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「才能」について教えて下さい


私は小さい頃(幼稚園頃)から指が器用だ、才能だね。体が柔らかい、才能だね。絵が上手だ、才能だ
と親からも親戚からも言われて育って来ました。
ただ小学二年生の頃に思いました。

「才能って何?」

母に聞いたことがありました。すると
「才能はね、貴方が生まれる時に神様が備えてくれた秘密の力だよ」と。

その答えについて私はこう返しました

「じゃあ才能が無い子はどうなるの?生きてたらダメなの?」

好奇心旺盛だったその頃は何でも聞きたがり、母も複雑な表情をしていたのを覚えています。

すると母は、「そうだね。いらないのかもしれないね。でも少なくとも貴方は神様からの秘密の力をもらえたよね?」悲しそうな顔で言いました

「じゃあ私は神様にありがとう言わないとね!ありがとう!」

最後のカッコの記憶は曖昧で母から聞いたものなのですが、空に向かってありがとうと言っていたそうです。
それから今現在、

才能が無くなりました

才能って消えるもの何でしょうか?
器用と言っても小さい頃に折り紙を折っていただけ。
柔らかいと言ってもちっちゃい子なら当然のこと、
絵なんて、落書き程度の物でした。

やはり、親の子供に対する優しい嘘だったのでしょうか?
私は未だに考えます。
「才能って何?」
その答えは出ることもなく
かすかにもやもやしています。
「才能がない子はいらないのかもしれない」
こんな事親に言われちゃたまったもんじゃ無いですね…

皆さんは才能ってなんだと思いますか?
私の考える才能はやはり昔教えてくれた通り、「神様からの秘密の力」
だと思っています。

A 回答 (15件中1~10件)

他人よりも優れた能力 そういうのを見つける為に親は子供にいろんな体験をさせるんです。

ただ活かすか殺すかは己次第。
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他人と比較する 事が大切です。

身内はただの親バカという奴ですよ。
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才能は、誰しも与えられているものだと思います。


ただ、それが目立つもの、目立たないもの、才能の種類も計り知れない種類があります。
自分の持っている才能に気付けず人生を終える人も相当数いると思います。才能に気付き、それを開花させ、持続させている人こそごく僅かに思います。

そして、才能は素質の一つでしかありません。なくなるものではありませんが、伸ばす努力、発揮させることを持続させる努力をし続けないと、輝くものではありません。

才能という言葉に「スポーツ」とか「芸術」を思い浮かべる方が多いかと思いますが、「地道に努力する」「集中力」「他者への配慮」なども才能の形だと思います。
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<「才能がない子はいらないのかもしれない」



ん?上記のお母様の言葉はそういう意味だったの?
私には「生きて行くのに才能なんていらないのかもね」という意味に取れたんですが?

ちなみに私もありましたよ、絵の才能。
「絵が上手だね」って言われてたのはなまじ嘘でもなくて、小中学校では絵画展があれば何かしらの賞をもらっていました。
で、その気になってそっち方面へ進もうとしましたが、もっと才能のある人がわんさかいました。
というか小手先の絵の上手さなんかで勝負できない世界でした。
今でも人よりはちょっとは上手く描ける自信はありますが、それで食って行くというのはまた別の話です。

「神様からの秘密の力」ですか。
確かにそうかも知れませんけど、私は単に「適性」だと思ってます。
勉強ができるのも才能、スポーツができるのも才能、音楽や美術も然り。
体が丈夫で体力があるのも才能、動物や植物を育てるのが得意なのも才能。
気遣いができるのも才能、人を楽しませるユーモアも才能。
何の才能もない人って、いないのでは?と私は思ってます。
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才能自体は存在すると思いますし、やはり一般的に考えられるような「人より優れた能力」にあたると考えます。

ただし、もともと才能があった分野であっても、才能を伸ばすための、才能を維持するための努力をしなければ「人より優れた能力」のままではなくなってしまうと思います。
だから小さい頃存在していても消えるもの、でもあると思います。
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ぼくも「神様からの秘密の力」だと思います。


才能は「神様からの秘密の力」なので、失われたりしません。

「神様からの秘密の力」が具体的にどういうものかと言うと、
ぼくは「ひとつのことを極めようと愚直に努力をできる力」だと思います。

イチローは天才だと言われますが、
彼の練習量はハンパじゃないと聞いたことがあります。

本田圭佑も同様に、小学校のころからセリエAを目指して練習に励んでいました。

彼らは、生まれ持って野球やサッカーが天才だったんじゃない。
極めようと愚直に努力する才能があったから、天才になれた。

僕は才能がある人とない人の差は、そこだけだと思っています。

いかがでしょうか…?
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確かに、生まれ持った才能と言うのはあるでしょう。


それは、先祖代々の中で蓄積された能力の一部を受け継いだという事かも知れません。

でも、「玉磨かざれば光なし」と言う諺のごとく、才能があっても、それが発揮出来るような努力をしなければ、成長と共に平均的な人並みなってしまうのではないでしょうか。

芸術家やスポーツ選手でも、一流になる人の中には、幼児の頃から訓練して才能を伸ばす人もいます。
ただ、才能があったから伸びたのか、もしかしたら、単に素質があっただけなのに努力の結果として、才能になり能力を発揮出来るようになったのかも知れません。

又、子供の時に天才と言われたにも関わらず、大人にになって見ると唯の人になって仕舞まったという例もありましたよね。

才能は、「神様からの秘密の力」と過信していると、気が付いた時には、「裸の王様」という事もあるかも知れませんよ。
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おはようございます。



私は「才能」「センス」これは似たようなものだと思っております。

そして、やはり生まれもって神様・親からあたえてもらった
素敵なものだと捉えています。

ただし、その後、その才能を磨くことをしなければ、
才能は凡人に変わるとも思います。

小さい頃は単純に器用さなどは際立ちますが、
大きくなるにつれ、才能を磨いてきた・努力してきたコに、
抜かれて行くということが出て来ると思うからです。

昔は才能だけで発揮していたけど、
同じくらいの才能がある人が世の中にたくさんいるとしたら、
後々、その努力差が出て、普通に感じるんじゃないでしょうか?

スポーツ選手も、芸能人も、
一流といわれる方々は、
もともと秀でた才能を持ってるのだと思いますが、
そこからの努力が半端ないと感じています。

人知れず、センスを磨いてきた人たちだからこそ成せる技なんでしょうね。


質問者さんや親御さんを否定する訳ではありませんが、

例えば、
絵にしても、日頃から家族で写生会を行ったり、
絵画展など美術に触れている環境を作って、目や感覚を養い、
絵画教室に通うなどして専門的技術や知識を得て努力していけば、
才能が花開いた(花開く可能性)は十分あるはずです。

小さい頃は、親が、子供の才能だと思うことがらを伸ばす場をあたえ、
大きくなったら、自分で自分の才能・特技に関わる何かを認め、興味を持ち、
努力することをしないと、何も得る事は出来ないと思います。


最後に、才能がない人はいないと思います。

なにかしら、1つはあります。

私は、高校で書道を教えていますが、
全てのコに、何かしらの才能があります。
書道じゃなくても、他のジャンルで垣間見える。

ただ、親や本人がそれを才能だと認めず、放置していると、開花しません。

よって、「才能がない人は生きてても意味がない」はあり得ないと認識しています。
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できない人にどうやったらいいかを言葉で説明できない人が使うごまかしだと思いますよ、才能って。


その技術を大した壁にぶつかることなく身に着けることができたり、その苦労を忘れてしまった人には壁にぶつかってる人をうまく導くことなんてできません。
名プレイヤーは名アドバイザーとは限らないんです。

周りからおだてられて有頂天になっていたり、本当に高いレベルで実現できていたとしてもなぜできているか理屈で理解していないなら、たちまち壁にぶつかってしまうことでしょう。
それが『才能が消えた』ということなんだと思います。

自分には理解できないものすごいもの、なんてのは「神様からの秘密の力」にも見えるでしょうけど。
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幼稚園の頃は他の子より少し秀でたものがあって、それを家族が誉めて伸ばそうと才能だねと言ってくれたのだと思います。


ただ、才能があっても努力しないと凡人と同じになります。
神童も二十歳過ぎればただの人って言ったりするのも子供の頃に秀でたものを持っていても伸ばさなかったからでしょう。
あなたはまだ若そうだし、今少しでも得意なことを努力して伸ばしてみてはいかがでしょうか。
私は才能は伸ばして開花するものだと思います。
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