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なぜ、アフリカでは西欧ほどの文明が発達しなかったのでしょうか?
エジプト文明は実は黒人の文明だった、という説もあるらしいですが
結局は残らず衰退してしまいましたので明らかではありません。
他にも遺跡などがあってある程度の文化が発達していたことは認めます。
コロンブスがアメリカ大陸を見つける以前に
アフリカ人が舟(船じゃなくて)で南アメリカに辿りつき、
そこで新たな文明を起こした説もあるらしいです。
しかし、16世紀にヨーロッパ人が攻め込んできたときには成す術もなく、
奴隷にされてしまいました。
一部の差別的な人達はSATやGREの結果などを見て「黒人は知能が劣っている」と言います。
それは明らかに間違いなのでしょうが、
ヨーロッパでは薬とか機械とかどんどん新しい発明が生み出されていたのに
その一方でアフリカでは比較的立派な文明が存在せず、今でも開発途上の国が多いと聞きます。
これはどう考えればよいのでしょうか?

以前、ある人類学者と話す機会があったのですが、その方が言うには
「寒い気候の地域では物事を工夫しないと生きていけない。
温かい気候の地域では資源はたくさんあるし、
工夫しなくても生きていけるから文明が発達しにくいんじゃないか」ということでした。
半分納得したのですが、温かい地域でも工夫は必要でしょう、やっぱり。
未だに採集狩猟生活を続けている地域では毎日の食料確保も難しいと聞きますし。
本当に気候と学習能力との間に深い関係があるのでしょうか?
疑問だらけです。
(アフリカの)文明・歴史について詳しい方、いらっしゃいませんか?

A 回答 (4件)

「アフリカの文明」と限定されてしまうとよく分かりませんが、


ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」はかなり説得力のある本です。
参考URL参照

おおざっぱに論旨を書くと
ユーラシア大陸は世界最大の、しかも
東西に長い大陸だった。

世界最大ということは人間にとって利用しやすい
動植物が見つかりやすい。
(ex.シマウマなどを飼ってみると気性が荒くてとても飼えないらしい。)
しかも、東西に長いので同じような気候が続き
どこかの原産の動植物を別のところへ持っていける。

農耕・牧畜の誕生

鉄器の利用
病原菌の誕生(家畜由来)

鉄器もそうですが、病原菌は強力な武器となった。
新大陸・アフリカ・オーストラリアの人たちは
そんな病原体には出会った事が無く、免疫が無かったので。

著者に言わせると基本的に人間は動植物を飼うのは好きなようで
あらゆる時代・土地で挑戦者たちがいたみたいですが
「神の祝福」があったのはユーラシア大陸だけだったようで
それが後の時代を決定付けたというのが結論です。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794210 …
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この回答へのお礼

すごい。
これだけ私の質問の答えと合致する本が出ていたとは…。
レビュー、カスタマーレビューにも目を通してみました。
ほぼ絶賛ですね。

>なぜ、アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか?彼らが劣っていたからか?ならば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵攻というかたちになったのだろうか?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794210 …

この辺なんか、私の疑問そのものじゃないですか。
わくわくしてきました。
是非是非読んでみます。
それにしても幅広い知識をお持ちですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2003/12/29 06:35

ヨーロッパがアフリカより優れているからアフリカが支配された、のではありません。

むしろ、ヨーロッパはアフリカを支配することでヨーロッパ>アフリカ(と人々が信じている)という世界を作り出したのです。

16世紀以降の北西ヨーロッパを中心として成立した資本主義的世界システムがアフリカをその内側に組み込んだとき、アフリカはそのシステムにおいては資源を収奪される従属地域にさせられていったのです。アフリカが従属したのは、ヨーロッパ資本主義システムが富の移動(という名の収奪)をもっとも効率的に行えるものだったから、というだけです。
  ヨーロッパがやってくる以前には、アフリカにも東南・東アジアにもラテンアメリカにも、ヨーロッパとは違うけれども文明が存在し、また独自の豊かな経済圏を形成していました。

ヨーロッパが偉大に見えるのは、アフリカやアジア、ラテンアメリカを従属地域にしていくことによって得た富のせいです。たとえば、いわゆる大英帝国が「小さな政府」で繁栄したのは、富と軍事力をインド植民地から吸い上げていたからです(この点を見逃している歴史家が日本には多い)。

ヨーロッパ文明が偉大だからアフリカやアジアを支配した、というのは、原因と結果を転倒させた議論です。ヨーロッパとアジア・アフリカの「関係の歴史」を無視して両者を比較することは、俗に言う「近代化論」がそうであるように、欧米による発展途上国の経済的支配を正当化する論理です(関係性を無視すれば、アフリカの苦境はアフリカ人の能力不足の故であるという結論をスムーズに導き出せる)。

詳しくは、ウォーラーステインの世界システム論やアンドレ・グンター・フランクの議論をお読みください。


なお、SATやGREについて言えば、あれは訓練を受ければ点数が上がるものです(日本のセンター試験を精緻にした感じ)。アメリカにはSATやGREの点数を上げる訓練をしてくれる塾が多数存在します。黒人は差別によって、いい職に就けなかった。ゆえに教育に金をつぎ込めない。ゆえにSATやGREの点数が下がる。結果、「よい大学(院)」にいけなくなり、就職の機会が制限される。この繰り返しです。このサイクルを抜けられる人はやはりマジョリティではないです。
金さえかければ「ある程度」点数が上がるのが、そういったテストなのですから。

なお私はアフリカの専門家ではありませんが、歴史系の学術に携わっています。そこからの知見ですので、アフリカを専門にしている方はもっと優れたコメントをしてくださるでしょう。ただ、ウォーラーステインはもともと東アフリカをフィールドとする社会学者であったことは重要です。
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この回答へのお礼

ウォーラーステインに関係するページを軽く読んでみました。

http://grigori.sytes.net/socio/003.html

この「中核・半周辺・周辺」の項の「中核諸国による低開発化」あたりが重要そうですね。
でも待ってください。
私の問題はその以前にあると思います。
その「中核諸国になれる要素」が重要だと思うのです。
もし、もう一度歴史を一からやり直したとして、果たしてアフリカが中核諸国になれたか? …疑問です。

アンドレ・グンター・フランクについても短いですが「リオリエンタル」のレビューを見つけました。

http://www.infoseek.co.jp/OTitles?lk=noframes&nh …

※pdfへの直接リンクは禁止されていると思いますので、検索結果を貼ります。Akira.pdf、上から二番目のはずです。

こちらはウォーラーステインに反論していますね。
ヨーロッパが経済の中心になってからまだたかだか100年じゃないか、ということですか。
私は少なくとも300~400年はあると思うのですが…。
アジアが経済の中心であった、西欧のみが優位だったのではない、
アフリカもグローバル・エコノミーの一部であった、
…としても当時(5000年前!)の貿易など
今の開発途上国の貿易となんら変わりのないものだと予測します。
そしてアフリカに特に目立った優位性があったか、というと怪しいです、
…読んでみないと分かりませんが…。

SATの「金がない→良い教育が受けられない→良い職に就けない→金がない」の悪循環は確かにそうですね。
でも、実際見ると同じ大学で同じ(良い)教育を受けているのに勉強してない、
あるいは勉強できていない黒人もいて残念です。
「勉強なんかしてると恥ずかしいぜ」という風潮がやはりあるように見えます…。
それと良い成績を取っているのにもかかわらず、就職の時点で落とされる黒人も多いと聞きます…。
それでまた「良い職に就けない→振り出しに戻る」もあるのもしれませんね。
とりあえず、黒人頑張れ!

とても勉強になりました。
#4さんの回答を読むまでは20点差し上げようと思いました(←そんなことは言わんでよい ←すみません)。
ありがとうございました!

お礼日時:2003/12/29 07:33

いまどきの人類学者で「寒い気候の地域では物事を工夫しないと生きていけない。

温かい気候の地域では資源はたくさんあるし、 工夫しなくても生きていけるから文明が発達しにくいんじゃないか」という説明をする人がいること自体かなりな驚きなんですが、日本の人類学が50年くらい遅れていると言われるのは、そのあたりなんでしょうね。

アフリカは広い大陸です。必ずしも、暖かいところばかりではありません。あなたが疑問を持たれるように、気候と学習能力との間に深い関係があるのであれば、北から南まで細長い日本列島の中でも、北と南で大きな格差がうまれてくるはずです。

また、あなたがおっしゃる「比較的立派な文明」というのがどういったものを指すのかちょっと不明ですが、仮にそう言ったものがアフリカに存在しなかったとして、それが今でも開発途上の国が多い理由にはなりません。

実際、かつて繁栄した文明の地もエジプトだけでなく、今訪れてみるとひっそり寂しい場所だったりします。アジアにも開発途上国はいくつもあります。ヨーロッパも東ヨーロッパは貧しく、日本が経済援助をしています。

逆に有名な文明が発達しなかった地域と考えられる、オセアニアや北アメリカは開発途上国じゃありませんよね。これはヨーロッパ人が移り住んだから、という人もいるかもしれませんが、ヨーロッパ人が移住しても、南アメリカには開発途上国がたくさんあります。

アフリカといっても広いので、その文明・歴史について、ここにいろいろ書き出すときりがないのと、中途半端に書くと、誤解を招きそうなのでこのくらいにしておきます。折角なので、疑問を持たれたこの機会にいろいろ調べてみてください。疑問をもたれていることはもっともなことで、考えてらっしゃる方向は的を得ていると思います。

ただ、残念ながら、日本語のアフリカの資料が限られているので、英語かフランス語の勉強がてら、外国語の資料を参考にしてください。誰でも入れる図書館なら、ロンドンのロンドン大学のSOASの図書館(大英博物館の裏)とオランダのライデン大学の図書館(ライデン駅のすぐ近くの方)が個人的に気に入っています。日本だと、そういう研究をしてる先生のいる大学の図書館に多少あります。京都大学、神戸大学、広島大学、東京外大等・・多分、国立大学は一般人に図書の閲覧をさせてくれるはず・・

あんまり、答えになっていませんが、こういった件については、いろんな人のいろんな意見が交錯しているので、自分で調べて自分で判断されるのが一番いいのでは、と思います。
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この回答へのお礼

> 日本の人類学が50年くらい遅れている

実はその人類学者、アメリカの方です。

> 気候と学習能力との間に深い関係があるのであれば、北から南まで細長い日本列島の中でも、北と南で大きな格差がうまれてくるはずです。

私もそれを考えました。
ただ、北極や南極に近づくほど同じ種の動物でも体の容積が巨大化する、という説もありますよね。
完全に否定するにはまだ早い、と思っています。

> 「比較的立派な文明」

西欧に対して比較的立派な文明です。

> それが今でも開発途上の国が多い理由にはなりません。

それは確かですね。
これはアフリカだけの話ではありませんでしたね。
それに南アフリカなんかは今では大都会になっていますよね。
ただ、開発途上国はたくさんありますが、
その中でもアフリカは断然遅れているように見えます。

私の質問を具体的に言いますと
人種によって学習能力に優劣があるか、です。
そんなのあるわけない。しかし、証拠付けがうまくいかない。
白人と黒人ではSAT(=Scholastic Aptitude Test: アメリカの大学に入学するために受けないといけない試験)
での差が1600点中、平均で200点も違うんです。
原因としてはヨーロピアン・アメリカンが黒人奴隷たちに対して教育を禁止したことが主だとされています。
またはSATで測られる英単語がEbonicでは馴染みのないもので
白人贔屓な試験だというのも理由の一つです。

それではアフリカにいる人達はどうか?
あまり芳しくない。
総人口約10億人の中で学者なれる人達は僅かしかいない。
中国人、インド人の学者はたくさんいるのに。
それでは過去はどうか。
昔は立派な文明があったか。
そうでもなさそうだ。
これでは「黒人が劣っている」と言われても否定できない。
…こんな感じです。

> 考えてらっしゃる方向は的を得ていると思います。

ご覧のとおり、その方向がまだあちらこちらに飛んでる状況です(笑)
もう少し的を絞りたいです。

質問の内容を否定するまでの過程は良かったのですが
答えになっていないのが本当に残念です。
自分で調べればよい、では
このOKWebの存在価値さえ危ういと思うんですよね…。
私も自分でも調べた結果で質問をしているつもりですし。
アフリカの文明についてご存知ならその知識をもう少し共有したいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/28 08:36

これは結局、定住農耕民と狩猟採集民との生産性の違い、という事に


なるのではないでしょうか?

アフリカは、狩猟採集という手段によって十分人々の生活が成り立つほどの
豊かな土地であったので、
農耕という、より生産性の高い生活手段への移行が進まなかった、
従って、生産の余剰からくる富の蓄積も小規模であり、複雑化・
広域化した社会も形成されにくく、更には、他の集団との競争によって
自分たちの持つ生活文化を発展させる機会も少なかった、
教科書的にいえば、そうなるかと思います。

以下、蛇足になりますが。
もし日本列島に稲作が普及せず、従って人口がそれほど増えず、
広域社会の形成も遅れ、・・・・・、という事になっていれば、
恐らく日本史も、まったく違ったものになっていることでしょう。
その場合、果たして「日本」は、成立していたでしょうか?
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この回答へのお礼

教科書的にいえば、そうなりますか。
ほぼ、私の話した人類学者の説と同じですね。
…でも、まだ納得がいかないんですよ、すみません。
狩猟採集するにしてもまだ効率的な方法というのはあると思います。
以前、Kalahari砂漠付近に住む種族Bushmanのドキュメンタリー・フィルムを見ました。
彼らは三日間何も食べずに獲物を探し、ようやく麒麟を見つけて倒し、食料にありつけました。
たまたま、そういう場面を撮影したのかもしれませんが…。
もっと楽な生活をしようと考えなかったのでしょうか?
せめて家畜化させるくらいは考えると思うのですが…。
もし本当に十分な資源があったとしても、蓄えて
もっともっと楽な生活がしたい、と考えるのはみな同じでしょう。
なぜ、その「もっともっと楽な生活」を望まなかったのか?
すごく乱暴な考え方ですが、このまま素直に考えると、
もし西欧(中国でもいいんですが)の人々がアフリカに住んでいたとすれば
彼らはやはり農耕をしたんじゃないか、と思います。
どう思いますか?

それとも言語の問題ですかね?
発明はしたけれど、発明を書き記して後世に残す手段がなかったんでしょうか?
考えてみるとこれはアフリカだけの問題じゃないですね。
発展途上の国すべてにいえるかもしれませんね。
逆に西欧の人々が飛び抜けて賢かった、ということですかね…。
その結論には絶対に辿り着きたくないですけど。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/28 07:42

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