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ユダヤ教やキリスト教は一神教ですが、仏教などは多神教です。
宗教ではないかもしれませんが、ギリシャやローマの神話も多神。
他の地域の古い神話も多神です。

人間が神(精霊)について考え出した時から、人間は、神(精霊)はいたるところにいる、と考えたのだろうと思います。

「一神教」という考え方は、いつ、どこから、どこで、どんな人達が、どんな発想で思いついたのでしょうか?

いたるところに神がいる、という考え方を「違う」と否定し、「万物は1人の神が創り出し、創造主の他に神はいない」と宣言した
「一神教の始まり」を知りたいです。

A 回答 (6件)

>「一神教」という考え方は、いつ、どこから、どこで、どんな人達が、どんな発想で


どんな発想で の部分に対する回答です。
まず、一神教のうち、唯一神教に限定します。(多神のうち1柱だけを信じる、というタイプの一神教を除外。)
神の能力について考えます。全能か否か。自己参照パラドクスまでは考えないとします。
※自己参照パラドクスとは、たとえば、「自身が持ち上げられないほどの大岩を作ることができるか」というようなもの。
神は全能であるとします。論理的に、神は最大で1柱。
証明。神が2柱とする。戦ったらどうなるか? 負け(引き分け含む)たほうは全能では無い。よって、神ではない。
結論。神は全能であるなら、神は不在または1柱に限定される。

※多神教の神だと、たとえばゼウス。しばしば浮気するが、妻にバレて浮気相手がボコボコにされてる。
 よって、浮気を隠蔽できないので、ゼウスは全能ではない。
 妻(ヘラ)は、美しさでアフロディナに負ける。よって全能ではない。
※※更に、神は全能と定義すると、必然的に、全能ではないものは神ではない。
 (=多神教を信じている者も無神論者である。)
  論理的にこうなります。

神の存在証明。
この世の万物はどうして存在するか。
可能性としては、以下のどれか。
 ・ある時点で誰かが作った。その誰かのことを神ということとする。
 ・ある時点で無から発生した。(現代科学は、一応、この立場)
 ・無限の昔から存在した。
どれも、この世の万物の観察結果から矛盾。(たとえば、人間は無からは発生しない。とある行為が必要。)
でも、どれか1つを回答とするなら、最も矛盾が少ないものを選ぶことになります。
過去の宗教の1番人気は、「神が作った」。矛盾のすべてを「神」に押しつけるので、矛盾は1つだけになるから。

>神(精霊)はいたるところにいる
この考えの最大の弱点は、「神は全能ではない」となってしまうこと。
要するに、全能ではないなら、人間と神がタイマン張ったとして、人間が勝つ可能性がゼロではない(まあ、ほぼゼロだが。)こと。
また、神託が間違っている可能性がある(要するに、神託に従わない者に従わない理由を与えてしまう)のを認めてしまうこと。
こういう考えが気に入らないなら、「神は全能」とするしかないです。

よって、
一神教(唯一神教)の始まり:神は全能と考えたこと。
布教上の難点は、神は全能なら神託は外れないはずなので、実際外れたときどうするか、ということですが、
神託の文言を抽象的にして、神託受けた人間が解釈を間違えた、とすればいいので、どうとでもなります。

以上の出典
アシモフ 「聖書を科学する」
うろ覚えで書いてるのでページまでは無理だけど、趣旨の逸脱はしてないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「聖書を科学する」読みたくなりました。
「I, Robot」は好きな本ですが、まさか、聖書についても著作があったとは。

スキのない理詰めで、突っ込みどころを思いつくことが、とっさにはできません。
もっと、文系でドロドロした感じの悩み方で質問したので、うーーん、という感じです。

あえて言うと、「なんで全能と考えたくなったのか?」ですが、
「自分たちの神が全能、と規定することで、他の人達の神を否定したかったから」ということでしょうか。

「あんた達の神とタイマン張ったら、うちの神が絶対勝つよ。だって全能だもん」と。

大変参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/07 12:09

文字として確認できる記録の中でもっとの古いのは聖書です


西暦前1513年に記録され始めた聖書はヘブライ語でYHWHで表記される神だけを崇拝するように命じています(申命記10章20節など)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり、エジプトの神々に対抗するためだったのでしょうか。
「危機に際してはカリスマ的リーダーが求められる」という説を思い出してしまいました。

YHWH、綴りに母音が入っていないのですね。
ヤハウェとか記述されますが、日本人的には発音しにくいですね。

お礼日時:2015/12/11 19:14

出版物の要約ですが、



聖書は、宗教が数多く存在するようになったいきさつを略述しています。
聖書の創世記は「全地は一つの言語、一式の言葉のままであった。そして、東に向かって旅をしているうちに、人々はやがてシナルの地に谷あいの平原を見つけて、そこに住むようになった」と述べています。シナルは、文明発祥の地と呼ばれるメソポタミアにあります。

そして人々がシナルの平原に定着すると、ある建築計画のために集まってきたことをさらに次のように述べています。「さあ、我々のために都市を、そして塔を建て、その頂を天に届かせよう。そして、大いに我々の名を揚げて、地の全面に散らされることのないようにしよう」。

この都市また塔はバベル、またはバビロンと呼ばれ主として宗教的な都市でした。ここで人々は、三つ組の神々、人間の魂の不滅性に対する信仰、地獄への信仰、および占星術、偶像崇拝などを始めまました。この建築計画に対し、唯一創造主である神は人々の言語を混乱させ、もはや互いに意思を通わせることができなくなった建築者たちはその計画をあとにして、別々の方角へ移って行きました。どこへ行ったにしても、それらの人々は自分たちの宗教的な信条と概念、言い伝え、神話を携えて行ったため、幾千年にもわたって各地で発展した現代世界の諸宗教の根底には類似性があり、それらが同じ源であるバベル、つまりバビロンに由来することを裏付けています。

ある専門家は「エジプト人、ギリシャ人、ローマ人だけでなく、ヒンズー教徒や、中国やチベットの仏教徒、またメキシコ人やペルー人、オーストラリアの原住民、さらには、南洋諸島の未開人にいたるまで、すべてはその宗教上のさまざまな考えを共通の中心地から受け継いだに違いない。その儀式、習慣、伝承また神の名や関係に、驚くほどの一致がいたるところに見られる」。別の専門家もこの点を確証し「過去半世紀の考古学と民族誌は、旧世界の古代文明―エジプト、メソポタミア、クレタおよびギリシャ、インドそして中国の文明―が単一の出発点に由来していることを明らかにしている。」と述べています。

上記のことからすると、多神教を違うと否定し一神教が始まったのではなく、その逆に、万物の祖を崇拝する一神教が人類の祖先と共に元来存在していたところに、言語学上の化石から推定4000から5000年ほど前、古代メソポタミヤで、唯一神に反抗する人々によって多神教が始められた、ということができそうです。
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この回答へのお礼

バベルの塔の後、多言語になったのに伴い、種々の神、宗教が生まれた、という解釈ですね。

とすると、キリスト教宣教師が世界中に足を運び、キリスト教を広めていったのは、散らばってしまった宗教を、再び一つの統一する作業、ということですね。

>推定4000から5000年ほど前

古代バビロニアの一神教発生も、中国4千年に匹敵するほど古いわけですね。

いろいろと興味深い回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/12/01 21:50

記録に残っている中では、古代エジプトのアメンホテプ4世(アクエンアテンとも。

紀元前14世紀)のアテン信仰が、一神教の先駆とされています。アテンは太陽神ですが、アメンホテプが祀り上げるまで、かなりマイナーな神だったようです。
ちなみにフロイトはユダヤの一神教も、実はアテン信仰の影響下に生まれたという仮説を提唱しています。
http://sekibang.blogspot.jp/2009/06/blog-post_06 …

古代ペルシアのゾロアスター教を一神教とする見方もありますが、ゾロアスター教の聖典には多くの神々が登場しますので、多神教とみてよさそうです。
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この回答へのお礼

ご紹介URL、大変面白かったです。

フロイトの分析、
私も、「いやもう、参った!」という気分になりました。

多神教のエジプト自身が、政治的に一神教を産みだしたというのも、なかなかに興味深いです。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/01 21:22

推測ですが、アジアとかアフリカとか、生命が


満ちあふれる世界では、多神教になるのだと
思います。

地にも空にも、水にも生命が溢れています。
そのそれぞれに、異なる魂の存在を感じるのが
自然でしょう。

これに対して、砂漠のように生命の乏しい世界
では一神教になる傾向が強いのだと考えて
います。

見渡す限り、砂だらけで、天に鳥なき、地に
走獣なし、という世界では、多神教は難しく
世界を覆う天が一つであるところから、
一神教が生まれるのではないでしょうか。

そしてユダヤ教は砂漠の宗教であり、キリスト教は
そのユダヤ教から派生した宗教です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自然環境の違いから、ということですね。
なるほど、と思いました。

参考になりました。

お礼日時:2015/12/01 21:09

それ以前にも信仰はありましたが、モーセが編集した聖書の最初の五書(紀元前13世紀頃)が誰でも入手可能な記録として残ってる一番ふるいもの。


 創造者がトップですが、それに反対する立場のサタン。また、他民族が別の神を信仰していることも、正直に記しています。
 モーセがエジプトを脱出する前、十の災厄でエジプトの神官たちと、どちらの神がより強い力を持っているのかを示すようなシーンもあります。
 シナイ山で、神自ら十戒を授けたという記述から、神が自らはじめた信仰と受け止められます。
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この回答へのお礼

紀元前13世紀、ということは、中国の4千年、よりちょっと後、ということですね。

>どちらの神がより強い力を持っているのか

ということは、エジプトの神々の存在を認めたうえで、どっちが上位の神かを争った、ということですね。
つまりは、「一番強い神が一番偉くて、正しい。だから、その神だけを信じよ」ということですか?

私の、一神教のイメージは間違ってたみたいな気がしてきます。
やはり、旧約聖書をよく読まないと、ナゾは解けないかも、ですね。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/01 21:07

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