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>現在の配置になったお内裏様とお雛様は明治天皇と皇后がモデルです。

それ以前の段飾り雛(親王飾り)は上段の配置が逆で、寛永雛が元祖といわれています。
時代的におそらく後水尾天皇と徳川和子がモデルかといわれていますが、実体は不明です。

とありますが、腰につけた刀を見たとき、武士かと思えました。武士と公家の服装はどの様に違い、どちらも刀を着け武装していたのでしょうか?武士は、もともと下級貴族だったから?服装はよく似ていたのでしょうか?また平安時代以前は、公家(貴族)?も戦闘訓練を毎日やっていたのでしょうか?

A 回答 (2件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B% …

平安時代中期以後には権大納言以上左大臣以下の兼任が定制となる

と、あるように、いわゆる公家は武官でもあります(役職上は)

室町時代では、
武家昵懇(昵近)公家衆
というのがあり、足利将軍の親征などには同道しています。
これらの公家衆は、信長の昵懇になり、秀吉の昵懇となり、家康の昵懇となっていきます。
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この回答へのお礼

>公家は武官でもあります(役職上は)

大変勉強になりました。てっきり和歌や詩を書いたりと、勉学ばかりしてる人達と思ってました。

お礼日時:2013/02/02 23:32

>武士と公家の服装はどの様に違い、どちらも刀を着け武装していたのでしょうか?



 平安時代以降の宮中での天皇以下公家の正装(皇族の結婚の儀とかで現在でも見られる)である束帯は、勅許を得た参議以上の文官も大刀を佩用しました。
 (「太刀」ではなく「大刀」である事(読み方は同じ「たち」である)に注意。所謂日本刀とは作りが若干異なる。)

 なお、公卿は武官を兼ねていても縫腋袍、四位、五位の武官は行幸の供奉や儀式での儀仗に立つときのみ闕腋袍で、普通は束帯にも縫腋袍、六位以下の武官は束帯では常に闕腋袍だったそうです。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%95%E8%85%8B% …
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この回答へのお礼

日本史が大好きでも、ここまで深く知識を掘り下げることはできませんでした。日本史の先生でもここまで深くは知らないと思います。

お礼日時:2013/02/03 18:32

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