アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

楽しいことを求めて生きちゃダメですか?
気楽に生きちゃダメですか?
逃げを選択したとしても次を見つけようとしちゃダメですか?

申し訳ないですが早急にお願いします。

A 回答 (6件)

誰もが楽しいことを求めて生きるべきであり、これが大原則です。



気楽に生きられる社会を作るために、協力し合うというのが民主主義でしょう。

社会的な福祉や公共のサービスはそうした理念で出来ています。

この様な世界のイメージは封建時代には無かったようです。

軍略の天才ナポレオンが近代的な思想を始めて国家に取り入れて、

これが今につながっているそうです。



ただし、いまの自分は冷静ではないかもしれませんよ?

悩みながら今のことを継続していたら、いつの間にか状況が変わり、

自然に解決するかもしれません。

何かの選択でお悩みの状況でしたら、まずは冷静になることです。

結論が変わらなかったとしても、運命を変えるポイントがあります。

次を求めていくのは当然ですが、次が今より酷いかもしれませんよね。

次は上手くやる。と誰もが思うものです。

しかし、100%そうなりません。

前より必ず酷くなります。

殆どの人は、次をどう選択して、何を選ぶかで運命が変わると錯覚しています。

これは間違っておりまして、そのため必ず酷くなるんです。

また、逃げ出すことになった原因を考えて、次に向けての対策を立案します。

これも間違っておりまして、そのため必ず酷くなります。



まっさらな状態から再度やり直そうと思うものです。

勿論、それは正しいのですが、一つだけ条件があります。

次も自分は逃げるだろうと考えることです。

冷静になるとは、こういうことです。

次の新天地には夢があるというのは願望ですから。

冷静じゃありませんよね。

そこで、次に逃げ出すときの約束を今のうちにしておきます。

「少しでも想像と違った、がっかりした、と思ったら逃げよう。

 その代わり、そこでの実力不足や準備不足を少しだけ補う。

 ちょっとやったら、自分を許して逃げよう。

 だから今は、直ぐ逃げよう。」

今を捨てるという思想です。

未来を探すのではなく、今を有効に使う。

本懐を遂げれていないなら、他の人にとっては今が本番であっても、

自分にとっては練習のための素材とすることです。

どうせ逃げるのですから、結果はいりません。

思うところを試し、事情を理解したうえで、

「でもまあ、今更だし、嫌なものは嫌だから逃げます。」

とすることです。

別の質問で、我慢は問題を解決しないと書いたことがあります。

また、努力について書いたこともあります。

攻略法について書いたこともあります。

しかし、運命が悪いほうに循環しているときの、

脱出方法は述べてなかったかもしれません。


次も逃げるだろうと考えることです。

未来に期待をしすぎないことです。

その代わりに、逃げるときの儀式を考えて、未来の逃走のときの契約を

自分の心の中にすることです。



「次も逃げるだろう。

 そのときは、少しだけ実力不足と、準備不足を補ってからにする。」



これを心の中で言葉にして唱えておきます。

他人に言うのではありません。黙って、心の中で自分に言います。

徐々に運命が好転します。



実力および準備と言うのは、スキルと呼ばれるものだけではなく、

他の人との友好関係構築なども含みます。

例えば、逃げ出すときは、仲の良くなかった人と接し、

事情を話して、わだかまりをとってから去る。

こうした段取りをすると良いですよ。

自然とそうしている人もいます。

わたしは意識して、そうすべきだと思います。



いま悩んで逃げ出すほどの状況ならば、

楽しんで生きられる状況とはギャップがありますよね?

次を上手に選んだから変わると思うのは無理があります。

それくらいならば、

「あと3回くらいは繰り返すだろう。

 だけど、徐々に状況が変わってくるようにしたい。

 最後は、惜しまれて去るくらいが良い。」

と考えを変えることです。

ありそうな未来を予想し、計画通りであるとする。

僅かに抵抗をすると約束をし、ここだけを守ることです。


しかし、次も失敗するというのを大変嫌がる人がいます。

「こんな辛い思いをしたんだから、

 次くらいは幸せになっても良いじゃないか。」

そういう心理になるのは仕方がありません。


しかし、冷静になれば、これは虫が良すぎますよ。

逆に、あと数回は続くだろう、仕方ない。

と諦めてしまえば、前回よりはマシだったと思えるはずです。

これを積み上げれば、当初の理想に近いものになるでしょう。

また、そういう発想をしている人には、誰も批判しません。

本人が今を捨てると決め、目的を果たしたと手応えを感じているものに、

批判をすることはできません。

本人が期待し、がっかりして投げ出して、言い訳をしている場合は、

批判をすることができます。

この流れにはまってはいけません。

本来の自分が何処に消えてしまい、

自分を惨めだと感じて言い訳を続ける状態になります。

私もなりました。他の人がなるのも見ました。



これを断ち切るためには、

次回で解決しようとしないことです。

次回で解決しようと考えてしまうと、

次回は・・・、次は・・・・を無限に繰り返します。


あと3回は。とかにすると、運命が好転します。

次回はと考えるのが罠です。

あと数回は、とイメージをするだけの違いなのです。

一つのノウハウだと思ってお試しください。


今を捨てて練習と位置づけ続ける。

これが、極意であると思います。



「自分が幸せになる必要はどこにも無い。

 ただし、言い訳をし続けるのは苦しい。

 なので、全人生を練習とし、この姿勢を持って対抗する。」

無理をしたら楽しくありませんから、

少しだけマシにすると約束し、そのラインを自分で守ることです。


どうせ、最後は皆この世を去ります。

他人も同じです。

自分のラインを作ってこれを守ること以外に、正しいことは無いでしょう。




以上、ご参考に成れば。
    • good
    • 1

前向きでいいと思いますよ、人生 一回ですから 人様に迷惑かけなければ構いませんよ。

    • good
    • 0

歴史的栄華を極めた有名なソロモン王は、楽しみごとが幸福の秘訣であるかどうかを試しました。

「快楽を追ってみよう。愉悦に浸ってみよう」と述べています。この裕福な王は、快楽に少しだけ足を踏み入れたのではありません。むしろ、どっぷり浸かったといえます。その後どのように感じたでしょうか。「それすらも空しかった」と書いているそうです。快楽を追い求める人は大抵、空しくて満たされない気持ちになります。ある研究者たちは、快楽の追求を、意義深い仕事、霊的な活動、家族とのかかわりなどと比較しました。その結果、研究の対象となった人たちの幸福において、快楽の追求は最も重要度の低い要素であることが分かりました。
どうでしょう?
    • good
    • 0

一生自分を自分で養っていける算段があるなら、全てノープロブレムです。

    • good
    • 1

どんなに不本意であっても、良くないことと思っていても、とにかく「我慢する」ことが美徳だと見なされるのは、むしろ世界的には珍しく、日本くらいなんですよ。

多くの国の人は嫌なことは「嫌」ってすぐ手を引きます。日本人は一度の失敗を「忍耐や努力が無かった」とおおごとに捉えて殻に閉じこもりがちですが、海外だと「不本意だったんだから当然の権利」と考えてもっとあっけらかんとしているので後に引かないだけかもしれません。「自己責任」の捉え方の違いが面白いですね。

そんな日本の「我慢」信仰も、軍国主義であった戦中戦後に極端に形作られたものであって(戦後のビジネスマンのドキュメンタリー記録とか観ましたが凄いですよしごきとか、まるで軍か新手のイジメのようです)、それが驚くべきことに現代日本にも尾を引いているだけだと思います。大戦以前はそこまで極端ではなかったと思います。「我慢が美徳」なのが本来の日本人等とは思わないことです。そういう考えの方が世界との戦争に都合がいいと考えられていただけなんですから。
    • good
    • 2

ええとおもいま。


人様に迷惑をかけなく、
かつ、その生き方を
周りの人に喜んでもらえるなら。
援護されると思います。
芸術家なんかみんなそうじゃないですか、
音楽家、発明家であったとしても。
要はパトロンができるかですよ。
パラサイトじゃいつまでたってもだめです。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!