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運命の人は本当にいるのでしょうか?
結婚する人が本当に運命の人なのでしょうか?本当に運命の人なんているんだろうかと考えてしまいます。

A 回答 (14件中1~10件)

いません。


人間に決まっている運命は「誰でも必ず死ぬ」という、生きるもの全てがもつ運命だけです。

「運命」は「あらかじめ定まった人生の出来事」という意味であり、「幸せ」という意味はありません。むしろ、不幸な出来事を「運命」と言って、諦めるために使われています。
つまり、不幸な出来事を「人智の及ばない運命だから、仕方ないよね。誰のせいでもないよ」と心をなぐさめ、諦めるために「運命」を考え出しのです。

ところが、最近言われるようになった、「運命の人」は「幸せな結婚をすると決まっている相手」という意味に使われています。

しかし、人間に決まっている「運命」は「死」だけです。
生まれた以上、必ず死ぬ運命です。でもどんな死に方をするのかは、決まっていません。

「死」以外には、「確かに決まっている事柄」はありません。
あったとしても、人間はそれを知ることができません。
知ることができない以上、ないも同然です。

サイコロの目が何が出るか、分らないのと同じです。
あらかじめ分かっていたら、それは、どこかにイカサマがあるのです。

「運命の人」というのは、本人の思い込みと、結果論です。

結婚して、終生添い遂げて、死ぬ時に「この人が私の運命の人だったのね」と本人が信じるだけのことです。
つまり、そのように結論づけた方が幸せな気分になれるから、そう思うだけのことです。

結婚する時に2人で、お互いを、「この人は運命の人」「私達は絶対に幸せになれる。なぜなら運命の人だから」と心の底から信じて、2人で幸せになろうと努力をする。
相手を決して裏切らず、決して疑わず、いつも相手と自分の幸せを願って結婚生活を続ければ、死ぬ時に「やっぱり運命の人だった」と微笑んで死ぬことができます。

それは悪いことではないと思います。

あらかじめ決まった「運命の人」がいるのではありませんが、
そう信じて、自分で幸せな「運命」を作り出すのです。

幸せに生きる一つの方法だと思います。

そのためにはまず、「この人と幸せになろう、この人となら幸せになれる」と結婚する相手を自分で見極め、幸せになる努力を怠らないことです。

ちょっとうまく行かなくなると、「この人は運命の人ではないのかも?運命の人は別にいるのかも」と、「運命の人」を口実に逃げるのは、「青い鳥症候群」。
「幸せの青い鳥」を探して「永遠にさまよい歩く運命」を、自分で作り出してる、ってことになります。
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新しい生命、子を作って初めて運命となるんではないでしょうか。

でなければ単に人と人との付き合いに過ぎません。
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ヘイハニー!俺が運命だぜベイベ

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何某かの事故にでも巻き込まれて、同じ境遇の異性と離れ小島で2人ぼっち。

これ位になれば運命か?

運命と感じて会った瞬間から頂点だと、後は落ちるばかり。俳優なんて、案外こんな感じの人が多い気がする。3ヶ月で離婚とか。

結局、運命とはどんな形であれ切り開く物だと考えます。切り開いてそこに居た人が運命の人。
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>結婚する人が本当に運命の人なのでしょうか?



違います。運命なら初めて出会った時に「ビビビ(古い!)」ときますが大抵は何となくそういった風に感じて結婚するだけです。離婚なんかするのは所詮運命じゃなかっただけです。
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No.1に近いですが・・・結婚運は天性ですからそれが有る人は遅かれ早かれ


出会えますがそれの無い人は一生無理でしょう、ただ出会えても生き別れや
死別したり幸福になるとは限りませんよ、また子供が病弱や不良や短命になる
可能性もありますからね。
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運命を自分が手抜きする理由に使ってはいけない。


自分が自分の使命感に従って懸命に生きてもいないのに流れがあなたに向いてくるわけもない。
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「運命の人」が理想の伴侶、しかも必ず1人だけ。

というなら、いないでしょうね。

最近よく流れている曲の「運命の人」のニュアンスもそんな感じがしますが、それ言っていたら多分いつまでも「もっと理想に近い人がいるはず=この人は運命の人じゃない」って言い続けることでしょう。あの歌は最後は「待てない」と言っていますけどね。

自分自身は、嫁さんと結婚してよかったと思いますし、幸福だと感じています。今ところは。先のことはわかりませんし、運命の人なのかどうかは知りませんが、その辺のことはどうでもいいです。
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わたしも同じことをふと考えます。


本当に居るんだろうか…

きっとね。いろんな捉え方があるんだと思う。
出会って一瞬にしてときめいたり。
お付き合いが深まって安心感が生まれたり。
考えられない展開や環境で距離が縮まったり。
いろんなシチュエーションが日常生活を通して生まれているんだよね。

『運命』

過程の中で感じたり、結果論として表現したりね。
他人の誰が判断するわけでないから、結局は自分がどう捉えるか。
けれどね、きっとどこかにあらゆる『運命』と呼べるべきものに出会っているんだと思うな。
それをちゃんと素直に、『運命』だと感じてそれらを大切にして生きていきたいな、てわたしは思う。
希望を見いだせないと、日常生活なんて変化のないただのサイクルになってしまうから。
小さな変化に気づく力が『運命』を引き寄せるんだと思う。
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それは個人の感性です。


この人が「運命の人」と思えれば運命の人ですし、少しでも「?」が入れば違うでしょうしね。
そして「運命の人」と定義するのであれば結婚する人と限られた訳では無く、自分の人生の中に於いて大きな転換期となった事の
キッカケを見いだしてくれた人だって「運命の人」とも言えます。
「運命の人」とは何をどの様に自分が感じ受け取るかと言う事で決まってくるでしょう。
最後は自分の感性によってその様に感じられるか否か!?

> 本当に運命の人なんているんだろうかと考えてしまいます。

先に書いた事を書いた本人が否定する様ですが、「運命の人」と言われる人は居ないと思って居ます。
結局は事後検証で「運命の人」として作り上げているとしか思いません。
って、だいぶ捻くれているでしょう。(笑)
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