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自虐史観の国日本。自虐史観がありそれが教科書に堂々と描かれているとなると、ほかも嘘かいなという感じになる。日本の外はもっとでたらめで、真面目に歴史を追求し研究する日本人がまことにめずらしい存在にも見え、たまに見習われるという。
文書が全般焚書され、もみ消されたりもするという。
日韓併合を韓国併合などと実は故意に書き、刷り込まれることもあるという。
領土とかは、どこからどこまでかはとても重要だが、あっさり過去の勢力図書かれているがほんとうにしんようできるのかいなとも思います。
過去の歴史は本当に信用できるのか?という疑問にこたえはあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

<参考>


「歴史」において、
1.過去に何が起こったかという事実関係を明白にする。
2.その事実に対して、その時点で
  a.第三者的の視点では、どのように考えられたか。
  b.それぞれの当事者の立場では、どのように考えられたか。
3.その事実に対して、現時点で過去に対して
  a.第三者的視点では、どのように考えられるか。
  b.それぞれの当事者であった立場からは、どのように考えられるか。
  c.それぞれの当事者であったものが、現在の政治・経済的立場から、どのような立場を取り、どのような考えを主張しているか。

 現在において主張されるさまざまな『歴史記述』には、このようなものが混在しているので、全部をまとめて「歴史」と言って、同じ扱いをしてしまえば、歴史の本質が判らなくなってしまう。

 最初の切り口としては、「第三者的視点による歴史記述」を理解した上で、余力があれば「時代背景」も含んだ歴史理解を、更に余裕があれば、各当事者の「現在の価値観や政治背景」、「当時の社会の在り方を踏まえた価値観」による歴史を複眼的に把握するのが良いかと思う。

 「どの歴史理解が正しいのか」絞り込んで、一つを残して他を捨てるのではなく、どのような「歴史理解があるか」を並列的に掴んでおくことが、『過去の歴史を踏まえて、未来への選択を考える』際には必要でしょう。

付記:
 中国や韓国のような、「自国中心主義の立場からの教科書編集方針」で作られた歴史教科書には、『第三者的立場から見た歴史』は、ないでしょう。
 第三者的立場から見た歴史には、自国の過去の政策の失敗も記述され「自虐的歴史」となりますから、自国中心主義とは相容れません。
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教科書に限らず、すべての歴史的な本は著述者のバイアスがかかっている、と考えるべきです。



たとえば、私は塩野七生氏のローマの歴史書を愛読していますが、これを読むとローマがいかに素晴らしい国家であったか、と錯覚してしまいます。しかしこれをユダヤの視点から見れば、ローマは暴虐で非人間的な国家であったように描かれます。

現代でいえば、アメリカ合衆国をOECD諸国の視点で歴史をつづるか、イスラム教徒の視点で歴史をつづるか、という違いともいえるでしょう。

日本の歴史においても、左派の歴史学者とくに共産主義にシンパシーを感じる歴史学者は、日本の封建制度をブルジョアとプロレタリアートの視点で語ろうと無理をします。

外国の学生から「5公5民という激しい搾取があったというのは分かったが、搾取されたコメは結局だれが食べたのか?」という質問を受けて、答えられなかった、というエピソードもあるようです。(当時の武士は3%程度しかいないため、算出する米を50%持って行っても消費しきれない。結局、コメは市場に流され、町人と現金収入を得た農民が買い戻して消費している。また現金収入分の畑や生産物(草鞋とか特産品など)には課税されなかったことが分かっている。つまり日本の農民はそれほど困窮していたわけではない)

それでも日本の教科書は、外国の視点で見て、まだ客観的であると評価されているようです。日本が客観的なのか、近隣国がひどすぎるのかは分かりません・・
http://area09.air-nifty.com/annex/2008/12/1216-9 …
http://blogos.com/article/20646/
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差別の部分をちゃんと入れると歴史はかなり違う。

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歴史は勝者によって創られる、って言いますが、時の権力者に都合の悪いことは削除されて、ゆがんでる可能性が、あります。


細かい部分では、かなり修正が必要でしょう。
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