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みなさんにお聞きします。
先日、スターチャンネルで「処女の泉」を初めて観ました。
重い宗教的な映画だと思いましたが、ふと疑問がわきました。
養女という設定のインゲリは妊娠していて、料理人のような女にそのふしだらさ?を責められていました。それでも、父親のわからない妊娠が可能だということは、それなりに自由な性生活が、おおっぴらに許されてはいなかったとは言え、結婚前にもあったということですね。
ところが実の娘のカレンは世間知らずに育てられていて、当然のように処女のようです。
そこで質問です。
1.この時代に処女でないということは、社会的に否定される要素でしょうか?
2.もし、カリンが流れ者に陵辱されたのちに、殺されていなかったら、彼女への家族や使用人?たちの視線はどのようなものになったと思いますか?また、彼女は結婚の対象となったでしょうか?
3.ベルイマンはそういう結末とその後というテーマは考えなかったでしょうか?
この頃の事情にお詳しい方、興味ある話題と思ってくださった方、どなたでもけっこうですので、みなさんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (1件)

>1


この映画は冒頭でインゲリが口にするオーディーンなど神話の神々がまだ信仰の対象にもされている中世の北欧が舞台ですが、主人公一家はキリスト教の信者ですから、結婚前の性交渉者であるインゲリは、キリスト教徒からしたら否定されるべき存在ではあると思われます。

>2
これはなんともいえないですが、キリスト教的には慈悲の心で見てもらえ、インゲリのような扱いにされることはなかったと思います。

>3
この映画は処女であることや陵辱を受けた後の少女と家族との関係といったものがテーマではないので、ベルイマンはそういったことを映画に盛り込むことは当初から考えていなかったと思います。

すいません、ベルイマン好きなので、もう少し書きます。
ベルイマンの父親はスェーデン王立教会の牧師さんで、その息子たるベルイマンは父親への反発もあったのか、神の存在を否定的に描いた作品を多く作ってきました。
この「処女の泉」もベルイマン作品では頂点をなす一本だと思います。
教会へローソクを捧げにいく処女の女の子が、犯されて殺され、その復讐を父親が成し、子供を含め三人も殺す、というストーリーからして反キリスト教的な物語です。
で、この映画の肝心なところは、この映画を見た人は、ベルイマンの詐術にまんまとはまって、カーリンの家族と同じように騙されてしまうのですが、最後の泉の場面は奇跡でもなんでもありません。実は単なる偶然です。人間たち、特にキリスト教の信者たちはそれをあたかも奇跡と信じてしまう、というのが、本作のテーマでもあり狙いとなっています。

余談ですが家長である父親を演じたのは、のちのホラー映画「エクソシスト」で悪魔払い師を演じたマックスフォンシドー。ハリウッドの超大作「偉大な生涯の物語」ではキリストを演じてます。
もうすぐ90歳ですが、現役俳優でトムハンクス主演の「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」ではアカデミー助演男優賞にノミネートされてます。
ベルイマン作品の大半に出演しているので、そんなことを知って見るとまた面白いかと思います。

ベルイマンに興味を持たれたのでしたら、最近やっとレンタルも出来るようになったので「第七の封印」「野いちご」 神の沈黙三部作と呼ばれる『鏡の中にある如く』、『冬の光』、『沈黙』なんかも鑑賞されるといいかもしれません。

とくに「沈黙」は性に奔放な妹と、それに反感を持つ姉が主人公の作品です。
「処女の泉」の陵辱シーンは映画史的には初のレイプシーン(世界公開されたメジャーなものが対象ですが)と言われています。「沈黙」では映画史初のオナニーシーンが出てきます。ベルイマンは人間の精神の冬の時代を描いた映画作家なんて言われて、暗い内容のものが多いですが、見ておいて損はないと思います。
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この回答へのお礼

たいへん緻密なご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなって申し訳ありません。質問してからちょっと取り込んでしまったことと、なんとお礼したらよいか、考えてしまったせいです。

大筋としてはおっしゃるとおりだと私も思います。
ただ、
>2
これはなんともいえないですが、キリスト教的には慈悲の心で見てもらえ、インゲリのような扱いにされることはなかったと思います。

これに関してはそうでしょうか。敬虔なキリスト教徒であるということが却って災いして、原則に忠実にカリンを扱う、たとえば、修道院に閉じ込める、あるいは家に閉じ込める、最悪の場合、罰する(放擲するなど)、そういうことになる可能性はないでしょうか。
この時代がキリスト教の歴史の中で、どのような時期なのかわかりませんが、この頃には少なくとも多国では魔女裁判などがあったと聞いています。魔女の定義というのも、非常にいいかげんなもので、何がその理由とされるか、本人にも裁いた方にもわからなかった場合もあったようです。
この家族の同居人が使用人なのか、僧侶がいたようなので、いわゆる食客なのか私には判断できません
でしたが、両親はともかく、彼らがどう考えたか、沈黙を守ったか、とても難しい判断になると思います。

この映画のテーマはキリスト教徒の苦しみと原罪?であるとすれば、確かにカリンが死んでしまったほうが簡単です。生きていれば話が複雑になり過ぎますから。

ただ、キリスト教徒ではない私には、世界観が単純すぎるようにも思えてなりません。
そんなにご都合主義にカリンを死なせて、それでいいのか?
やはり疑問は解けません。

御礼になっているやら判然としない文章で申し訳ありません。
ただ、今の正直な気持ちを書かせていただきました。

お礼日時:2015/06/18 00:16

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