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ドイツ人は比較的ユーモアの感覚が乏しい、といふ意見を聞くことがあります。
実際にはどうなのですか。

A 回答 (1件)

しばらく遠慮させていただこうと思ったのですが、質問タイトルで呼ばれているような気がして・・・



ドイツ・ブレーメン大学の文化科学科教授で「笑い研究家」のライナー・シュトールマンが、雑誌のインタビュー「なぜドイツ人はユーモアがないとされるか」で、大体こんなことを言っています。

火のないところに煙は立たない。ドイツ人はロマン主義者なので、ユーモアがない。ルネッサンスがイタリア的なものであり、バロックがスペイン的なものであるのと同様、ロマン主義は、ほかの国の人にはわからないドイツのエポックである。ロマン主義で最も重要な観念が「あこがれ」で、あこがれに焦がれる者は、好んで世界の痛みを感じ、笑わない。古典主義、ロマン主義は200年も前のこととはいえ、この時代に、「真面目さ」という、今日まで有効なドイツ文化の商標が生まれた。とりわけ「真面目な音楽」と哲学に。ヘーゲルには全くユーモアがなく、イギリス人なら笑うような「相反するもの」を真面目に考え、弁証法を作り上げた。「存在と無は同一のものだ」というヘーゲル論理学の言葉を言うような者は、イギリス人やフランス人にとっては怪しげだ。
19世紀には、何人かのユーモア作家がいたが、大部分は因習的なものだった。古典を例にとって比較すると、シェークスピアのほとんどの作品、「ロメオとジュリエット」でさえ、その本質を損なうことなく、悲劇としても喜劇としても演出することができる。シェークスピアに匹敵する作家、シラーやゲーテではこんなことはできない。そもそもドイツ古典文学には、レッシングの「ミンナ・フォン・バルンヘルム」と、クライストの「こわれがめ」の二つしか喜劇がない。
ドイツの大衆文化の最初の形の一つがグリム童話だが、ほかの国の童話には笑いがあるのに、グリム兄弟は童話から笑いを取り除き、「グリム調」を作り上げた。つまり、素朴で内的なもの、まさにロマン主義的なもの。
現代のテレビには、イギリスやフランスのコメディーと競り合えるようなユーモア作家はいるが、ドイツ人はまじめだという先入観から、外国には知られることがなかった。逆にドイツ人の方は、チャップリン、バスター・キートン、ミスター・ビーン、モンティ・パイソンなどすべて、テレビで知ることができた。ドイツの標準的なテレビ視聴者は、ほかの国と比べれば、もっと世界中のコメディーを知っている。では、ドイツ人にもやっぱりユーモアがあるのだろうか? これについて、ドイツのユーモア作家、ロリオがいいことを言っている。「ドイツ人は、ほかの国の人と同じぐらい笑うが、まじめさとユーモアを厳しく分ける。笑うために信号が変わるのを待っている。それが残念だ。ドイツ人は、ユーモアとまじめさをもっと混ぜ合わせなければいけない。本来真面目な顔をするような場所でもとにかく笑わなくてはいけない。」

以上のような内容のインタビューですが、実際、現代のドイツ文学でも、まじめな純文学とエンターテインメント文学が両極端に離れていて、英米文学のようにそれらが調和した作品は少ないと言われます。
また、こんな話もあります。

モーツァルトが日常口にしていた汚らしい言葉は、ドイツでは、心理学的考察の対象となる。「モーツァルトはひょっとするとかなりお国柄のユーモアのセンスがあったのではないか。」――いやそんなことは考えられない、彼は天才だったのだ!

この問題は、ドイツのメディアなどでもよく取り上げられる話題です。例えば、ディ・ヴェルト紙では、社会問題としても取り上げられています。ヨーロッパの世論調査でも、ドイツ人のユーモア感覚の評価は最低だそうです。ドイツ人は、シニズムと嘲笑が高収入につながると思っているそうです。また、統計では、特に西ドイツの知識階級の女性はユーモアを解せないという結果が出ています。多くのドイツ人は、まず真面目に自分の仕事のキャリアのことを考え、やっと愉快にやろうと思ったときは、時すでに遅し、だそうです。ネットを見ていると、この話題はあちこちにみられ、ドイツのQ&Aサイトでも、今まで何度もお話ししたように、ドイツ人とオーストリア人のユーモアセンスの違いはかけ離れているという意見で占められています。ただ、あまり真面目なので、はたから見ているとかえっておかしいことがあります。オーストリアからドイツへ列車で入った時、最初の駅で乗り込んできた人の多くがビールを持っていました。同じ車両に乗ってきた男性が、ビールを無造作に座席の肘掛けに置くので、あれは危ないと思ってみていると、案の定、発車したとたんにひっくりかえって全部こぼれました。しかし、本人は笑うでもなく怒るでもなく・・・

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今回は、回答は一度だけにして、お礼コメントは通知メールで拝見します。
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この回答へのお礼

おはやうございます。先回もさうですが、ヨーロッパの土台を理解なさつたうへでの御回答に感謝してをります。モリエールの動画も少し見ました。やはり読書とは違ひます。老子の件はおつしやるとほり、音楽との直接のつながりがありませんので、不必要に投稿なさることはないと存じます。純粋にTastenkastenさんの回答を期待して質問なさる方も何名かいらつしやるやうですので、そちらを大事になさつてください。

>>質問タイトルで呼ばれているような気がして・・・

そこまで意図したわけではありません。哲学カテゴリのかざみどりさんの「自己超克」のドイツ語の質問にだれか回答をつけてくれないものか、それは考へてゐました。

引用文の末尾の指摘がいいですね。

>>まじめさとユーモアを厳しく分ける。
>>笑うために信号が変わるのを待っている。

これでは、ここぞ、といふときのユーモアが存在しないことになります。

>>現代のドイツ文学でも、まじめな純文学とエンターテインメント文学が両極端に離れていて、
>>英米文学のようにそれらが調和した作品は少ないと言われます。

たしかに英米文学のほうが両者を内包してゐます。私のいちばん好きな小説リチャード・ヒューズ『ジャマイカの烈風』はまさしくそんな作品です。人間とは何か、を描いた崇高な内容なのですが、あちこちで笑はせられます。

ドイツ人のユーモアについての通俗的な見解は、それなりにほんとうのことなのですね。同じドイツ語圏のオーストリアとの相違も興味深く拝見しました。

>>あまり真面目なので、はたから見ているとかえっておかしいことがあります。

モリエール『人間嫌ひ』にも通じるものがあるのかもしれません。意図した笑ひよりも、ゆきすぎた「真面目」のほうが圧倒的な面白さがあります。ただ、困るのは、さういふ事態を素直に笑ふと、怒る人がゐることです。このQ&Aサイトでも、生真面目な人の文章で笑へるものがたくさんあります。

御回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/10/25 08:00

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