アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

を探しています。
そのような本でオススメのものがあれば教えてください。

A 回答 (6件)

1. 神は 絶対ないし絶対性の問題です。



2. 絶対性には 個別と一般とのふたつの場(または視点)が
あります。

3. 個別の絶対性とは 或るひとりの人間つまり≪わたし≫にと
っての神〔とは何か〕の問題です。

4. 良心・信教の自由が――すでに論証抜きで公理としてのご
とく――認められているように ≪わたし≫は 自由に好き勝手に
自分の神をえらんで決めればよろしい。

5. (神は ワタシがその神を好きになってえらぶようにさせ
たとも言い得ます)。


6. それでは 人の数だけ神があるということになるのか?


7. ところが そのワタシの神は いかに個別の人間としての
自由があると言ってもそれは 例外なく≪絶対性≫なのです。

8. 絶対性に 互いに異なる内容のものが 二つも三つもあっ
ては 困ります。善なる神と悪なる神とが ともに絶対者である
となったら どうなりますか?

9. すなわち ここで≪一般なる絶対性≫理論が出て来ます。




10. ワタシのいだく主観としての神は ワタシの良心や自由
意志のえらんだものとして やはり確かに≪個別なる絶対性≫であ
る。

11. けれども その絶対性は わが心なるわが主観の内での
みあてはまるものだ。ほかの人の主観〔における神〕との照合は
出来ていないし 出来っこない。

12. つまり 言わばワタシの人生におけるわが≪固有の時≫と
しての・その内面に思い浮かぶナゾの何ものか これがわが個別
の絶対性としてわが神である。

13. ところが もし神が絶対性であるなら その神の側で・
絶対性というその世界で すべての神という神は 同じひとつで
あろうとけっきょくは考えられる。

14. すなわち 神は 個別の絶対性としてそれぞれのワタシ
にとってはマチマチ(相対的)である。と同時に 絶対性が絶対
性の領域で自己を把握するところとしては 同じひとつである。
そうでしかない。

15. かくして 一般絶対性理論としては 人間にとってただ
ひとつの≪普遍神≫を想定することになる。

16. 普遍神は 人によって≪有る神≫と≪無い神≫とに分かれ 
有神論は その神の呼び名が自由である。

17. このように相対世界をすべて包む普遍神なる絶対性が理
論づけられます。
    • good
    • 0

神と科学は共存できるか?



「宗教」と「科学」が共存するための思考の冒険。

https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%81%A8%E7%A …

神と科学―超実在論に向かって

現代最高の哲学者と気鋭の物理学者が、現代科学の到達点が暗示する超越的存在の謎に迫る。

https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%81%A8%E7%A …

宇宙は神が造ったのか?

ビッグバン、原始スープ、カンブリア爆発、インテリジェント・デザイン…第一線で活躍する8人の科学者に、元「シカゴ・トリビューン」紙の敏腕記者がインタビュー、無神論、進化論を検証する。

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%8 …
    • good
    • 0

「われ思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトが神の存在を証明しています。



デカルトは「認識論」の哲学者ですが、人間の認識は正しいのか?というのが出発点でした。それで、自分の存在はどうしても否定できないと言うことに気が付きました。

また、神の存在の証明ですが、「考える私」は確実に存在する。人間は有限な存在なのに、完全で無限である神を知っている。不完全で有限である人間が神を知っているのは、明らかにおかしい。これは外部から与えられたものである。ゆえに神は存在する。

大体こんな流れだったと思いますが、現代ではデカルトの証明?は否定されています、論理的に飛躍があるからです。大体において哲学は、前に言われたことは、新しい人によって否定されます。

科学は神の存在を否定していますので、証明はありえません、神は物質ではありませんから。
論理的にはあり得ますが、それも観念上の事なので、いつかは否定されてしまうことでしょう。
    • good
    • 0

【Q:信仰としての《梵我一如》類型::一般および個別絶対性理論】~~~


https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9161091.html

1. 《絶対》とは 経験事象としての有る無しを超え因果関係から自由な場
ないしチカラである。《非経験の場》とよび そのように想定する。

2. 非経験の場は 認識のあり方として 《非知》である。

   経験事象
     可知
       既知
       未知(いづれ既知になるであろうと推察されている)
     不可知(未知でしかも知り得ないと証明し得たものごと)

   非経験の場
     非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ。未知や不可知と
       一線を画す)

3. 非知なる非経験の場 これを――《神 またはその一定の名》において
――心に受け容れたとき(つまり 信じたとき) わが心には《非思考の庭》
が成る。身と心とから成る自然本性に ぷらす α としてやどる何ものかの自
覚が起きる。

   【 α : 霊我】:信じる:非思考の庭:ヒラメキ・良心
   -------------------------
   【心:精神】:考える:思考の緑野:コギト 
   【身:身体】:感じる:感性の原野:センスス・コムニス

4. 非思考の庭は 受け容れる器(ミクロコスモス)とその対象(非対象:
マクロコスモス)との一体性として示される。類型として梵我一如とよぶとよ
い。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ


 ☆ 以上が 標題についての仮説であり 問い求めのためのたたき台です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
    • good
    • 0

まずはじめに、あなたが「神」をどのように定義しているか確認しておく必要がありますね。


「神」は人それぞれにイメージしているものが違います。
1000人いれば1000の「神」がいるように。

「科学」とは「証明する学問」のことです。
そもそも証明できないものは科学の領域ではありません。
哲学書などで探してみてはいかがでしょう。
    • good
    • 1

科学的に考察は出来ないと思います。


科学は物質現象を対象にするものだからです。

人間が想定するところの"神"は精神世界の事なので、論理的、または哲学的に考察した本は有ります。
もっと、正しく言えば考察、ではなく"答えている本"です。

明治から大正にかけて活動されたお坊さん、山崎弁栄(やまざきべんねい)というお方が神の存在を明らかにしています。

ググって見て下さい。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!