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豊臣秀吉が行った朝鮮侵略について詳しく教えてください!!!!!よろしくお願いします(*6_6*)

A 回答 (4件)

豊臣秀吉が朝鮮半島へ遠征していたときには、既に乞食生活へのプロセスまっしぐら。


戦わず帰国したのが正しいと思われる。

ただ、中国から朝鮮半島へ渡った商人を連れ帰国したと考えられます。
どこかで陶器を造っている人達です。

中国史では、明王朝皇帝に神が現れ、朝鮮半島へ武力遠征しろと命令していたとか中国史に記述されています。
また、神は約4回ほど異なる時期に現れ、朝鮮半島へ武力遠征するようにと指示しています。
つまり、中国史の明王朝と豊臣秀吉の朝鮮遠征をリンクしながら調べる必要があります。

中国人の話す神とは、トカレフを持ち、いきなり発砲する危険な者を神と称している訳で、
些か頭が下がります。(笑)
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天下統一を成し遂げた秀吉にとって、最も頭を痛めた問題は、武士層の使い道でした。


日本国中で戦争をしていた時代は、そこらじゅうに戦闘員がいても問題はありませんでしたが、平和な時代を迎えると、彼らは用無しになります。
彼らは戦闘以外では役に立たないのですが、給料を払わないと、当然野盗化して治安問題となります。
また成り上がりの秀吉は、本能寺の変でトップ交代をしただけなので、従来の主従関係がほかの大名と成立していません。そのため戦闘員を使う場所を考えなければ、ほかの大名からも不満が出てきて戦国に戻ることは必至でした。そこで朝鮮、中国という場所に狙いを定めたわけです。

さて織田信長は、朝鮮、中国を視野に入れていたとは思われません。
なぜなら天下統一まじかになると、「狡兎死して走狗煮らる」という故事成語がある通り、徐々に家臣団の粛清を始めていました。また子供たちによる日本支配を強めていました。
本能寺の変はその事態を重く見た家臣団の合議による事件で、明智光秀は担ぎ出され、一杯食わされたと考えられます。
なので、朝鮮への進出は、秀吉独自の策だと思われます。

戦国を通じて戦闘能力を高めた日本は、あながち朝鮮に進出することは間違いともいえません。兵器、戦闘員とも、この時期では世界で最も充実していたと考えられています。
実際に戦闘は連戦連勝しました。兵站の確保や秀吉が元気で朝鮮への出向いていれば、状況は変わったことでしょう。
ただ、高齢で秀吉が死去して国内の統一感がなくなり、講和をすることになったので、結果失敗と呼ばれることとなりました。

詳しい戦歴などはwikiでどうぞ。
http://c.oshiete.goo.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q= …

この後関ヶ原の戦いで家康が天下を取った江戸時代は、家康が積極導入した儒教の影響もあり、前政権を評価しない体質でしたので、この政策はさらに評判を落としました。
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文禄・慶長の役でぐぐれ



ここで聞くより詳しく出るよ
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