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日本には西洋至上主義で考えている人が多いですが、18世紀までの西洋、東洋の学問、文化、軍事力のレベルを比較すると、

17世紀の学問、文化水準
中国=イスラム>西洋=日本
17世紀の軍事力
トルコ=スペイン=イギリス>中国=日本=オランダ=ポルトガル=ロシア=フランス
くらいが妥当ではないのでしょうか?

また、18世紀の学問、文化水準については
中国=イスラム=西洋=日本
18世紀の軍事力
イギリス=ロシア>トルコ=オランダ=フランス≧中国=日本=スペイン
くらいになってきて、西洋が東洋に決定的な差をつけたのは19世紀になってからというのが実際のところではないでしょうか?

A 回答 (2件)

15世紀~17世紀の世界歴の記載は、『貿易』がその経済的実態以上に大きくクロースアップされています。

(今までなかった新しい事象が始まったことによる記載)
 その反面、18~19世紀の貿易量の急拡大については詳しく述べられることが少ないようです。

 ですから、15~17世紀において、海上交易を行った国の国力について、過大評価する錯覚を起こしやすい面があります。

 また、産業革命が起こるまでの第一次植民地時代の注意点として、
A.支配地が広く見えても・・・
1、実際に支配しているのは、拠点都市だけである。
2、その周りの広い土地は、独占交易できる勢力圏である。
B.金・銀の略奪地となっていたこと
 当時のスペイン・ポルトガル人が錯覚したように、現在の高校生も錯覚するのですが・・・
 『大量』の金・銀・財宝を手に入れると、金・銀・財宝の価値は下がってしまうことに注意。
 価格革命(南米産の銀が、スペインを通じて、ヨーロッパに大量供給されたため、銀の価値が暴落した。) ⇒ 財宝の本国への供給は、国力増強にはつながらなかった。
 
※高校の世界史教科書・参考書を参考にしてください。

<本題>
A.17世紀まで、ヨーロッパ諸国は、アジアの大国の足元にも及びませんでした。

17世紀まで、強国=人口の多い国という単純な図式で、オスマン=トルコ、ムガール帝国(インド)、清が三大強国で、人口もトルコ=1億、インド=2億、中国=3億レベルでしょうか。(人口についてきちんとした統計資料がなく、ざっくりした推定レベルですが・・・)
 
「一国の国力=生産力=人口」 であったわけです。この図式の中では、国土が広い≒人口が多いわけで、ヨーロッパ諸国に比べて広大な面積を支配する

 この三国の中ではもっとも人口が少なく、陸軍国であったトルコに対して、貿易立国が始まり海軍力が向上し始めたヨーロッパの海軍連合が、海賊主体で構成されたトルコ海軍に初めて大規模な勝利をしたのが、レパントの海戦(16です。

 海軍で勝利したとは言っても、人口による国力差がもろに出る陸軍では、依然としてヨーロッパは分が悪く、1683年にはオスマン=トルコによって、ウイーン包囲されています。
(この作戦が大失敗で、オスマン=トルコのヨーロッパにおける優位が崩れだします。)

17世紀における
国力は・・・・
 中国>インド>トルコ>日本(人口3000万人)=イギリス=フランス=ドイツ諸国連合=イタリア諸国連合≧スペイン>オランダ=ポルトガル
 といった感じでしょうか。

 ドイツ・イタリアは、全体としてはそれなりの潜在力があったものの、ドイツ諸国やイタリア諸国が完全に一致団結して対外行動を取ったことは、17世紀においてはありませんので、他国に対しては、分が悪くなっています。

 オランダは、17世紀初頭、対外貿易・工場制手工業の発達で、人口の割に国力を充実させましたが、イギリスに海上覇権を奪われ、国力を失っていきます。

 ムガール帝国のシャー・ジャハーン(在位1628 - 1658)が王妃を弔うために建てさせたタージ・マハルは、なんと「イタリア産の白い大理石」で作られています。

文化水準について・・・・
 幕末、日本に来たヨーロッパ人(=ヨーロッパ社会において文化レベルが高い人々)は、日本庶民が本を読んでいることに驚いています。
 日本の識字率は、当時世界最高レベルで、その国民的教育レベルの高さが、明治維新以後の経済発展の基礎になります。
 また、高等数学においても、ニュートンやライプニッツと同時期に、1674年、関考和が「発微算法」で、導関数の考え方を発見しています。

 17世紀の文化水準については、各地域の特色の違いはあるものの、各国毎に優劣をつけることができるだけの明確な差があるのかどうか。
 ⇒ 明確に回答するだけの知識を持ち合わせていませんので、疑義を呈するに留めます。

軍事力について・・・・
 国力があれば、軍事力は、短期間に拡充できます。また、実体として、平和国家であったり、海上戦力が極端に低かったり、また海上戦力が陸上戦力に比べて卓越していたりするので、世界的な強国かどうかの比較においては、軍事力での比較より、国力の比較のほうが適当と考えます。


B.18世紀になって
「一国の国力=生産力=人口」という図式が崩壊します。

・産業革命によって、「一国の国力=生産力 ≠ 人口」となったのです。
 産業革命以後の第二次植民地は、本国から供給される商品の消費地として、政治・経済を含めた支配を受けるようになります。
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参考までに・・


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