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実存主義は神を否定するという。
しかし私は神の存在を否定しません。
私は神は存在すると考えます。
その神とは宇宙の法則のことです。
宇宙の法則は間違いなく存在する、従って神は存在する。
しかしその神は宇宙を創造してはいない。
もとより宇宙は創造できるものではないのである。
何故なら宇宙は何時いかなる時点においても既に存在していたのであり、既に存在しているものを創造することは出来ないからである。
これは実存主義を超えた実存主義、言わば超実存主義です。
超実存主義を除いて真の神が存在できる余地は無いと考えます。
全ての既成宗教は神の存在を単に願っているだけであり、真に神が存在すると認めてはいないのです。
これらの既成宗教はいずれもまやかしであり、超実存主義の前にあっては脆くも崩壊する運命にあります。
神は存在すると考えるのであれば超実存主義に立つ以外ないのではないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 私たちの価値観・倫理観は何によって決まるのですか。
    それは普遍的なものなのですか。
    何を基準に判断するのですか。
    価値観・倫理観の土台になるものとは何ですか。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/24 09:01

A 回答 (6件)

(No.3)の回答へのお礼に関する不可解



hitonomichi34さんの見解を整理してみます。

①ターレスは万物の根源をアルケーと命名
②万物の根源を問うことが人間精神にとって最も価値がある。
③全宇宙を支配する完全不変の絶対的真理とは何かについて知りたかった。
④だからアルケーが何であるか探求することは人間精神にとって根源的な問題である。
 これこそが真理の探求であり、人間精神にとって最も価値がある。
⑤あらゆる意味において永遠不変な存在とは宇宙の法則を除いて他には有り得ないと
 考えられることから、私は次の結論に立ち至った。
「アルケーは宇宙の法則である、宇宙の法則を除いてアルケー呼べるものは他に存在しない」
⑥それ故に万物の根源、宇宙の法則であるアルケーは同時に神であると言えるのです。

率直に言って、説明が循環していて何の説明にもなってないですね。
なぜ「万物の根源を問うことが人間精神にとって最も価値がある」と言えるのですか、単に知的関心を満たすためだけとは考えられないでしょうか、人によっては異性の気持ちを知ることの方が価値があると考えるかもしれません。
「宇宙の法則が永遠不変」と考える根拠は何でしょうか? 有限な人間の経験から永遠不変のものを見究められるというには、なにか論理的な根拠が必要です。

仮に宇宙の法則が永遠不変であるとして、それがあなたの生き方や欲望にどのように関わっているのでしょうか? それを「神」と呼ぶからにはそれなりの理由があるはずですよね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

はっきり言ってあなたの質問が循環している。

それで「では訊ねますが、私たちの価値観・倫理観とは何ですか。」って問うた質問には答えてくれたのかい。
問われたことには答えず、質問ばかりするってゆー有様では哲学は成り立たんでしょ。

お礼日時:2015/11/24 09:00

価値観・倫理観をもとに人はものを言い行動するのです。

その土台はと問われれば、神を信じている人なら神だというでしょう。神を信じていなければ、もう自分そのものと言うしかないではないですか。

あなたは価値観も倫理観も持ち合わせていないのですか?
アルケーの神を信じているのなら、アルケーの神のご意志に沿うことこそあなたの価値観・倫理観ではないのですか?
そういう意味で、宇宙の大法則とあなたの価値観・倫理観がどのように結びついているのかを訊ねているのです。
宇宙の大法則がどのようにしてその意志をあなたに伝えているのですか?
その辺のところを説明していただかなければ、「神は存在すると考えるのであれば超実存主義に立つ以外ない」と言われても、わたしたちは「はぁ?」と言うしかありません。

ちなみに、「実存主義は神を否定するという。」とおっしゃいますが、最初の実存主義者と言われるキェルケゴールは神を否定などしていませんよ。あなたは実存主義について何か勘違いをしてはいませんか?

別にあなたをとっちめたいわけではありません。教えて!gooの哲学カテゴリーにはほとんど哲学的議論と云うものが無く、思い込みと思いつきの議論ばかりなので一石を投じたいと思い投稿しましたが、焼け石に水でしたね。場違いでした。もう退場したいと思います。
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この回答へのお礼

>ちなみに、「実存主義は神を否定するという。」とおっしゃいますが、最初の実存主義者と言われるキェルケゴールは神を否定などしていませんよ。あなたは実存主義について何か勘違いをしてはいませんか?

私も実存主義を超えた超実存主義者であると自負していますが神は存在すると確信しています。


>教えて!gooの哲学カテゴリーにはほとんど哲学的議論と云うものが無く、思い込みと思いつきの議論ばかりなので一石を投じたいと思い投稿しました

一石を投じたいのであれば、まずは自分の考えを披露するなりしてもらわんと。
あなたが言う価値観・倫理観って結局何なんなの。

お礼日時:2015/11/24 19:08

(No.4)に対する補足コメントへの回答



なぜ私が価値観・倫理観について説明しなくてはならないのでしょうか?
私がその言葉をもちだしたのは、あなたが「神」の名を持ち出したからです。
通常は普遍的な価値観・倫理観の源泉となるものを「神」と呼んでいるのではないでしょうか。
ですから、宇宙の法則とあなたの価値観・倫理観の関係を問うているのです。

ちなみに私は無神論者ですから、普遍的な価値観・倫理観というものはないと考えています。
価値観・倫理観の土台となるものは自分です。なにかの上に価値観・倫理観があるのではなくて、価値観・倫理観が土台そのものなんです。
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この回答へのお礼

>なにかの上に価値観・倫理観があるのではなくて、価値観・倫理観が土台そのものなんです。

価値観・倫理観とは何ですかと問われてそれが何かも答えられず、価値観・倫理観が土台そのものなんですってのはちーとばかし話がおかしいんではないのかい。

お礼日時:2015/11/24 14:25

(No.2)に対する問いかけに対する回答



>では訊ねますが、私たちの価値観・倫理観とは何ですか。

逆に私の方が聞きたいです。あなたはあなたなりの価値観や倫理観を持ち合わせていないのですか?
あなたは何らかの価値観に基づいて、このような場で質問を投げかけているのではないのですか。
あなたがなにが善であるか悪であるかということを問題にしないような人ですか? 
だとしたら、神などという概念を持ち出しても意味がないのではないですか?

私が言いたいのは、価値観・倫理観と関係がないなら「宇宙の大法則」とやらも、単にニヒルなただの法則ではありませんか。人間の感情と無関係な「宇宙の大法則」に「神」と名付けたところで、何の意味もないということです。

以上のことを踏まえたうえで、あらためて No.2 の私の問いに答えていただけるでしょうか?
その辺が明らかにならないと、あなたの質問の主旨が理解できなにいのです。
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この回答へのお礼

>私が言いたいのは、価値観・倫理観と関係がないなら「宇宙の大法則」とやらも、単にニヒルなただの法則ではありませんか。


古代ギリシャの哲学者ターレスは万物の根源は何かと問い、ここから哲学が始まったと言われています。
ターレスは万物の根源をアルケーと命名し、アルケーは水であると考えた。
もちろん現在の水準で考えると万物の根源を水であると考えたターレスの答えは幼稚であったかもしれない。
しかし万物の根源は何かという問いかけを初めて行ったターレスは偉大なのである。
ではなぜターレスは万物の根源は何かと問うたのでしょうか。
それは万物の根源が何かについて探求することが人間精神にとって最も価値があると考えたからではないでしょうか。
実際ターレスの他にもその当時のギリシャの哲学者たちはアルケーが何であるか探求したのです。
だからヘラクレイトスもピタゴラスもデモクリトスも、その他多くのギリシャの哲学者たちはアルケーが何か探求し続けたのです。
なぜ彼らはアルケーについてこだわったのでしょうか。
それはこの世において最も普遍的な存在とは何か、全宇宙において成立する真理とは何か、全宇宙を支配する完全不変の絶対的真理とは何かについて知りたかったからではないでしょうか。
だからアルケーが何であるか探求することは人間精神にとって根源的な問題であり、これこそが真理の探求であり、人間精神にとって最も価値があるのです。
そして私もターレスと同様アルケーは何か探求し、一つの答えに至った。
「アルケーは宇宙の法則である、宇宙の法則を除いてアルケー呼べるものは他に存在しない」
これが結論です。
なぜこのように結論できるかというと、あらゆる意味において永遠不変な存在とは宇宙の法則を除いて他には有り得ないと考えるからです。
それ故に万物の根源、宇宙の法則であるアルケーは同時に神であると言えるのです。

お礼日時:2015/11/23 21:44

①神とは宇宙の法則のことである。


②宇宙の法則は存在する。
③よって、神は存在する。
これってなにも証明してませんよね。神=宇宙の法則 と宣言しているだけのように思えます。

「宇宙の法則は間違いなく存在する」といっていますが根拠は何でしょうか。ここでいうところの「宇宙の大法則」と言うのは、例えば「万有引力の法則」といった物理法則を総称したものと考えてよいでしょうか? だとしたら、それをあえて「神」と称する理由は何でしょうか?

「宇宙の大法則」と私たちの価値観・倫理観との間に、なにか特別な関係性がなければそれを特に「神」と呼ぶほどの理由はないと思います。その辺を詳しく解き明かしていただかないと、「超実存主義に立つ以外ないのではないでしょうか。」と、いきなり問われても我々は呆然とするしかないです。
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この回答へのお礼

>「宇宙の大法則」と私たちの価値観・倫理観との間に、なにか特別な関係性がなければそれを特に「神」と呼ぶほどの理由はないと思います。

では訊ねますが、私たちの価値観・倫理観とは何ですか。
私たちの価値観・倫理観は何によって決まるのですか。
それは普遍的なものなのですか。
何を基準に判断するのですか。
価値観・倫理観の土台になるものとは何ですか。

お礼日時:2015/11/23 17:54

>神は存在すると考えるのであれば超実存主義に立つ以外ないのではないでしょうか。



神は存在すると考えるであれば、お賽銭をあげる以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、お賽銭をあげる必要がないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、クリスマスを祝う以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、正月を祝う以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、バーミヤンの石仏を爆破する以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、バーミヤンの石仏の爆破を阻止する以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、時鳥を殺してしまう以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、時鳥を鳴かせてみる以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、時鳥が鳴くまで待つ以外にないとも考えられます。

神は存在すると考えるであれば、時鳥を抱いてあげる以外にないとも考えられます。
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この回答へのお礼

>神は存在すると考えるであれば、お賽銭をあげる・・・・

それは階層現象表面的に(つまりいい加減に)、神は存在するなどと考えるからそーなるのであって、真に神は存在すると考えるのであれば超実存主義に立つ以外ないってことです。

お礼日時:2015/11/23 09:57

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