【お題】王手、そして

タイトルのとおりなのですが、地頭をよくするためにはどうすればいいのか教えて欲しいです。地頭が良い人というのは、自分が今まで感じ取ってきた中では、何かの説明を受けてぱっと理解したり、話が上手い人、また、頭を捻る問題に対して、やすやすと解くことが出来る人など、とにかく頭の回転が早い人や頭のキレる人が多かったです。
 しかし、自分は残念ながら、そのような能力を持ち備えていないです。この地頭が良い人になるためには、どうすればいいのでしょうか。それとも、こういうのは鍛えてどうにかなるものではないんでしょうか。

A 回答 (5件)

100%発揮できる脳のスペックがあるとして、



例えばその力を余計な所に回してしまっては、機能が低下してしまいます。

それは例えば人目を気にする神経だとか体力の維持など。

専門家ではありませんが、
無駄を省くという意味で精神的にも肉体的にも基礎的な耐久力を付けることが結果的に頭をフルに使える方法ではないでしょうか。
    • good
    • 0

脳に汗をかかせる事です。



分からない問題がありますよね。
と言うより世の中のほとんどは分かってない事ばかりです。

宇宙の果てとか死後の世界とかに始まり、学校の問題でも同じです。

分からない事を時間をかけてあらゆる方向から心の中で解明するんですね。
正解を求めるためだけではなく、考える過程が大切なんですね。

テストに関しては、繰り返しやることで訓練できますので、地頭とは関係ありません。

ちなみにTVは考えることを要求しませんから、人間をバカにします。
    • good
    • 0

物の見方を変えるとなれるんですが、自分の価値観ってそうそう変わらないのです。


頭の回転が早い人や頭のキレる人ってのは、ひとつの問題に対して複数の解決方法の計算を用いて、最善のひとつと、失敗したときの次善までを考える、マルチタスクの思考なので。
一つの問題を一人の目線からしか考えず、たったひとつの真理を求めるモノタスクに慣れていると、他の思考ができない。
モノタスクのひたすら早い人ってのも理系人間にはいるんですけど、これは知能指数とか生まれついての才能のことが多い。

鍛え方としては、ひとつの観念に囚われず、いろんな思考を持てばいいので、他人の思考を知ることだったり、裏側を想像することなので、
一番の練習は、本を読むこと。
本の種類はなんでもいいんです。ひたすらいろんな人の思考と行動と結果を知ることが目的なので。
漫画でも映画でも別に構わないんですが、漫画だと主人公の心理に同調して読んじゃいがちなので、モノタスクから脱却しにくい。漫画の主人公の思考と行動はシンプルですから。
映画はストーリー以外の部分、監督や役者など制作側の心理まで見ないと意味が無いので、映画の知識が別に必要。

その次に、他人の行動すべてに興味を持つこと。
これは、他人をただ眺めているだけではなく、なぜそうなのか?どうなるのか?まで興味をもつことです。
「テレビを見ているとバカになる」の根拠はここにあって、テレビって視聴者の関心をひくだけで、結果まで見せない。
テレビと新聞以外のメディアは、大抵が結果がまとまってから発表するのです。
テレビドキュメントでどれだけ追っても、ビックダディが子供を増やし続けた結果、最期どう死ぬのかまで放送はしない。
だから、やっていることだけ見ていても、結果が見えないので、視聴者の学習にならないで忘れてしまうのです。
ドラマも映画化とかセカンドシーズンやスピンアウト作品のためにはっきり終わらせないし。

他人の行動に興味を持つためには、自分の感想をまとめること。
自分のまとまった意見が推論になるから、その先の結末に興味が湧くのです。
学校で読書感想文を書かされたのは、そのため。

この次の段階で、他人の気持ちで考えてみる。とか、自分の考えの真逆の立場でディベートする。とかが増えてきて、
いろんな視点からものを考えるマルチタスク思考が訓練され、三人寄らば文殊の知恵がひとりの頭でできる地頭の柔らかい思考ができあがります。

あとね、このサイトで回答者やることです。
相談者さんは、質問オンリーで回答を一切されていないようですので、
プロフィール欄から、自分への関心が第一で、他人に興味が薄く、自分の思考を他人に読ませるレベルまで話をまとめる事に慣れていないのが読み取れます。
このサイトには、他人の悩みしか掲載されていないので、小説何百冊分の思考を一気に読めますし、質問内容が短いので、なぞなぞやクイズのような頭の回転も鍛えられます。
    • good
    • 0

地頭という「表現」はおそらくその人の生得的な能力、


生まれ持った能力をさして言う言葉のように思います。

勉学や努力して何とかやってる人間をバカにしているようで、
個人的にはあまり好きな表現ではありません。

あたまの回転の早い人っていますよね。

例えば数学の問題を解いたり、ディベートをやったり、
パズルを解いたり、そういうことをやってみてはどうでしょう。

だた、そういう努力をしてしまったら、「地頭」が良い
ということにはならなくなるかもしれませんが。
    • good
    • 0

俺は拙い社会経験と


結構司馬遼太郎の本に感銘を受けることが多かったので
そこで思ったことですが

人間の知恵は数学的な角度からみたら計算の速い人、遅い人は確かにいると思います。
ただ、人と人とか関わる難問やビジネスでの判断や指示の的確さは

表現が難しいですけど
人が動くことを当たり前ととらえない人は判断力が鋭いように思います。
例えば、部下が上司が仕事遅くまで大変だから手伝いますと言った時に
部下なんだから当たり前と思うか、「ありがとう」と思うか

この何かにつけて「有難い」と思える人は
自分に対しても、人に対しても客観視する能力が高いように思います。
その客観視できる能力というものが
問題の核心を突くことが容易にできるんだと思います。

言葉をかえると「合理的に判断できる」ということになると思います。
この場合はこうした方がいいと言う具合にそこに自分の損得勘定はありません

例にあげると豊臣秀吉がそうじゃないかなと思います。
もともと貧乏のどん底で辛さをしっていたから拾ってくれた信長にすごく感謝した
信長様のために!って思いが青年時期は強かったと思います。

だから回りも一目置いたし、秀吉はずば抜けてた
信長様のためにという気持ちで、自己の利害関係は無私していたから

晩年は駄目でしたけどね。
俺がこれを書くのも司馬遼太郎の小説で「太閤記」だったと思うのですが
心が知恵を代用する・・言い回しでこのようなことが書かれていたと思います。

俺は質問者さんと同じことを考えたことがあって
ハッ!とした経験があるので記載させてもらいました。

もし時間があったら太閤記読んでみてください。
日本で農民から天下とった人の知恵の出どころの解釈が満載なので
これにまさるものはないような気がします。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報