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私は占いというものを、あんまり信用していないんですが、実際のところはどうなんでしょうか?
占いの種類にもよると思いますが、みなさんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (12件中1~10件)

占いにも色々あるので、全部まとめて批評するのは困難でしょうが、基本的に「当るも八卦、当らぬも八卦」と考えます。

統計的なデータに基づいている占いは「良く当る」ということになるでしょうが「良く」であって「必ず」ではありません。

 仮に統計的な裏付けがあっても、多くの人数を集めれば、一定の傾向があるだけで、自分一人に当てはめて、それが度の程度信用できるか?は、神のみぞ知るということになるでしょう?

 ただし、個人的な意見としては、「占い」を否定するものではありません。何かに悩んだとき、迷ったとき、「占い」が勇気づけてくれることもります。それでも「占い」は「占い」に過ぎず、最後に責任を負うのは自分です。「占い」はそれを利用する人によって、その価値が変わるもの。

「占い」を良く知っていると、話題豊富ということで、女の子にもてる・・・なんてメリットもあるかな(^^;
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何度か占ってもらったことがありますが、その時は「あぁ当たってるな~」などと感心してばかりいる単純な私ですが、特にデータを元に…という占いは(東洋系にしても西洋系にしても)すごく当たっていたり、ちょっと神秘的な気分になったりしましたね。


それを元にアドバイスしてくれたりもして、その時は「そうか…そういう方向にいった方がいいのか…」と思うんですが、日が経ってくると又自分の癖のある方へと流れてしまう単純な私です。
#スイマセン。質問は信用についてでしたね…。

信用については占い師さんはもちろん絶対的に信用してるでしょうね。身近な人が占いをしてたりすると、あ~やっぱり占い通りだね、そういう所…なんて見方をされがちなので、それが少しうとましかったりします。
占いを受ける側は、とらわれず楽しむ感覚で信用するのがベストじゃないでしょうかね。逆に鼻っから信用してないと受けても楽しくはないでしょうし、占いを受けたい衝動にも駆られないでしょうしね。
私はある意味では哲学的なものとして、占いのお話を楽しんで聞いていますが。

#かなり質問の意図から脱線してしまったようで
#すいません…。
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占いというのは結局は方向性を指し示す一つだと思うんです。

大抵その原点は戦乱であるとか統治により発達してきた。つまりどちらの方角に行ったらだめだとか、どちらなら良いとか、今事を起こすべきかどうかなど決めかねているときの一つの案としての役割です。
良い占いが出れば信じる=HAPPY.悪い占いが出れば気をつける。そう信じているのが良いと思います。
私は今は離れていますが、タロット占いをやります。
正直当たると思います。当たると言われました。
それをどう受け取るかだと思うんです。
戒めの一つとして考えて欲しいと思うんです。そうではなく全てを受け入れてしまうと占いに頼るようになり、良い結果が出るまで色々な占いをハシゴする人になってしまいます。すると自分の思い通りになる答えしか求めなくなります。それは占いではないと思います。
占いを信用するのではなく、占いは戒めなのです。
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占いとは統計学です。


だから、その占いが当たるとか当たらないとかに責任を求めるのは
筋違いですし、
信じる、信じないと言うのも、本来は的外れでしょう。

あくまで、統計上、
その生まれ月の人は、その生まれ星の人は、その年生まれの人は・・・
と言う統計です。
だから、多くの人が当たっていると感じ、
また、すこしはずれていると感じるのでしょう。

それを踏まえて、占い師は、その占い師自身の能力を加味します。
これは、<霊能力者もこれに含まれますが>

相手の持っている雰囲気でなんとなくそんな気がすることもあるし
<あなたは人と付き合うのがヘタですね、などと言う>

こちらから求めなくても相手がいろいろと相談や打ち明けごとをして
結局はカウンセラーのような役割をすることも多いです。

ほとんどの人は、
自分から材料を提供したことに気がつかないで
相手にそれを指摘されると、
あまりに的確に事実を当てるので驚いたりします

それは、
占い師の観察力や推理力、人間的魅力にかかっていると言えるでしょう

また、それとは別に、
占い師が、
相手の潜在意識を知らず知らずに読んでいることが考えられます。

潜在意識では分かっていることが
本人の顕在意識が邪魔をして、
本当のことが分からなくなっていることがあります。

それを何となく読み取って、
統計学の占いに加味している人も、中にはいるのではないでしょうか?

私自身は占術家、と言うより預言者で
統計学の占いをすっ飛ばして、
直接相手の潜在意識から情報を持ってきますので
<自分でそう思っているだけで、
なぜ相手のことがそれほどまでに分かるのか 証明できませんが>
相手の名前も生年月日なども聞くことはありません。

多分、そういった儀式をするかしないかで、
やっていることは、結局は同じだと思います
<その占い師がお遊び趣味でやっているのでなく本物であればですが>

と言う訳で、
占いはお遊びと割り切って
無理に信じることもないし、
おみくじを引くくらいの気持ちで
適当につきあっておられたらいかがでしょうか?

つまり、信じたい人には充分信じるに足るものであり、
懐疑的な人には、
それだけのものだということです。
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 本当に上手な占い師は、占い師のフリをしたカウンセラーである場合が多いです。


 ですから、そういう人であれば、占いの結果ではなく、その本人を信用する、という気持ちでいればいいと思いますよ。
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世の中に占いというものは沢山ありますネ。


風水は約5000年前の亀甲占いから進化したといわれています。
占星術も約5000年前の古代文明時代に各地で同時発生的に生れたようです。
易占(八卦)は約4000年前の中国が起源です。この八卦は漢方理論にも活用されていますネ。
タロット占いは古代エジプトに原形があるとされていますが、1392年以前のカードの存在は確認されていません。
血液型占いは1960年にフランスのレオン・ブールデン博士が発表した「血液型と気質」に基づくものです。
夢占いは1953年から、フロイトの精神分析を応用して行われ始めました。
印相占いは、江戸時代に本格的に始まったとされています。
あと、四柱推命も古代中国の発祥で、同じ結果が出る率は518,400分の1だそうです。
姓名判断は‥よくわかりません。
その他、人相・手相・家相‥これらの沢山の古典的占いの他に、現代ではトンデモナイような占いも多いですネ。
人間の人生は運命で定められているのでしょうか?
三国志の時代、諸葛孔明は占星術や八卦を巧みに使いこなして、多くの勝利をおさめたとされています。
多くの古代文明では亀甲占いなどによって、戦の日取などを決めたといわれています。
日本では平安時代に、公家階級は占いが日常生活の基本となるという変な習慣となりましたよネ。
これだけ広まり、続いてきたということは、信頼性・信憑性があるのでしょうか?
ヒトラーはお抱えの占星術師のアドバイスを重視し、参謀の意見を無視して、軍の配置や進行日などを決めました。その結果‥。
占いなどというのは、所詮は統計学的な遊びであると思えばよいのではないでしょうか?統計学と心理学を合体させることにより、なんとなく当たっているという感じを与える程度のものでしょう。
よい結果ならチョットうれしく思うだけ、悪い結果なら忘れるといった扱いですネ。
kawakawaでした。
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 占いが「当たってる」と実感するのは、ふだん外側からは見えない(と自分で思っている)部分をズバリ指摘された時ではないでしょうか。

昔、心理学のテキストで読んだ記憶がありますが、自己は、

1.自覚しており他人からも見える自己
2.自覚しているが他人からは見えない自己
3.自覚していないが他人からは見られている自己
4.自覚もなく他人からも見えない自己

 に分類されるので、このうちの主に2の部分を上手に指摘することができれば、よい占い師になれるでしょう。

 それじゃカウンセラーと同じじゃないか>その通りだと思います。
 それなら高いお金を払って占いに行くのはバカバカしい>まったくその通りです。

 ですが、ふだん、精神科医や心理カウンセラーの門をたたくのは抵抗ありますよね。ここに占い師の存在意義があるのではないでしょうか。また、理屈ではカウンセラーと同じと分かっていても、悩みがある時って、何か不思議な力でもってズバッと解決してもらいたい気持ちになりますよね。だから、カウンセラーより占い師の言葉の方が素直に聞ける場合もあると思います。

 このように、占いは、悪く言えば人間の面倒くさがりな部分を利用した商売でもありますので、もちろん、あまりむやみに信用するのは危ないと思います。ただし、ほんとうに他人に対する洞察力に優れた人がその能力を生かして占う場合もたくさんあると思いますので、上記のようなことを認識した上で自分が必要なときに占いと向き合う分には、けっこう楽しいと思いますよ。

 私の場合、占いにはわりと興味はあるのですが、今のところ満足な結果が得られないですね。占いと名の付くものにおいて、こと自分に関しては全く当たった(と驚いた)ことがありません。星座占い、血液型占い、動物占いはもちろん、「~の父」「~の母」という有名な人や、普通占いなど全く信じないような知人が「当たる!」と言った占い師さんには大枚はたいて見てもらったりしているのですが、結果について、自分で「当たってないな」と思う以上に、友人に「全然違うやん」と言われてしまう始末。(^^; どうも占いとは相性が悪いようです。

 なお、霊感がある人、つまり金縛りによく遭うとか、道ばたでよく霊を目撃するとか、そういう経験のある人たちは占いも当たりやすいようです。ちなみに私には霊感とよばれる類の能力は全くありません。霊感を信じる・信じないは別として、霊感と占いの能力は同じ種類のものなのかも知れません。余談ですが、ご参考まで。--a_a
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私は全く信用しない派です。


まず性質判断系
これは何を言っても当たりますよ。
人間ってのは常にあらゆる状況でいつも
同じであることの方が珍しいです。
例えば男にはやさしくても女にはつめたいとか
会社ではおとなしいけど、親しい友人に囲まれていると
ちょっと陽気とか。
貴方はこれこれこういう面がありますね
といわれた時に、言われた方はあーそう言えば
あーゆー時には確かにそうだよなぁってなります。
まどうでも良い話です(笑)

予言系
これは予言の自己成就ですね。
同様に人間一般について話ますが
人間はあらゆる状況での情報を常に100%受信して
解析してる訳ではなく、その殆どは無視してます。
そんなことやってたら脳みそがパンクしますから。
その時に例えばあらかじめ水に気をつけようとか
情報がインプットされていると
水に関するは情報は認識されやすくなり
普段はそんなに意識してないことでも
何でも予言に結び付けてしまいます。
 ♯雨に降られたとか喫茶店でジュースこぼされたとか
 ♯それで当たったことになりますから。
まこれもどうでもよい話です(笑)

で結論としては
それで何かのきっかけになることも
あるでしょうし、それが良い結果を生むことも
あるでしょうから信じる信じないとかではなくて
ちょっと後押ししてくれるもんとして
付き合えば良いと思います。
但しそれは全部自己責任ですから。
事態が悪くなったからと言って占いのセイにする
のはお門違いでしょうねぇ。
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占いや予言を信じていると、その人の人生は狭いものになると


思いませんか?

人の人生は、バラ色であったり、イバラの道だったりするから、生きがいがあるのです。

心を切り替える為の占いか、物事にすがる為の占いか、
良く考えましょう・・。

確信をもって言える事は、私事での占いには、幸福の女神
は微笑まないでしょう・・・
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usuiさんの意見は正しいと思います。

でも、人間みんなそんなに強くないです。そこで、ちょっとした占いでみんな気分を和らげているんではないですか?私は、占いが好きでよくやりますけど、あたるも八卦あたらぬも八卦という言葉はなかなかあっているようにかんじます。ちなみに、今私が良くやる占いはこれです。

参考URL:http://tarro.cplaza.ne.jp/taro2/
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