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一般人で単純に音楽好きなので作曲理論とかは解りませんが、芸術音楽と映画音楽の違いについて質問します。
ホルストの惑星は芸術作品としてコンサートで演奏されたり多くのCDが発売されていますね。ムソルグスキーのはげ山の一夜、リムスキーコルサコフのシェーラザードなどもソフトなメロディーから躍動的なメロディーまでいろんな音楽で組み立てられた有名な芸術作品と認識されていますが・・・
これらの作品が芸術なら初代ロボコップのサントラも似たような感じの曲風なので芸術作品となりませんかね?作曲はベージル・ポールドゥリスです。

聞いていて組曲惑星とロボコップサントラって雰囲気が似ているとずっと思っていて、ならロボコップも芸術作品で良いのでは?と思っていました。でもロボコップは永遠にサントラですよね、いったいクラシック音楽のような芸術音楽と映画のサントラは音楽として何が違うのですか?基準とか有るのでしょうかね。
ベートヴェンとかモーツアルトとかは素人の私でも芸術性を感じますが、新しくなるほど映画音楽と似てきて区分けが良く解らないのです。芸術音楽は特殊な作曲技法や演奏技術を要するとか判断基準が有るのでしょうか?作曲者のネームバリューで決まるのでしょうか?音楽の用途や目的で決まるのでしょうか?詳しい方、音楽のプロの方、音大の学生さん、映画関係者の方、御意見を聞かせてください。
よろしくお願いします。
もしもベートヴェンになにも教えずに惑星とロボコップを聞かせたらどちらを評価するかなとか考えてみるのも面白いかな?

私は全くの素人です、馬鹿なことを聞くなとか、叱責や説教されても困りますので優しく説明をお願いします。

「芸術音楽と映画音楽の違い」の質問画像

A 回答 (6件)

映画音楽だから芸術性が低いと言うことは無いと思いますが、目的が異なるので、音楽としての違いはあると思います。



『ゴジラ』を初めとする映画音楽でも成功した伊福部昭は、純音楽と映画音楽の違いについて、下記のような言葉を残しています。

〈映画の音楽は音響だけではダメで、かといって純音楽でもいけない。ベートーベンでは音楽すぎて、映画音楽にならないんです。ミュージックマイナスワン、つまり音楽としての自律性を犠牲にして、ドラマツルギーと映像を生かすんです〉(「週刊文春」平成十年=一九九八年三月十二日号より)
引用元URL:http://hon.bunshun.jp/articles/-/2593

やっぱり映画音楽(あるいは昔のオペラもそうですが)は「商業的成功」を収めないといけないので、どこかで「芸術家としての妥協」を作曲家に要求する部分があり、それが芸術性云々の話に繋がってくるのかなと言う気はします。

ただ、商業的成功を目的として作られた音楽が、本当に芸術としての妥協の産物なのかと言うと、必ずしもそうならないのが芸術の面白いところだと思います。むしろ作曲家の頭でっかちな思考で作られた音楽の方が、大衆が選ぶ音楽よりも客観的なクオリティとしては劣っているということもままあると思います。

もちろん、大衆の選択の方が間違っている場合だって数多いです。モーツアルトの存命中はサリエリの方がはるかに人気作曲家でした。一方で、ビートルズは、単なる流行歌扱いされていたものが、人々に愛唱され続けて、今では古典音楽と肩を並べる存在になっています。

結局、その音楽に「芸術性」があるか否かは、純音楽、映画音楽等のジャンルに関係なく、「時間を経ても世の中に音楽として聴き継がれていくかどうか」と言うこの一点で決まるのではないでしょうか。

今世の中で流行っている音楽の多くは、もちろん、去年や今年のCDの売り上げでは、ベートーベンやモーツアルトのCDの売り上げを大きく上回っているでしょうが、あと50年経ったらどうでしょうか。その時でもベートーベンやモーツアルトと同様に、その音楽が世の中で聴き継がれているようであれば、芸術作品として十分な価値があったのだと言うことになると思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
>時間を経ても世の中に音楽として聴き継がれていくかどうか
ビートルズの例も良く解ります。
私もそのように思います。すると作曲された直後には芸術作品としての音楽は存在しないということですね。
映画のサントラの場合
各シーンに応じて断片的に作曲された音楽を再構成している場合が多く、その意味では音楽性がアップして芸術作品に近づいているとも考えられますね。

後世に残る音楽の要因ってなんなんでしょうね?心理学的に人の脳に残る音階とか有るのでしょうかね。

お礼日時:2016/03/20 19:32

No.3です。

まだ閉じられていないようなので、もう一言。

私もNo.3で述べて、他の回答者の皆さまも書いているような内容は、下記の本を読むと少し論理的な根拠が見えてくると思います。
タイトルは堅苦しそうですが、サブタイトルの「クラシックの黄昏」が中身を象徴しています。
ドイツ・ロマン派の時代に確立した、音楽は「言葉がないゆえに、言葉では表せない精神性をもつ」とした美学が、現代日本のクラシック界の主流ということが、批判的な立場から書かれています。
日本で主流の「ドイツ音楽」や、「交響曲」などの「純粋音楽」や暗いコンサートホールでかしこまって音楽を聴く文化とは異なる、フランスやイタリアの音楽文化も(「オペラ」とか「サロン音楽」の世界)。

一度お読みになることをお勧めします。新書で一般向けです。

岡田 暁生 (著)「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 」(中公新書)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9F …
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この回答へのお礼

書籍の御紹介有難うございます。

お礼日時:2016/03/23 21:36

shibasaki2015さん、とても興味深いご質問ですね。

映画のサントラ(または劇伴)と、クラシック音楽との違いは何か?
自分もただただクラシック(オーケストラ・ミュージック)音楽が好きなだけの愛好家の一人に過ぎませんが、見解を述べさせていただきます。

まず、結論ですが、個人的な見解としては現代において作曲創作における違いは「ない」と考えます。
これはまず歴史的、文化的背景が今とは大きく異なるからです。もっと詳細に文献や資料を当たれば論理的な説明も可能とは思いますが、それは専門家におまかせということで・・・(^-^)
モーツァルトの活躍した「古典派」の時代、音楽はまだ市民のものではなく、また依頼者や社会的制約もあって作曲家の好き勝手には作れませんでした。それを打ち破ったのがベートーヴェンという偉大な方なのですが。

それから私はクラシック音楽だけが、また過去の有名な作曲家が作曲した曲だけが「芸術だ」という指摘にはどうしても抵抗感が否めません。過去が全て最高となってしまっては、現在において作曲するという行為がまったく無意味な行為になりませんか?
権威に弱い日本人はこの「芸術性」という言葉に、偏った印象を持ちがちだと思うので、モーツァルトやベートーヴェンの曲が「芸術だ」となると、その音楽の個人の受けとめ方を大きく左右してしまうように感じます。
モーツァルトもベートーヴェンも内から湧き上がる思想、精神性を表現したのであって、人類史に未来永劫残るような「ゲイジュツ作品」を書いてやろうとは思っていなかったことでしょう。(あ、ヴァーグナー先生は違うか(^^ゞ)

さて、20世紀初頭まで、またそれ以前でも同様なのですが、作曲家たちは曲によって曲想や作曲技法を変えていました。
同じ作曲家によって書かれた交響曲と映画音楽では、明らかにその作品内容は異なり、映画音楽やバレエ音楽は平易に書かれている( 聞き易い 難解でない )ケースが多いです。
これは作曲家自身が曲想を、書く作品を明確に区別していたからにほかなりません。だからと言って、映画音楽やバレエ音楽を軽視していたわけではないので、誤解無き様。素晴らしい作品は山ほどあります。(区別の理由は時代的な背景によるもので、文化感、思想的な考え方によるもの)
ですが、一般的にはこれが「映画音楽は軽い」と思われる起因となっているのではないでしょうか。
もう一つ、これは別の回答者も指摘しておられますが、「映画音楽」は作曲家の好き勝手に作れるものではないという点でしょう。これは映画監督が曲想や映像イメージを聞き、それをもとに作曲をするという作業があるためです。作曲家は監督の意にそぐわない曲は書きません。作曲家はその意向に近づけつつ作曲することになり、作品性や個性を追求出来ないので、印象のないその場的(ちょっと表現は良くないですが)な曲が出来てしまうこともあると思います。

そうした映画音楽であっても、私たちの気付かない所で名曲や素晴らしい作品は確実に生まれているわけです。
shibasaki2015さんの「芸術音楽は特殊な作曲技法や演奏技術を要するとか判断基準が有るのでしょうか?作曲者のネームバリューで決まるのでしょうか?音楽の用途や目的で決まるのでしょうか?」
という問いに対し、それに気づくかどうかは我々聴き手の判断に任されているわけで、「芸術性が高い、低い」ではなく、良いと感じる点や好きな思いを相手に伝えられることができるか、それを共感してもらえるかどうかによるのではないでしょうか。
過去の作品はその曲の素晴らしさが演奏家によって十分に伝えられ、それが世界中の人々に受け入られているからこそ、数百年たった現在でも演奏されているのではないでしょうか。
私は「ハリーポッター」や「パイレーツ・オフ・カリビアン」などのサントラは、充分「交響曲的作品」と言っても過言ではない作品になっていると思います。
作品が素晴らしいものであるならば、交響曲だろうが映画のサントラだろうが聴く楽しみ、高揚感には関係はないように思いますがいかがでしょうか。


また、私の聴く限り現代の作曲家でも、過去の作曲家のような明確な線引きをして作曲をしている人はそれほどいないように感じます。(もう、求めらていないですし)
shibasaki2015さんが感じる「新しくなるほど映画音楽と似てきて区分けが良く解らない」という印象はもっともだと思います。
現在は作曲技法や手段が多様化し、誰でも過去の作曲家が切り開いてきた最高のテクニックを用いること(または真似ること)が出来るのですから。
( 映画音楽ではリヒャルト・シュトラウスという作曲家が多大な影響を与えたと言われてますね )
少なくとも自分は、クラシック音楽が「芸術性が高い」と言われているから好んで聴いているわけではありませんし、曲の構成や旋律、楽器の響きがとても魅力的だからで、ほかにサントラ、イージーリスニング、ジャズ、初音ミクもゲームミュージックでも好きな曲がたっくさんあります。「芸術性」は音楽の一要素に過ぎないと思うのですが・・・

以上、参考となりましたら幸いです。
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この回答へのお礼

詳しい回答有難うございます。
時代背景と絡めて映画音楽が軽いとみなされる理由が良く理解できました。文章がうまいですね!!
おっしゃることに共感しています。さすがにゲーム音楽はあまり聞いたことが無いのですが・・・・
>曲の構成や旋律、楽器の響きがとても魅力的
たしかに素晴らしい旋律が多くてCMなどでも編曲されたりして良く使われますよね。
現代でも音楽が生きていますよね、さすが過去の大作曲家の先生の方々ですね。
迫力系の楽曲ならロボコップも負けていないかな?
>権威に弱い日本人
私は素人なので何も解りませんが、義務教育レベルでベートヴェンやモーツアルトの音楽を学び、テストに出題して回答させているのが疑問でした。
音楽の道に進む人向けの教育なら解るのですが・・・
これで音楽が嫌いとなり卒業して自由に楽しめるようになって「惑星も好きだしロボコップもいいよね」と感じるようになりました。そしてクラシックの芸術性を感じて面白くなれば勝手に素人知識を蓄えちゃいますよね・・・作曲はできませんけど。

ロボコップがとても好きなので例に挙げていますが、サンダーバード実写版も好きです。
危機迫りくる系の音楽ならターミネーターが定番かな。なんて・・・・いずれもTVとかで演出のため使われる定番のメロディー化しつつあるように思います。
将来の殿堂入りめざしてがんばってほしいです。

お礼日時:2016/03/20 18:49

映画音楽やテレビドラマの音楽は、20世紀以降は「オペラの発展形」と考えることができると思います。

ストーリーのある、言葉や情景、視覚要素、心理描写と音楽との一体的な作品という意味では、同じようなものでしょう。
バレエ音楽や劇付随音楽なとも同じようなものです。
いずれも、「芸術」などのたいそうなものというよりは、実用音楽だと思います。

そもそも「オペラ」は社交界の娯楽であって、芸術とは違います。歌舞伎や能、狂言などを「(伝統)芸能」と呼ぶのであれば、オペラも「芸能」でしょう。歌舞伎なんて、江戸時代には庶民の娯楽だったのですよね。今の映画やテレビと同じ。

ショスタコーヴィチも、映画音楽でアメリカのアカデミー賞に何度もノミネートされていますし(本人が望んだかどうかは別として)、黛敏郎氏も1966年に「天地創造」で作曲賞にノミネートされています。プロコフィエフも、フランス6人組(オネゲル、プーランク、ミヨー、オーリックなど)も、武満徹も、芥川也寸志も、團伊玖磨も、みんな映画音楽を作りました。
20世紀の主な作曲家は、ほとんどが映画音楽も手掛けています。映画音楽を作らなかったのは、よほど売れない作曲家か、相性が悪かったからなのでしょう。(ストラヴィンスキーは映画音楽を作りませんでしたね)

そんな風に考えていくと、映画音楽と芸術音楽という区別自体が、意味のないもののように思います。「ジャンル」などの分類や枠にとらわれず、もっと自由に楽しめばよいと思います。
(逆に、日本のクラシック界の方々が、あまりにアカデミックな世界だけに生きていて、「クラシック以外」を知らなさすぎるような気がしています)

勝手な言いたい放題でした。
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この回答へのお礼

詳しい回答を頂き有難うございます。
私も大いに同感です。いろんなジャンルの音楽を好きなように聞いています。
「日本のクラシック界の方々が、あまりにアカデミックな世界だけに生きていて」そうなんですよね・・・現在は様子が異なってきているようですが、長年に渡り文部省なんかがクラシック以外ダメ音楽として認めませんでしたものね。学校の文化祭ではロックは不可とかね・・・クラシックは唯一の崇高なる音楽芸術でした。
恥ずかしながら卒業してからクラシックやジャズ、ボサノバ・・・いろいろ良さが解って音楽を楽しめるようになりました。

お礼日時:2016/03/20 18:23

映画のBGMとして作曲されたものを映画音楽といいます。


映画のない時代にはオペラや喜劇などの舞台のために作曲されたものは現在ではもちろんクラシックと呼ばれます。
結局、音楽とは(もちろん文学も・・・ようするに芸術は)長年大衆に聞かれ現代にも残ったものがクラシックと呼ばれているわけです。

SW帝国の逆襲で使われている帝国のテーマ(ダースベイダーのテーマ?)は「惑星」の一曲と何ら遜色はないと思いますし、SWの音楽もすでに40年近い年数が経っています。
アメリカの今ではクラシック扱いされているアンダーソンやガーシュウイン等の音楽は5~60年ほどしか経っていませんし、ロシアのストラビンスキーの「火の鳥」などは100年そこそこです。

ようするにオーケストラ編成での映画音楽が100年200年経っても愛されて聞かれたならばクラシックだと思います。
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この回答へのお礼

早々の御回答有難うございます。
芸術作品かどうか決めるのは後世の人ということですね?
ロボコップが50年後に音楽単独で聞かれるかどうかにかかっていますね?
100年経てば殿堂入りですね。

ロボコップは1987年ですから29年経っています。
100年経てば殿堂入りですね。
がんばれロボコップ!!芸術作品に認定されるまで!!
バックトゥーザフューチャーが先かな?

「運命」とか「ジュピター」は最初から芸術作品として生まれてきた音楽と思っていました。ベートーヴェンやモーツアルトがBGMとして軽いノリで作曲しいたのを後世が勝手に芸術作品と認定したとも考えられないのですが?
何か愛されて聞き続けられてゆくためには、作品の中に何かが有りそうですね。

お礼日時:2016/03/19 23:22

私は、65歳男性。

ギターが大好きで、年金生活。ギター歴52年。

音楽の癒しを理解できましたから、53歳で、介護の仕事柄に、

「音楽療法士」の資格があります。


芸術音楽は、本当に心を癒してくれます。「G線上のアリア」など、

BJMには最適ですね。


映画音楽は監督、プロディュウサーが映画にふさわしいアーティストを

指名。私のファンのエリッククラプトンが手掛けたものに敬意を表しま

す。

映画の場面に応じ、曲想をねり、演出重点のものが、湧き出ているのか

も。

この点が相違があると思います。
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この回答へのお礼

早速の回答有難うございます。
シーンに応じた演出音楽は芸術ではないとするならば、ストラビンスキーの春の祭典とかチャイコフスキーの白鳥の湖は芸術音楽に入らなくなってしまいそうです。
ベートーヴェンの田園とか微妙になってきますね・・・・癒し感満点ですが。
考えるほどに良く分からなくなりますね。

お礼日時:2016/03/19 21:28

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