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内観は主観か客観か・・・
案外答えに困りますよねぇ

A 回答 (5件)

主観が内証として自ら自身と距離を置いて観ることに


「客観的」と名前が付いている訳ですから、形態になると思います。
より第三者的な眼を持つことを、どちらかに振り分けるのも変な話しかもしれません。

さて、けなされつつもベストアンサーは、自らの削除でしょうか?
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この回答へのお礼

確かにそうですねぇ

消されたのはいつものことなので気にしないでください・・・って気にする必要もないか。
無料で遊ばせてもらっているんだからありがたいこってす。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/14 23:46

内観は、壁紙。

床はフローリングがいい。主観で決めてかまわない。
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この回答へのお礼

?

お礼日時:2014/10/15 09:03

そもそも、我々が「目にしているもの」というのは、脳内の


現象に他ならない。
そこには、『この脳内の現象は、感覚器官を通じて外の
世界を正確に映したものである』という予断がある。
しかし、量子論的世界像において、そうした有限的存在
性は観察される事で派生している=自我仮説(時間的
流れ=記憶=過去)と時空仮説(空間的広がり=予測=
未来)の相補分化において、“自我成立のための相補”
として環境は得られており、「内観」でしかあり得ないのだ。
つまり、「内観(=宇宙)が主観に過ぎない」と理解する事が
客観であり、逆に主観とは気づかない事が主観的なのだ。
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この回答へのお礼

すると結局、中と外の違いは永遠にわからないという事ですね。
中=外という事になりますか。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/13 16:00

回答にはならないですが・・。




私は、思春期の時に精神的なバランスを崩し。
様々な、問題行動を起こしました。
その時、精神科の主治医から、「内観療法」を薦められて。
奈良にある、「内観療法」を行っているお寺に放り込まれました。

ご質問者が問われている、「内観」とは違うかも知れませんが。
閉ざされた、暗くて狭い空間に閉じ込められた結果。
色々と、考えさせられました。

内観療法を受けた体験から、申し上げると・・。
「内観」とは、「主観性」から導き出された「概念」を。
「客観性」を持って、整理分析する物だと考えます。
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この回答へのお礼

初めに主観ありですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/12 08:59

内観って何ですか?


自分の心の中を覗き込むことですか?
だけど人間の目は外側に向いていて、内側には向いていませんから、自分の心の中を覗き込むことは出来ません。
つまり、目は自分自身を見ることができないし、「灯台下暗し」といって、見ることの中心はエアー・ポケットになっていて、目の内側を見ることは出来ないようになっています。
意識に関しても同じで、意識の本質は「志向性」にあり、「志向性」とは何ものかの意識で、意識も外側に向かっていて、内側に向かっていないから、内観というものもありません。
そもそも人間に内側というものはありません。
身体も心もすべて外側にあります。
心には内面というものはありません。
批評家・柄谷行人が「日本近代文学の起源」で言ったように明治以前の日本人には内面というものはありませんでした。
人間に内面があるというのは明治の出版資本主義が作り出した言説です。
いわゆる言文一致によって、人間に内面空間というものが人為的に作られました。
もともと人間に内面があるというのではありません。
活版印刷と新聞や文学作品が作り出したのです。
だから、内観なんてないのです。
すべては外にあります。
外観というのなら分かりますが、内観というのは理解できません。
心は実体ではないし、脳の機能にすぎません。
だから脳をいくら解剖したとしても心が見つかるわけでもありません。
心は脳の機能だからです。
機能というのは、車で例えれば「走る」ことです。
そして「走る」は車の全体で行なわれるのと同じように、心も脳にあるのではなく、脳のなんらかの「働き」です。
心が脳の機能だとすれば、心に内面などはなく、機能を調べてもそこに「内観」などはありません。
あなたは「内観」といいますが、どうやって「内観」というものをするのですか?
瞑想によって?
瞑想によって、内面になにかが見つかるのですか?
意識は「志向性」ですから、自分のことを意識しても、それは自分を物体のようにみなしているだけで、心なんかどこにも見つかりません。
内面なんて存在しないし、人間の身体の内側には臓器があるだけで、内面空間なんて存在しません。
外側の世界があるから、内側の世界もあるに違いないと思われて、外観に対比して内観もあるのではないかと思っているのかもしれませんが、そんなものはありません。
外側もなければ、内側もないのです。
内と外の二元的な世界があるわけではありません。
世界はただ一つだけです。
内側も外側もありません。
外観も内観もありません。

哲学者のウィトゲンシュタインは哲学の役割は「ハエがハエトリ壺にはまっているのから出させてやることだ」と言いましたが、あなたも言葉のワナにはまって虚構の問いにがんじがらめになっているようですね。
内観なんてないのだから、「内観は主観か、客観か」なんていう質問自体がワナなのです。
ワナにはまって自縄自縛になっています。
ハエ取り壺から出ましょう。

この回答への補足

すいません、最初の2行で読む気を失いそのあとは読んでません。

補足日時:2014/10/12 08:58
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この回答へのお礼

>内観って何ですか?

え?
まぁご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/12 08:52

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