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最初に、これは質問者自身、何を問いたいのか?何を問うているのかが甚だ曖昧な質問であり、そもそも「問いかけ」として成立し得るのかさえ心もとない疑問です。

ですからこの質問自体が「意味不明の妄言」であると判断された場合は、そのまま無視してください。

これはぶらじゅろーぬさんが、別のところで述べておられた、「可知」「既知」「未知」「不可知」そして「非知」という言葉に触発された疑問ですが、ここではもともとのぶらじゅろーぬさんの議論を離れて、甚だ「知的」ならざる愚問を発してみたいと考えます。

「知る」について―疑問:1

例えばここに一台のグランドピアノがあります。その中で、ひとつだけ、音の出ない鍵盤があります。
その出ない音はなにか?は、その左右の音を確認することで明らかになります。
では仮にその「音の出ない鍵盤」以外のキーをすべて囲ってしまい、触れることが出来るのはその音の出ない鍵盤のみである場合に、「出ていない音」を知ることは可能でしょうか?
(この場合、鍵盤を叩く者は目隠しをしていて、音の出ない鍵盤の「位置」を確かめることもできない)


「知る」について―疑問:2

モンテーニュの有名な言葉、「わたしは何を知っているか?」(ク・セ・ジュ)Que sais-je ?

この言葉を

「わたしは何を知らないか?」と言い換えることは可能でしょうか?

「わたしは何を知らないかを知っている」という命題は成立するでしょうか?

勿論これは「わたしはロシア語を知らない(ということ)を知っている」というような意味ではありません。
なぜならこの場合「ロシア語」は「未知」であって「非知」ではないからです。

同様に「あなたはなにを知りませんか?」と訊いたときに、「~を知りません」と言える領域は「未知」のものに限られるのではないでしょうか?
「○○という本があることは知っているが読んだことはない」
「○○という映画があることは知っているが観たことことはない(内容も知らない)」
「○○という理論があることは聞いたことがあるがそれについては何も知らない」
「近所に田中さんという家が越してきたが、まだ会ったことはない」

例えば化学の「周期表」のようなものがあって、何が「未発見」「未知」であるかはわかっているばあい、これは「わたしはなにを知らないかを知っている」といえると思います。

改めて、質問:2

「わたしは知らないものを知ることはできないか?」

「あなたは何を知らないかを知っているか?」

こんなことをぼそぼそと考えてみました。

尚、ぶらじゅろーぬさんの「可知」「既知」「未知」「不可知」「非知」についての解説は以下に述べられています。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9303164.html

繰り返しますが、質問者が何を問うているのかよく理解できていないので、万一回答をいただいても理解できない可能性があります。予めご了承ください。

質問者からの補足コメント

  • 「わたしはなにを知らないか?」を知ることができないのは何故か?

      補足日時:2016/06/15 01:40
  • No.3 yy8さんの回答への補足。

    >わたしはなにを知らないか?」を知ることができないのは何故か?

    >「なに」に物、事を入れて見ないから知ることができないのでしょう。
    「なに」に物、事を入れて見れば知るか知らないか、を知ることができるはずです。

    これもその通りです。「なに」に具体的な名詞を入れればいいことです、それを知っている、しらない。

    しかし「わたしはこれまで誰と出会わなかったか?」を知ることはできるか?と問う時に、この「誰」のところに「鈴木さん」とか「竹内さん」という名前を入れれば、それはそうですが、わたしが過去に会わなかった「未知の人」が、鈴木さん36歳女性、ということは、どのように知れるのでしょうか?

    yy8さん、もうさじ投げていいですよ。

      補足日時:2016/06/15 12:06
  • 「わたしは何を知らないか?」は、何を知らないかを「特定」できない限り知り得ない。か・・・

    このような問いを受けたものは
    「○○って知ってる?」「××って知ってる?」と片っ端から名前を挙げてゆき、わたしは「知ってる」「知らない」と答える。

    そして最後に「あなたはあなたの知らないものを知ってる?」という問いが為されたら?

    わたしにはまだ出会ったことのない誰かがいるような気がする。また過去に出会うことになかった人がいたような気がする。

      補足日時:2016/06/15 12:36
  • 「神」が全知全能であるなら、神はなにかを「知らない」ということを知っているでしょうか?つまり「無知」という状態を理解し得るでしょうか?
    また神の描いた絵、神の作った曲は全ての人に愛されるでしょうか?

    過たない神であるなら、何故人の痛み、悲しみを知ることができるのでしょう?

      補足日時:2016/06/17 02:48
  • 「全知全能」ということについて、たしかパスカルだったか、
    『神は自分の跳び越すことのできない壁を造ることができないから全知全能ではない』というようなことを言っています。

    パスカルは熱心なクリスチャンです。神が「全知全能」ではいけないのではないか?

    神を愛するとは「完璧なものを愛する」ということなのか?「あやまつ」という「人間味」のない存在を、人間は愛し得るのか?
    「人間を超えた存在だからこそ」その超越性にわが身を委ねるのだろうか?
    死せる魂を不死の船へ。

      補足日時:2016/06/17 23:40
  • 禅問答的「未知」「既知」「非知」考 に回答をお寄せ下さった皆さん。わたしのとりとめもない妄想に長くお付き合いくださりありがとうございました。
    改めていただいた回答を読み返してみましたが、みなさん様々な角度からお考えを示していただき、
    それに甲乙をつけることが出来ませんでした。
    基本的にベストアンサーを決めずに締め切ることはしないのですが、今回は質問の特異性とうこともありご容赦ください。

    ご回答いただいた皆様に改めてお礼を申し上げます。お付き合いありがとうございました。

      補足日時:2016/06/20 23:38

A 回答 (26件中11~20件)

★(補足欄) 「神」が全知全能であるなら、神はなにかを


「知らない」ということを知っているでしょうか? ・・・
☆ 神は 地上の経験世界における≪有る無し≫を超えています。
あるいは ≪善悪≫の彼岸です。

神は 至高の善であるとか 神は愛なりとか 聖なる存在であ
るとかと言ったりしますが それらはみな ≪善と悪や 愛情
と憎悪や 清浄と汚穢などなど≫の対立する二つの事項をあた
かも含みつつ超えています。

言わば 有知と無知 よろこびと悲しみ あるいは美醜・強弱
等々の相対性という波風の立つ海を渡ったのち 向こう岸にた
どりついている。

ということだと思います。

だって 自分の独り子をはりつけにされるというはかりごとを
考え実行に移したくらいですから。
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この回答へのお礼

「非経験の場」「善悪の彼岸」或いは、さまざまな対立項を超越した存在。

であるとすれば、われわれ生身の人間と神との接点とはなんでしょう?

ここのところ、理解が足らず満足なお礼が出来ない事歯がゆく思います。

引き続きのご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/06/17 23:23

#8です。



>やはりなにか「存在しているかどうか自体を知らない」モノ(ひと)のことを考えてしまいます。

「存在しているかどうか自体を知らない」モノ(ひと)=非知のモノ(ひと)
ですね。
神ならぬ人間である以上、『非知のモノ(ひと)』の存在は必然ですから、
>わたしにはまだ出会ったことのない誰かがいるような気がする。

ともおっしゃってますが、正確には「誰かがいる」と断定して構わないと思います。

>これってどういう心理なんでしょうかね?

まあ、「知り得ないからこそ知りたい」という心理自体は自然なものじゃないでしょうか。
尤も、偶然の結果として知ることはできますよね。
『非知のモノ(ひと)』のほうから近づいてきて、姿を現すことはあり得るわけですから。
『新しいモノ(ひと)』との出会いを希求している心理、ということになるのかもしれません。
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この回答へのお礼

こんばんは。

>『新しいモノ(ひと)』との出会いを希求している心理、ということになるのかもしれません。

そうなんでしょうね。上のニャンポコさんのところにも書きましたが、ふつうのひと、或いは若く健康な人であれば、それは単に「まだ出会っていない人」=いずれ出会うであろう人と、勘定にいれることもできるでしょうけれど、もうそれも難しいとなると、「夢の中」とか「パラレルワールド」の中での出会いということぐらいしかなくなって、現実味は非常に薄くなる。で、うつつの世界から「夢」の中をのぞいたり、どこかにいるかもしれないもう一人の自分=「誰かがいる自分」というものを想像してしまうのかもしれません(苦笑)

再度のご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/06/16 23:52

>私にはまだ出会ったことのない誰かがいるような気がする



今朝、ふっと思いました。
ずいぶん昔に、私の頭の中に湧いてきた思いであることを思い出しました。
芥川龍之介の仏教文学的感覚のように思います。

未検証で非論理的なことを申し上げますが、この感覚は人間が過去世におい
て強烈に縁のあった人間に対する思いなのではないかと。

ある時私はある男友達と大変に意気投合し、週末になると一緒に酒を飲んで
いました。そして、「はるか昔から友達同士だった気がする」と言い合った
ものでした。
本当に会いたい人に出会ったのではないか?いや、違うような気もする、と
思いました。

もう一つの経験は恋愛です。猛烈な恋愛を一度だけしました。その時は、運
命の赤い糸どころではなく、赤い鎖でつながれていたのだと思いました。
やはり、一緒にいて「永劫の昔」から一緒にいる感覚をお互いに共有しまし
た。

それから、これはつい最近のことですが、強烈に意気投合する男との出会い
がありました。
初めての出会いの時には時間を忘れ5時間も話し込みました。その後も会えば
予定の時間をはるかに越えて話し込んでしまう。仕事にならないのですが、つ
いつい。
今度こそは本物の出会いなのではないかとも思います(笑)。

「出会いたくない」もありましょうが、恋い焦がれる「出会い」も潜在意識の
中にあり、これが人間の行動の源泉の一つになっていることは間違いないと思
います。
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この回答へのお礼

へえ。同性でも異性でも、気が合う仲間との出会いっていいものでしょうね。
わたしには友だちと呼べる人がいないので、時々夢を見ます。男性や女性とり交ぜてたくさんの友達に囲まれている自分。

恋愛にあこがれるよりも「友情」により憧れがあります。
恋人のいる人に嫉妬はしませんが、いい友達を持っている人は羨ましいと思います。
同時に自分の空虚さを痛感します。

昔からそんなことを考えてきました。自分は誰からも愛されない存在だと。

それが「過去の生」かあるいはパラレルワールドのようなもう一つの世界なのかわかりませんが、なにか、自分が手にすることが出来なかったものへの強い憧れがあるのかもしれませんね。

素晴らしい出会いがあってよかったですね。

お礼日時:2016/06/16 23:44

◇(回答№10) ~~~~~~~~~~~


「不可知」とは、人間がその一部を認識できる「世界」全体に
対して、認識出来ない部分を意味すると思います。(認識外に
存在すると想定される部分)

それに対して、「非知」とは、その一部分すら認識出来ない存
在を意味します。(認識外に存在する事もわからない)

人間が、「世界」の全てについて、その一部分を認識出来ると
考えれば、「非知」は「世界」には存在しないものと考えられ
ます。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり ここに次の一文を添えれば 分かりやすいと思い
ます。

○ ただし 非知は ≪認識しうるかどうかが分からないナゾ≫
と定義するからには その非知なる存在が 世界を超えたとこ
ろに求められるかも知れない。

あるいはつまり:
○ 超経験世界――つまり非経験の場――において 存在する
かも知れないし 存在しないかも知れない。

つまりは:
○ ≪存在する非知= 有る神≫と≪存在しない非知= 無い神≫
とのいづれについても 非知なるナゾであり得る。

☆ どちらか一方に排他的に決まったかたちで知り得たとした
ら それは非知ではなくなる。





むかしから日本人は 神はどの神でも同じひとつの神に通じる
と言い習わして来た。のではないでしょうか。

あの神とその神とで 神が違っている日にはお天道さんは西か
ら上がらぁと。

あいつの神とそいつの神が仲がわるいって? 冗談ぢゃない。
悪ふざけが過ぎる!! と。

普遍神の哲学だと思います。






★(№10お礼欄) わたしが「出会わなかった人はだれか?」
は永遠の非知ですかね?(苦笑)
☆ 気が付きました。≪まだ見ぬ人≫(№9お礼欄)を参考に
すれば これはどうも≪憧れ(あくがれ)の理論≫がかかわっ
ているのではないか。こう ふと思いました。

○ あくがれの理論
【Q:うつくしさに打たれたきみは だれになるのか?――
《あくがれ》の理論――】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9145860.html
☆ 不案内になりますが どうぞ趣旨説明欄をごらんくださ
い。
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みなさんのご見解に接して考えました。



≪非知≫をめぐる議論で キモとなることは ふたつでしょうか。

世界ないし人間がそこに居つつ向き合っている現実世界もしくは
世界現実を ≪経験事象≫と≪そうではなくそれを超えている場≫
とにきちんと分けるということが ひとつです。

経験かそうではないか。経験か非経験かにしっかり分けます。

もうひとつには ≪経験事象を超えている場≫というのですから
けっきょくそれは ≪想定する≫ことになるということです。

つまりは ≪経験的に有る無しを超えており 因果関係から自由
であり 時空間をやはり超えている場ないしそのチカラ≫として 
あくまで≪想定する≫ということに 鍵があります。

言葉ないし概念で説明しているからには その規定・定義は認識
しうるものですが その規定説明や認識内容そのものが 非知と
いうナゾではない。

≪絶対・無限・永遠・神の愛≫などとして説明されて受け取ったそ
の概念認識そのものが 絶対ではないし無限でもない。つまり
非知でもない。

想定した非知の本体は それら言葉による定義や説明の内容をと
うぜんのごとく超えています。

定義は 仮りのものであり 補助線です。言葉としての説明とそ
れが定義しているもの(非知)とは 互いに一対一の対応をして
いるかどうか。それが分からないというのが 正解だと考えられ
ます。

≪超えている≫というのは そういうことだと思われます。




◆(回答№6) ~~~~~~~~~~~~
「可知」「既知」「未知」「不可知」そして「非知」という硬直
した思考が、「知る」ことの本質を見逃しています。

「知る」ことつまりその認識によって、その知る対象が決定され、
存在確立が急上昇しているのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この文章に接して いままで見過ごしていたと気づいたこと
があります。

◆ 硬直した思考 / 存在確立が急上昇している
☆ 聞き慣れない表現ですが 気づいたと思ったことは こうで
す。

≪非知≫を説明に従って認識していくと その認識の内容が意識と
して自分を覆い包むように感じるようになる。といったことを言
っているのかも知れない。――これでした。

これは かんたんです。その認識はふつうのことであり ただし
≪意識≫はその認識につれて≪募ってくる≫のかも知れない・・・
ということに関しては その意識が≪非知ないし神≫ではないと
いうことが 重要です。

非知についての認識にともなう意識が激しく生きたもののように
迫って来る・・・としたら それは それが神だと思ってしまう
からではないでしょうか。
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№7を継ぎます。



≪梵我一如≫を類型とした議論は たとえば次があります。

○ 【Q:神をめぐる《非思考の庭》というべき信仰は すべて
梵我一如の類型である】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9048266.html
☆ わいわいえいと氏およびりゅぱん344氏がお相手してく
れています。



★ 想像することが出来る、と、イメージを持つことができる
は違いますか? 必ずしも普遍的に共有しうる同一のイメージ
ではないにしても。
☆ 専門に探究している方がいるかも分かりませんが 考える
に≪イメージ≫は 絵画や音楽のように感覚的であり ≪想像≫
は いくらか言葉をつうじての表現を含むように思われます。

ただし≪想像≫も 具体的なものごとから離れてヴァ―チュアル
な世界に入ることがありますから さほど変わりないようにも
見られます。

虚構としての物語は 想像力に恃んで作り出して行くと思われ
ます。しかも その物語の全体として これこれのイメージで
あるという形にまとめることも出来るかも知れません。

そう考えると 両者は 互いに入り組んでいるということでし
ょうか。



★ 「無」というイメージが持てないことを不思議に思ってい
ますが、「永遠」というイメージを持ったことはない。それは
きっと「無」は空間的な概念で、「空間」は視覚的なものです。
一方「永遠」は時間的な概念で、誰も「1時間」というイメー
ジを持つことはできないと思います。
☆ そうですね。そうみたいですね。

あぁ いまになって思い浮かぶのも変ですが ただし≪真空≫と
いうことを言う場合がありますね。

真空が何も無いというのは 間違いなようですが でも一定の
区切られた空間として俗に言う真空が かろうじて≪無≫のイメ
ージであるかも分かりません。とは思いましたが どうでしょ
う。

別建てで みなさんのご回答についてコメントをつづります。
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この回答へのお礼

こんばんは。

「自殺論」の方に入り浸っていて、自分の質問に頂いた回答を後回しにしていました(汗)
しかし「自殺論」の多くが「社会への迷惑」という風な捉えられ方をしていることに驚き呆れます。
それじゃあ町村議会の議論です。日本に哲学は根付かないですね。

真空は、単にからっぽの空間というイメージで、「無」という捉え方はわたしには難しいですね。

新たな質問、拝見しましたが、相変わらず難解ですね。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/06/16 23:30

質問の回答では無いですが、「不可知」とは、人間がその一部を認識できる「世界」全体に対して、認識出来ない部分を意味すると思います。

(認識外に存在すると想定される部分)
それに対して、「非知」とは、その一部分すら認識出来ない存在を意味します。(認識外に存在する事もわからない)
人間が、「世界」の全てについて、その一部分を認識出来ると考えれば、「非知」は「世界」には存在しないものと考えられます。
「未知」は、現在及び過去で認識出来ないものですが、それは未来で認識できる「世界」に存在可能なものです。
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この回答へのお礼

こんばんは。

「神」が「不可知」か「未知」か、或いは「非知」かで、ハコブルさんとぶらじゅろーぬさんの意見の相違がみられますね。
ハコブルさんの意見は竹を割ったように分かりやすい。実に論理的です。
ぶらじゅろーぬさんの「非知」も、わかりにくいですが、既存の概念だけでは哲学としての魅力に欠けるとも思います。
知的で個性的な人がもっと「哲学」の場にいて欲しいと思います。

わたしが「出会わなかった人はだれか?」は永遠の非知ですかね?(苦笑)

お付き合いくださってありがとうございます。

お礼日時:2016/06/16 03:00

№6のご意見は、おそろしく本源的なものに思えます。



ご質問の中の「知る」は、理性的に認識するという意味であると思います。
この「知る」を前提にした場合、「不可知」という概念が存在しうると思います。
「非知」という概念は、私はいまだによくつかめませんが、いずれにしてもやはり
答えは出ないと思います。

「理性」とともに人間が持っている「直観知」を両輪として認識できたときに、こ
の禅問答の答えが出てくるのでは「なかろうか」と思いました。
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この回答へのお礼

こんばんは、ニャンポコさん。

>ご質問の中の「知る」は、理性的に認識するという意味であると思います。

いや、そうでもありません。もっとこう漠然とした「感覚的」なもののようです。
「この世には今いったい何がないんだろう?」というような甚だ、「非・理性的」な感情です。

よく「まだ見ぬ人」って言いますね。あれのバリエーションなのかなとも思います。
「わたしはいったい誰と出会っていなかったんだろう?」という気持ち。
「わたしが出会わなかった人は誰なんだろう?」という思い。

昔から孤独でしたからね、こういう妄想めいたものが出てくるのかもしれません。

ニャンポコさんの「直感」についても参加したいのですがなかなか考えがまとまらなくて。

お付き合いくださってありがとうございます。

お礼日時:2016/06/16 02:46

最初に、「知らない」の意味について、


a.存在は知ってはいるが、どういったものであるかを知らない。
b.存在しているかどうか自体を知らない。
2通り挙げておきます。

1.
>「わたしは何を知らないかを知っている」という命題は成立するでしょうか?

a ⇒成立する。
b ⇒成立しない。

2.
>「わたしは知らないものを知ることはできないか?」

a ⇒知ることはできる。
b ⇒知ることはできない。但し、偶然の結果として知ることはできる。

3.
>「あなたは何を知らないかを知っているか?」

a ⇒知っている。
b ⇒知らない。あるいは、知り得ない。

4.
>「わたしはなにを知らないか?」を知ることができないのは何故か?

[ b.存在しているかどうか自体を知らない] 場合は、当然、知ることができません。
「○○を知らない」と言った時点で、すでに「○○」について言及しているわけですから、「存在しているかどうか自体を知らない」という前提に矛盾してしまうからです。
たとえば、ヒッグス粒子が想定、あるいは発見される以前の世界で、「わたしはヒッグス粒子を知らない」と言うことはできないでしょう。

5.
では、「神を知らない」の場合はどうか。
神の定義にもよるのですが、アラーやキリストなど名を冠せらた、何らかの力を意志的に発揮できるような神、のようにひとまず規定しておきます。
この場合、アラーやキリストを見たことが無いかぎり、
a.存在は知ってはいるが、どういったものであるかを知らない。
と言うことはできないでしょうから、
b.存在しているかどうか自体を知らない。
と言っていることになると思います。
神がいるともいないとも証明できない現段階において、これは論理的に整合性が取れている。

ここで、大辞泉の語釈から引用してみますが、
「未知」
まだ知らないこと。また、まだ知られていないこと。
「不可知」
人知では知ることができないこと。
です。
この両概念、現時点で知らないという点では共通していますが、「未知」の場合、「将来的には知ることのできる可能性が高い」と前提されていることがわかります。「不可知」はその逆で、可能性が全くと言ってよいほど前提されていない。
神に関して、存在を信じたい人にとっては「未知の存在」であり、まさか存在するはずは無いだろう(しかし、存在しないとも断定できない)と考える人にとっては「不可知の存在」と表現することになると思います。
「神を知らない」と言う場合、
b.存在しているかどうか自体を知らない。
という意味にならざるを得ないことは先述いたしましたが、未知か不可知かは趣味的な問題になる。
ただし、このように【神について [ すでに ] 取り上げている時点】で、「非知」という概念を適用するのは不合理でしょう。
知っているいないに拘わらず、知っているかいないかの対象として取り上げられてしまっているわけですから、「知に非ず(あらず)」とは言えないし、「未知」あるいは「不可知」と言えば、それで十分でしょう。
論理的整合性はありませんが、あえて「非知」と表現する意味があるとするなら、「神は畏れ多い存在であり、所詮、人間の思考に収まるようなものではない」という印象を植え付けようとすることぐらいじゃないですかね。
素人なので一貫性のある記述にはなっていないかもしれませんが、その辺りはご寛恕のほどを。
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この回答へのお礼

こんばんは、ハコブルさん。

非常に単純明快なお答えを頂きました。

>最初に、「知らない」の意味について、
a.存在は知ってはいるが、どういったものであるかを知らない。
b.存在しているかどうか自体を知らない。

と、「知る」を2種類にわけて、それぞれの命題について当て嵌めていってくださったわけですが、わたしの引っかかっているのは、
>b.存在しているかどうか自体を知らない。のようです。
お答えの4)で明らかにされているように、[存在しているかどうか自体を知らない] 場合は、当然、知ることができません。

ただ、わたしは時々、「この世界にはいったいなにがないんだろう?」と考えることがあります。また上にも書いたように、「わたしはいったい誰に出会わなかったんだろうか?」と。

「わたしは何を知らないか?」は、例えば、世界中の「モノの名」「作品名」「人名」「地名」「理論」。。。等々を一つの円の中に集めて、「知ってる」「知らない」と分けてゆけば、「知らないもの」がわかる理屈ですが、やはりなにか「存在しているかどうか自体を知らない」モノ(ひと)のことを考えてしまいます。

これってどういう心理なんでしょうかね?

お付き合いくださってありがとうございます。

お礼日時:2016/06/16 02:38

お礼をありがとうございます。



★(№5お礼欄) ~~~~~~~~~
しかしわたしはこの世界で、過去に誰と「会わなかったか?」を
知ることはできない。これは誰に聞いても答えることはできない。

それは何故か?という問いはやはり成り立ちませんか?
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ だれだれと会ったのは何故か? と同じ問いであるように思
います。

言いかえると 確率が多いか少ないかの違いだと考えられます。

パラレルワールドについては 残念ながら分かりませんが この
地球じょうに限るなら 会えなかったけれど会えたであろう人間
とその数は そこに同時代人として生まれ生きた人間は決まって
いますから あとは確率の問題になるかと。




★ 人は「無」というイメージを持つことができますか?
☆ 想像することはできますが 或る一定の決まった(人びとが
共有しうる)イメージは 必ずしも持つことはむつかしい。

なぜなら 非知としての絶対無なら 絶対有としても まったく
同じ意味合いを指し示すかたちでそのイメージを持ち得ると考え
られるからです。(持ち得るとすればですが)。

つまり 非経験の場=非知なるナゾ=絶対・無限=普遍神につい
ては 規定はするのですがそれは飽くまで≪想定≫としての定義に
なります。



≪経験世界を超えた場≫を想定するという意味です。




なぜ想定するかは 一般に≪かみ≫という言葉を持ってしまってい
るからです。それは何か? という問いに答えるためです。

人間は 百年内外でたいていは死にます。つまり 限りなく生き
たという人はいないのに じつに言葉として≪永遠≫という概念を
持ちました。

この永遠にしてもそのイメージは 持つことがむつかしい。持ち
切ったというイメージはないでしょう。

でも かんたんにこの≪永遠≫という言葉は 使っています。

イオン・イーオン・アイオーンというのは 一つの意味としてや
はり永遠を表わします。それが 日常生活の中に入り込んでいま
す。

それと同じように さまざまな意味の変形を伴なって≪かみ≫と
いう言葉もあまねく使用されています。

イメージは――思考や知覚を超えているからには――むつかしい
ですが 言葉は普及しています。

そこで哲学は これについて一般的な定義をしておこうというこ
とだと思います。





★ 「はじめは無があった」という言葉がどうしてもイメージす
ることが出来ません。
☆ イメージするのは むつかしいでしょうね。
重ねて触れますが この命題は: 

 ≪初めに無がなかった≫とも
 ≪初めに有があった≫とも
 ≪初めに有がなかった≫とも

いづれも互いにひとしい意味内容として言いかえることができます。
みな ≪非知≫のことを指し示しているからです。つまり:

 ≪初めに神があった≫とも
 ≪初めに神はなかった≫とも

同じく言える命題です。その≪初めに≫というのは ≪いま・ここな
るわれの現実存在において≫とも 容易に言い換えられます。

≪いま・ここに神はいない≫という命題は 無神論者の神観です。

すべては≪非知≫をあつかっているからです。そういう想定として
定義しているという意味です。

人間の心理や思わくの隙を縫って この場合 哲学はおのれの務め
を 狡猾にも 果たしている。と――自分のことながら――見てい
ます。




ちょっと長くなりますが そのように定義しますと たとえば次の
ように世界の神観がすべて交通整理され得ると考えますが どうで
しょう。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

☆ みな 同じひとつの類型だという意味です。≪非思考の庭≫
が このような一般類型としての≪梵我一如≫として成り立って
いるという見方です。

このように≪普遍神≫を理論づけ得たとするなら 世界の人びと
の心におけるやすらかさに貢献できるとも自負しています。
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この回答へのお礼

再度のご回答をありがとうございます。

疑問に思ったところをまたお聞きします。

>会えなかったけれど会えたであろう人間とその数は そこに同時代人として生まれ生きた人間は決まっていますから あとは確率の問題になるかと。

仰る通りなのですが、この部分はまた「補足」として皆さんに問いたいと思います。

>★ 人は「無」というイメージを持つことができますか?
☆ 想像することはできますが 或る一定の決まった(人びとが共有しうる)イメージは 必ずしも持つことはむつかしい。

想像することが出来る、と、イメージを持つことができるは違いますか?必ずしも普遍的に共有しうる同一のイメージではないにしても。

>人間は 百年内外でたいていは死にます。つまり 限りなく生きたという人はいないのに じつに言葉として≪永遠≫という概念を
持ちました。

>この永遠にしてもそのイメージは 持つことがむつかしい。持ち切ったというイメージはないでしょう。

>でも かんたんにこの≪永遠≫という言葉は 使っています。

「無」というイメージが持てないことを不思議に思っていますが、「永遠」というイメージを持ったことはない。それはきっと「無」は空間的な概念で、「空間」は視覚的なものです。一方「永遠」は時間的な概念で、誰も「1時間」というイメージを持つことはできないと思います。

後半のA~Hまでの説明部分はおもしろいですね。ブッダとブッディズムって違うんですね。「梵我一如」って仏教の言葉かと思ってました。ただ、素人のわれわれにはもう少し用語説明が欲しいですね。

お礼日時:2016/06/16 02:14

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