プロが教えるわが家の防犯対策術!

「科学と宗教」と言ったほうがいいのかもしれません。
漠然としていてわかりにくいとは思いますが、解説してもらえないでしょうか。

たとえばマックスウェーバーの言っていたように、働くことは賤しいことではなく、神の召命に応えることだとするプロテスタンティズムの倫理観が資本主義、産業革命の原点になったということですが、今日の資本主義においては、そういうものは影も形もありません。なぜ、いつごろからそのようになってしまったのでしょうか。

また産業革命が世界に伝播することと、そういう倫理観は別次元の話だったということなのでしょうか。産業革命が伝播する中で、各国の宗教も動揺したと思うのですが、その辺の詳しい事情も知りたいです。

この至らない説明で理解していただける方、ご回答お願いします。

A 回答 (4件)

なんだかえらい難しく考えますね。



あったり前でしょ、宗教なんぞ世の中政情不安の時に
流行るのです。みーんな平和に楽しい楽しいでくらしてるのであれば宗教なんぞ必要ありません。

よって産業革命、あるいは資本主義の世の中になり
便利で快適な生活の前には宗教なんぞ影が薄くなるのです。

なんだか難しく考える人ほど単純な理屈がわからないみたいですね。

この回答への補足

>宗教なんぞ世の中政情不安の時に
>流行るのです。みーんな平和に楽しい楽しいでくらして
>るのであれば宗教なんぞ必要ありません。

>よって産業革命、あるいは資本主義の世の中になり
>便利で快適な生活の前には宗教なんぞ影が薄くなるのです。

まさにこの点の仕組みをお聞きしたいのです。
ご存知なのでしたら、よろしければご回答お願いします。
それと、できれば回答者さんの宗教観についてもお聞かせいただけると嬉しく思います。

補足日時:2004/05/08 17:36
    • good
    • 0

ひとつに宗教とは精神的・霊的側面が強く、現代科学では否定される事が多いからではないですか? 例えば天国、地獄、精霊などは科学的根拠が無いため、現代人の多くは心から信じないのではないかと思います。



また、宗教の多くが古い時代に形成され現代の競争社会にそぐわなくなっているのも理由かもしれません。 例えば古くはキリスト教やイスラム教では貸したお金の利息を取ることは罪悪と考えていましたが、現代の社会でその様な考え方は通用しません。 また、本来キリスト教では日曜日は安息日で労働は行ってはいけませんが、現代の競争社会では日曜日に営業している競争相手に太刀打ち出来なくなってしまいます。

この回答への補足

ちょっと私の質問について補足したいことがあります。
どの辺まで考えているかということで。


■「科学的根拠が無いから」というご回答

この論法は、すごくわかりやすいんですけど…

人びとは科学的根拠なんて求めていたのか、と思っていました。
宗教は、無根拠で信じる、超精神的なものですよね。ある意味で。
なので、科学的に証明がつかないから、宗教が見向きもされなくなった、
という、一見わかりやすい論法はちょっと違和感があったんです。
もっと別の力学が働いたのではないか、と思いまして。
ただ単に忙しくなって、忘れてしまったのかな(笑)


実はエートスの問題が出てくるんじゃないかな、と密かに思ってたんですけど、
みなさん、宗教には割と冷静な視点を持っておられるようです。

すみませんが、以上の点、補足させてください。

お付き合いくださり、ありがとうございました。

補足日時:2004/05/08 18:46
    • good
    • 0

>宗教は、無根拠で信じる、超精神的なものですよね。


そうでしょうか。 キリスト教のよりどころは、キリストが復活したという現象を彼が神の子である根拠というかよりどころとしているのではないですか。

また、イスラム教で教える天国とは清浄な水(ミルク?)がながれて、見たこともない果物がなっていて、永遠の処女が相手をしてくれる所だと聞いた事があります。 これなんかは超現実的・物質的だと思いますよ。 物質文明社会の現代、ありとあらゆる性的快楽や豊富な食べ物を前にするとこんな教えも霞んでしまうのではないでしょうかね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

すみません。少し言葉の使い方を誤りました。
科学的に無根拠ということですね。

たしかに、どのような宗教にもそれなりの教義、根拠があります。
ただ、それを科学的に裏付けようとなると、最初から不可能な話です。
それをいっちゃいかんよ、という意味で無根拠だと言ったのです。
でも、神の存在を信じているし、恐れてもいるわけですよね。
そもそも、科学的に証明しようなんて考えたのですかね、人びとは

いずれにせよ、産業化とか科学的な合理主義の発達と並行して、
宗教の精神性が強調されざるを得なくなっていった、とは思うんですけどね。
そうやって隅に追いやられていったのかな。まとまらないなぁ。

>物質文明社会の現代、ありとあらゆる性的快楽や豊富な食べ物を前にするとこんな教えも
>霞んでしまうのではないでしょうかね。

そうかもしれませんね。たとえばこいう仮定を科学的に論証してみたいですね。

二度もありがとうございました。

お礼日時:2004/05/08 20:41

>資本主義や産業化の前に宗教は敗北した



まず、ここがわかりません。これは、いつ、誰が、どのような根拠に基づいて判断したものなのでしょうか。
「科学(のようなもの言説)」が「宗教(のような言説)」の代替として機能していると判断できるのは、日本くらいのものなのではないでしょうか。

私は、「敗北した」という判断が事実誤認だと思いますが…。

この回答への補足

あ。たしかに「敗北」は断定的すぎました。これもまた言葉使いのミスです。
おっしゃるように、完全に敗北したとは思っていません。

お察しいただけるとありがたいのですが、私はほとんど素人でして、
素人の考える一般論とでもいいましょうか。イメージが先行してしまいます。

でも、資本主義や産業化の前に、「宗教」はほとんどお役御免になってしまった、
というのが一般論と思うのですが…いかがでしょうか。
現代資本主義社会においては、せいぜい経済倫理学があるくらいで。
(これもどういうものかわかりませんが、道徳が入ってくると思います。)
プロテスタンティズムの目指した資本主義は、現代の資本主義とはまったく違うと思いますし。

よろしければ、ご教授くださいm(_ _)m

補足日時:2004/05/08 21:13
    • good
    • 0
この回答へのお礼

質問文を見直す必要がありそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/08 23:05

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!