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よく

日本は性に大らかだった。
夜這いと云う文化があった。
江戸時代ではやりたい放題だった。

という話を耳にしますが、
これらを裏付ける明確な証拠ってあるでしょうか?
伝聞や伝承とかではない信頼できる文献などです。

というのも、
「中世ヨーロッパでは初夜権というものがあった」
と云う話をよく聞きますが、実際は
又聞きや噂程度の証拠しかなく、公然と実在したかどうかは疑わしい
そうです。
だと云うのにあったとされて話されている事が多いので、
日本の場合はどうだろうと思ったのです。

質問としては、
上に挙げたような日本の「性の慣習」について証拠があるかどうか。
あったら是非教えて頂きたいと云うことと、
あった場合それはどれだけ一般的なものだったのか。
という2点です。

つまりそう云った風習が全国的な慣習だったのか、
局地的な因習だったりするのか、
それが知りたいのです。

A 回答 (6件)

柳田國男の「遠野物語」に夜這いについての記載がありますよ。



そもそも鉄道が発達して人が簡単に移動できるようになるまでは、人が移動するためには自分の足で歩くか馬を利用するしかなかったわけです。一部の騎馬民族を除けば馬というのは高級品ですから、研究者によると東洋西洋問わず、鉄道以前の社会では人は自分の家から15キロ以上離れたところに行くことは滅多になかったそうです。
なんでそんな話をしたのかというと、昔の人の大多数は隣村か、せいぜいその隣村くらいまでしか移動しなかったので風習というのは全国的なムーブメントになることはないのですよ。今の情報化社会と同じに考えてはいけません。アフガニスタンの山奥の村くらいの感覚です。

日本ひとつでも方言だけでこれだけ多様なものがあるのですから、ましてや風習や風俗ともなるとその地方によりかなり違います。一般的な傾向としてはおおらかであったようですが、地方によって温度差や風習の違いというのはあったと思います。

また古い信頼できる文献となると、いってみれば公式的資料ということを指していると思いますが、考えてもみてください。現代日本の政府や自治体が残すような公式資料に「売春行為は売春防止法で禁じられているけど、ソープランドは最後までやってもオッケーなんだぜ」なんて残るわけがありません。
いつの時代だって性風俗に関する資料なんてのはまともなものに残るわけはないのです。外国のコンドームメーカーが何年かにいっぺん、世界中のカップルに「あんたたち、週に何回ヤッてるの?」と調査しているのですが、調査員が毎晩ベッドを確認しているわけではなくあくまで自己申告なので、どうやら欧米人は見栄を張って水増しして申告しているらしく、日本人は恥ずかしがって過小申告しているらしいんです。ただ、「毎回の調査で日本人が最も少ない」というのは変わりないのでどうやら我々日本人は世界で最もセックスレスではあるようです。

最近の橋下さんの騒動なんかもそうですが、私個人は「レイプするなら風俗に行け」というのはごもっともだと思いますが、公けの席でうっかり口にしてしまうといろいろ怒られちゃうわけです。いやはや、「秘めごと」とはよくいったものですね。
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この回答へのお礼

そう云われてみれば人間や物資、情報の移動を今の感覚で捉えてはいけませんよね。
と云う事は地方によって様々と云うのも納得できます。

民俗学と云うのでしたか? そう云った学問は確かに公式の資料として残らないものを考えなくてはならないわけですから大変ですね。

お礼日時:2013/05/21 18:17

>日本は性に大らかだった。


>夜這いと云う文化があった。
>江戸時代ではやりたい放題だった。

>これらを裏付ける明確な証拠ってあるでしょうか?
>伝聞や伝承とかではない信頼できる文献などです。

●No.5の方が万葉時代の歌垣について述べておられますが、ウィキには次のような内容が記されています。

(1)春秋に行われた。
(2)常陸筑波山(茨城)、同童子女松原(茨城)、肥前杵島岳(熊本)、摂津歌垣山(大阪)、大和海石榴市(奈良)、大和軽市(奈良)などの例がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3

ウィキの記述は、『古事記』『万葉集』『常陸国風土記』『肥前国風土記』によるものだと思います。
したがって、歌垣を裏付ける史料としては、『古事記』『万葉集』『常陸国風土記』『肥前国風土記』などをあげることができます。

歌垣が全国的な慣習だったかどうかはわかりませんが、常陸筑波山(茨城)、同童子女松原(茨城)、肥前杵島岳(熊本)、摂津歌垣山(大阪)、大和海石榴市(奈良)、大和軽市(奈良)などでは行われていたと考えられるでしょう。

●そのほかには、「大原雑魚寝」があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8E%9F% …
↑ ウィキには『大原物語』に『大原雑魚寝』についての記述があると書いてあります。

http://bbs.jinruisi.net/blog/2009/04/000553.html
↑ 
この方のブログによれば、井原西鶴の『好色一代男・二巻・一夜の枕物ぐるい』に『大原雑魚寝』についての記述があるということです。

大原物語や好色一代男は歴史書ではありませんが、史料だといえるかもしれません。

●また、南北朝時代に真言立川流という宗教が流行っていたそうです。
邪教として江戸時代に消滅したとされているようですが。
どくろにうるしを塗り重ねて髑髏本尊を作り、その前で性行を行うという宗教です。


>あった場合それはどれだけ一般的なものだったのか。

残念ながら、これだけの史料ではどれだけ普遍的なものであったかを論じることはできませんね。
いろいろ調べてみると面白いと思います。

以下、持論です。

これらの習慣は、たんに日本人がエッチだから生じた習慣ではなく、宗教や信仰に基づくものだと思います。

ウィキの立川流の解説には「理趣経は本来男性と女性の陰陽があって初めて物事が成ると説いている。」と書いてありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D% …

陽=男性、陰=女性 であり、陰陽(男女)が交わることによって物事がなる、ということですね。

大原雑魚寝の習慣は大蛇の難を避けるためだとあります。

歌垣の習慣は道祖神(男女双体の神。男神と女神が手をつなぎあっていたり、陰陽石であらわされる。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96% …
の信仰と関係があると思います。

というのは、万葉集に歌垣を詠んだ次のような歌があるのです。

むらさきは 灰さすものそ つば市の 八十のちまたに 逢える児や 誰

ここに「八十のちまた」とありますが、「やちまた神」という神がいて「道祖神」と同一視されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE% …

おもしろい質問をありがとうございました。
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この回答へのお礼

そう云えば京極夏彦著作の「狂骨の夢」にそんな話ありましたね。
宗教と云う点は考えていませんでした。
昔は今と違って子供が7歳になるまで生きていられる確率って凄く低かったようですしね。
今より遥かに宗教の持つ力やそれを信じる人の真剣さは強かったのでしょうね。

東は茨城、西は熊本となると随分広範囲ですが当時の移動手段が限られていた事を考えると全国津々浦々で一般的だったとも云えませんし難しいですね。

お礼日時:2013/05/22 19:46

日本には「夜這い」という文化がありました。


現代では「男が目を付けた女を犯しに行く行為」と解されていますが,それは強姦であり犯罪行為であったことは,古代から変わりません。
「よばい」とは「呼び合い」から転訛した言葉です。適齢の男女の性交渉は比較的緩やかでしたが,女性が嫌いな男に易々身体を許すはずがありません。鳥や動物でも相手を選びますから。性欲が我慢できないのが,雄の特徴です。
「妻訪い婚」が普通だった古代には,男が女の元に通っていました。「来たよ」と言う合図に「おいで」と合図を返すのが「呼び合い」です。その点では,春先の悩ましげな猫の鳴き声と同格です。
互いに相手を求める「歌垣」と言う催しもありました。筑波の山では,年に一度のフリーセックスの日が許されていました。万葉集にもそれらに係わる歌謡が収録されています。この風習は全国各地に及びました。フリーに解放された日が,性関係犯罪の防止に役立ったのです。
江戸時代にも明治憲法時代にも『姦通罪』が有りました。もっとも,『浮気は男の甲斐性』でも有りましたが。
今日では「呼び合い」は全く野放し,フリーセックスが横行する時代に成って仕舞いました。
『出来ちゃった』質問の多さにも,我が輩など年寄りは唖然とするばかりです。
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この回答へのお礼

夜這いに関しては京極夏彦先生の著作で読みましたので一応少しはわかります。

しかし、昔は『出来ちゃった』と云う話はなかったのでしょうか?
もし性に大らかだったなら避妊手段が確実ではなかった時代はすぐに『出来ちゃった』が起こりそうな気がしますが。
結婚してからも大らかだったんでしょうか?
それは猿人時代もそうだったのでしょうかね?
それとも猿人時代にはつがいを作らなかったんでしょうか?

この手の話題は本当に生物学で解けるのか甚だ疑問ですね。

お礼日時:2013/05/21 18:30

伝聞や伝承とかではない信頼できる文献などです。



同時代文献としては、ルイス・フロイスのフロイス日本史
「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。」とかありますね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし純潔を重んじないのは何処の国のどの女性も同じだと思いますけどね。

お礼日時:2013/05/21 18:13

夜這いという文化は平安時代からあるよ。


ただ、質問者はやりたい放題と述べてることから、夜這い=強制みたいな印象持ってるようだけど、きちんと女性の意思も反映したものですから。
具体的には、男性は夜に人目を偲んで気になる女性のもとにいき、女性は男性を受け入れるなら、部屋に通し、受け入れないのなら、無視というルールが存在してますから。
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この回答へのお礼

やりたい放題というのは「男性が」と云う意味ではなく「みんなが」と云う意味でした。
しかし何故全国的な風習であったのに人目を盗んだのでしょうか?
江戸には姦通罪と云うものがあったそうですがその昔には浮気と云う概念はなかったのでしょうか?

お礼日時:2013/05/21 18:10

こうした風習というのは、何かの命令書にもとづいて行なっているわけではありません。

そこで、伝承や間接的な証拠(例えば混浴を取り締まる命令が出たのなら混浴があったという証拠になりますよね)に基づき、さまざまな角度から検証していきます。

夜這いについては、赤松啓介の著書はまだ風習の名残が残っていた時代に直接聞き取り調査を行なっているため、信ぴょう性は高いと思います。嘘をつく理由もありませんし。土地それぞれの風習があり、色々違いはありますが、いろいろな学者がフィールドワークで調査した結果があります。主として聞き取りとなりますが、単に話を聞いておしまいではなく、それを裏付ける書画、組織や祭り文化などもありますので、十分に証拠足りえると思います。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ …

どれだけの普遍性があるかというと、それぞれの地域で様々ですので、どれも一般化できるものでは無さそうです。今のように情報が飛び交っていませんし、政府が日本国民全体に命令することもできない時代です。

ところで、性におおらかだった、というのは、「今の価値観から見るとおおらかに見える風習がある」ということを意味しているに過ぎません。そして、そういう風習があったからといって日本人全員、日本全国の風習であるわけもありません。

歴史読み物には大雑把な書き方をしているものもありますが。
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この回答へのお礼

民俗学と云うんでしたっけ?
確かにこう云うものは証拠として残っている方が珍しいのかもしれませんね。

お礼日時:2013/05/21 18:03

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