No.1
- 回答日時:
1。
なぜ世界に名だたる文明になったのでしょうか?こう言う場合その地域で生まれたものはその根源がその近くにあったと推測して出来る物が多く、中国では独特の、しかも表意文字である、漢字の発達がその要素の一つだと思います。
2。 またなぜ中国の中心地が黄河流域になったのでしょうか?
これは偶然の所産だと思います。まず黄河地域に文化遺跡が発掘され、「黄河」という名前がつく、しかしおっしゃる通り揚子江地域の文化遺跡もその後発掘され、両者の関係は目下検討中です。
したがって、他の古代文明に比する中国代表に「黄河」文化を選ぶのは古く、最近の教科書では、「黄河・長江流域の文明」のような表現に広がっているようです。
No.2
- 回答日時:
No.3
- 回答日時:
単純に、現代の研究者の研究発掘が最初に進んだのが黄河周辺であって、
黄河文明 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3% …
後には長江(揚子江)で紀元前12000年頃の稲作の跡が見つかっていたり、
長江文明 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B1%9F% …
旧満州付近の遼河文明も、あとで、現在の中国文明の源流となっていたようだとわかってきた、ということのようです。
遼河文明 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC%E6%B2%B3% …
中国史・中国の歴史・中国歴史 中国まるごと百科事典
http://www.allchinainfo.com/history
No.4
- 回答日時:
ご指摘の通りです。
黄河文明が取り上げられたのは、偶々考古学的な発見が早かったことに由来します。
現在は、長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されています。
四大文明に黄河文明のみを取り上げる手法はもはや古くなっています。
最近の教科書では、「黄河・長江流域の文明」のようにややぼかした表現になっています。
日本でも三内丸山遺跡が発見されて以来、縄文時代、弥生時代の見直しが進んでいます。
従来は九州地方が大陸文化の受け入れ窓口とされて、その結果として弥生文化や以降の日本の古代史へと展開していったとされていました。
本州の北端の地にこれだけの集落が眠っていたとは誰も予想していませんでした。
北海道のオホーツク海沿岸の遺跡も孤立したものとして扱われてきていました。
これ等もいずれ見直されるでしょう。
稲作も最近は朝鮮半島経由ではなく、中国大陸南部から、同時並行的に渡来してきたのではないのかと考えられています。
DNA鑑定の結果から、沖縄諸島は九州北部から南下してきた人達によって開かれたのではないのと考えられ始めています。
狭い日本列島でもこの状態ですので、今後発掘調査が進めば世界4大文明などという言葉も死語になる可能性があります。
考古学というのは、文献資料に頼らない学問ですので、遺跡にたどり着くのは宝くじに当たるような性格を持った学問です。
最近は人工衛星から地表付近の浅い地下の様子についての情報も得られるようになってきています。
エジプトの何の目標もない砂漠地帯での調査では威力を発揮しているようです。
>中国史はしばらく黄河流域を中心としています。
中国の古代史と呼ばれるものは、文献史料を元にして研究が行われた結果得られた知見に基づいています。
青銅器文化などと呼ばれる文化が発達していたことが、考古学的知見とも偶々一致していたと考えた方が良いのかもしれません。
植物が繁茂し易い条件の気候風土の場合は、遺跡が残る前に微生物によって分解されてしまいます。
平たく言えば腐って植物の肥料になって消えてしまいます。
有名なアンコールワットも成長力の強い熱帯植物に浸食されて、正確な文明の形が良く分かっていません。
むしろ、ロクに草も生えないで、人も住んでいなかった地方のほうが遺跡が残っている可能性が高いとも言えます。
考古学などという考えがなかった時代には、人が住むのに邪魔だといってドンドン壊していました。
まぁ~過去にはこうで、今はこう考えらているが、将来は分からん、と考えられた方がよろしいでしょう。
天動説と地動説のようなものだとでも思ってください。
No.5
- 回答日時:
黄土は肥沃な大地で、水さえあれば優れた耕地になります。
古代では黄土地帯は森林に覆われており、水も生態系も非常に豊かで、象も生息していました。
稲作は長江流域から始まったと思われますが、黄河流域と相互干渉する関係だったと考えられています。
黄土流域の中原が支配的に成ったのは、「交易」に於ける地理的条件が大きかったと思われます。
青銅文化に於ける物資の中継点としての性格が強かったようです。
青銅器は軍事力に於いて、大きなウェイトを閉めていました。
現代の黄帝廟の山が原初の姿を保っていると言われていますが、湧き水も湧いていて、豊かな姿を残しています。
しかし黄河文明は消費文明で、ほぼ全ての森林を消費しきってしまい、現在の姿を晒しています。
古代には非常に豊かな大地と湧水や生態系が広がっていたのです。
ただ、食べ尽くしただけです。
No.6
- 回答日時:
古代は、現在と違って技術(とくに排水の技術)が未熟なので、低湿地帯や降雨量が多すぎるといった、あまりに水が豊富すぎる土地は農業に適していませんでした。
農業を行うには、必要なときに農地に外部から水を取り込む(灌漑)技術と、必要ないときに水を農地から外部に排す技術(排水)技術、の両方が必要です。
しかしながら、技術的に言えば、水源という1点から多数の農地に水を配る灌漑に比べて、多数の農地から水を1点に集めてくる排水のほうが、圧倒的に大変なんです。
とくに、農地というのは基本的に平らな土地ですから、多すぎる水を排水するのは、相当に大変なことでした。
ひとたび、大雨が降って洪水になれば、それを排水する技術は事実上存在しないわけで、乾くまでひたすら待つしかないんです。
そこで、当時(というか、それこそ風車などが発展する15世紀頃以前)は、基本的には乾燥地(大雨や排水について心配する必要はない)であって、必要なときに灌漑によって水を取り込むだけで排水については考えないですむ土地というのが、農耕に適した土地だったのです。
それこそ、四大文明をみても、全て、基本的には乾燥地(現在の基準でみれば、あまり農耕に適していない土地)です。
中原(華北平野)は、広大かつ基本的に乾燥している(降雨量が少ない)土地でありながら、土地自体は肥えている、かつ、黄河という灌漑に使える水源を備えている、という15世紀以前の基準からすれば、理想的な農業適地であったと思います。
余談ですが、日本でも、(現在、人口が集中しているような)海岸沿いの土地は、排水技術が未熟だった江戸時代以前は基本的に農耕ができずほったらかしにされていました。当時、農耕ができたのは、川の中腹の扇状地(ある程度の勾配があって、排水が簡単にできる土地)や、もっと山奥の現在の目から見たらとても農耕に適しているとは思えない土地に作った棚田(段々畑)です。こういう土地なら、排水について心配する必要がないので。
例えば、戦国時代初期の豪族なんかが、みんな今の基準でみると、なんでこんなところにというような山奥に居城を構えているのは、当時は、そういった土地こそが農業適地だったからです。
うーんどうでしょう?麦作文化であれば低湿地帯が耕地としては排水に困り適さないというのはわかりますが、稲作文化の日本含め東アジア東南アジアでは昔から湿田があります。
低湿地帯でも米なら生産可能に思うのですが。
御回答ありがとうございました。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
文明は途切れること無く成長し、現代に続いている。
というわけではなく、けっこう途切れちゃう。
途切れちゃうから「発掘」なんてことが起こる。
だもんで、黄河も長江も途切れちゃっています。
続いているのは洛陽からその南部にかけて。
ここは黄河の支流である洛水や淮河の上流部に近い
http://en.wikipedia.org/wiki/Huai_River#mediavie …
水系の違いは、主食とする食物の違いを導き、主食の多様性を促します。つまり飢饉に強い農業が可能だった。
近代史で、アイルランドのじゃがいも飢饉が典型のように、単作農業は文明の継続にとって非常に危険な選択肢となります。
継続させた農業生産システムにおいて、No6の方のように乾燥地帯のほうが管理しやすいということがあります。
この回答への補足
この場を借りて再度お礼をさせていただきます。
何が最も大きな要因かわかりませんし、全て正解かもしれませんしまったく別の要因があるかもしれません。
ですから最も面白かった回答をベストアンサーとさせていただきます。
青銅器文化が発達し交易と軍事力に優越したという意見も面白かったのですが、文化の連続性には効率より多様性こそ重要というのが最も説得力を感じ、これをベストアンサーとさせていただきます。
なるほどあえて効率一辺倒ではなく、多様性のある農業こそ安定をもたらすわけですか。これは説得力があります。
御回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
ずっと昔に聞いた仮説が面白いので紹介します。
まず古代の「四大文明」の共通点はいずれも乾燥地域で大河のほとり。
現代の常識ではもっと農業に適した所(中国では長江流域)があるのにと思わせます。
現代の農業最適地は「適しているから適さなかった」のです。どういうこと?
当然ですが農地は人が手を入れ自然を開拓してなるものです。
つまり手をいれなければそこは自然のままに樹木が生い茂っている所。
現在の農業適地は容易に人手が入りにくい。開拓手段の乏しい古代で農業に適して
いたのは乾燥地域で水が豊富な大河のほとりということになります。
この説はもっともなのですが欠点がありまして、
いまでこそこの4地域(黄河・インダス・メソポタミア・エジプト)は乾燥地域だけど
どうやら何千年も前はそこそこ降水があったようで、決して乾燥地域ではなかった。
もちろん、密林状態ではなかったようですが、気候変動なのか、農作で森林を伐採し
水をなくしてしまったからか乾燥地域になっていったようです。
ちなみに貴兄がもたれた違和感は他の3文明は低緯度地域、黄河文明だけ中緯度地域
にあると思います。見落としがちなのは世界にはもっとたくさんの古代文明があった事、
例えばヨーロッパにはドナウ川流域にもありこれは中緯度地域でしょう。
最後のお尋ねはなぜ長江流域ではなく黄河流域なのかとの疑問。
長江文明もあったことが近年言われています。でもどうしても湿潤温暖な長江流域は密林
で開拓が大変だったでしょう。黄河流域は早々と切り開かれ富を蓄えた諸侯が争ったこと
でしょう。
密林が農地に不向きなんですか?灌漑さえなんとかなれば焼畑農業のように焼き払えば耕地になるような気がするのですが・・・。
御回答ありがとうございました。
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