No.1
- 回答日時:
各家が武士として各地で氏を名乗ってあちこちに残ってるのだと思いますよ。
氏を名乗り長くなると、本姓はなかなかわかりませんからね。
私が知ってるのは大伴氏だけですが、鶴岡八幡宮の社職は大伴氏らしいです。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/north/s_t …
大伴氏は応天門事件以来、官職としての名前は出てこない(素人知識ですが)ようですが
、神職として繋がっているのですね。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
勉強不足で申し訳ありません。阿蘇氏は古代豪族なのでしょうか。八色の姓などにも組み入れられているのでしょうか。熊本なので火君と関わりがあるのでしょうか。
情報ありがとうございます。その辺も教えていただけると、よりありがたいです。
No.3
- 回答日時:
物部氏は蘇我氏に滅ぼされて滅亡
蘇我氏も大化の改新で滅亡しましたが傍流の蘇我石川麻呂が石川氏として現在まで続いています
大伴氏は大友氏と伴氏に別れました
親王に大伴親王という人がいたので同じ名前では恐れ多いということで伴氏になったそうです
伴さんは今でもいますよね
大友さんも割りと多く残ってます
ありがとうございます。
物部氏も平安中期ころまでは中堅官僚などとして存続していたようですね。
蘇我さん・大伴さん・阿部さんなどは今でも比較的よく聞く苗字ですが、全てが古代豪族がルーツとは限らないようです。
蘇我氏も石川宿禰から発していましたね。
No.4
- 回答日時:
mv-tribeさん、こんばんわ。
余りにも有名ですが、中臣鎌足の子孫の方は藤原氏を名乗っている人が多いですから、五摂家を筆頭に公家になり、現在まで存続しています。
ありがとうございます。
すみません。「藤原氏を除き」を書き加えるのを忘れておりました。中世以降の貴族はほとんど藤原といっても過言ではないですね。政界・財界などでも藤原の血を引く方は多いようです。
藤原氏のルーツには興味あります。藤原不比等は天智天皇の御落胤とか、中臣鎌足は百済王豊璋の後身だとか、他の豪族を全て排除し同属支配を確立してきた過程はすごいですね。
当方家系も藤原に繋がるもので、実家には系図もあったと、古い親類から聞かされましたが、実家も今はなく家系図は探せませんでした。
うちが藤原傍系だとしたら、イグアスの滝から落ちるくらいの大没落ですね。
どこの藤原なのかもわからないので、今でも将門公の首塚には近寄らないようにしています。
No.5
- 回答日時:
貴族というのが堂上公家という意味ならば、古代豪族の子孫は ANo.4 さんの通り、藤原氏だけです。
それ以下の、地下(じげ =下級官人)・社家には、古代豪族の子孫がいます。
地方豪族はけっこう社家になっていますね。例えば、紀国造の子孫の紀氏は日前宮の宮司。尾張氏は熱田大宮司家となりますが、平安末に藤原氏に嫁いだ娘の子が大宮司職を継承し、以後藤原氏となります。(藤原季範 源頼朝の外祖父) その子孫には武士となった千秋家もあります。
ありがとうございます。
千秋四郎季忠は南家の血筋だったんですね。しかし元はやはり藤原ですね。
社家として残った例は先の皆様にもご教授いただきましたが、藤原以外の豪族と著名戦国武将とつながる例が見受けられないようです。
伴氏などとともに百済王氏(百済王と言う氏名なのか本当の百済王家だったのか分らないが)も戦国時代前半まで続いていたのを見つけましたが、戦国武将であったかは分かりませんでした。
No.6
- 回答日時:
近世まで貴族(五位以上)として残ったのは、藤原氏(中臣氏)・藤波氏(大中臣氏)・北王路氏(土師氏)ぐらいでしょうか。
没落した古代豪族の子孫を名乗る武士は多くいます。地方豪族が土着化して武士として近世まで残ったケースは大名に限らなければ相当数あります。ただ、自称であり、事実かどうかは検証の必要があります。
ありがとうございます。
大中臣氏とは、もとは中臣氏ですね。藤原の血筋なので貴族として残れたのでしょう。
土師氏は貴族として残っていたのですね。大型古墳のいくつかは土師氏にかかわるものだと、歴史本で読んだことがあります。
自称(と言うか系図)もあてにはなりませんね。戦国武将は源平藤橘との結びつきを金で買うといわれていたようですし、超没落平民の我が家も、口伝えとしては貴族の出だと聞いているくらいですから‥‥
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
ANo.5 です。
お礼ありがとうございます。お礼へのコメントを兼ねて回答の追加をさせて頂きます。
私は「古代豪族」を王権に影響力を行使するような大豪族、例えば質問文にあるような物部氏・葛城氏・蘇我氏・大伴氏などと認識しておりましたので、土師氏のような職能集団は除外しておりました。
ANo.6 さんが既に土師氏を掲げておられますが、土師氏からは後に菅原氏・大江氏が出ます。
菅原氏は菅原道真が出て堂上公家の地位を確立します。本来ならば藤原氏によって潰されるはずなのですが、子孫は江戸時代には数家に分かれて堂上公家として繁栄?します。菅原道真の怨霊を恐れて、子孫が公家社会で厚遇され続けたのでしょうかね。また、加賀藩前田家は菅原氏を称しています。系譜詐称で菅原氏を称しても何の箔もつかないので、恐らく本当なのではないかと愚考します。
大江氏は京都の公家社会では地位を確立できず下級官人で終わりますが、大江広元が鎌倉幕府の創業に参加し、子の毛利季光が戦国の大大名毛利家の始祖です。但し、大江氏の出自、大江広元の出自とも中世の系譜ですら異説が記されており、信憑性には疑問が残ります。
蛇足ですが、大江広元の出自は中原氏とも言われています。中原氏は安寧天皇の子孫を称する橿原市・桜井市付近の小豪族が出自のようです。中原氏は堂上公家の地位を確立できなかったものの、嫡流の押小路家は准堂上として認識されていました。つまり堂上が公家1軍とすれば、中原氏の押小路家は2軍筆頭ということです。で、直江兼続の実家の樋口家が中原氏だったりしますが、こちらも異説があり判然としません。
重ねてのご教授ありがとうございます。
上辺だけの横好きなので、特に姓を意識したわけでなく、単に古墳時代に名前の通った氏族という程度で上げさせていただいたものです。土師氏は出雲氏の系列のようですね。職能集団と言う意味では忌部氏も中臣氏も同じ属性と言うことになるのでしょうか。
やはりほとんどの古代豪族が、枝分れ的に改姓し歴史の中心からは離れてしまっているようですね。
堂上公家とはいわゆる公卿のことですね。地下とは天地の差なのかも知れませんが、公家の序列は、正直かなり詳しい方でないとピンと来ません。
戦国大名は四姓にこだわるのが常套なので、あえて地方豪族にこだわるのは根も葉もないことではないのでしょう。
客観的に考えても、古代豪族直系の守護や戦国大名がいたら、大型古墳の埋葬者がはっきりした例が、もっと残っていてもいいはずですから‥‥
No.8
- 回答日時:
古代豪族の末裔を追跡するのに「姓」を手懸かりとするのは非常に難しいでしょう。
「姓」が各時代でどの様に決められていったのかについては下記サイトをご参照願います。名字 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/名字
>名前等を変えて近世まで貴族として残った例はあるのでしょうか。
とご質問されておられますが、厄介なのはその時代の権力者といいますか、名家とされる人々は系図を作成する際に捏造とは言わないまでも、何らかの貴種に連なることを記載しました。したがって残されている系図の全てについて真贋を決定するのはほぼ不可能に近いでしょう。
特に時代とともに支配階級が入れ替わり、末裔が没落するケースは歴史上日常茶飯事ですから、いよいよややこしくなります。
更に長子相続というのも大分時代が下ってからの制度というか習慣ですので、これも混乱を招きます。
平安時代には、皇族の子弟を扶養しきれなくなり、皇籍を離れてと言いますか離脱させて臣下の列に落とし、自立用の土地を与えるました。その際に「姓」も同時に与えました。有名なのが「源」と「平」です。
「源」姓は比較的早くからあり、本人は相変わらず都で暮らしていましたが、武力勢力として臣下となったのは後の時代のいわゆる清和源氏です。この頃には都に居住せず拝領地に住みました。平氏は初代から上総に住みました。
上総・常陸・上野の三国の「守」=国司は皇族系のみとされました。江戸時代になってもこのルールは引き継がれました。有名な吉良上野介も、上野守ではないのはこの為です。(江戸時代は守名乗りは自由で幕府に届けるだけした。)
これ等の武家は、時代が下るとともに各地へ分散して行きましたが、一族が全て「源」や「平」ではややこしいので、所有地の地名を「姓」としました。この為に、現在になって貴種であるのかどうかを「姓」で追跡するのが難しくなりました。
「征夷大将軍」という称号は「源」系の武家にのみ与えられました。平清盛が「征夷大将軍」を名乗らなかったのはこの為です。信長は敢えて平氏の末裔を主張して、元服の際に上総介信長と名乗りました。これに対して家康は源氏の末裔を主張して、征夷大将軍の称号を獲得しました。両者とも本当にそうであるのかは藪の中です。北条氏が鎌倉幕府の実権を握っても、将軍は都から迎えてお飾りとしていました。北条氏は平氏の末裔です。
江戸時代は「家」を継ぐことが最優先されましたから、大名家や名家の家系には養子が多数います。元々は貴種でも貧乏で養子先の「姓」を引き継ぐケースもあり。ここでも「姓」の追跡が困難になります。
更に、明治になって国民全員が苗字を持つよう定められ、届け出は本人の申告にまかされました。さすがに「徳川」「豊臣」は叱られたようです。あるいは武家として受け継がれていた「姓」を自分の好みに変えてしまった人もいます。これでお寺の過去帳すらも探せなくなりました。
と、ざっと申し上げましたが、伝承だけを頼りにしてもなかなかご希望には添えないでしょう。
元はといえば「何とかだ」と言う人は地方へいけば今でも沢山います。
興味あるご指摘ありがとうございます。
>名家とされる人々は系図を作成する際に捏造とは言わないまでも、何らかの貴種に連なることを記載しました。したがって残されている系図の全てについて真贋を決定するのはほぼ不可能に近いでしょう。
仰る通りでしょう。“捏造とは言わないまでも”といってもほとんど捏造です。ですから真偽のほどは分からないと思います。ただ、僭称にしろ「有名な戦国武将の××は蘇我氏の直系を名乗っている」とか「政治家の××氏は物部の血筋と言っている」などということをあまり聞かないので、そのような例がないかと思った次第です。
苗字が地名に由来するのは古代においても地方豪族はそうですね。ただ支族がどんどん分かれていくと、広義の国名などから限定された地名に変わってしまうのでしょう。そのうちもっとメジャーな氏名が出てくると、それにあやかったりする。
特に蘇我氏などは、比較的長い間悪人のレッテルを貼られてしまっていますし。物部氏も支族に弓削氏などがいるから、藤原からは煙たく思われていたでしょう。
そういえば、戦国大名の長宗我部氏は蘇我氏の末裔とも、また秦氏の末裔とも聞いたことがありますが、出身はまったく違う土地のようですから、過去からの地名と氏名のつながりもあてにはならないようですね。
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