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儒学とは簡単に言えばどのような学問でしょうか?色々書類を見ましたが結局何が言いたいのかわかりません。頼山陽さんも儒学者ですよね・・・

A 回答 (4件)

 こんばんは、夜分に失礼します。


儒学の「儒」は、儒教の「儒」を意味します。本来は「孔子の教えや言葉」などを研究するとの意味になります。そしてその研究家を儒者と呼びます。
 儒者で有名な人物として、中国では孟子や朱熹・王陽明などの人物。日本では藤原惺窩・林羅山・中江藤樹・伊藤仁斎・荻生徂徠・石田梅岩などの人物が知られています。
 このうち
(1)朱子学派………藤原惺窩・林羅山・石川丈山・木下順庵・貝原益軒・新井白石・室鳩巣などの人物
(2)陽明学派………中江藤樹・熊沢蕃山
(3)古学派………山鹿素行・伊藤仁斎
(4)朱子学派の亜流である崎門学派………山崎闇斎、
(5)古文辞学派………荻生徂徠・太宰春台などの人物がおります。
 これらの「~学派」は書道や生け花などの「~流」と同じものとお考えいただければ、分かり易いかとも存じます。
 頼山陽も「最初は儒教を考究していた」が、この人物の正体はその主著である『日本外史』を見ても明らかなように、「一応は歴史学者として」分類もされています。その評価ですが、理不尽なこじつけなども見られる国粋主義的な姿勢を見せていることでも知られています。ですので「儒学者」として分類することにはいささかの疑問符も付きます。

 尚「儒教」には「易姓革命」といって、道徳によって全てを治めるとの考え方があり、「修身斉家治国平天下」などの言葉にも表されていて(『礼記』)、王たる者は武力に頼らず、仁や道徳によって「国を治める」との考え方をします。
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 >朝鮮は仏教を迫害して仏閣など取り壊しまくって儒教を推奨しました。

宗教でもなんでもありませんけどね(笑)

デタラメですね。8世紀の新羅時代には仏国寺が創建され、それ以前の6世紀飛鳥時代に高句麗から慧慈とよばれる僧が日本に訪れ聖徳太子と呼ばれる人物に仏教を講義しています。
 その後も鎌倉時代には『高麗版大蔵経』が高麗の伽耶山海印寺に於いて作られています。朝鮮半島での「儒」の扱いは政治的統治の原理として用いられ、この点では徳川時代の日本と変わりません。李氏朝鮮時代には儒教が国教化されますが、国内の寺院全てを破壊したとの記録はなく、近代では寺院の再興も見られます(ですから現在に寺が残っていることになります)。
 元より「儒教」とは「教」の文字が付いていますが、信仰ではなく「儒者(孔子)の教え」との意味です。それを信仰の対象とするとの意味ではありません。誤解なさらないように。
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関係ないですが


朝鮮は仏教を迫害して仏閣など取り壊しまくって
儒教を推奨しました。
宗教でもなんでもありませんけどね(笑)

ということで、仏像が盗まれた問題は
日本にあったから保存されていたわけですよ
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孔子の教えです



見当はずれの調べ方をしているのでは
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