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先日、身内が他界いたしました。
その直前、重篤な状況にある中で、知人男性と会話をしていた際に
『死んだら水とタンパク質の塊だから』
と言われました。
確かに人体を構成する物質は水とタンパク質が主成分かもしれませんが、その言葉の意図するところを未だに理解出来ていません。

1. 死んだら水とタンパク質の塊であることは間違いないかもしれませんが、生きている人間も水とタンパク質の塊であると言えてしまうのではないでしょうか?

2.死んだら水とタンパク質の塊というのは、日本では常識的な見識なのでしょうか?

3.身内が重篤な状態である人に対して、『死んだら水とタンパク質の塊』という死を大前提とした発言をするのは、一般的なのでしょうか?(勿論、全ての人に等しく死が訪れることは理解しています。)

4.私自身は『死んだら水とタンパク質の塊』という言葉からは、遺体に対しての敬意を感じることが出来ないのですが、そのように考える人は遺体をただの物質と捉えているのでしょうか?

その発言をした知人と他界した身内は、一切面識も関わりもありません。
一般常識が全て正しいとは思っていませんが、自分の常識とかけ離れた発言だったため、混乱しています。
多くの方の考えを教えて頂けたらと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

質問者からの補足コメント

  • すみません、言葉足らずでした。
    身内が重篤な状況の中、私が知人男性と会話をしていた状態です。
    亡くなった身内は一切関わりを持っておりませし、会話もしておりません。

      補足日時:2016/06/30 00:47

A 回答 (16件中1~10件)

そういう状況とわかっていての会話で「死んだら・・・・・」という言葉自体NGだと思います。

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この回答へのお礼

私もそのような価値観で育ちましたので、今回混乱してしまいました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/30 08:49

私達の身体はすべて地球、いや宇宙からもらったものですし大切なものです。

だけど一番の中心は魂です。真実を言うと人は死なないです。その人が言った「水とタンパク質」は間違ってはいないと思います。人体は細胞の塊。と言うことは、、あなたの心って身体のどこにあるんでしょう?あなたって何なんでしょうね?自分とは何か?を深く考えるきっかけになると良いですね。全ての人にとってそれに気づくことこそがお金儲けよりも人生で一番やらなければならないことかも知れないと思います。
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この回答へのお礼

スピリチュアル的な考え方は好きですし私は死後の世界も信じていますが、人体が水とタンパク質から成り立っているということも肯定しております。

私が何か?心はどこにあるのか?その手の話を延々繰り返しても答えは出ません。
生物学的な信号としての証明なら可能かもしれませんが、それを答えとする必要はないでしょう。
また、スピリチュアルも生物学も専門家ではないため、証明する手立ては持ち合わせておりません。

今回、考えという曖昧なものではありますが、自分と世間とのズレ具合を知りたくて質問をいたしました。
自分を深く掘り下げて考えて行くことも大切なことですが、日々社会と調和し、時代に即して人と関わって行くことも大切なことだと思っております。

折角ご回答頂きましたが、今回の設問に対しての答えとしては、少し論点がずれている様に思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/02 00:04

的確な答えをいう自信がないのですが、、、


私が体験した話であれば
小さい頃、伯父のお葬式に行ったことがあり、その時ぼそっと「ばいばい、伯父さん」と言っていたらしいです
みんな笑ったらしいのですが、
私はそれ以来、死を怖がるようになって小3の時泣いていた記憶があります

現在は、孤独死でなかったらいいなと悟っており(現在中3)その人も悟り世代の方なんじゃないですか?
人は、、人だけではなく生き物は必ず死にます
まだ、私はそういう経験はないのですが、人の死を目の当たりにした人は色々と変わってしまいます(元少年aも)
私はまだ、半生も過ごしていないのであまりそういった気持ちはわからないですが、
「絶歌」元少年aの手記の本を読んでみてはどうですか?
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この回答へのお礼

元少年Aよりもお若いんですね。その相手の方は40代中盤の方です。

少し説教地味てしまいそうですが、私の考えをお話させてください。
孤独死でなかったらいいな、という思いは悟りでしょうか?
私は孤独死でもかまわないと思っています。
その代わり、腐る前に見つけて欲しいということと、火を扱っている最中に倒れることのないように…とは思っています。
あと、車を運転している最中も困ります。

どれが悟りというのかわかりません。
どの状態を悟ったというのかもわかりません。
悟ったと思った瞬間に、それ以上の成長や探求は行われなくなってしまいます。
どうか、お若い方。
これから更に色々な経験をし、色々な思いをもたれることでしょう。
簡単に悟っていると言うことのない様、今後も変化し、成長し続けて行ってください。

お若い方なのに難しい問題にお答えいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/01 21:07

蝋化の話としては、親戚の葬儀の際に父が「人間、死ぬと蝋化するんだな」と呟いたのが先ですね。


その時は全く不快に思わず、「なるほど、だから燃えやすくなるのか、硬直化して白く鈍い輝きがでるのか」と漠然と思いました。
一般には言わないと思います。きっと言える相手だと思われたのではないでしょうか。
死に対するその人の考えであって、貴方なら話しても平気だと思ったから言っただけと感じます。
実際、その方が同じことを上司や上の立場の方に言うのでしょうか?
「上司、死んだら水とたんぱく質の塊なんですよ」と。
そのように言う方であればその程度の方だと思えばいいと、そう思います。
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この回答へのお礼

何度も回答いただきありがとうございます。
ご身内の方に言われたことで、より説得力を持たれたのかもしれませんね。
今回の相手が他の方に言うかどうか?まではわかりませんが、やはりそういう考え方は外には出されないことが多いんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/30 15:14

いやいや、気分なんて害しませんよ。

意見の違いは楽しいものです。
あなたの言う通り、そこですよ。私もそうですが、言うなれば肉体を軽んじています。存在が大事だと。ま、説明をしまくっても仕方ない話だったでしょうし、彼もどうしても「え」と思われるのは承知で話しているでしょうね。
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます。
相手の方は私が怒っている理由がわかっていないようでしたが…そこは論点がずれるので割愛させていただきます。

存在が大事だと。
シュレーディンガーの猫同様に、その後の存在は各自が自分で蓋を開けてみなければわからない状態であると思うのですが、その不確定さを否定して、現在自分で認知し知覚出来るものが全てであり、知覚出来ないものは無い、という考え方なのでしょうか?

ここから先は個々の見解がわかれそうな所ですが、参考までにお伺いいたします。
理系の方はあまりスピリチュアル的な考え方をされないように思いますが、霊魂の存在を肯定し、入れ物である肉体には意味がないという捉え方でしょうか?

お礼日時:2016/06/30 13:11

端的に言えば、同じ物質で動くか動かないかの差。

それが生きているという証。理科的考えの人に多いが、そのヒトは生きているヒトにこそ意味があり、死ねば忘れるべき。なぜなら、生きているヒトに死んだ者の影響が悪くあってはいけないから。ということだと思う。それはけっして死者を蔑んでいる意味ではない。残された者のことを思っての言葉だ。知人は、関係ない故、真理として言ったのだと思うよ。身内が言えば、ずっと残るからね。
で、その言葉は、確かに冷たく感じるが、母わ突然交通事故で失った身としても時間が経てば、確かにそうだと思うね。いつまでも死を哀しんで生きるのは、死ぬ者にも嬉しくない。俺も最近死にかけた時、自分の葬式の見積もりして家族に遺書メールを作ったが、「葬式の次の日には笑え」と書いてスマホに保存してある。
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この回答へのお礼

非常にわかりいやすいお答え、ありがとうございます。
考え方の違いにより、気分を概してしまったら申し訳ございません。

死者を蔑んでいるとは思いませんが、長年働き続けてくれた肉体を軽んじてはいないでしょうか?
真理を説明しかくて用いた言葉としては、極端にまとめ過ぎている気がしました。

勿論、悲しみを引きずることが良くないという考えには同意をいたしますし、多くの人が日にち薬で立ち治り、通常の生活に戻るものだと思っております。

私も数年前にエンディングノートに葬儀方法と規模、資金、笑って送り出す様にということは記載済みなので、笑っていて欲しいというお気持ちはわからなくはないですが。

お礼日時:2016/06/30 12:32

祖母が亡くなった時にやや似た考えがありました。


「生きていたときにはそんな事なんて感じなかったのにな、人は亡くなると蝋化しちゃうんだな」
です。
亡くなること、悼む気持ちもあります。
しかし、その血の気のなく白くて鈍く固くなる姿を見て、生前が想像出来なくて、漠然とそう思いました。
このような感覚に近いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

私も徐々に硬直していくことを目の当たりにして確認していますし、受け入れております。
ただ、物質の変化としては受け取りませんでしたが、可能だったことが不可能になっていくという捉え方をしておりました。
思想思考等は個人の自由であり何者にも変えられるものではないことも重々承知いたしております。

ですが、その言葉をかけるか否か?という点で引っかかりを覚えました。
もし、『死んだら水とタンパク質の塊だから』という表現や思考が一般的であるならば、私はその表現を今後意識的に用いるようにして行きます。
ご友人のご身内が危篤などの際、『蝋化していくよ』とは言われますか?

お礼日時:2016/06/30 12:20

死んだら、結局焼却するので、骨になるのでは?遺体を寝かしている最期の何日かは、水とたんぱく質の塊みたいな感じですが。

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この回答へのお礼

すみません。
骨と表現してしまうと人体の一部であり、成分としての表現とは異なってしまいます。
また、確かに最後は骨ですが、成分の正しさの話は論点がずれてしまうので割愛させてください。

>>遺体を寝かしている最期の何日かは、水とたんぱく質の塊みたいな感じ
これはご回答者様の周囲では一般的な考えでしょうか?
また、一般的な会話の中で使われている表現でしょうか?

お礼日時:2016/06/30 08:47

>生きている内に死んだ後の話をするとは何ぞや!と思ってしまいます。


書き忘れたことがありました。

もしかしたらその男性はそういう考えの持ち主かもしれませんが、それを他人に押し付けるのは間違っていますね。
しかもデリケートなときに。
そういう点では他の方と同じように間違っている人間と断言できますね。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。
正しいかどうかは…価値観の違いという言葉で表現させて頂きたいと思います。

他人の死の受け入れ方、乗り越え方という視点はわかりやすかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/30 02:30

>長年慣れ親しみ愛着を持って接して来た見た目を持つ遺体に対して、死後いきなり物質扱いをするということでしょうか?


物というか、諦めみたいなものなのではないでしょうか。
もしかしたら、その言葉を言った人は何人も知り合いをなくされているのかもしれません。
はじめは受け入れられない感情があったのでしょうが、そのうちに死を受け入れる為にそのような考えに至ったのかもしれません(あくまで推論ですが)

>その直前、重篤な状況にある中で、知人男性と会話をしていた際に
>『死んだら水とタンパク質の塊だから』
こう思えば他人の死を受け入れ易くなるのかもしれません。

他人の死というのは受け入れる事がなかなか出来ません。
身内や肉親ではなおさらです。
死亡後に何年もうつ状態になり正常な生活が困難な人もいます。
それを乗り越えるためどうすればいいのか、大事な人が生きているうちに覚悟を決めていく必要が有るのかもしれません(自分が先にしむこともありますが、)
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます。
諦めですか…諦める気持ちはわからなくはありませんが、まだ生きていて、もう少し生きていて欲しいと願っているうちに言われたことなので、説明を聞いてもなかなか腑に落ちませんね。
生きている内に死んだ後の話をするとは何ぞや!と思ってしまいます。

私自身、まだまだ身内の死を受け入れきれていませんが、仏徒ですので、見守ってくれているだろうと思い生活をしております。

ご丁寧に追記いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/30 01:33

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