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十二単というと平安時代の貴族のお姫様の衣装で、お雛様でも目にします。
今でも皇族の方が儀式を行うときなどで見ることもあります。
平安時代で十二単を着るというシチュエーションはどんなものだったのでしょうか?
今の時代でいうと、ドレス感覚だったのでしょうか?

A 回答 (4件)

現在十二単と呼ばれている服装は部屋を与えられた女房が、目上の方の前に出る時に着た正装です。

長袴をはき、単、五衣、打衣 表着、唐衣を着て、裳をつけて、桧扇(ひおうぎ)を持ちます。
日常はもう少し簡略化された袿(うちき)と呼ばれる姿で過ごしていたとされています。
普段着とは言え、たっぷりと布地を使って何枚も重ねて着ますので、現代感覚からすれば相当に豪華です。
逆にバタバタ動き回ることは難しかったでしょう。

洋の東西を問わず布というものは貴重品でした。
上流階級ほど、この貴重な布をふんだんに使います。
一種のステイタスです。
中世の西洋絵画の貴族の女性も裾の長いタプリとしたスカートに重ね着をしています。

詳しくは下記をご参照ください

平安装束体験所:装束体験【十二単】
junihitoe.jp/taiken/itm/jyunihitoe.html
抜粋
十二単と申しますのは通称です。正しくは、昔は、「女房装束」、「裳唐衣」、「唐衣裳姿」などと呼ばれておりました。現在の正しい呼び方は、「五衣、唐衣、裳」といいます。そして特に皇后陛下の十二単は、「御五衣、御唐衣、御裳」と申し上げます。
ではどうして十二単と呼ばれるようになりましたかといいますと、初めて十二単という言葉が出てまいりましたのが、「源平盛衰記」の中で、壇ノ浦に身を投げる建礼門院平徳子の装いを、「弥生のころなれば藤がさねの十二単を召されたり」とかかれております。裳唐衣の正装ではなくてたくさんの衣装をお召しになられることを、十二単と呼ばれたのではないかといわれております。十二単と申します響きの美しさから皆様に好んで用いられるようになったようです。

平安装束体験所:装束体験【袿】
junihitoe.jp/taiken/itm/uchiki.html
袿(うちき)は平安時代の女房たちの日常着です。長袴をはき、単、袿を着ます。
袿は、「うちきるもの=はおって着るもの」からきた名称です。宮廷、公卿の夫人の服装には晴れの装束、褻(け)の装束がありまして、袿姿は褻の装束です。褻の装束というのは宮中の儀礼の服でないということで、日常に着ている装束です。

参考
女性 - 装束・貴族の生活・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~
www.iz2.or.jp/kizoku/shozoku2.html
着付けの写真があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
十二単は通称だったのですね。
たしかに、それくらいの枚数をかさねているというリッチ感は貴族のステイタスには必要だったのでしょうね。

お礼日時:2014/10/20 15:30

>平安時代で十二単を着るというシチュエーションはどんなものだったのでしょうか?



天皇や上流貴族に仕える女房などは、主人の御前では裳唐衣姿が基本でした。
主人側はそういったものは一切纏わず、唐衣ではなく小袿や細長を着ていました。
ただ最上流の姫君方でも、裳着(いわゆる成人式)や立后式・即位式などの儀礼的な
場面ではしっかり裳・唐衣を身に付けていたようです。
また自分の産んだ娘が皇后になった場合などは、親子の間柄とは言え臣下と皇族の
身分の違いを装束で視覚化せねばなりませんでした。
紫式部が仕えた藤原彰子は一条天皇の皇子を2人産みますが、出産祝いの席での装束は
彰子本人は小袿姿でその母の源倫子は裳唐衣であったと紫式部日記に残っています。
清少納言が仕えた藤原定子の母は、同席した娘の皇后が正装しているのに
自分は唐衣の代わりに小袿を裳の上に纏うといった、マナー違反の格好をしていて、
夫が慌てて皇后の唐衣を脱がしたのだった・・・といった話が枕草子につづられています。
裳唐衣は場に華やかさを添えるものという意味も無くはありませんが、第一には
威儀を正すためのもの、または下位の者が上位の者に尊敬の意を表すためのものといえる
かと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
TPOや身分に合わせて着用するのですね。
当時の人々も気を使ってきていたのでしょうね。

お礼日時:2014/10/20 15:32

的確な回答は下の方々がしていますので私はトリビアを



紫式部や清少納言は十二単を防寒着として着ていたらしいですよ
京都の冬は寒いので
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに、冬は多く着て防寒できますね。

お礼日時:2014/10/20 15:31

十二単は重ね着のことで実際は「五衣唐衣裳」を十二単と俗語で読んでいるだけです


皇室の結婚式でも五衣唐衣裳(単・重ねうちき(五衣)・打衣・表着・唐衣・裳から成ります)
平安時代でも実際に着たという記述はなく小説の中だけの話です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「五衣唐衣裳」というのですね。

お礼日時:2014/10/20 15:27

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