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江戸時代は、行商が盛んだったようですね。野菜・魚・豆腐や饂飩蕎麦などを行商人から買うことが多かったようですね。
ひと昔までは、行商が残っていましたが、現在は少なくなりましたね。今は、店舗で買うのが、主流です。
昔は、なぜ、行商が盛んだったのですか?

A 回答 (8件)

庶民は店を持てなかったから

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この回答へのお礼

早急なご回答ありがとうございます。
庶民は、余力がないから、店を持てず、手軽にやれることは、行商なのですね。

お礼日時:2015/04/28 21:40

冷凍などの保存の技術が乏しかったから


とりあえず「持てるだけのものを持って、それを売り切ってしまう」と考えたのでしょう。
一日に捌ける数量も人一人が持てるくらいだったのでしょう。
店売りでは余計に置きすぎて知らぬ間に在庫になってしまいますから、そうした無駄も省けます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
店舗であると在庫が発生しやすいが、行商であれば(売り切ってしまおう、という意志も働き)、無駄な在庫が発生しない、と売り手側が考えたのですね。

お礼日時:2015/04/29 15:45

店舗の間口に比例して 税金がかかった


これが江戸時代。

つまり 無店舗販売(行商人)ならば税金がかからない。

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/ …
小田原における魚行商が もっとも多かったのが 1975年前後

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6380.html

この間なにがあったか?
自動車の普及

https://www.hosei.ac.jp/fujimi/riim/img/img_res/ …

スーパーマーケットの普及

消費者が自分で店舗に行ける手段を得たので行商の出番がなくなった
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
いつもお世話になっております。
1.<無店舗販売(行商人)ならば税金がかからない。>
ですね。
2.交通の制約
交通機関が発達していない昔は、行商が、徒歩では行けない(こちらへ来てくれる)店舗として役立ったということですね。すなわち
<消費者が自分で店舗に行ける手段を得たので行商の出番がなくなった>
ということですね。

お礼日時:2015/04/29 16:00

http://ir.lib.miyazaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/ …

おたた という漁師の奥さんや娘が頭上に魚を乗せて商売するというのが古典的な営業形態であった。

店舗型の商業というのが、実は 1950年~1970年くらいの特徴的な形態
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E5%BA%97% …
この WIKIPEDIAの 元ネタが 
新雅史「商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道」
なんですが、けっこう 目からうろこが落ちる感じ。

パパママストアの 跡継ぎ問題というのが 1980年ころから あったんですが、跡継ぎといわれても 代々の商家ではなく、親が始めた商売なのよね
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
頭上に商品を載せて販売する、という形態は、最近まであったのですね。外国の風景、とばかり思っていました。
小売業の盛衰は興味あるものですね。

お礼日時:2015/04/30 09:05

郊外は車社会でなく、主婦は買い物に出かけるより自宅近くに持ってきてもらうほうがOKだった。


主婦の日課として行商を待つという行動が可能だったが、現在、女性の職場進出により出来なくなった。まや、交通網の発達・自家用車の所有により遠くても買い物に行くことが容易くなった。

出かけることが可能となり、駐車場を完備したスーパーや大型専門店など一箇所で何でも揃う店舗に客が集まり、不便な商店街は廃れてしまった。

そのうえにネット通販の普及により商店街はますます経営困難となった。現在、配達でやっていけるのは、ホテル・旅館関係・給食施設などが残っている。行商でやってるのは一部の正体を隠した宗教団体などで夜間の飲み屋街がターゲットになっている。
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この回答へのお礼

早急なご回答ありがとうございました。
昔は行商が盛んだった理由は
1.<主婦の日課として行商を待つという行動が可能だった>
2.遠くに<買い物に行くことが容易>でなかった。
ということですね。
「配達でやって」以下も考えてみます。

お礼日時:2015/04/30 09:17

行商が盛んだった、と言っても、売る種類によります。

たとえば酒・調味料・米・味噌などは商店を構えて売っているほうが多かったといえます。

これらの商品はそもそも嵩張るために、配送に手間と人数がかかること、製造場所でもそれなりの量を出荷すること、など行商には向きませんでした。

また行商というのは、「都市」があって初めて成り立つものでもあります。行商で売っているものは、小魚やひもの・葉物野菜や漬物・草履などの消耗品であり、これらは農家が現金を賄うために余った時間に作成し、近隣の都市部に販売に行ったものだからです。自家栽培できない都市部があるから行商は成り立ち、大量生産で思い酒などと住み分けていたといえます。

また、行商人が販売するものは足の速い食料品などが多かったといえます。現在では市場や問屋を通すことが多い魚なども江戸時代までは行商人のほうが多かったでしょう。それもせいぜい山手線区域ないぐらいで、巣鴨より先や新宿よりも先ぐらいになると干物が中心になっていきます。新鮮な魚を運んで売り切れないと、損が出ること、鮮魚を担いで10キロ以上も歩くと魚が傷んでしまうからです。
鮮魚は江戸前の町人しか生で食べることができないものであり、行商というか天秤棒を担いだ魚屋が売りに来て、売り切ったら終わり、の商売であったといえます。

このようなすみわけは、戦前のように大量のトラック輸送や生鮮品の輸送が難しかった時代までは有意義な方法であったといえます。

行商については、関東大震災以降、東京に千葉の野菜が大量に供給されるようになりました。いわゆる行商列車の登場です。
大震災で道路がつぶれ、商店なども壊滅的になったため早い時期から千葉の行商人が野菜などを持って都内を回るようになります。商店が復活しても上記のように住み分けて行商は続いたのでしょう。太平洋戦争後も1982年まで京成線の行商専用列車が走っていました。朝早い時間に行李を背負ったおばあちゃんしか乗っていない、ある意味不思議な列車でした。実際に見たことがあります(歳がばれますな)その後は2013年まで1車両だけ行商人専用車がありましたが、それも現在では廃止されました。

大量輸送時代になったこと、生鮮食料も保存が可能になったこと、そして行商人が高齢になったことなどがその理由です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<行商が盛んだった、と言っても、売る種類によります。>
売り物により、行商にメリットがあったのですね。
1.都市近郊の農家が作る消耗品ですね。ロットが小さいものですね。
2.鮮魚などの足の速いもの。保存が難しかった時代、店頭に長時間さらしておくわけにいかないのですね。

お礼日時:2015/04/30 22:01

流通(運送)と販売の分業体制の在り方が違っていた。


現在はほぼ完全に分業体制ですね。
ただ単に分業にしただけではトラブルが十分心配されますね。
野菜は八百屋、魚は魚屋、○は○屋、今はスーパーでwすべてOK。
店舗数が増え、買い出し側も車があります、分業体制も十分成熟していれば行商の出る幕がなくなったのかも、高齢化が進み買い出し側の足に問題も出てきているようですが、形を変えた行商も必要になるかも・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
例えば、生鮮食料など、
<流通(運送)と販売>
とが、分業できない(しないほうがよい)場合には、行商の強みが発揮するのですね。

お礼日時:2015/05/01 12:50

>分業できない(しないほうがよい)場合には、行商の強みが発揮するのですね


そうですね、最近農業等の一次産業の五次産業化なんていわれていますね。
ただ行商の場合は必ずしも一次産業の直売ではないですね、卸売市場で仕入れて、店舗間で流通させるか、直接行商で売り歩くか。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
1・2・3次産業に加えて、最近4次やら5次やら6次やらが流行り、付いてゆくのが面倒です。
<行商の場合は必ずしも一次産業の直売ではない>
ですね。

お礼日時:2015/05/02 08:58

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