います。


それにもかかわらず無理してでも行きたがるのは、どこかおかしいのではないでしょうか。

 あなたのおっしゃっていることは、言い換えれば下記のようなことじゃないでしょうか。

あちこちでタバコを吸うことの害が報じられていますが、普通の人は、そういう害のある、しかも周囲の人に迷惑をかけるようなものを好き好んでやらないと思います。
それにもかかわらず無理してでも吸いたがるのは、どこかおかしいのではないでしょうか。
周り回って全国民的に医療費負担が増えるのも知っててやるんでしょう。

例えば新興宗教とかカルト教団の信者って周りからおかしいと思われていても自分はマトモなんだと思い込んでて、否定されると憤慨して何としてでも肯定して正当化するそうですが
それと似たような精神状態になってしまっていると言えるのですか。

 例をタバコに採りましたが、他にもたくさんあるでしょうね (^o^)v
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この回答へのお礼

そうですね。

自分から見れば
タバコも麻薬もギャンブルも新興宗教も冬の雪山登山も暴走族も峠の走り屋も
同じモノにしか見えません。
反社会的とか違法行為とかの違いはありますが
自己満足や自己快感の為に他人に迷惑かけるうえに身の破滅になる行為は内容的には同じです。

お礼日時:2013/01/07 10:46

この時期雪山遭難ニュースが出ると、この手の質問がちらほら出てきます。



糖尿病患者の話はどうでしょうか。
糖尿病になっても、適切な治療と投薬を受け、食事管理、運動療法など節制をしていれば普通に生活を送ることができますが、それにもかかわらず無理してでも好きな食事をし、不摂生な生活を送り、病院にも行かないのは、どこかおかしいのではないでしょうか。
悪化して糖尿病性網膜症で視力を失ったり、腎臓をやられて人工透析になると高額な医療費がかかるのも知ってて放置するのでしょう。なんでそんな危険なことをする必要なんてあるのでしょう?

もちろん、しっかり節制していても、人口透析になるまで悪化させてしまう人もいます。雪山遭難と同じく、運の部分もあるでしょう。

人工透析になると、週2回の透析のため、年500万円の治療費が必要になりますが、身体障害認定を受ければ、自己負担ほぼなしで治療が受けられます。
現在、約30万人の透析患者が、年2兆円の税金=医療費を使って治療しているという状況です。

年間の雪山遭難者全員の救助費を合わせても1億円も使っていないかと思います。

でも、私は、こういうことは許されてもよいと考えています。
多様な価値観を認め合うというのが民主主義、自由であり、そのコストだと考えているからです。
他人の価値観を認めない、自由を制限する、リスクを取らないという考え方は、成熟されていない社会の論理ですが、現代の日本に生きる我々は、幸せなことに価値観、行動の自由があります。この自由が我々一般市民階級にもいきわたったのは、人類20万年の歴史で、たかだか最近の100年にも満たないのです。
そして、自由に付随するリスク、雪山遭難もそうですが、こういうリスクを社会全体で負って支えあっていくのは素晴らしいことなんです。

あなたを説得しようとはおもいませんが、冬山に登る人の価値観を頭ごなしに否定するのは、脊髄反射的な、子供の考え方にも似ています。私だったら恥ずかしくてとてもできない。
透析患者に、「お前たちは自堕落な生活を続けた間抜けな病人で、社会に負担をかけて迷惑なんだから死んでしまえばいい」というのと変わりありません。

同様の考え方を突きつめていくと、
「出生前診断で胎児に障害が判明したのに、中絶しないのは自己責任だから、出産後も国の支援を受けるべきではない」
などという恐ろしい考え方につながりかねないと思うからです。
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この回答へのお礼

人の感じ方はいろいろ有りますので
特に肯定するあなたを否定したいとは思いませんが

自分から見れば
糖尿病患者も
タバコも麻薬もギャンブルも新興宗教も冬の雪山登山も暴走族も峠の走り屋も
同じモノにしか見えません。
反社会的とか違法行為とかの違いはありますが
自己満足や自己快感の為に他人に迷惑かけるうえに身の破滅になる行為は内容的には同じです。

お礼日時:2013/01/06 17:59

普通に考えたら何で雪山に行くのと思うでしょうが、登山が好きな人は寝ても


覚めても山に登りたいと言う気持ちで頭の中が一杯なんです。
僕の後輩にも山登りが三度の飯より好きって奴がいますが、なぜ危険な事まで
して山に登るかを聞いた事があります。
後輩が言うには、山頂に到達した事が一度でもある人には、再び別の山に登っ
て征服してやろうと言う気持ちが強いようです。
征服に失敗した時は、寝ても覚めても悔しさで一杯になるようです。
確かに登山中は苦しいと言っています。だけど征服した時に苦しさは消えて、
頑張った自分が誇りに思えるから何度でも挑戦すると言ってました。

もしかしたら遭難するかも知れない。これは失敗を意味する言葉です。
登山者達は失敗する事は考えていません。失敗するかもと考えていたら山なん
て登れないと言ってます。あくまで自分に対しての挑戦のようです。他の人に
は危険な遊びのように感じるでしょうが、彼らには決して遊びじゃないんです
ね。一種の人生をかけた挑戦なんですね。

僕は以前は自衛官でしたから、訓練で地域の山に歩いて登った事が何度かあり
ます。雪山ではないのに歩くだけでも大変な思いをしました。山頂に到着した
時は雄たけびをあげて喜びましたね。自分の中では自分の足で登り征服した気
分になった事を今でも覚えています。
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この回答へのお礼

正常性バイアスというものがあります。
都合良く自分だけは大丈夫だろうと勝手にタカをくくり信じてしまうそうです。

>登山者達は失敗する事は考えていません。
コレって正常性バイアスそのものですよね。


早いハナシ
結局、自分の快感を得る為に危険な行為をやっている。
麻薬依存症と何も変わりありません。

違法かそうでないかだけで
内容的には何も変わりありません。

お礼日時:2013/01/06 17:47

人はそれぞれ好みや考え方も違い、趣味も多種多様です。

例えば、ゲームに全く興味のない人から見れば、ゲームに熱中するのは時間の無駄以外の何物でもなく、何時間も画面を眺める姿を見て異常と感じる事もあるでしょう。雪山登山も同じで、好きな人にとっては大変な魅力があるのです。遭難すれば人に迷惑がかかりますが、迷惑がかからないことばかりを考えていては冒険などできません。冒険は危険な事でもありますがすべての人が冒険を愚かなことだと考えているわけではありません。危険を顧みず、みずからの可能性に挑戦する姿は人に感動を与えることも少なくありません。ただ最近、知識や技術、装備が不十分にもかかわらず安易に登山に出かける人たちもいます。これは冒険というより無謀というべきもので、本気で登山を楽しもうとしている人たちにとってもやっかいな存在です。
多分、あなたの指摘するような人たちはこちらの部類の人ではないでしょうか。日ごろからトレーニングを積みきちんとした技術や知識を持って山に挑む人とは違う人種だと思います。
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この回答へのお礼

クルマを運転するにも免許が必要なんだから
過酷な雪山へいくなら相応の上級ライセンスに合格しないと行けないように
すればいいのですよ。
もっと規制を強化するべきですね。

お礼日時:2013/01/06 17:36

趣味だからです。


あまり好きじゃない人から見たらおかしいと思いますが
やっている人は楽しい。そんなものです。

質問者さんの例え話で行くと、
人間自分はマトモだと思っていても他から見たらおかしい物ですよ。
新興宗教やカルトはそのグループ内ではまともに機能しているものです。
周りがおかしいと思っていても。
これは、家族でも置き換える事ができます。
否定しても正当化するのか、簡単な話です。信じているからです。
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この回答へのお礼

趣味で楽しいってのはわかりますけど

遭難して救助された人を見ているとあんまり楽しそうじゃないですよ。
それでもホトボリが冷めるとまた行くのでしょうね。
懲りるってことを知らないのですよね。

諺でよく言われてますが
何とかは死ぬまで治らないって、その通りかと思ってしまいます。

趣味を超越した異常さを感じてしまうのですが。

お礼日時:2013/01/06 17:30

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