プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

五七五は、なぜ面白いのでしょう。
「面白いことに理由はないのだ~」と言われればそれまでなのですが ^_^;)。

私事ですが今、はまっております。
わざわざ本を買ったり、TV番組を楽しみにしている、ということはないのですが、
俳句、短歌、川柳、何でもよく、新聞や雑誌にそのようなページがあると見入ってしまいます。

で、自分でも作っています。
全くの自己流ですので季語がどうの区切れがどうのというようなことは全く気にせずただ書きとめているだけですが、これが結構面白いのです。
読む/詠む・・にかかわらず、何か気が落ちつくし、すっきりもするのです。
ただ、それがなぜなのかの理由付けが自分でも出来ません。(?_?)
詩もエッセイも絵も写真も、いろいろ手を出しましたがこんな気持ちにはなりません。

この面白さはなんなのでしょう、お心あたりの方ご教示下さい。

A 回答 (10件)

リズム感かなと思ってるんですけど。

どうでしょう。

ちなみに俳句甲子園が映画化されるんです。松山人としてはうれしいことです

あの短い中にこめられた思いがすごいです。

川柳も好き。つぼにはまって笑いが止まらんこともあり。

参考URL:http://www.haikukoushien.com/history/6th/6th_koj …
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この回答へのお礼

「俳句甲子園」なるものが存在するのは知っていましたが、参考ページを見て、少なからずカルチャーショックを受けております。

>開閉を繰り返す口暑さあり
>白いブラウスで紫陽花ひとかかえ
こんなみずみずしい表現なんぞは、大人は逆立ちしても出てこないですよねぇ。いやぁ、良いものを拝見させていただきました。
自らの感性のまま、自らの言葉で言い表しているってこと。とても大切なんですね。
映画、私も楽しみにしています。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/31 20:11

よいご質問に、よい回答がたくさん寄せられていて、今更述べることもないのですが、あえて。



俳句、短歌、川柳 ということですから、短い定型詩ってことですよね。

口語自由詩やエッセイには形式がありません(字数制限はあるかもしれませんが)。
そのつどそのつど、そのテーマにあった形を自分で考え出してゆかなければならない。
つまり、形式が放恣に自由であるため、作るにはかえって不自由きわまりないことになります。

そこへゆくと、定型であることは、その形に乗せれば、
出来不出来は別にして、何事かが出来あがってくれます。
しかも、われわれにとってどういうわけかたいへん快感な五七五のリズム。

表現する、とは言い切ることでしょうけど、それを極限まで縮めて提示しなければならない。
わずか五音、七音の組合せに苦慮するわけです。
それがうまく解けた(と思った)ときの満足感。
『ほかにもいろいろ言いたいことはあるが、まあ、この言葉の組合せにすべてを託す。』
あとは読者の側でよろしく、みたいな、多くを語ることを是としない好みも反映されていそうです。

適切な制約とはミューズの女神のご加護のことである、と格言めいたことを言ってしまいたくなりました。
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この回答へのお礼

あまりにも放恣な自由環境より、適切な制約を受けている方が能力を発揮しやすく、達成感も共有しやすい・・。
人生の多くの場面でも言えることだと思います。無条件で同意です。
それだけに面白いんですよね。

『ほかにもいろいろお礼は申し上げたいのですが こちらの言葉の組み合わせですべてを託します』

        ◇梅雨空を神話に変える便りあり

              ありがとうございました。

お礼日時:2004/06/07 20:22

#04です、


【五七五は、なぜ面白いのでしょう。】
で、ひとつ 追加させて下さい。

五七五を媒体にして、コミュニケーションが とれた時の…
…なんて? 表現すればいぃんでしょう…“深い(ハッピーな)満足感” です。

***** ******* *****

『 放つ矢の如く名句は 生まれけり 』

…みごとなる 矢に射ぬかれて 言葉なし

この回答への補足

zenさんの補足欄、お借りします。

一人ひとりそれぞれ異なった観点からの回答をいただきました。心から感謝致します。
五七五に関して、この問いそのもの以外にもわだかまりがあったのですが、皆様の回答により解けていきました。
質問テーマを超えて、人生の生き方にまでヒントをいただけた気がします。

おそらく頂戴した回答全てが正解かと思います。
もうポイントはどうでもいいのですが(気にされている方には失礼!)、後で質問タイトルを見たときに「良回答」の文字がないのも寂しいので、あえて付けさせていただきました。

結果的には、さび付き始めた私の感性を刺激していただいた回答にポイントということになっています。

考えようによればわがままな質問でした、これに懲りずにまた教示ください。ありがとうございました。

補足日時:2004/06/09 19:47
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この回答へのお礼

そろそろ締め切りを意識し始めたころにいただいた思いもかけない(2通の)ご回答でした。
どうやら私の質問や作品を褒めていただいている様子、感激の極み、師の君からのご回答だけに深い満足感でいっぱいです。

しかも、同じ日の同じ時刻、HNの前二文字も同じ方(これは余計?)に!、偶然というより私にとっては奇跡に近い感慨があります。
半月前の痛手からは、完全に立ち直ることが出来た気がします。
みなさんからのコミュニケーションに感謝致します。(誰にお礼言ってんだろ・・)

とにかくどう言葉に表せば良いのか分かりません(こんなときこそ五七五でしょうか!)
2年間の「教えて!ライフ」の中でも最上級の満足度です。

◇わが問いにわらじ履かせて旅に出す  ・・・ 最高の土産を持ち帰ってくれました。

お礼日時:2004/06/07 20:25

決まりごとがあって、そのルールや枠をこなした上で個性を表現するっていうのが、好きなだけ、好きなように書いていいっていう表現方法より、挑戦しがいがあるってところじゃないでしょうか?


それと、言い過ぎないところがスキです。
うーん、 例えばただのべつまくなしに何ページにもわたって初恋の気持ちとその経緯をズラズラならべるとそれはもう誰のものでもなく、その書き手一人だけの初恋の物語になりますよね。
でも俳句や短歌だと「チラリズム」につうじるような、ささいな光景ひとつを切り取ることでその奥に初恋のういういしさや戸惑い、喜びを受け手側に想像させることが出来るじゃないですか。
見事に切り取ったものをチラッと見せて、全体とその奥行きを想像させる、想像するおもしろさ。
想像って自分の脳みその引き出しをいっぱいつかいますよね。
自分が学生だったころ。夏服。白い雲。
ああ、自分にもそんなことがあったかもしれない。
ただ小説のように、彼女の笑顔はああでこうで、ふたりでこんなことを話して、こんなことがあって、こうだったああだったと沢山説明されるより、たくさん言いすぎないことで読んだ側が自分の個人的な体験のように、その情景を感じることが出来るところがスキです。
あんまりにもうまく、その情景と気持ちを感じさせる俳句や、自分でもすっかり忘れていたような気持ちや思い出の引き出しを開けてくれる句に会うと「お見事!」と拍手したくなります。
そういうとこが私はおもしろいな、と思います。
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この回答へのお礼

imanaさんのご回答に「お見事!」と拍手です。
>切り取ったものをチラッと見せて、全体とその奥行きを想像させる、想像するおもしろさ・・・

ささいな光景を切り取って、自らの感性で客観的に表現する。
作者は、その場面をいつまでも鮮やかに焼き付けるでしょうし、読む人も含蓄に富む句を前にしてイメージを広げるのでしょうね。
それがまぎれもない真実の情景を切り取ったものであるだけに心打たれます。
哀しい句や辛い句も読後にはとても落ち着けて、癒された気持ちにもなるのはそのせいかもしれません。
きっと運動後の心地よい疲労感のように、脳みそをいっぱい使うことで心の中も満たされた気持ちになるのでしょう。

たくさん言い過ぎないで、気持ちを相手にしっかり伝える・・・。
五七五でなくとも大切な人生の教訓です。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/06/03 20:41

普通、詩のリズムを韻律、とくに日本の短歌・俳句などのように「五七」など、音の数で決まっている韻律を音数律と呼びます。



韻律と音数律のやへむぐらかきわけゆきてまたもとの闇
    ――斉藤 史 

事実、日本語の韻文が、なぜ「五七五」の形式をとってきたか、というのは「やへむぐら」並みに諸説ある。
ここでは先日亡くなられた金田一春彦氏の『日本語』(岩波新書)に依拠しつつ、おおまかなところを書いてみたいと思います。

まず、言葉は〈拍〉という音の単位からできています。
ヤマザクラという言葉であれば、ヤ、マ、ザ、ク、ラというひとつひとつが拍です。

発音から見た日本語の特色として、〈拍〉の少なさと単調さがあります。

日本人はこの拍を、同じ強さ、同じリズムで発音します。
ですから、外国人が初めて日本語を聞いた時、機関銃を思わせるような、バ・バ・バ・バ・バ、と聞こえる。
外国人が地名を、たとえば「ヨコハーマ」「ナガサーキ」と発音するのに対して、日本人は一拍一拍を短く、同じ長さに唱えることに非常な愛着を覚えるようです。

日本語の各拍が同じ長さに発音される傾向が強いことから、日本人は拍の数に対してきわめて敏感であるとされています。
たとえば人の名字を忘れても、なんでも四文字の人だったけれど……とか、県名を忘れて、たしかギフ県だかシガ県だか、とにかく二文字の県だった、と思うことも多い。

日本の詩歌で音数律が発達しているのは、この拍がみな同じ長さで単調なことからくるものであることは間違いないようです。
ここから諸説分かれるのですが、金田一はこのように説明します。

先にも言ったように、拍は非常に短く発音される、という特徴を持っています。
このことから、一拍は聞き取りにくいために、二拍ずつがひとつのまとまりを作りやすい。
(たとえば三重県の津市が、それ単独では聞き取りにくいように――「どこにいらっしゃるのですか」「ツです」「えっ?どちらまで?」)

二拍からなるものが長、一拍からなるものが短と意識され、長と短の組み合わせで詩を作り出そうとするためではないか。
たとえば「ふるいけや」であれば、二・二・一であるように、一拍のところで休止を生じてリズムを作るので、四や六が選ばれず、五や七の奇数が多くなったのではないか、というものです。

さらにこのことは『七五調の謎をとく:日本語リズム原論』(坂野信彦著、大修館書店)という本で詳しく考察されているようです。未見のため不明ですが、興味がおありでしたら、ご一読おすすめします。
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この回答へのお礼

ていねいに解説いただきありがとうございます。なんかこの質問自体の格調が高くなったような気がして嬉しい反面、難しそうだな・・、文学のカテでもないのに・・と思いながら拝見しました(ぉぃ)。
でも、やはり難しかった (^_^;)

>日本語の韻文が、なぜ「五七五」の形式をとってきたか・・は、なんとなく分かったような気がします。
>日本人はこの拍を、同じ強さ、同じリズムで発音します・・なるほど、その通りですね。

ただ、このテーマで深く辿っていくと(私には)出口が見えなくなるおそれがありますので、ghostbusterさんのご回答で止めておきたいと思います。

難しかったですが、勉強になりました。

お礼日時:2004/06/01 20:21

 日本人がなぜ575のリズムを美しいと感じるのか、他の文化圏ではなぜ通じないのか、という問題は、実際のところ解明されてなかったんじゃないかと思います。



 「遺伝的なものであるとしかいいようがない」とか何とか、どこかに書かれてましたよ。
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この回答へのお礼

民族のDNAのなせること・・・。これもまた真理なのでしょうね。
ただ、五七五という形のみが古いだけで、どんどん新しい内容を取り込めるというのも、大きな魅力です。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/31 20:54

リズムがいいですよね。



ふるいけや
かわずとびこむ
みずのおと

これってちゃんと4拍ずつなんですよね
ふ(1)るい(2)けや(3)[休符](4)
か(1)わず(2)と(3)びこ(4)む
み(1)ずの(2)おと(3)休符(4)
少しでも字余りだったり字足らずですとリズムが悪くなります。

ちなみに3・3・7拍子も4拍で構成されています。
タンタンタン[休符]
タンタンタン[休符]
タンタンタンタンタンタンタン[休符]
4拍が4つで4小節。だから歯切れがいいんですね。
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この回答へのお礼

リズムをクローズアップしていただきました。ありがとうございます。

確かに、リズムは五七五にとって不可欠な要素ですよね。
歯切れの良い句は、それだけで気持ちいいです。♪

ただでさえリズムがよい五七五ですが、リフレインなどを用いるとさらにリズミックになります。(大好きです)

お礼日時:2004/05/31 20:18

こんばんわ~♪


【五七五は、なぜ面白いのでしょう。】

『私自身を分析しますね。』
言葉にすれば…
五七五に まとめるまでの【緊張感】
五七五に 決まったときの【開放感&リラックス~♪】
******* ******* *******
感覚的…
“内なる自分”も…創造している “喜び”
“内なる自分”も…創造に参加している “深い喜び”
******* ******* *******
…インナー・チャイルドの
 “遊び心”
******* ******* *******
『五七五 点をつけるは 創造主』 Zen柳
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この回答へのお礼

五七五の大御所のご来訪、感謝します。
あっさりと、【緊張感】→【開放感&リラックス~♪】と答えていただきました。
なるほど、(Zen柳さんと同じレベルでものは言えないのですが)思い当たるところ確かにあります。

その一瞬を言葉として閉じこめようとする緊張感。
それがなされた後、心がほっとして楽しく解き放たれる達成感。

◇放つ矢の如く名句は生まれけり

大変参考になりました。

お礼日時:2004/05/31 20:13

 蕪村研究家の雑林大学の西森さんによると、「俳句は十七文字の短詩である。

徹底した省略形の暗号だと思えばよい。その暗号を解く鍵が季語であるから、季語がなければならない。五七五は、朗詠する際の最も響きの良い調子である。だから、俳句は五七五でなければならない。」と言われています。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/zatsugaku/zatugaku/99 …
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この回答へのお礼

参考ページ拝見しました。
私はこの中の
>わび、さびという言葉は、すでに茶の湯の世界で千利休が創造している。芭蕉は、それに加えて「かるみ」という言葉を創った。
 ・・・・俳諧は、あくまでも「かるみ」でなければならない
に注目しました。

難しい季語や古くさい言い回しの句もたくさんありますが、私はたいてい読み飛ばしてしまいます (^_^;)。
日常の自然さを「かるみ」で表せばいいんですよね。(と、自分で勝手に納得しています)

◇日常の軽さに潜む侘びと寂び  ってとこでしょうか。ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/31 20:12

どうしてでしょうねぇ?


まず、日本語だけですよね?(たぶん)
あとは、音楽的な感覚もありますよね。
導入があって、高揚部分があって、結論、
みたいな、、、(訳わかんな~い)
起承転結ならぬ、起承結みたいな
(ますます、わかんねえな)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。sebleさんも私と同じお気持ちのようで・・・(^_^;)
ただ、日本語だけでもないようなんですよね。
こちら↓に、英語俳句が静かなブームとかなんとか。
http://www.alc.co.jp/com/haiku/eigohaiku/

例として、
>eating new potatoes  the smell of earth *** 新じゃがや土のにほひも共に食ふ ***と訳してました。
でも、もうひとつピンとこないのは日本人だからかなぁ。

あと、起承転結を例に出されたのはヒントになりました。
そうですね。起結や承転だけでまとめているってこともありますよね。
限られた文字数だけで、背景とか意志とか情念とかを想わせる、これも五七五(特に俳句の)醍醐味でしょうね。

お礼日時:2004/05/31 20:09

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