誕生日にもらった意外なもの

天皇陛下がパラオを訪問するにあったってのお言葉に、私はとても感動しました。
私は、謙虚で優しくて親しみのある天皇陛下と皇后陛下が、とても好きです。

「終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。」

テレビで観ているとパラオの多くの人々は、今回の天皇陛下と皇后陛下を好意的に迎えてくれたように感じました。

でも、内田洋行のサイトの中の「海外の教科書は、日本をどのように教えているか? 」を読むと、日本がアジアで行ったことが下のように書いてあります。

日本は戦争中、本当にアジアでこのような残虐なことを行ったのでしょうか?
真実を知るには、これから私はどのような勉強をしたらよいのでしょうか?
大人は右翼とか左翼とか言いますが、私は今のところどちらでもないです。
すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

■インドネシア
「1942年3月、オランダが日本に降伏すると、民衆はいたるところで歓呼して日本軍を迎えた。日本もまたアジアの諸民族を白人の支配から解放するために進撃してきたことを宣伝し、インドネシア人は兄弟として日本と協力すべきだと主張したのである。
 日本は検閲を強化し、オランダ語と英語の使用を禁止し、インドネシア語を統一語として使用させた。しかし同時に日本語の普及にもつとめた。
 やがて日本の軍政は、インドネシア人の民族精神への干渉にまで及んだ。日本の天皇をマハ・デワとしてあがめさせ、その居住する東京に向かって頭を下げることを強制した」。
(中学3年生用『インドネシア史』1974)

■マレーシア
「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっとひどかった」。
(中学2年生用『歴史の中のマレー』1988)

■フィリピン
「フィリピンの歴史における暗い時代は私たちの国を日本国が占領した時です。日本軍は、来たばかりの頃は、自分たちはフィリピン人の友達だといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。彼らは、人々の食料や家財道具をはじめ、乗り物や大きな家々も取り上げました。彼らはまた、とらえた人々を拷問し、殺しました」。
(小学校4年生用『歴史』1977)

 さらに、日本がこれらの国を占領していたときの、日本軍の残虐行為についての記述も多い。
■マレーシア
「憲兵隊は一般の人々にとても恐れられた組織だった。憲兵隊は疑わしい人を犯罪が立証された罪人のように扱った。罪のない人間を罪人だと自白させるため、さまざまな残酷な拷問が行われた。彼らは、手や足のツメを抜いた」。
(中学2年生用『歴史の中のマレー』1988)

A 回答 (11件中1~10件)

日本人だから、ということではなく、今後の世界を見て、当時の状況を俯瞰的に説明したいと思います。



当時の世界的状況
 第2次世界大戦の当時は、世界中のあらゆる国が西欧諸国の植民地になっていました。その中で独立を保っていたといえるは、アジアの国では日本とタイ、状況的には中国・朝鮮ぐらいなものでした。
 ただし、タイは世界的な発言力は弱く自国の独立を維持するのがやっと、中国は清が弱体化しすぎて国民党や共産党などが抗日運動を起こしているぐらいの状態で、国歌として安定していたのは日本ぐらいです。

当時の日本を取り巻く状況
 日本は日清・日露と勝ち、第一次世界大戦でも犠牲は少なかったのに戦勝国になり、発言権を増している状態でした。またアジア大陸は朝鮮半島併合に始まり満州まで進出、太平洋は日付変更線の西半分はほぼ日本の委託統治である状態でした(この状態が今年のパラオ来訪につながります)
 
 つまり日本は西洋諸国同様、帝国主義国家であったということです。

もちろん、日本にも言い分はあります。
まず、朝鮮半島については日清戦争後の下関条約の第1条目に「中国(清)からの完全自主の独立をすること」と記載しています。次のロシアとの戦争も旅順という、朝鮮とロシアの領土を結ぶ場所が最大の戦闘地になりました。

日本にとって、今でも同じですが、朝鮮半島に「日本を攻撃したい」という勢力がやってくると、すごく困るからです。これは元寇の時代から変わりません。

そのため、膨張意思のロシア(革命後のソ連も同じ)、中国(当時は清がガタガタでいろいろな勢力が争っていた)などが朝鮮を奪おうとしていたのです。

肝心の朝鮮は清に助けを求めたり、ロシアに助けを求めたりで、日本としては「自主独立の気運がない」と考え、朝鮮併合に動いたともいえます。

またその先の満州国は、ロシアと中国が朝鮮半島に入ってくるのをちょうど邪魔する位置に設立され、本国日本の安全に寄与したといえます。

あ、日本からの視点から見てしまいましたので、これを外国の立場から見てみましょう。

朝鮮からの視点
朝鮮としては清にたすけを求めたいが、何を要求されるかわからない、ロシアは西洋人だからもっと怖い、でも倭国に助けを求めるのはプライドが許さない、と政府や貴族の多くは考えていたのだが、一部の親日派が一時的に政権をとったことにより、日本に併合されることになった。

ロシアからの視点
日本は明治以降(正確には江戸末期以降)、われわれが不凍港目指して南下するのを邪魔する。ソ連になったので、シンパを増やしてじっくり行こう

中国からの視点
国民党や共産党、抗日独立運動が主たる目的なのに、なんで内戦になるんだろうか、内戦しながら日本と戦うのは困難だし、他の西洋国にもつけ入れられてしまう。

西洋国の視点
日本は第1次大戦で、ずいぶんおおきくなったけど、最近満州国とか太平洋とか膨張主義じゃね?アメリカ「ちょっとヤバメ」ソ連「あいつらヤバい」

そうこうしているうちに、満州国から盧溝橋事件が起き「日本は膨張主義である」ということになっていくわけです。これが戦後「日本は侵略国家である」というイメージの発端であるといえます。

そして、ABCD包囲網からリットン調査団など、日本の「膨張主義」に対して警告が発せられ、日本はそれに対して抗議しますが、結局ハルノートの交渉が決裂し、戦争になります。

戦争になると日本二つの作戦をすぐに実行に移しました。
・太平洋上の主な敵はアメリカ軍なので、太平洋を日本の支配下に置くように攻撃をする
 まずは米軍太平洋艦隊の最大の基地、真珠湾を攻撃すること
・大陸においては、満州国と協力し、ソ連の南下を防ぎ(日ソ中立条約でしばらく防げた)、ABCD包囲網以来欠乏している石油を確保するために、インドシナ方面まで資源確保に侵攻する。

ということです。これは(当時としては)戦争を行っている国として当然の行動ですから、東京裁判でマッカーサーが「日本は防衛戦争を行った」と評することになるのです。

さて、ここからは主にアジアの視点が重要になってきます。戦争中から戦後にかけてです。
まず、最初にも書いたようにアジアの諸国はほぼすべて、植民地化されていました。日本が侵略したと言っても、相手は「西洋国」だったわけです。これは一つ重要なポイントです。
参考:大戦前地図 http://twitpic.com/aj4uyg
これを見ると清とタイ以外アジアのすべてが植民地であったことが分かります。(満州がないですけどね)

アジア人からすれば、日本軍が破竹の勢いでやってきて、白人達をバッタバッタとなぎ倒して侵攻していく様子は、確かに胸がすくような気持ちよさがあったでしょう。
その点からすれば、たしかに「アジア人は日本により解放の気分を味わった」のです。

しかし、当時は独立したアジア人国家があったわけではありません。結局のところ、西洋人の統治から日本軍による統治に変わっただけで、軍統治は常に緻密さに欠けますから(ずっとその土地で政府を維持していくわけではないし、主目的は戦争だから)、占領下の人々を虐殺したり、乱暴したりした、のも事実です。
 一例をあげると、事実かどうか疑われている南京大虐殺です。そもそも虐殺をするには「理由」があります。南京の場合は、便衣兵と言って市民と同じ服装でゲリラ的に戦う国民党兵などがたくさんいて、日本軍も取り締まりを強化していたのです。
 便衣兵は市民と見分けがつきませんから、一般市民も大量に連行されて拷問を受けたことでしょう。現代でもアメリカ軍のアブグレイブ刑務所のように同じ問題が起きています。
(このとき、客観的にみるためには「便衣兵はジュネーブ条約などの戦時国際法に明らかに違反している、ということも知っておく必要があるでしょう。あ、フェアにいえば日本も守っていた、とは言い切れません)

ココでは、南京大虐殺があったかなかったは論じませんが、具体的な事実と認定されていることに
・中国共産党政府は、南京大虐殺の被害者は20万人である、と公式に表明している。
・日本軍が攻め入る前の南京市人口は20万人、虐殺があったとされる時期の3か月後の人口は25万人と国際的な委員会が発表している。
・20万人という死者の埋葬場所などに論争がある。
ちなみに、20万人というのがどれくらいの規模かというと、昔GLAYが幕張で行ったコンサートが20万人でメッセの駐車場を全部使ってやりました。立っている人のスペースでこれぐらいですから、埋葬するために寝かせたら、相当なスペースを必要とするのは理解できるでしょう。
火葬をすれば灰になるので、処分スペースは小さいですが、燃やすための燃料と時間がかかります。
灯油だと一人あたり70リットルらしいので、20万人分だとタンクローリーで1000台近い燃料が必要です。これだけの燃料が集められるなら、その証拠(帳簿や資金調達や命令書など)があってもいいでしょう。
南京大虐殺が無かった、とは言いませんが中国の公式数字20万人には疑問が残る資料がいくつもあります。

後から戦争を検討する、というのは惑わされない数字をきちんと確かめながら、確認していくことが必要で、そうしないと「誰かの思惑」によって書かれた歴史を信じることになりかねません。

さて、話を戻しますが、日本の侵略をアジア人の視点からみれば、西洋が統治していたのが日本の統治に変わっただけです。統治はある民族が他の民族を支配するという形になるのが普通ですので、不満がでるのは当然です。日本人である私たちは、歴史上異民族に支配されたことがありません。つまり「多民族に支配される心の苦しみ」は経験したことがないのです。「アジアでひどいことをしたのか」というテーマで考える時にはぜひ心に留めておいてほしい、日本人の特徴であると思います。

台湾は日本びいきである、といわれます。日本の統治が良かったから、ではありません。日本の統治はやはり異民族の統治であり、それなりだったのですが、その後にきた自国民である国民党の統治があまりにもひどかったため「日本を懐かしむ」という空気が生まれました。韓国がそうならなかったのは、日本の統治後独立を果たしたからで、また他のアジアの国とちがいそもそも日本は朝鮮にとって中国・ロシアとならぶ侵略国家であった、ということです。

日本は「侵略統治を受けたことがない」と書きましたが、日本以外のほとんどの国は異民族の侵略を受けた経験を有しています。ですので「国の発展」とか「国家の躍進」には外国との戦争から学び、改革するのは当たり前であったといえます。

アジア人からすれば、西洋の支配をうけたのは「自分たちよりも強かったから」です。ですから、ドライな国際感情からすれば弱い者が強い者の支配を受けるのは当然なのです。滅ぼされるよりはまし、ということです。

日本に関して彼らが思うのは「それにしても、アジア人が白人をやっつけられるとは思わなかった」ということです。事実、戦前の日本にはインドのボーズ博士など「アジア自主独立」のための人材が豊富におり、いわばアジアの松下村塾のような具合があったのです。

そのような評価を振り返ってみれば「アジア独立の切っ掛けを作った日本軍」といういい方もできますし「日本軍統治は西洋と同様に過酷であった」ともいえます。

内田洋行のサイトを示されていますが、これ西洋の支配はどのように書いているんですかね?それを比較しないとフェアではない、と思いますがいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
当時、アジアの国々はタイと清を除いて、ほとんどヨーロッパの植民地だったのですね。
アジア人の視点からみれば、ヨーロッパの統治から日本の統治に変わっただけなのですね。
便衣兵という言葉を知りませんでした。
「便衣兵(べんいへい)は、一般市民と同じ私服・民族服などを着用し、民間人に偽装した兵士のことである」ネットで調べてみました。
便衣兵なのか民間人なのか区別するのは難しいように思いました。
南京大虐殺のことは、ほとんど知らないのですが、ほんとうに20万人も虐殺したのなら南京に人がいなくなってしまうと思いました。
火葬するのに必要な石油、タンクローリー1000台分、すごい量だと思います。こんなにたくさんの石油があったのでしょうか。誰かの思惑によって書かれて歴史を信じないように数字の信憑性に基づいて歴史を勉強していきたいです。
日本人は他民族に支配され経験がないので、支配された人の立場になって考えることが難しいような気がします。もし、私が日本人ではない民族に統治されていたならば、当然不満な気持ちでいっぱいだと思います。これからは、きちんと心に留めておきたいです。
アジアで日本が行ったことは、アジア独立のきっかけを作ったとも言えるし、アジア人の立場からすれば、西洋人の統治と同様に過酷だったとも言えるのですね。
いろいろとお教えいただきありがとうございました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/05/01 20:57

逆の立場を想像してみると分かりやすいかもしれませんね。



朝鮮半島の国が日本を支配化におき、朝鮮語を強要して朝鮮の歴史や地理などを教え、”将軍様”を毎日拝まされる、そのようなことをされて嬉しいと思う日本人がどれほどいるかということです。

逆に、戦後の日本の転身はすごくて、米国の豊かな物資に下支えされた援助その他によって、コロっと親米国になりました。その後、日本は経済発展をとげたので親日国も沢山でてきました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
日本語を禁じられたりしたらとても苦痛だと思います。
逆の立場で考えることが大切なのですね。
いろいろお教えいただきありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/05/02 06:14

現地の人の感情と駐留軍の行為の差もあろうかと思います。



香港のクリスマス入城などは、現地の人には呆気なく崩壊した英軍への失望と、「何でこの時季に」という感情が入り混じったようです。香港、シンガポールでは、軍政は軍票への交換を拒んだ中国系の人を多数死刑にしましたし、ベトナムでは米の徴発量が多く餓死者が続出しました。フィリピンなどでは満州からの転戦部隊が勇猛と言えば聞こえが良いですが、傍若無人な振る舞いもしています。

西欧の植民地であった国々では、日本の進出は独立の契機でもありましたし、歓迎機運もあればその反対もありました。日本を利用しようとした勢力も敵対した勢力もありますが、純粋に侵略された、従前の生活を侵害されたと怒っていた民衆の方が多かったとは思います。当時の世界機運は世界規模の大戦争に向かっていましたので、ある種、平穏無事で済むわけはないという達観もあったかとは思いますが、いつどのようにどちら側に組み込まれるか他人任せな点があり、それが不安の種だったのでしょう。

原爆投下、都市空襲という確信的虐殺行為を除けば米軍も大筋理性的に戦争を進めていましたし、日本軍も駐留部隊毎の拡大解釈的圧制を除けば、統制が取れていたほうだと思います。

犯罪者を野に放つような露軍、計画的に特定人種の抹殺を企図した独軍、山賊と変わらない国民党軍などによる残虐行為は、むしろこういう輩に暴走させればこういうことになるだろうということが分かっていながらの行為、不作為が目立ちます。

私は日本軍将官、兵が不正な行為、非人道的行為を一切行わなかったとは言いませんし、酷い行為もあったとは思いますが、比較すれば他国よりはましだったと思います。もちろん、従軍慰安婦獲得のために国策、軍令で誘拐があったという外地であった地域の人の妄言には迷惑していますし、予想を超えた大量の捕虜の移送に手間取り死を招いたことが虐殺行為という主張には組しません。でも、全軍が清廉潔白であったのか、戦時下であるということをさし引いてもそうかと言われれば、そんなことは無いことは知っています。でも、下っ端の兵のやることはたかが知れていますし、罰も厳しいものです。日本軍の下っ端兵が行った犯罪は盗みぐらいが精々でしょう。勇猛というより無礼な下士官の暴走はありました。士官の不作為、利権のための行為はありました。将官の責任逃れ、責任転嫁は人によっては度を越えていますが、それでも軍の中での範囲がほとんどです。

右だ左だというバイアスも困ったものですが、これだけの規模、戦線、軍政下で悪逆非道か清廉潔白かという二択の回答はできません。繰り返しにはなりますが酷い振る舞いもありましたが、他国と比べれば総じて統制は取れていた方ではないかと思います。
責任逃れ、責任転嫁が多かった点は戦陣訓を押し付けていた癖にみっともないとは思いますが、戦勝国が一方的に裁く図式では仕方無い点もあります。でも、責任を押し付けられて刑場の露と消えた無実の兵をないがしろにするのは、人としてないなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます、
日本軍は、統制がとれていた方なのですね。でも、侵略された、従前の生活を侵害されたと感じた人の方が多かったのですね。傍若無人な行為もあったのですね。
大平洋戦争という大きな戦争なかで、悪逆非道か清廉潔白化という二択の回答はできませんということ、とても分かるような感じがしました。戦争ではなくても白か黒か二択では判断できないことって、私の友達同士のケンカにもあるくらいです。
いろいろお教えいただきありがとうございました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/05/02 06:11

① 日本は戦争中、本当にアジアで残虐?


>>戦闘行為において残虐という表現は適しません。現に、有志連合・イラク軍・ペシュメルガ・YPGなどの行為は戦闘行為です。

② これから私はどのような勉強をしたらよいのでしょうか?
>>南京大虐殺なども近年嘘であることがわかってきました。
戦友会などの方々の話でも聞けばよいとおもいます。

<沖縄集団自決の捏造>

<南京大虐殺は捏造>
https://www.youtube.com/watch?v=tQ-ekDm2FyI

日本WW2周辺の歴史認識の問題は連合軍により作られた歴史であると思いますし、日教などが入り込んで捏造するので教科書も多くの問題を含んでいると思われるので、正しい歴史を学べるようにすべきかとおもいます。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
貼り付けたURLも見させていただきました。
色々勉強して、何が正しいのか知っていきたいと思います。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/05/01 05:55

>日本は戦争中、本当にアジアでこのような残虐なことを行ったのでしょうか?


真実を知るには、これから私はどのような勉強をしたらよいのでしょうか?

こういう場で質問しても、歴史の教科書批判とか、単なる右巻き・左巻きの偏った意見しか出てこないので、ここで聞くより自分で本を読むなりして、ご自身なりに解釈するしかないです。

>大人は右翼とか左翼とか言いますが、私は今のところどちらでもないです。

私はもう40歳を越えた大人ですけど、今のところどちらでもないですし、今後どちらになるかも決めてないです。
でもそれは、いけないことなんでしょうか?
大人になったら「右翼」か「左翼」のどちらかにならないとダメ、大人として失格なんでしょうか?

…などと質問者が疑問に思ったとします。
それについて考えるのが「思想」ということになるんですけどね。

日本がどうしたかは事実として「こんなことしてました」ってことが言えるし、日本は近隣の国にちゃんと謝罪をしていないとか、いろいろと議論のネタはありますけど。
最終的には戦争を二度と起こさないとか、今起こっている紛争をどう解決するかなど、今とこれからのことを考えるべきだと思う、というのがあくまでも私の持論で、そしてこれは「正解」でも「間違い」でもどちらでもありません。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
いろいろ本を読んだり、テレビを観たりして、疑問に思ったことを自分で考えてみようと思います。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/05/01 05:52

明らかに日本はたくさんの残虐行為をしたのは事実です。


それは目を背けてはいけない、決して許されない行為です。

そもそもなぜ、日本が東南アジアや中国、韓国、南の島国などを侵略したのか?
その歴史をきちんと学校で教えていません。
というか、理解してない教師や政治家、大人達が多すぎます。


当時、日本だけじゃなく、世界中が不況でした。
世界大恐慌で、今で言う先進国(日本も含む)が株の暴落でものすごい不況に陥った。
ドイツはリヤカーで札束を積んでもパン一斤買えない時代だった。

そこで、こぞって先進国は資源や土地が豊富で、安い労働者にあふれる第三国に進出しようとした。
それが侵略戦争の始まりです。
どの先進国の支配が友好的で、素晴らしかったかの話ではありません。

その第三国の民族独立に日本はいかに手を貸したか、の話でもありません。

そんな大義名分(言い訳)は絵空事にすぎない。

簡単にこれまでの侵略戦争の歴史を説明すると、
隣の家は貧乏に見えるけれど、
冷蔵庫にはたくさんの食糧があり、家族も多くて働き者みたいだから、
それまで豪奢な家に住んでた傲慢な人達はそれを知っていそいそと隣の家に押しかけ、
自分ん家のようにふるまいだした。
最初は親切に家族関係を調整しようとしたり、礼儀よくふるまったりもしたが、
だんだん、そこの家の食料が尽きてきたり、何か自分達の思う通りの要望が通らなくなると
隣の家の住人に暴力をふるったり、侮辱したり、
時には強姦したり、拷問したり、強盗したり、最後は面白半分に命をもてあそんで殺したり。

それが侵略戦争の真実です。

他の国(人)もやってたんだから、仕方ないでしょ。
戦争だから仕方ないでしょ、は単なる「醜い」言い訳に過ぎない。
そんな言い訳をしょっちゅうしてきたのが日本の歴史教科書です。

じゃあ、よその人が犯罪を犯すからわたしも一緒に参加していい、
人を殺してる人が大勢いるんだから、わたしも一緒に殺していいのか?という屁理屈が
成立してしまいます。

なぜ、人を殺してはいけないのか、そこを根本的に分かっていない人が
戦争をしたがるのです。

戦争を体験して、人の痛みも分かるからこそ、今の天皇も皇后も静かに頭が下げられる
別に生まれてきたくて、なりたくて天皇になったわけではないけれど、
それでもなお、彼の地位が看板や大義名分にされて
多くの命を粗末にし、もてあそんできたのです。

今も世界不況により、またあの頃と同じような経済格差が生まれ、
傲慢な人々が戦争に味方しだしています。
いろんな言い訳や屁理屈をこねて、他国のおいしい実を自分達が取れないか、
お互いが少ないパイをいかに多く取るかで醜い争いをしようとしています。

隣の家のものをうらやみ、ねたむのではなく、
自分の家で家族仲良く、自分の力で自立して働き、生活し、楽しく暮らす。
それが平和で豊かな世界の基本だと、どこの国の教育でも
次世代に伝えなければならないとわたしは思います
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
どの先進国が友好的で素晴らしかったかの話ではなく、どの先進国も自分の利益のために第3国に進出したのですね。
他国のおいしい実を取ろうとして占領した国が占領中に行儀が良かったかの比較ではなくて、占領された国の立場で考えれば、どっちもひどいということになると思います。よその国がひどいことをしているのだから自分の国もひどいことをしていいとはならないと思います。
いろいろお教えいただきありうがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/05/01 05:48

63歳主婦です。



中国や韓国が、日本の過去の行動を侵略と決めつけ、東南アジア諸国までも、

反日風潮にまきこもうとしています。

大東亜戦争(第二次世界大戦)で、たしかに日本は、東南アジアに進撃しました。

しかし、進撃した地域は、英領、米領、蘭(オランダ)領、仏領(フランス)

等であり、いずれも白人諸国によって侵略され尽くした植民地ばかりでした。

フィリピンとか、マレーシアとか、インドシナとか、ミャンマー(ビルマ)とかいっても

それは単なる植民地の地域名に過ぎず、日本軍が一時占領したのは、

すでに白人によって侵略されてた領土そのものでした。

白人諸国は、日本を敗戦に追い込んだ後、直ちに、もとの植民地に戻そうとしましたが、

日本軍の進出によって、東南アジア諸国は、その独立の味を知り

再び、白人諸国の植民地に戻ることを潔く思わず、

独立国家になるための 独立の旗を挙げたのです。

東南アジア諸国が独立国として国名を持てるようになったのは、

日本軍の力によるものでした。

十六世紀以来、白人による植民地支配から独立国として誕生し

世界の侵略史に終りを告げたのは日本軍のおかげだったのです。

もしも、日本軍が進撃がなかったら、今だに東南アジアは、白人の植民地支配に

よって独立国家にはなれなかったと思います。

東南アジア諸国が、独立国家となれたのは日本のおかげなのです。

こういう大事なことを、殆どの教科書が教えることをしていません。

日本は、イギリス、オランダ、アメリカ、フランスと戦ったのです。

ただ、その戦場が東南アジア地域であり、住民の中で白人の先兵として

駆り立てられた住民もたしかにいましたが、それが、全て、日本軍から

受けた損傷というのは真実を歪曲するものです。

現にインドシナ、マレー、ビルマ(ミャンマー)その他には、今でも、日本軍に親愛と

信頼感を持ってる方が多くいます。

「日本軍の残虐性」をことさらに言い立てるものは、華僑の多いシンガポールや

中国、韓国です。

それまで十六世紀頃より白人の植民地になっていた東南アジアの国々は、

日本軍の進出によって独立国家になれたのです。

これを思えば日本人は自虐どころか、大いなる誇りを持って事実を

語っていかなくてはなりません。

それまで、世界の国々が白人による植民地支配にありました。

日本なしに世界の有色人種の独立と自由はありえなかったのです。

日本は、原子爆弾という世界で初めての悲惨な攻撃を受けました。

日本という「お母さん」は、わが身を痛め傷つけましたが、

東南アジア諸国の独立を、わが身を痛めて獲得したのです。

こういう事実を、どうして子供たちに教えないのでしょうか?

広島、長崎の原爆。

アメリカは、この原爆の威力を日本民族を使って試したのです。

わが日本民族は、大きな痛手を受けた!

今の、若い方達も、その悔しさ、悲しさを未来に語り繋いでいくことが

大事なことだと思います。

どうして、日本軍の進出によって、何百年という長きに渡って

白人による植民地化されてた国々が独立国家になれたことを教えないのか

不思議でしかたありません。

(時々、古い言葉が出てきますがごめんなさい)
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
日本軍が一時占領した国は、もともと白人によって侵略されていた領土だったのですね。日本が新たに占領したのではないのですね。
16世紀の頃から長期間、ヨーロッパは植民地にしていたのですね。
ヨーロッパ諸国が第二次世界大戦後も、アジアの植民地をもとの植民地に戻そうとしたのはひどいと思います。
広島、長崎の原爆、東京大空襲の関連の番組をテレビで観たとき、アメリカはなんで民間時をここまで残虐に殺せるんだろう感じました。
学校では受験の出題頻度が優先させて、本当の歴史を教えてもらってないです。
いろいろお教えいただきありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/05/01 05:34

私も今の天皇陛下ご夫妻を尊敬する者です。



日本の再軍備を図り、外国との紛争を戦争によって解決する国に戻そうとする昨今の政治家の動きに強い危機感をお持ちになり、このタイミングで、太平洋の国々を訪問されたのだと思います。これは天皇の強いご意思であったことは、豪華な客船ではなく、乗り心地の悪い自衛隊の船にお泊りになってまで訪問されたことからもわかります。そして、多くの方が亡くなった海に向かっての深々とした長いお辞儀と祈り・・・。感動しました。

さて、ご質問へのお答えですが、結論から言えば、戦時中、日本軍が占領した土地で、ひどいことをした日本人もいれば、現地の人たちと仲良くした日本人もいた、というのが真実だと思います。

他の占領地と同じく、パラオでも、日本軍は、現地の人に日本語を強制的に覚えさせ、日本の軍歌などを教えましたから、現地のお年よりは今でも日本語が少し話せ、日本の歌も歌えます。

今回インタビューされた現地の人が、日本が統治した時代をそれほどいやな過去だったと思っていない様子からみると、パラオの司令官は、現地の人から慕われていたのではないかと推測されます。国旗も日本の国旗の色違いですし、パラオの公用語に日本語も入っています。

私がネットで知り合ったある台湾人の方のおじいさんは、日本のことを悪く思っていなかったそうですし、戦時中、日本人が、世界中でどこでもひどいことをしていたというわけではないようです。

しかし、だからと言って、世界のどこの地域でも日本人は慕われていたかといえば、まったくそうでなく、ひどいことをたくさんした地域もあったと思います。miranosobaさんがおあげになった海外の教科書にそう書かれているのなら、そういうことが実際にあったのでしょう。

私の父の知り合いは、戦争で中国に行ったとき、「銃を向けたら女がみんな言いなりになる」と言ってたくさんの女性をレイプしたことを自慢げに話していたそうです。そういうことをした日本人もいるということです。日本人がみんなそういうことをしたわけではなく、しなかった人もいるでしょうけど、した人がいたのは事実です。

そういうことは、他の国の軍隊でもあると思います。もともと心に残虐なものを持っている人は、処罰されない状況になると、残虐性が表に出てきます。無抵抗な捕虜にひどいことをした軍人もいれば、丁寧に処遇した軍人もいます。そういうことです。

戦争をしない国として70年間やってきた日本を、戦争をする国に変えようとする人たちが、マスコミに圧力をかけ、マスコミは政権批判をしなくなっている昨今、戦争中の本当のことを知るのがますます困難な時代に入ってしまいました。

日本国民が、次の選挙で、これからも戦争をしない国として生きる道を選択してくれることを願うのみです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
戦争中、日本軍が占領した土地でひどいことをした日本人もいれば、現地の人と仲良くした人もいるのですね。
人間なので人によって異なるのですね。
心に残虐なものを持っている人は、戦争で処罰されない状況になると残虐性が表に現れる。無抵抗な捕虜にひどいことをした軍人もいれば、丁寧に処遇した軍人もいる。
わかるような気がします。
「日本軍」とひとくくりでは語れなくて、占領した土地で行った行為は、その地にいた司令官や軍人個人個人で異なるように思いました。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/04/30 08:25

本当に日本は好き好んで戦争をしたのでしょうか?


結果的に敗戦したがゆえに東京裁判で日本だけが悪者にされました。
東京大空襲や二発の原爆は正義の鉄槌って事になっています。
そうでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
貼り付けていただいた動画を観させていただきました。
とても考えさせられました。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/04/29 23:13

日本が残虐な行為をしたのかどうか、という問いに関しては、しました、という回答になるかと思います。

そして同様に、日本人は各国から残虐な行為を受けています。日本本土の空襲では、約100万人が犠牲となり、970万人が何らかの被害をこうむり、日本の家屋は全国の2割が被災しました。長崎、広島の原爆もそうですが、当時のソ連が中立条約を破棄し、満州は恐怖の坩堝(るつぼ)と化しました。
満州から逃げ帰った私の祖母も、ロシア人は好かんと死ぬまで話していました。
戦争とは、残虐な行為です。
そして、当時はそれぞれの国にそれぞれの正義があり、それを貫きました。
戦争が外交の一つの手段である以上、それぞれの国のエゴを通すために選択される行為です。
内田洋行のサイトにも書いてありましたが、真実は一つでも、受け取る側はその立場立場で考え方、感情が違います。それを理解することが大事です。
第2次世界大戦は、全体で6000万人~8000万人が犠牲になったと言われていて、その6割が民間人です。国際法が当時からあり、戦争で民間人を巻き込むことは違法でしたが、お構いなしです。
教科書は、それぞれの国がそれぞれの立場で書かれます。日本は敗戦の影響で、極端に日本が悪かったんだという説明をされてきました。
日本人として、敗戦後に生まれた私たちは、一様に左翼的な思想を学校教育で受け取っています。だから、自然と左翼化するのが学生です。現在尖閣や竹島問題の影響で、ナショナリズムが顔を出してきています。そうすると極端に右傾化する人も出てきます。なぜそうなるのかということを学校では学びません。
歴史は事実を教えてくれません。歴史はその場面の解釈の仕方を一面から教えてくれるだけです。
ですから、色々な人の意見をそれぞれの立場を理解したうえで考えることが重要です。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
第2次世界大戦は、全体で6000万人~8000万人が犠牲になったんですね。その6割が民間人とお聞きして驚きました。戦争で民間人を巻き込むのは違法だったのですね。戦争に参加したほとんどの国が国際法に反していたのだと思いました。
「歴史はその場面の解釈の仕方を一面から教えてくれるだけです。」という言葉、ほんの少しですが、わかったような気がします。まだまだ勉強不足ですが・・・
いろいろな本を読んで、それぞれの立場の意見を多面から聞いて自分で考えることが必要な気がしました。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2015/04/29 18:35

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