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http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-today/ … を見て思ったのですが、カラー放送とデジタル放送ではどのような違いがあったのか気になります。

「カラー放送になったら、モノクロの受像器では放送が受信できないというのは困る。」と書かれてありますが、「デジタル放送になったら、アナログの受像器では放送が受信できないというのは困る。」という声は、あまり問題視されてないように感じました。
また「もしカラー放送が従来の白黒放送の規格と全く違う規格で放送され、白黒テレビとカラーテレビを2台並べておかなければならないということだったら、カラー放送の事業は間違いなく挫折していたことでしょう。」と書かれていますが、デジタル放送は今までのアナログ放送とは別の規格で放送されています。

質問したいことは、「カラー放送を白黒放送の規格とは別の規格で放送し、既存テレビはコンバーターをつけて見る形式にした場合、どのようなことが懸念されたのか」ということと、「地上デジタル放送では、アナログ放送との相互互換性は重要視されなかったのか」ということです。

A 回答 (7件)

アナログー>デジタルの時は



1.そもそもテレビそのものの価格が相対的に安くなっており
 消費者も新しく購入することの抵抗感が少なかった(カラー
 放送当時の白黒テレビは、今の感覚から言うと100万円以上
 になる高価なものだった)。

2.デジタル放送開始時と、液晶などのフラットテレビの普及
 が重なり、低消費電力で大画面、かつ綺麗な放送が受信できる
 という、買い換えに対する意味づけがしやすかった。(カラー
 化当時のカラーテレビは、白黒テレビの5倍ほどの価格だった
 ので、おいそれとは手が出なかった)。

という問題があり、当時とは状況がまるで違います。

すなわち「当時は、テレビ受像機が今では考えられないほど
相対的に高額だった」からそういう問題が出たんです。

また、そもそも論として、デジタル放送とアナログ放送では
電波へのデータの乗せ方がまるで違うので、互換性を確保する
ことが物理的にできなかったのに対し、アナログテレビの
カラー化は、電波へのデータの乗せ方が基本的に同じなので、
カラー放送を白黒受信することが比較的容易にできた・・・
という問題もあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

地上デジタル放送移行に関しても、アナログ停波延期を求める声が多数出ていましたが…

お礼日時:2014/11/02 23:47

NTSC方式のカラー放送は、従来の白黒の信号にカラー情報を別途追加する方法でした。

カラー信号と白黒信号が干渉することはないので従来の白黒テレビでカラー放送を受信しても色が出ないだけで白黒信号部分はそのまま受像できたのです。
初期にはいろいろな方法が試されましたが、最終的に従来の白黒てれがそのまま使えるこの方式が採用されました。

で、なぜ一気に転換できなかつたかというと高度成長期直前でまだ日本の庶民は貧しく、白黒テレビさえやっと購入できたり、まだテレビが変えない家もたくさんありました。カラーTVに買い換えようにも、初期のカラーテレビは大卒初任給の一年分にも相当しましたから、一部の層以外買うことができなかったのです。
1970年にダイエーが59,800円で売り出したときは徹夜の行列ができたのですから、庶民はカラーテレビが欲しかったのに高くて買えなかっただけだったのですね。購入ゾーンに入れば一気にブレイクできた商品だつたのです。

アナログからデジタルへの切り替えがスムーズに行ったのは国民が豊かになっていて相対的にテレビの買い替え負担が大きくないこと、薄型テレビの買い替え期にぶつかったことなどがあるでしょう。コンバーターが大きな市場を形成しなかったのもそういう理由があるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

ということは、もしどのカラー方式を採用しても従来の白黒テレビが使えないという事態に陥っていた場合、どのようにしていたのか気になりますね…

お礼日時:2014/11/02 23:44

この質問は、アナログ放送(NTSC)とデジタル放送(ISDB)の違いはご存じだという前提で回答します。



まず、デジタル化では移行期間は設けていましたし、初期から中期のデジタルテレビ受像器には、アナログチューナーも内蔵して、互換性のない規格でも受信できるようにしていました。

また、このデジタル化については、政府の方針に基づいて電波の有効活用を目的としたものでもありました。そのため、これについては消費者がいくら困るといっても変わるものではなかったという話になります。即ち、デジタルではそもそも、アナログを一緒に含めることはできなかったのです。これは、日本に限らず現在は世界でアナログによるテレビ放送は終了する傾向にあります。いわゆる潮流です。

デジタルについては、基本は上記です。もう少し後述しますが、ここまでは、あくまで前提のようなものです。
その上で、何故アナログのモノクロ放送とカラー放送では互換性を求めたかについて回答します。

最初のモノクロテレビは価格が30万円以上する高級品でした。
当時の会社員の平均賃金がその1/10ほどでしたから、給料10ヶ月分~それ以上の出費をして買わなければならないほど、テレビは高級だったのです。いわゆる、一家に一台借金して買うか、よほどのお金持ちが、買って近所の人が見に来る状況だったわけです。
街頭のテレビに群がる人の映像などは過去のドキュメンタリーなどで見たことがあるかな?

それは、高嶺の花で購入できない人が多かったのです。
そんな高価なテレビを、普及が始まった矢先に、規格変更したら質問者様はどう思いますか?
明日からモノクロテレビは見られません。新しいカラーテレビを買ってください。

これは、例えば車を買ったとして、来月から規制が厳しくなり、来月からその車は使えません。ただのゴミなので、スクラップにしてください・・・。金返せでは済まないでしょう。

互換性を確保した一番の理由は、それだけ品物自体が高価だったこと。そして、普及前段で規格変更すると、普及に水を差すのが明らかだったためです。まだ、当時はラジオが普及していましたから、映像などころころ変わるならいらないという人も出たことでしょう。

それらの問題が発生しないように、規格を策定したのが色差信号(C)を既存の輝度(Y)に追加するという方式です。元々は、輝度(濃淡)だけで再現していた映像に、色の違いを加える現在で言えばYCCと呼ばれるカラー方式を取り入れたのがNTSCです。

尚、テレビそのものが普及しないという事態は、例え互換性ゼロでも起きなかったと思われます。ただ、普及に水を差す(要は一時的に普及率が劇的に落ちる)事態と、放送局の施設が2つ必要になり、コストが嵩んだことでしょう。今ほどたくさんの放送局が地方にごろごろすることもなかったでしょう。

どちらがよかったかは分かりませんけど、そういう理由があります。

デジタルでは、これらの問題がほぼ解決しています。受像器とは別にチューナー装置が5000円から1万円程度で提供できる状況であったため、受像器にとりつければ、画質はともかく観ることはできました。
また、アナログ時代とは異なり、デジタルとアナログの両方の帯域を帯域整理によって、作ることが出来たのも、昔とは大きな違いです。周知方法も沢山ありましたから。

今は、質問者様がインターネットで知る情報も、昔は新聞や雑誌、または人づてに聞く、町内の回覧板などで知るか、近くの電気店で知るぐらいしかなかったのです。その情報は時として、既に過去のものという場合もあるわけです。

要は、今デジタルで出来ることのほぼ100%が家庭や職場では手作業であったり、アナログの機械だったりしたのです。それが、昭和30年代です。

この回答への補足

>高価なテレビを、普及が始まった矢先に、規格変更したら質問者様はどう思いますか?
アナログ→デジタルのように、互換性を切り捨てなければならないのであれば、何らかの補助を出してほしいかなと思います。

補足日時:2014/11/03 15:25
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

デジタル放送以降時も『明日からアナログテレビは見られません。新しいデジタルテレビを買ってください。』ということになるため反対意見が相当出ていたようですが…
また、白黒→カラーの時はUHFコンバーターのような「カラーコンバーター」では対処できなかったのかも気になります。特に白黒放送とは全く違う規格が世界の潮流となり、日本でもこの方式を採用せざるを得ない状況になっていたら…

お礼日時:2014/11/02 23:50

NTSC信号の場合、従来のコンポジット信号にカラーバースト信号を加える事でカラー化を実現でき、


なおかつ従来の白黒テレビとの互換性を維持できたのです。
ある意味単純な技術だったのです。

今となっては、アマチュアが自作した回路でもカラー映像信号を作ることが可能になりました。
今、私の手持ちの部品でも、ブラウン管に文字や絵を表示させる回路を組み立てることが出来ます。

ところが、アナログ放送からデジタルへ移行となると、これは根本原理から変わってしまいます。
アナログテレビ受信機を改造なしで、デジタル放送も受信できるようにしろ、というのは
35mmフィルムカメラにSDメモリーカードも使えるようにしろというのと同じことです。

そもそも互換性の議論の余地などありません。

この回答への補足

来年3月までの予定で実施されている「CATVによるデジアナ変換」は当初の予定にはなく、リーマンショックによる景気後退を受けて新設されたとのことです。それぐらい、性急なアナログ→デジタル移行にも反発が出ていましたが…

補足日時:2014/11/05 22:54
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ただ、もしカラー方式が今までの白黒テレビが使えない方式しかなかった場合、どうしていたのか気になります。

お礼日時:2014/11/03 11:07

>ただ、もしカラー方式が今までの白黒テレビが使えない方式しかなかった場合、どうしていたのか気になります。


 
その場合は、白黒放送を残したまま、カラー放送をスタートさせたでしょうね。

ただ、その場合に予想される問題は、周波数帯域の確保です。
NTSC信号で電波を変調すると、6MHzの帯域を占有しますから、旧方式の放送を残したままだと、周波数帯が足りなくなる恐れがあります。
ただし、カラー放送開始当時は、現在ほど放送局数が多くなく、白黒放送をVHFに残したまま、UHF帯をカラー放送に確保する方向に動いたでしょうね。移行を終えれば白黒放送を停波し、空いた周波数帯を増えたカラー放送へ割り当て出来ます。もちろん、柔軟なバンドプランを組む電波政策にかかっていると思います。
送信設備も冗長設備が必要となりますが、現在は住宅展示場用地となっている非常用第二送信所用地が確保されていたので、これが利用できたかもしれません。
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この回答へのお礼

再びの回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/03 15:24

再回答します。



Q/白黒→カラーの時はUHFコンバーターのような「カラーコンバーター」では対処できなかったのかも気になります。

A/これは、別の周波数帯にカラー信号を追加するということでしょうか?その方法だと、分配と混合を行う装置が、出力側(放送設備)と入力(家庭内の受像器)に必要となります。この手法では、電波干渉、反射によるゴースト発生率がカラーNTSCに比べて増加する恐れがありますので、実用的とは言えないでしょう。また、当時のテレビは先にも述べたように30万円台(今で言えば700万~800万以上に相当)で、受像器に何かを足すだけで、プラス云万のアップになるはずですから、下手に何かをプラスするより、互換を確保して拡張した方が放送側にとっても、受像器を持つ側にとっても良かったといえます。


Q/白黒放送とは全く違う規格が世界の潮流となり、日本でもこの方式を採用せざるを得ない状況になっていたら…

A/当時のチャンネル数から考えれば、帯域の不足はなかったであろうと思われます。
理由は単純で、試験放送は昭和32年だったはずです。その段階ではNHK教育、フジテレビ(同年放送開始)、テレビ東京などの放送局はありませんでした。

もし、カラーを別の方式でスタートすると決まっているなら、最低でも数ヶ月前には放送免許取得予定の事業者には伝えるはずで、電波帯域もそれに合わせて整理するはずですから、電波帯域の問題はなかったと思われます。

では、何が問題になるかというと、まずモノクロ放送を行う側は、施設機材の準備に相応の投資が必要になること。また、試験放送の段階ではまだスタジオ用のVTR装置などがありませんでしたから、同じ放送をカラーとモノクロで同時には放送できなかった可能性もあります。

そのため、同じ時間帯の放送内容が異なるか、アングルが変わった可能性は高いです。また、一部の後発放送局は、最初からカラーのみで放送したかもしれません。まあ、日本テレビとNHKは、両方やったでしょうけど。

一般家庭においては、チューナーを2つ搭載する製品が出るのは、少し後になるはずですから、二台買う人も実際にいたでしょう。ただ、暫くはラジオという人もいたことでしょう。
まあ、きっと現実にはそういう状況なら、そういう異なるチューナーユニットを2つ積む技術などは、日本が中心となって最初に作り、もっと早い段階で国産テレビが世界に馬鹿売れしたかもしれませんし、そもそも、先にそういう装置を作ってから本放送に移行した可能性もあります。

Q/互換性を切り捨てなければならないのであれば、何らかの補助を出してほしい。デジタル放送以降時も『明日からアナログテレビは見られません。新しいデジタルテレビを買ってください。』ということになるため反対意見が相当出ていたようですが…

A/日本はアナログハイビジョン放送(MUSE)を推進していましたが、米国など海外ではデジタル化して帯域を節約し、ハイビジョン化する方向でした。何せ、MUSEを使ってもなお電波の帯域幅は、3倍程度に跳ね上がりましたから・・・。

反対意見については、二通りがありました。1つは、そもそもそんなことは100も承知だが、テロップが邪魔である。分かっているから、消せという苦情が一つです。もう一つは、買い換える金などないというものでした。

そこで、政府は生活保護世帯などに対して、無料でチューナーの配布を行うと共に、当該の安価なチューナーを一定量買い上げて、生活保護世帯などに配れるようにしたのです。これは、安価なチューナー開発を促進する効果もありました。

直接的に配る対象は、生活保護など一部のみでしたが、支援を全くしなかった訳でもありません。ちなみに、次のスーパーハイビジョン(Super Hi-Vision/Ultra HD 8K)や、Ultra HD 4Kも既存放送との互換性はありません。まあ、地上波に採用される可能性は今の段階では低いですけど。

今や、テレビはこだわりがなければ、携帯電話やスマートフォンにも搭載できるぐらいで、安く作ることが出来ます。結果的に、テレビではどのメーカーも利益がほとんど出ないぐらいに、量産されるようになりました。それが、結果的に次の互換性を維持しない方向に進めているとも言えます。付加価値としての提案より、一新して買い換えを促さないと、高いものが売れないですから・・・また、チューナーユニットも半導体技術の進化(ムーアの法則)によって、どんどん小型化してきたため、非互換でも複数のチューナーユニットを一つにまとめることも出来る時代です。

そういうデジタルの恩恵がある意味、非互換でもとりあえず買い換えれば、両方見られるという付加価値販売を生み出したと言えます。

この回答への補足

お礼に書き忘れましたが、カラーコンバーターというのは、カラー放送が白黒放送とは全く違う規格で放送された際に、カラー放送を従来の白黒放送の規格に変換してテレビへ送り出すシステムのことです。

補足日時:2014/11/05 20:54
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>受像器に何かを足すだけで、プラス云万のアップになるはずですから、下手に何かをプラスするより、互換を確保して拡張した方が放送側にとっても、受像器を持つ側にとっても良かったといえます。

UHF放送が出始めの頃に「UHFコンバーター」がありましたので、互換性を維持した拡張が必ずしも可能とは言いきれないケースもありますが…

お礼日時:2014/11/05 20:48

これまでの回答にない点を中心に回答します。



>「カラー放送を白黒放送の規格とは別の規格で放送し、既存テレビはコンバーターをつけて見る形式にした場合、どのようなことが懸念されたのか」

実はアメリカで1951年(昭和26年)に世界で初めてカラーテレビの本放送を開始したときはCBS方式といってまさに「カラー放送を白黒放送の規格とは別の規格で放送」したものでした。この方式は1フレームごとにR/G/Bの3色の映像を順次送り、ブラウン管の前にR/G/Bのフィルターを付けた円盤を回転させてこれと同期させ、残像効果によってカラー映像として見えるというものです。しかしこの方式では白黒の受像機ではカラー放送を(白黒でも)見ることができず、カラーの受像機では白黒テレビの放送を見ることができませんでした。いくら日本より豊かなアメリカとはいえ、すぐにテレビのオールカラー化が可能なわけではないので、視聴者は受像機を2台持たなければならないことになり、これは大きな欠点でした。

そこで白黒でもカラーでも見られるようにしたのがアメリカのRCAが開発した方式で、アメリカのFCC(連邦通信委員会)は、1953年にNTSC(全国テレビジョン方式委員会)の提案で、この方式をアメリカのカラーテレビの標準方式として採択しました。アメリカでもテレビジョンの歴史が始まってあまり時間がたっていない時代に、カラーテレビの放送を普及させるためには白黒テレビ放送と互換性が不可欠だったのです。これをNTSC方式といい、日本もこの方式を採用しました。NHKとNTVがカラーテレビの実験放送を開始したのが1956年12月で、1960年6月にはNTSC方式が日本でも標準方式に定められました。そして同年9月にNHKの東京・大阪、NTV、KRT(現TBS)、読売テレビ放送、朝日放送がカラーの本放送を始めました。

>「地上デジタル放送では、アナログ放送との相互互換性は重要視されなかったのか」

デジタル放送とアナログ放送では仕組みが全く異なるので、NTSC方式のカラーテレビ放送が白黒受像機で受信できたように、アナログの受像機でそのままデジタル放送を受信することは原理的に不可能です。受信した地上デジタル放送の電波から映像・音声信号を取り出しアナログ受像機で視聴できるようにすることは可能ですので、そのための地上デジタルチューナーが開発され、所有しているアナログ受信機を活用してできるだけ安く地上デジタル放送を視聴したい人向けに比較的安価に販売されました。これはUHF局が開局したときVHFしか受信できないテレビに安価なコンバーターを付けてUHF局を見たのと(理屈は違いますが、)同じような形になります。経済的な理由で地上デジタル放送が受信できない世帯に、国がチューナーを無償で給付することも行われました。

ただし、この地デジチューナーとアナログテレビの組み合わせによる地上デジタル放送の受信を選択した視聴者は余りおらず、ハイビジョン・データ放送・電子時刻表(EPG) の利点がすべて得られる新しいテレビに買い替えた人が多かったと見られます。この最大の理由はテレビ受像機の価格が収入やほかの物価と比較して相対的に大きく下落したことです。

カラー放送が開始された当時と地上デジタル放送が始まった時との最大の違いはこの経済上の点にあると思います。カラー放送が始まった1960年代初めはカラー受像機が極めて高額だっただけでなく、白黒テレビも当時の収入と比較しては相当高額でした。たまたま手元にある51年前の週刊誌(50円)に出ていた広告を見ると、白黒テレビでも16インチの真空管式が5万1000円、新発売の9インチのトランジスタテレビが5万5000円と5万6000円でした。現在この金額を払えば安売り店なら40インチの液晶カラーデジタルテレビが買えるでしょう。また週刊誌の価格は370円程度に上がっています。

東京・大阪・名古屋で地上デジタルの本放送が開始されたのが2003年12月で、東日本大震災の被災3県を除いてアナログ放送が停波したのが2011年7月なので、この間に8年近くありました。この時期にデジタルテレビの価格は急速に下落したことはご存知の通りです。この8年が長いか短いかは様々な意見があると思いますが、いつまでもデジタル放送とアナログ放送を併存させるのはコストがかかり、これを誰が負担するかという問題も生じますので、まあ適切な潮時であったのではないかと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
ただ調べてみると、モノクロではアメリカ方式だったのが、カラーになるとヨーロッパ方式に変えた国もありますね…

お礼日時:2014/11/12 05:56

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