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昨今の日本の集団的自衛権の解釈変更問題や、尖閣諸島や竹島の領土問題、シリアの内戦やウクライナ情勢を考えるにあたり、日本が本当に戦争せずに平和でいられるのかをかを考え、過去に学ぼうと、日本が愚かな第二次世界大戦に突入するきっかけをつくった、満州事変の首謀者である

石原莞爾の「最終戦争論」を読んでいるところです。

この著書の中で石原莞爾は自信の思想を正当化をすべく、「仏教の予言」という章を書いてます。

私は仏教については、ほとんど知識はありませんが、この哲学カテで仏教は口伝により伝達されたため、解釈がさまざまになり、多くの宗派が派生したことを知りました。

そのため、石原莞爾の言う「仏教の予言」たるものが、石原莞爾の勝手解釈あるいは、石原莞爾が所属した日蓮宗の分派の考えなのか、仏教の本質の考えか疑問になってきました。

この哲学カテには仏教の信者である、知識豊かな方々がたくさんいらしゃるようなので、下記の質問に回答をいただけると幸いです。

1)仏教の時代を「正法」「像法」「末法」に分けられるそうですが、末法の「闘じょう」の時代になると闘争が盛んになって普通の仏教の力はなくなるとお釈迦様は予言したと論じてますが、お釈迦様は本当にそんなことを言ったのでしょうか?

2)法華経には末法の闘争時代になったら節刀将軍を出すからその命令に従えとお釈迦様は言ったと論じてますが、節刀将軍なるものを検索しても出てきません。節刀将軍とは何者で、また、お釈迦様は本当にそのようなことを言ったのでしょうか?

3)「大集経」という経典にはお釈迦様がなくなられた仏滅後2500年の予言が書いてあり、それに従い2500年後に世界は統一するのだと石原莞爾は主張し、最終戦争を正当化してますが、「大集経」とはどの宗派の経典でそのようなことが書いてあるのでしょうか?

4)最後に石原莞爾ではなく私の疑問になりますが、キリスト教は初めがあり終わりがある「直線的」な世界観であるのに、仏教は「円的」な世界観であるとイメージしてます。お釈迦様の時代が終わったら、56億年後に弥勒菩薩が来るとのことですが、仏教には終末思想というものはないのでしょうか?

石原莞爾は頭が切れ、ある程度先を見通して「最終戦争論」を書いていると思いますが、現在において最終戦争など起こったら核で人類は滅亡し終末を向かえるのは必至と思います。

申し訳ありませんが、ご回答をいただければ幸いです。

A 回答 (6件)

「悟りまでは至らないにしろ仏教を少しは知っておかなければ」、これは仰る通りです。

しかし、仏教にも沢山の宗派がある事はご存知ですね。ではNHKEテレに出てくるお坊さんはどういう宗派の人達でしょう?信者から営利をむさぼり、「地獄の沙汰も金次第」と言わんばかりに葬式に出て来るこれらの僧の姿は、豪華絢爛、金襴緞子の衣装、仏教本来の精神である質素から大きくかけ離れ、長野県の大きなお寺では夕方になると黒塗りの大型乗用車が横付けになり、高僧を乗せて町に繰り出すそうです。
「宗教にも正邪がある」と私ははっきり断言します。法華経には「正直捨方便 但説無上道(正直に方便を捨てて但無上道を説く)という文があります。すなわち従来の爾前経(にぜんきょう)、大乗、小乗等の釈尊四十四年の経々はすべて方便経であるという事を、釈尊自らがはっきりと決定した上で、「正直に方便を捨てて但無上道を説く」という事を説かれたのであります。この正直に方便を捨てると言う事は、方便にいつまでもとらわれて真実を見ないところが邪道であり、その邪を破すという意義があります。また無上道を説くのが正法を立てる事、顕正であります。私の宗派は、僧であろうが信徒であろうが朝夕の勤行が義務付けられ、自分が所属する末寺は一つの信心のための道場という捉え方です。先ほどの「方便にいつまでもとらわれて真実を見ない」だから広島のような災害が各地で起こる。鎌倉時代からこういう事は警告しています。本当に仏教を勉強するなら観念だけでは無く、自らが入信されて僧侶以上に勉強されるとより一層深みが増します。

この回答への補足

今回の投稿で皆様から、いろいろ学べましたが、私の仏教の無知から来る質問提起やお礼の書き方で、質問から脱線し議論が展開して行きそうなので、今回はBAを選ばず、締め切りといたします。
皆様、ありがとうございました。今後ともご教授ください。

補足日時:2014/09/05 19:40
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私のような仏教の素人が見ると「心の時代」はいいこと言っているなぁ。これが仏教の真理に至る道なのか勉強になったと理解してしまいましたが、やはり宗派により解釈はさまざまなのでしょうか?

僧侶以上に勉強してとアドバイスをいただきましたが、仏教を少し知るためなどという生半可な気持ちで入門しても中途半端で一生が終わることが目に見えています。

また私は「木を見て森を見ず」というところがあり、瑣末にこだわりすぎるため、遅読であり仏教の経典を読もうとしてもいつまでかかってしまうかわかりません。

奈良の薬師寺で「般若心経」の写経をしたことがありますが、色即是空という漢字の固まりがわかったくらいです。

その後、仏教の入門書を買って独学で学んでいたことがありますが、「色即是空」の「色」とは五蘊の「色」か六根の「色」かわからなくなり泥沼に入り挫折いたしました。(笑)

しかし一度本物をこの目で観てみたいものですが、雪舟の「慧可断臂図」を観るに達磨はじっと壁をみつめたままですが、壁を見続ける達磨のように一本の木を一生見続けることでもなにか真理に達するのでは?「森を見て木を見ず」もまた真なりか?と思ったりもしております。

一生かけて「色即是空 空即是色」の意味を問い続ける私は悟りに達することができるのでしょうか?

ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/05 19:14

 こんにちは。


 
 一向一揆について〔のみ〕 書き込みます。

 ★ (No.2お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
 例えば信長の時代に「南無阿弥陀仏」とだけ言って信仰すれば浄土に行けるとして現世において夢も希望もない一向一揆をした農民たちは、現在のテロとかイスラムの戦いを感じさせるものがあります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一向一揆の《理念》について述べます。

 ★ 「南無阿弥陀仏」とだけ言って信仰すれば浄土に行ける
 ☆ これは 浄土系のオシエ一般に当てはまると思いますが 親鸞の場合には別です。何しろ 《非行非善――つまり 称名念仏なる行為は 修行に非ずまた浄土へ往生するための善を積む行為に非ず――》と言っているのですから。

 真宗が一揆をおこなったわけですが この場合の真宗とは 親鸞のあとに出た蓮如がかかわって来ています。

 蓮如のことは どうでもよいと考えるので 親鸞の考え方についてしゃべります。

 要するに信じたなら――わが心なる非思考の庭にナゾの何ものかを アミターバ・ブッダならそれなる名として 受け容れたなら―― すでに往生は決まったという考え方をします。空海が即身成仏と言ったように 同じ意味合いで 即得往生と言います。

 

 となると どうなるか?
 となると すでに往生は決まっているのですから あとは この世で充実した日々を送ろうとなります。
 
 また社会生活にあって 権威・権力がなんぼのものぞ! と考えるようになります。
 したがって 自分たちの手で その地域社会の共同自治をやろう。となります。

 加賀一揆は 信長に滅ぼされるまで 一世紀にわたって――その前に守護を追い払い――自分たちの自治をおこないました。

 守護に対しては 議会制民主主義の手続きを経ず 戦争をやって 追い出しましたが。



 地域主権。住民自治。・・・

 こういった理念型として取り出した内容が 全面的にではないでしょうが 一向一揆にはあるはずなのです。

 そのことを ひと言 お伝えしたかった。です。


 ちなみに この親鸞の思想にあっては 終末思想は どうでもよいことです。そもそも終末は 見ません。あってもこだわりません。つねに いま・ここが もしそうだとすると 終末であるといった気分です。

 
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この回答へのお礼

>要するに信じたなら――わが心なる非思考の庭にナゾの何ものかを アミターバ・ブッダならそれなる名とし>て 受け容れたなら―― すでに往生は決まったという考え方をします。空海が即身成仏と言ったように 同>じ意味合いで 即得往生と言います。

私は仏教はほとんど無知のため、即身成仏 即得往生の意味がはっきりわからず、なんとも回答のしようがありません。なんとなくそのような解釈の仕方があるのかという理解です。

今後、機会があればこの投稿を考えてみたいと思います。

ところで、先の投稿で、bragelonne哲学体系が完成したならば、それを使い子孫が戦争を起こさないようにしてくださいと書いたのは、石原莞爾の「最終戦争論」を読んでいる途中だったからです。

理想世界をつくるために、最終戦争を一度しなければならないという石原莞爾の思想は、当時の日本軍に取り込まれたかはわかりませんが、危険と思います。

bragelonne哲学体系に危険がまだあるなら、なんらかの防御を構築してください。

では、また、たまに顔を出します。

お礼日時:2014/09/05 19:34

「日本の仏教をもう少し布教して欲しい?」、私からは非常に厳しい事を言うかも知れませんが、気に障りましたら誤ります。

この「布教して欲しい」という話は所詮無理です。ます、最近の若者の宗教的意識はどうか?多くの人たちは仏教と言えば葬式にしか縁の無いものだと思っている。中には七五三は神社で結婚式は教会で葬式は仏教でと言う方もいると言います。また中には宗教の行く着く先はみな同じなのでどれでもいいと言う人もいます。これはガンの注射も風邪や腹痛の注射も同じだと言っているほど乱暴な話です。教えが違い崇拝するものが違うのですから、同じはずはありません。日本人は長い間、お寺、神社、教会と同居して来ました。そのため仏教も神道もキリスト教も何となく分かったような気になっている。しかし、殆どの人が宗教に関しては何にも知らない。これは戦後、それまで国教の扱いだった神道を捨てた時に、無意識のうちに仏教も捨てたからだと思われる。
仏教は葬式をするための教えでは無い。宇宙における真理を説いた教えであり、特に人生に関して人間がいかに生きるべきか説ききった教えである。一方で最近のお寺の諸派の現状はどうか?まずは若者離れが続きお寺の経営状態は火の車、NHKクローズアップ現代でも取り上げられましたが、「出家詐欺」が横行している。債務を抱えた者をお寺に連れて行き、出家したかのような証明書を出す。これを持って家裁へ行って名前の変更手続き僧職の場合は殆ど無審査で名前が変更される。それで銀行から多額の融資を受ける。僧侶とブローカーの共犯という事で逮捕された。お寺の後を継ぐものがいない、檀家が離れて行く、いかにこの宗派そのものの教えに力が無いか、「馬の耳に念仏」とはこの事である。と私は思います。
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この回答へのお礼

昨今の仏教の事情を知らず、誤解を生じたならば申し訳ないと思っております。
しかし私としては、仏教や神道はキリスト教よりも早く日本に取り込まれ、今を持っても、その心は日本人の精神や伝統に深く刻まれているのではと思っており、グローバル化社会の中で日本人としてのアイデンティティを持つためには、悟りまでは至らないにしろ仏教を少しは知っておかなければと思っております。

昨年NHKのEテレの「心の時代」で放送されたことを必死になってメモしながら見ましたが

大悲(仏様はすべての悲しみを担ってくださる)という言葉はキリスト教でも同じですし

報恩感謝(恩を感じ報いを感じる)
懺怐滅罪(人にどれだけ迷惑をかけてきたのか自分に問いかける)
誓願立志(自分ひとりが幸福になる時代はおわり他人の幸せにつながる生き方)
この3つを英語で要約すると
Thank you.
I am sorry.
I love you.
とのことで洋の東西は問わないで通じると思います。

また「忍・知・見」は慧(知恵)の別名なりとのことで、現在は世界において「忍」が忘れられているのではという見解にうなってしまいました。

私にとって哲学は趣味ですが

志願無倦(あきず・焦らず・あきらめず)の精神でやっていこうと思っております。

このような私のために質問に対し回答をいただければ幸いです。

お礼日時:2014/09/05 14:23

石原莞爾は日蓮宗を信奉していた事は間違いありません。

この時代のもっと前の昭和12年2月26日でしたか「二・二六事件」、
いわゆる陸軍青年将校達のクーデター事件ですが、これを扇動したとされるのが社会主義者、北一輝でした。これは「戒厳令」として映画にもなりましたが、北一輝も日蓮宗の信徒でした。このようなカリスマ的な事件で有名であることは事実です。私は日蓮宗の信徒ではありませんが、「法華経」を信奉している者です。私に分かる事だけ回答させて頂きますが質問(1)はその通りです。質問(2)は同じような事を習いましたが、少し私が習った事とは違っていますので、質問(1)と共々もう少し調べさせて下さい。質問(3)の「大集経」ですが、日蓮の「立正安国論」に「大集経」の一部を引用されての文が出て来ますが、「最終戦争」を正当化するような解釈はありません。これももう少し調べさせて下さい。質問(4)の「弥勒菩薩?」、観音様、菩薩などは仏典の中の登場人物です。実際にこの世の中に出現されて衆生を救ったと言う物ではありません。中には観音、菩薩を本尊として拝んでいる宗派もありますが、それは間違いです。漫画で言うキャラクターを拝んでいると同じです。仏教の思想はどの宗派も同じに「平和」を根本としています。「終末思想」などありえませんし、石原莞爾特有の思想であると私は思います。質問の締め切りをもう少し延ばしていただいてもう少し調べさせて下さい。
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この回答へのお礼

177019さん こんにちは

私の回答のために、貴重なお時間を費やしてくださっていらしゃることに申し訳なく思っております。

しかし、この哲学カテの、ひとのみち33さんが提起していますが、仏教のことを近所のお寺に聞きに行っても、檀家ではない人にはお答えできませんとか、修行中の身なのでわかりませんなどと断られ取り合ってくれません。

日本の仏教ももう少し布教活動して欲しいと感じます。

OK Waveがあり回答してくださる方がいらしゃるので幸いに思います。

では、申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

お礼日時:2014/09/05 11:13

法滅尽品(法滅尽経)です。


内容は、例えばこちら

http://www.emcjp.com/e74.htm


ただし、「このお経は中国で作成された偽経ではないか」と言われています。

「ですから、釈尊が説いたかどうかについては、かなり疑わしいです」
は既成宗教教団を慮っての発言で、
釈尊はこんなことを説いていませんよ(笑い)。

第一、時代が合いません。
実在した釈迦牟尼滅後、数百年経って作られたお経です。
中国では、何度も大規模な仏教排斥運動があったので、それがこの経典の内容に反映されているのだと思います。


ただ、仏教に終末思想があるのは事実。
『転輪聖王獅子吼経』(これはいわゆる小乗のお経)というお経がありまして、
一度、世は荒廃します。人々は道徳心を失います。
平均寿命は10年才まで低下!!
そして、平均寿命が10才まで低下したとき、7日間の戦争が起こります。
ですが、互いに殺し合うことの愚かさに気づいた一部の人々が洞窟などに身を隠します。
はっきりは書いていませんが、洞窟などに身を隠した人たち以外は、互いに殺し合って、すべて死に絶えるのでしょうね。
そして、7日を過ぎ、生き残った人々は洞窟を出て、地上に楽園のような世界を作ります。
そして、人々の寿命が8万才になったとき、いよいよ弥勒仏が現われ、人々を救う。
このようなシナリオが書かれています。

ただし、これを釈尊の予言と考えるのは、早計。
これは、四禅と慈悲喜捨の重要性とセットで語られているので。
つまり、欲望の赴くままに生きるとこのように身を滅ぼすことになるから、しっかり修行しろ、と仏弟子達を戒めているんですよ。
法と自らを拠り所に励みなさいと。


また、この他に、俗に四劫説と呼ばれる「宇宙の創世から終末」のシナリオもあります。
詳しくは、こちら。

崩壊する地獄
http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/hokai.htm
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この回答へのお礼

NemirinekoNyaさん こんばんは。

サイトを含め、これだけの情報をいただき感謝の念にたえません。私のためにお時間を割いてくださったことをありがたく思っております。

仏教にも終末思想があることがよくわかりました。

この哲学カテの最近の私の投稿でわかると思いますが、私はかなりキリスト教よりですが、日本人としてやはり仏教的な「ご縁」とか「一期一会」とかいう仏教の心は失いたくないと思ってます。

NemirinekoNyaさんと今日ご縁があったことは大切にして生きて生きたいと思います。

ベストアンサーで締め切ってもいいのですが、もう少し開けておきます。

まだ残る疑問としては、仏教の経典は時代に即して進化、悪く言えば勝手解釈されているのでしょうか?

例えば信長の時代に「南無阿弥陀仏」とだけ言って信仰すれば浄土に行けるとして現世において夢も希望もない一向一揆をした農民たちは、現在のテロとかイスラムの戦いを感じさせるものがあります。

石原莞爾の軍国主義の時代もそのように仏教の経典の解釈を戦争に向かうように解釈を変えたのではと私は疑問が残ります。

明日にひびくので今日はこのくらいにしようと思いますが、もし補足の回答があればよろしくお願いいたします。

お礼日時:2014/09/04 23:54

こんばんは。




>「石原莞爾は頭が切れ、ある程度先を見通して「最終戦争論」を書いていると思いますが、現在において最終戦争など起こったら核で人類は滅亡し終末を向かえるのは必至と思います。

申し訳ありませんが、ご回答をいただければ幸いです。」


・・・石原のは、「合衆国」に対抗し得る「アジア合衆国」を、だったでしょう?
(日本の2010年、、、無理無理無理。差別横行で、能力主義なんて夢)






>「お釈迦様の時代が終わったら、56億年後に弥勒菩薩が来るとのことですが、仏教には終末思想というものはないのでしょうか?」

日本史的に、(前近世に?)ある(あった)、とは聞いた事があります。


・・・「56億年後の弥勒」とは、無関係でしょう(笑)
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この回答へのお礼

kurinalさん こんばんは。 ご回答ありがとうございます。

石原莞爾はこの著著の中で

最終戦争後は、

「瞬間に敵国の中心地を壊滅する大威力は、戦争の惨害を極端ならしめて、人類が戦争回避する大きな力となるのみならず、かくの如き大威力の文明は一方、世界の交通状態を一変させる。数時間で世界の一周は可能となり、地球の広さは今日の日本よりも狭いように感ずる時代であることを考えるべきである。」

ここまでは核兵器の誕生を予言しており、石原莞爾はまさかインターネットの誕生までは思い浮かばなかったと思いますが、確かに地球は狭く感じられるようになったと思います。

しかし上の文章に続く次の石原莞爾の考えはどうでしょう。

「人類は自然に、心から国家の対立と戦争の愚かさを悟る。且つ最終戦争により思想、信仰の統一を来たし、文明の進歩は生活資材を充足し、戦争までして物資の取得を争う時代は過ぎ去り人類はいつの間にやら戦争を考えなくなるだろう。」

結局は第二次世界大戦で思想や信仰の統一などというジョン・レノンのイマージンのような世界はできず、イスラムでは宗派間で対立し戦争をしてますし、尖閣問題にしろ、竹島問題にしろ、科学技術が進歩しまさか海の中の資源をめぐり海上権益を争うとは石原莞爾は思いもよらなかったのでは。

日本周辺で緊張状態が続いてますが、石原莞爾の言うような理想社会にはなってないと思います。

仏教にも終末思想は昔はあったのですか。初めて知りました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/04 22:19

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