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太平洋戦争において、現代人の感覚で非常に残念でならない部分として、多くの将兵が自決もしくは自滅的な死を選んだことです。
私は最近までその理由が、東条英機が作った戦陣訓にあったと思っていました。東京裁判と当時の日本人(私達に責任は無いという感情)が作ってしまったイメージなのかもしれません。

しかし戦陣訓には、戦地での略奪や虐殺を戒める文がありました。兵士たちに戦陣訓第一の価値観があったとすれば、日本軍は極めて紳士的な軍隊であったことでしょう。
敗色濃厚で撤退も困難という状況で、日本兵が多く自滅的な死を選んだのは、それが日本人の元々の価値観だったのでしょうか?

安徳天皇は幼くして、源氏軍への投降をよしとしない祖母(平家の一門)と共に入水し崩御したわけですが、この事について50代と思しき女性が孫に「あんたも敵に捕まるくらいなら死んだほうがいいじゃろ?」と話しているのを聞きました。その幼い孫は「う~ん、わかんない」と答えていました。
私自身は、戦後生まれの人がこんな考え方をするんだ、と驚きました。そして、70年も昔の日本人が、投降を呼びかけるアメリカ兵をも拒んで自決した理由も見えました。見えたというのは決して、理解したということではありません。
日本人には、絶望的な状況で美徳的な自決を選ぶという価値観が現在も存在してますか?

A 回答 (6件)

戦陣訓や葉隠と言った個々の文書で無く、育ってきた環境と教育による所が多いでしょう。



沖縄戦の歴史資料で、生き残った女子高生の記述に、途中で一緒になった兵隊さんの一人が、我々は死ななければならないが、君達は絶対に生き続けろと言って行動を別にしてくれて助かったと言うものがありました。
最近でも一家心中がある様に、自分がパニックになって道連れに若年者を連れまわった兵隊も多かったから、あれだけの一般人が無くなったのでしょうが、それが教育や宗教の怖さですね。

特に日本がと言う事でなく、物理的に劣勢な国や組織が、自決に若年者を走らせるのは、クメールルージュやイスラム国でも良くある事です。

キリスト教では自死は禁じられていますが、それが無ければ一つの美意識ではありますね。
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この回答へのお礼

確かに戦陣訓だけでそうなったというより、それまでの日本の歴史や教育なんかが影響してたのでしょうね。もっとも、当時の日本軍に異常性(軍規やらで明文化されてない戦死強要)はあったようですが。ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/27 19:46

自決を美徳だと指摘するのは、死んでない人たちです。

自決をする本人は、私的には嫌に決まっています。しかし、公的には自分が情報を漏らさないようにとか、忠誠心を見せつけるために自決を選びます。また「生きて虜囚の辱めを受けず」と戦陣訓が公的に述べる以前に、昔から日本人は死んだら仏、ということで死を美化します。昔は自殺者に対して、美人という表現を良く使っていましたが、それは死者を仏とする価値観によります。さらに言えば、古代から死んだ人が怨霊とならないようにといろいろことをしています。
さてひるがえって現在ですが、最近の新聞では死体を美人だと表現することなどが見かけられなくなっているので、死を美だと結びつける考えは減っていると思います。
ただ自衛隊などではいまでも『お国のために』を公的には訴えているので、まったくないわけでもないでしょうね。
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この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございます。

お礼日時:2015/05/28 20:09

一言で答えると、その50代と思しき女性は幼稚ではないだろうか。

まあ50代にもなって他人から幼稚呼ばわりされる謂(いわ)れもないわけだが、日本の歴史をちょっと振り返ってみてください。
敗北したら自死を選ぶ場合もあったが、昨日の敵は今日の主君というか、負けて家来に下る道を選ぶ場合も多かった。そもそも、封建時代ってそういうものなんだぜ。封じられる、すなわち領地を安堵(あんど)されて、臣下の礼をとるわけだ。
封建制度というのは中央集権じゃなくて、各地方に殿様がいる。大殿様というか、幕府将軍は一人であるが。殿様は何で大殿様の家来になってるかというと、(先祖が)いくさで大殿様(の先祖)に負けたから、という場合が多かっただろう。
仮に、「負けたら皆殺し」が鉄則だったら、最後の一兵まで死に物狂いで抗戦するだろうから、攻める側も困り果てるわけだ。「こりゃ勝ち目がないな」と悟ったら、余力を残してでも降伏してくれないと、攻守双方が困る。まあ詳しく言うとケースバイケースで、敗軍の殿様が処刑(詰め腹を切ら)され、敵将の子飼いの部下が新領主として乗り込んで来る場合など、いろいろあったにしてもである。

ということで、その50代と思しき女性が言ったことはセンチメンタリズムに過ぎないだろう。
次に、異民族・異教徒間の戦争についてだが、前述の日本の話は同民族間であって、これが異民族ならば信義則も何も成り立たなかったか? 否、そんなことはない。戦時国際法(今で言う国際人道法)が次第に築かれていって、捕虜の保護も国際的な決まりになっていた。
日本政府・軍ももちろんそれを知っていた。日本は第1次世界大戦でドイツ軍の捕虜を取ったときなどは、国際法に従い、人道的な取り扱いをしている。
しかし、時代は下り、日中戦争が泥沼化して、欧米列強との対立も決定的になった1941年、東条英機は「戦陣訓」を発した。その中で捕虜について次のように訓令している。

〔引用開始〕
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。
〔引用終り〕

東条は、まさか単なるセンチメンタリストではない。これは総力戦を念頭に、「徹底的に戦え」と説いてるわけだ。すなわち、言ってることは「捕虜になることは恥である」、「恥を知る者は強い」、「易々と捕虜になって、恥辱を受けたりするな」、「受けないという精神で奮励せよ、必死に戦え。そうすれば強い」のようなことである。「死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」については、あとで説明しよう。
これは漢文の対句表現であって、「生きて捕虜のはずかしめを受けずに、受けるくらいなら死んでしまえ」と言ってるのではない。そう読んだ人は、もう一度学校へ行って勉強し直してください。
そもそも、この戦陣訓(1941年)の前に軍人勅諭(1882年)というのがあった。勅諭だから訓令より格上だ。その中に次のくだりがある。

〔引用開始〕
古(いにしえ)より或(ある)は小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍(わざわい)に遭ひ身を滅(ほろぼ)し屍(かたね)の上の汚名を後世(のちのよ)まて遺(のこ)せること其例(そのためし)尠(すくな)からぬものを深く警(いまし)めてやはあるへき
〔引用終り〕

つまり、軍人の信義(信に応え義をなすこと)は実に重大であって、また信義には大小もあり、それを違(たが)えてしまった英雄豪傑が死後に汚名を残した例も少なくないことを、深く警戒しなくてはならない。というような意味である。ただし、この軍人勅諭には捕虜に関する記述はない。
これと戦陣訓とを読み合せれば、「死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の意味は、「軍人は、罪過(つみあやま)ちを犯して死後にまで汚名を残すようなことがあってはならない」と解されるだろう。
しかし、いわゆるネトウヨは、「日本では死んだら仏と見なされ、死後にまで批判はしない」などと珍説をいう。それは誤りである。日本においても、死者が批判され続けるのだ。
このように、「生きて……、死して……」は対句であって、それぞれが「恥」と対応している。生きてるうちの恥として捕虜を挙げ(なるほど、生きているからこそ捕虜にもなる、死んだらなれない)、死後の恥として罪過の汚名を挙げている。
くどいようだがもう一度言うと、「捕虜になるくらいなら死ね」という意味ではない。

また、「虜囚の辱を受けず」とは、短く言うと「捕虜になるな」であるが、それを短く言わなかったことが味噌だろう。味噌とは、工夫・趣向をこらした点である。
なぜなら、捕虜になることを禁じるのは、国際法の精神に反しているからである。歴史を振り返れば、たとえば普仏戦争(1870-71年)ではフランス軍が47万人も捕虜になったそうだ。最高司令官たる皇帝ナポレオン三世まで捕虜になっている。このような歴史を踏まえて、捕虜に関する国際法がハーグ陸戦規則(陸戦条約付属書、1899年採択、1907年改定)などで定められた。すなわち、交戦国は互いに捕虜を保護し合わなければならないのである。
これに対し、仮に日本が「自国軍人が捕虜になることは法令で禁じる一方、他国軍人の捕虜は人道的に扱う」などと片務的なことを公言すれば、それこそ国際的に信用を失うだろう。したがって、いわば折衷して、法令では禁じないが、捕虜は恥辱であると訓令したのだった。

英語で捕虜は prisoner of war(略してPOW)といい、なるほど囚人である。しかし、ネトウヨ解釈によると戦陣訓の「虜囚」は捕虜ではないそうだ。可哀想で見ていられない。
以上、結論を述べると、日本は歴史が長いから、いくさに負けた時の身の処し方もいろいろな要素があって、「自決を選ぶ」はその一つでしかなかった。1941年の戦陣訓は、間接的にそれを無理やり押しつけたものだった。それでも、戦争末期の南方の前線ともなると、「生きて虜囚の辱を受けず」の教えを嘲(あざけ)る日本兵も多かった。たとえば大岡昇平らが実体験からそれを書き残している。
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この回答へのお礼

確かに、私自身、その50代の女性の発言にはショックを受けたのは本当です。ただ、GHQ統治で激変した(かも)日本人の価値観の、かつての古い部分が垣間見えたと思ったのです。
バンザイクリフやら、沖縄やらで集団自決した民間人は、この女性と同じ価値観で家族と無理心中したのだろうと思った(勝手に)わけです。いずれにせよ、特攻と同じで称えるべきではないものです。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/28 20:30

この回答は、質問者様は東京裁判は戦勝国による私刑であり、いわゆる元A級戦犯は冤罪の被害者であることや、日本国民ではなく日本に負うべき「戦争責任」などないということや、そもそも当時は「戦争責任」などという概念はないということをご存じであるという前提でのものです。


(これについては、質問から外れるので、お礼、補足で質問されても説明はしません)

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

A:>日本兵が多く自滅的な死を選んだのは、それが日本人の元々の価値観だったのでしょうか?
B:>日本人には、絶望的な状況で美徳的な自決を選ぶという価値観が現在も存在してますか?

回答A:違います。(理由は後述)

Bについては、「(過去の日本だけに)そのような価値観が存在していた」という証明が不十分です。
(クレオパトラやソクラテスも自殺しています。)
大東亜戦争中についてはAで回答しています。


他国(特に東アジアの特定の諸国家)と比較した場合、そのような傾向があるかもしれません。
しかし、大東亜戦争中の日本兵や日本人が投降しなかったのは、その方がマシな死に方ができるからです。

質問者様の疑問ですが、原因から間違っていると思います。
「戦地での略奪や虐殺を戒める」と「捕虜にならずに自決する」は全く違うものです。
それに戦陣訓には「捕虜=恥」や「自決しろ」という内容はありません。


戦陣訓は、1941年に、当時の陸軍大臣・東条英機が陸軍の行動規範を示したもので、内容は道徳実践綱領や、敵兵や住民に対する配慮、軍人の道徳実践、思想戦への注意です。
(これには、キリスト教徒である、島崎藤村も参画しています。)

戦陣訓への誤解は、↓の部分を反日集団や自称人権平和護憲団体が歪曲して広めた為です。

C:【正本・戦陣訓】(全文)
http://www.geocities.jp/kyoketu/8193.html
《本訓 其の二
第八 名を惜しむ
恥(はじ)を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門(かもん)の面目(めんぼく)を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)して其の期待に答ふべし。生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名(おめい)を残すこと勿(なか)れ。》

「意訳」
1:違法行為(軍規違反、戦争犯罪)で、逮捕されるような事をしてはいけない。
2:1で囚人や死刑になると、その汚名が記録されてしまい、家族にも迷惑をかける。
3:そのような事にならないように、行いには気をつけよ。

↑の解釈の理由は↓によります。

まず、「虜囚」ですが、犯罪者として捕えられた者=囚人 という意味です。

広辞苑では、「虜囚」とは、「とらわれた人。とりこ。捕虜。」となっています。
しかし、当時は敵国に捕らえられた者には「捕虜。俘囚。俘虜。とりこ。」という言葉が使われています。

また、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の構文ですが、
「生きても、死しても・・・なかれ」となり、この場合は「・・・」=「罪禍の汚名」となります。

広辞苑では、「罪禍」とは、「法律や道徳に背いた行為」です。

以上から、「罪過」の内容を、「敵国の捕虜」とすると、「法律や道徳に背いた行為」では意味が合わなくなります。
しかし、犯罪による囚人の汚名=罪禍(法律や道徳に背いた行為)なら、意味が通ります。
前述の構文でも、「生きている時も死んだ後も、犯罪者としての汚名を負うな」という意味になり、理解できます。

以上から、全体の意味は↓となります。

「恥を知る者は強いものだ。ふるさとの親類や家族の対面を考えて、(軍規に反して略奪や暴行などを行い)(憲兵に)捉えられてて収監されたり、死んでまでも罪人として扱われるような行動をしてはならない。」


それに「虜囚」=捕虜 とした場合、Cの文の解釈は、↓になってしまいます。

生き残って捕虜となる=恥
それをせずに戦死=罪人の汚名

なら、いったいどうしろというのでしょうか。


「戦陣訓」の内容自体は、以上のようなものでした。
しかし、私は全ての兵士が、意味を正しく理解できていたか?ということについては、疑問があります。
島崎藤村の参画で、格調高い文章になったのは良いのですが、その為に難解になった事は事実だと思います。

しかし、だとしても、↓のように、実際は戦陣訓の存在自体が知られていなかったという事から、(誤解による)兵士への影響や、現場での解釈によって自決がどれほど行われたかについては疑問があります。

安岡章太郎の発言(『私の中の日本軍』下巻P.340 山本七平著 文芸春秋)
「『戦陣訓』に戻って言えば私自身も一年半の軍隊生活で、『戦陣訓』を強制的に読まされたり、講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。」


尚、wikiの「先陣訓」は捏造されているので、注意が必要らしいです。

【虜囚の辱の意味戦陣訓本意囚人を捕虜と捏造ウィキペディア捏造事典思想戦展開ついに馬脚を露す】
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/blog-entry-5.html



戦争中に日本軍や民間人が、連合国に投降しなかったのは、その方がマシな死に方ができるからです。
(平和運動の方々が、民間人まで集団自決をしたのは戦陣訓の影響であると語っていますが、民間人には戦陣訓は配布されていません。)


(6:30 火から逃れ出ようとする老人や子供を、周囲の敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中に突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の中に投げ込んでいる。
6:50 二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊を見つけ出し、両足を持って、真っ二つに引き裂いて火の中に投げ込んだ。)

【アメリカの戦争犯罪】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo

【「アンブロークン」どころではない、言語に絶する連合軍による日本人戦犯への虐待】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=WWYTvmrcCNI
(3:00 またある海軍中佐は生爪をペンチで剥がされ、別の海軍中尉は草刈りの際に首に縄をかけられて引きづり回された。
6:40 サイゴンの仏軍事刑務所では、日本の戦犯は1.5m四方のコンクリートの独房に「四五日間も」押し込められたという。しかも寝具も蚊帳も与えられず、フンドシ一本の姿でだ。
取り調べの際は、全裸で、後ろ手に手錠をかけられたあげく、三日間一切の水さ食料を与えられぬまま放置され、それが終わると、今度は数リットルもの水を強引に飲まされた。
7:30 何人かの日本人将校は、こんな待遇に怒り、また苦しみぬいた結果、抗議の自決をした。
8:40 この種の虐待は長らく続き、英国兵らは、「訓練と称して素足のままガラスの破片、ブリキの破片を捨てた穴の中を行進せしめ足を切るのを眺めては快哉を叫んでいた」のである。)


【通州事件の真実 01 Sさんの体験談】(動画 中国人による日本人の虐殺)
https://www.youtube.com/watch?v=U7vJtEzXo_g


一方で、日本の国際法の遵守や捕虜の扱いは非常に厳格で人道的なものでした。
私には 、日本人が 捕虜=恥 と考えていたとしたら、外国人の捕虜をそのように扱うとは思えません。

【「アンブロークン」のイメージとかけ離れた捕虜の食糧事情】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=pDUzoFz8-Ik
(8:50 僕達は最近悪い食料は貰っていないし、なかなか良い。今の所はムール貝で忙しい。
9:20 実際、『アンブロークン』の中には、日本の捕虜収容所で終戦時に撮影された写真が載せられているが、捕虜たちは、とても飢餓状態にあるようには見えない。)

【「アンブロークン」の内容を一蹴した日本海軍の歴戦の搭乗員たち】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=9fcom989BpQ
(6:30 マレー沖海戦の時、海上に浮いていいた英兵に対し、日本機は全く攻撃を加えなかったとして、英国側から絶賛されているんです)
「太平洋戦争の将兵の自決は戦陣訓が理由では」の回答画像4
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生きつづけるより死んだ方が楽だ。


というほど過酷な状況だったのでしょう。
投降しても、拷問され殺されると思い込まされててた。

美徳的な自決ではないですが、仲間を見捨てて自分だけ逃げるのは悪いという風潮はありますね。
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この回答へのお礼

聞く話で、ウジを食べた(腐った肉を食べれるタンパク質に変えてくれる)とか、水溜りの中で寝て便をした(そこしかない)とか。そういう状況で自分なら気丈に生き続けたか?というと、自信はありません。
自決した人だって美徳とかではなく、苦しんだのでしょう。日本人の風潮というのはあると思います。ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/27 10:21

それはあるでしょう。



たとえば、ある女性が、輪姦されたとします。

私だったら(私も女性です)、とても、生きてはいけません。

強姦、輪姦されて、その後の人生を幸せに生きて行けると思いますか?

24時間、何十年経っても、常に、そのことに苦しめられ、

忘れることは出来ないのですから、、。
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この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございます。

お礼日時:2015/05/27 08:33

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