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ブラック企業だけど辞められない とか、嫌な家族だけど逃げ出せずにずっとつきあうといった心理があると思います。こういう心理はどこからくるのでしょうか?
自分にもあてはまるのですがよくわかりません。よろしくお願いいたします。

A 回答 (13件中1~10件)

#6です。



一回目の回答でご理解を頂けないのならば、このようにまた回答しても分からないしれません。
経験や想像などが足らないか、それを含めた年齢がお若いかですかね。

楽・楽・楽・楽・楽・楽・楽・楽・・・・という人生を歩んでいると楽が普通の状態になります。
では、
苦・苦・苦・楽・苦・苦・楽・苦・・・・だったらどうでしょう?
楽は喜びであり、至福ではありませんかね。

また、人間には未来や解らないものへの畏怖、猜疑心などがありますから、
○○をすれば今より幸せになれると想像できても、その幸せを手にして実感するまでこれは続きます。

ですから、手を出したがらないのです。
冒険もしないのです。井の中の蛙でいるのが普通で自然で楽だからです。
と、いってもそれはその人自身がそう思っているだけなので競争や比較すれば違う場合があります。

ここで、未来や見えないものを信じて、飛び出す人とそのまま残る人に別れます。
哲学とは少しかけ離れましたが、人間を知ることは大切です。

他には、自分を変えられない人が質問者さんの本当の回答になるのかも知れませんね。
自分を変えられない人は、確かに嫌だと思っても場所・状況・気持ちなどすべて変えられません。
体力が低下した中年以降やこだわりがある人などは変えられませんね。
そういう知力や体力などの基本スペックが弱ってきていることと、自分の知らないことや理解出来ないことに対して否定的になります。知りもしないくせにバカにしたりします。
分かった気になっている人もそうですね。

理解して頂けたでしょうか。

この回答への補足

前回は失礼いたしました。
「またわからないかもしれない」
そんなことはありません。詳しく説明して頂ければ、それなりに理解しようとは努めますし、貴重なご意見として感謝いたします。

残念ながら経験は足りないのですが、若くはないんですね。一番知りたいのはまさに「井の中の蛙」についてです。井の中の蛙は井の中で満足すると思います。自分は井の外に出たいのですが、なかなか出れなくて悩んでいます。自分の「井の中の蛙」性を憎んでいます。それなのにどうして足がすくむのか。憎んでいるようで実は井の中のメリットを享受しているのではないか。そのへんが意識化できれば、外に出るきっかけになるかもしれません。ご足労ですがまたそのへんについてのお考えがあればお聞かせください。

補足日時:2014/07/22 22:12
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この回答へのお礼

もしかすると自分の「井の中の蛙」性を憎んでいることが、そこに執着する理由かもしれません。それを許さないと、次にいけないのかもしれません。

ひとつ気付きがありました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/22 22:33

>「ただその仲間の中で、またきちんと意思表示ができるかどうか。

結局堂々巡りになりそうです。」

「意思表示」とは?


>「ママ友などの中で、「それは嫌!」とか言うと絶対仲間外れにされそうですね。」

「絶対仲間外れ」ですか
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この回答へのお礼

 久々のご回答ありがとうございます。

 「絶対仲間外れ」すみません。私の思い込みかもしれません。色々なうわさや、ニュースからそう判断します。ママ友やガールズトークで、本音でぶつかっているシーンがあったら、見てみたいです。

 「意思表示」とは? 仲間と思われる中で、本音や嫌な感情を出せるかということです。出したとたん、その仲間から除外されたのでは、ママ友と同じということです。

お礼日時:2014/08/13 00:02

nobound様、こんばんは。


ご質問の趣旨からは、少し外れているように思いますけれど、


>「「嫌なものは嫌」といえる力は何なんでしょうか?」

相談出来る(信頼出来る第三者が居る)という感じでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。ママ友などの中で、「それは嫌!」とか言うと絶対仲間外れにされそうですね。

「それでも自分には他に仲間がいる。」という思いが、嫌われる勇気を産むのかもしれません。

ただその仲間の中で、またきちんと意思表示ができるかどうか。結局堂々巡りになりそうです。

お礼日時:2014/08/02 10:27

こんにちは。




ずっと前に、教科書で、
「食べたい、でも食べたら太る」そういうジレンマ(葛藤?)というのを読みました。


おそらく、メリットとデメリットがあって、
「妥協」ということもあるんだろうと思います。

この回答への補足

 「嫌なものは嫌」といえる力は何なんでしょうか?

 たぶん嫌だけど逃げ出せないのではなくて、逃げ出せないところで嫌といえるか の問題かもしれません。

補足日時:2014/07/30 22:26
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 嫌だけど逃げ出せない。今回の佐世保の事件も、親子関係が崩れたことが、大きな要因と言われています。

 嫌だけどその環境を離れると、自分が壊れそうというデメリットがありそうです。

 私も、人の中でイライラすることがあって、人前で叫びたくなる自分がいるんですが、(そういう人も普通にいると思いますが) 叫んじゃったほうがいいのか、理性で抑えたほうがいいのか、わからなくて葛藤しています。

お礼日時:2014/07/30 21:52

>こういう心理はどこからくるのでしょうか?



人間は「継続することで発生するコスト」と「変化するために必要なコスト」を比較するのです。
継続のコストは日々にすれば小額ですが、合計すると巨額になります。
変化に必要なコストは総額が小さくても、変化のタイミングで集中します。

集中する(今、支払わなければならない)変化のコストが、継続のコストよりも大きいので、変化に踏み切れず、結局人生を通じて、大きな(継続する)コストを支払うことになる人が多いのです。

賢い人は、一時的な変化のコストを支払っても、人生合計のコストを最小化するようにします。
計算能力と意思が強いということです。

この回答への補足

 そうすると変革を望まないということは、変化のコストを払う勇気がないということでしょうか。前向きの力が足りないのかもしれません。

補足日時:2014/07/23 21:48
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この回答へのお礼

 哲学的回答ありがとうございます。

 継続と変化

 一時的に自己変革に集中すると、相当エネルギーを使いそうですね。日常生活も難しくなります。

 継続の中でも変革は可能ですが、これはこれで生活しながらの変革なので大変だと思います。

 人生のコストという考え方は重要かもしれません。

お礼日時:2014/07/23 21:42

生きる上で、自己と環境の分析による、総合的・長期的


な生きる目的を自覚して自律的に生きているのではなく、
目先の損得や他人の評価、衝動的な快楽といったバラ
バラの短期的・即物的目的によって、他律的・結果的に
生かされているので、自己の中の多様な意志の矛盾に
おいて、ある目的の充足のために、ある目的に反する
苦痛に耐えねばならない、という事態が発生するのだ。

この回答への補足

たぶん目的遂行のためとか、いい部分もあるということはそれほど悩まないと思うのですが、つらい時に「つらい」といえずに、我慢してそこにとどまっていた昔の自分を許せない今の自分がいます。いまだに言えないかもしれません。

そういう自分をどう整理したらいいかですね。

補足日時:2014/07/22 10:42
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この回答へのお礼

そうですね。連続性と瞬間性の自己一致の問題も難しいと思います。

その中で、集団の苦痛に耐えるということは、どういう意味があるかですね。

目的遂行のためには仕方がないととらえるか、苦痛に耐えること自体に意味があるととらえるか、そこにもいい面はあるはずだととらえるか、まだよくわかりません。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/22 09:29

☆こういう心理はどこからくるのでしょうか?


◇自分の思い通りにならないところ、「自分が自由である」と感じられないところからではないですかね。

仏教の説くところによりますと、
自分の思い通りにならないから、人はその状態を苦しいと感じる、
とされています。

それで、余計なお節介をしちゃいますが、
#2のneutralさんのいう《怨憎会苦・おんぞうえく》というのは、
「自分は会いたくないのだけれど、嫌な奴と会わなければいけない。このこと、この状態は苦しみである」
くらいの意味です。

四苦八苦の八苦の一つですね。
四苦は、正老病死。
八苦は、四苦に、《怨憎会苦》や、「求めているのに手に入らない」という苦しみである《求不得苦・ぐふふとく》、「愛する者と(いずれは)別れなければならない」という《愛別離苦・あいべつりく》、《五蘊集苦》の四つの苦しみが加わったものです。

この回答への補足

つまり、こんなところ逃げだしたいと思いつつ、逃げられない、やめられないのは、どういう不安心理、あるいはそこへの執着心があるのかということです。

補足日時:2014/07/22 01:06
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この回答へのお礼

一応「思い通りにならない」「自由にならない」ところにどうしてしがみつくのかという質問なんですが。

逆に「思い通りに生きる」「自由に生きる」という啓発本がどうなのかという気もします。

思い通りにしたくても、思い通りにならないということに何かあるような気もします。

仏教用語の説明ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/22 00:50

それは、CMの「5回に1回温水出ます」と同じです。


実践したことはありませんが、女性に対して5回に1回本当に優しくすると良いらしいです。
つまり、4回はツンとするわけですね。

1回のデレがなんともいえない喜びなんでしょうね。

ちょうどシーズン柄、肉体労働者の仕事終わりのキンキンに冷えたビールのようなものかもしれませんね。

人は、変わる未来、良くなる未来(つまりは悪くなるかも知れない、分からない未来)とよりも、
それより、不幸な今を受け入れてしまう傾向があります。

また、戦うことをしたくないという弱気や正義感からかもしれませんね。

暴力を振るわれている、DV夫婦でも夫婦の事情はわかりません。
第三者が入っていっても解決になりません。
夫婦喧嘩は犬も食わぬということです。
結局は何が良くて、何が悪いのかは当人同士で決めることなのです。

基本的に、当人しか判断できないので第三者の質問者さんを含めて我々は推測することしかできません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分の悪い癖で、いろいろな回答を頂くと、だんだん何が焦点なのか、頭が働かなくなってきています。

今回は、男女関係ではなく、職場や家族など集団との関わり問題として、考えたいと思います。

戦いたくない、不幸な今を受け入れるという姿勢は、なぜなのかが知りたいという質問なのですが、わかりますでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/21 23:58

>世の中には違う世界があるのに、その狭い支配下に閉じこもるのは、まさに「生存 」にとってそこに何らかのプラス面があったような気がします。

それをもうちょっと探りたいと思います

世界は広いです。

しかし「未知」です。

その未知を「希望」と捉えるか、「畏怖」と捉えるかは、資質と「教育」次第でしょう。
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この回答へのお礼

「未知」への不安恐怖はありますね。友達との旅行も、建前ばかりとはいかないので、いろいろ嫌なことも起きるでしょう。

それよりはつまらなくても、安心できる家族旅行を選ぶといった感じです。

ワンパターンの行動しかできない人もいるようですが、家族の中ではそのワンパターンですむんですね。その問題は大きい気がします。

ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/21 13:13

本人に聴かないと分からないと思います。



自分にも当てはまると言うことですから
自分の気持ちを汲み取ってやれてないと言うことですよね。

その場合、気持ちを整理していかないと分からないと思います。

この回答への補足

ちなみにエピソードとして、大学時代に両親と3人で信州に旅行したことがありました。

知人に言わせると、大学時代は友達と旅行に行くのが普通で、大学生の男が両親と旅行に行くのはおかしいと。その時の自分の心境は何だったんだろう、今でもわからない感じがあります。

補足日時:2014/07/21 00:26
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

まさにNo.3さんでの補足のように、自分の気持ちを思い起こしつつ、整理したいと思います。

お礼日時:2014/07/20 23:31

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