プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ネットで知ったことなのですが、九州武者は馬に乗れなかったのですか?。強弓使いの源為朝は馬に乗れず、後の勇猛なイメージの薩摩軍も騎馬を扱える者が殆どいなかったと知りました。そもそも馬の生産量が他より乏しいので馬に慣れていなかったとも言われてるのですが、この情報は正しいですか?

A 回答 (2件)

現在でも残っている在来種でも、対馬馬とか、岬馬などがいます。


対馬馬は、元寇の際に活躍した、などとも言われていますし、九州では馬に乗れなかった、というのは迷信でしょう。

そもそもの、日本では馬にのって戦いをする、という意識はそれほど高くなかったといえるでしょう。
というのは、在来種の馬って小さいのです。
競馬で用いられるサラブレッドは、アラブ原産の馬をイギリス人が品種改良して作られた馬で、体高170センチ、体重は400キロ台後半~500キロくらいになります。
それに対して、日本の在来種。比較的、大き目の木曽馬ですら、体高130センチ程度、体重が350キロ~400キロくらいです。
競馬では、大型のサラブレッドに鞍と人間などを合わせて60キロ弱くらいの重量。それでも全速力で走れるのは2キロ~3キロ程度の距離です。戦に赴く将は甲冑などを着けているわけですから、いくら当時の日本人が小柄だったとは言え、70キロ、80キロは優に超えます。そんな重さの人間が、ただでさえ小柄な馬に乗ったらすぐにばててしまいます。

質問文に出てくる源為朝は馬に乗れなくて当然。
伝承によれば、彼は身長が7尺(2メートル10センチ)にも及ぶ巨漢だったといわれています。本当に2メートル超もあったのかはともかくとして、当時としては飛びぬけて体格の良い人間だったのは確かなのでしょう。そんな人がこれまた重い甲冑をつけたら、重量100キロは軽く超えます。
物理的に馬に乗るのは無理でしょう。

それから薩摩軍。これは、戦国末期に九州に一大勢力を作った島津軍のことだと思うのですが、九州に限らず戦国末期になると騎馬での戦いと言うのは殆ど行われていません。
というのは、そもそも馬は繊細で、ちょっとしたことで驚いたりする扱いづらく、当然、飼育などにも金、手間が掛かります。しかも、馬に乗っている、ということはそれなりに名のある人間と言う認識がされるため、戦国の早い時期から身軽な足軽などから恰好の標的にされたりしました。
そんな中で、戦国末期になると鉄砲なども広まり、遠距離からの攻撃が可能。しかも、今まで以上に戦場では轟音が鳴り響くようになったのですから、ますます馬は扱いづらくなりました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

馬産地である九州で、武士は馬に乗れなかったという情報に疑問が生じていましたが、謎が解けて良かったです。乗馬をやっているのですが、馬の繊細さには驚かされます。まだまだ日本馬について興味があるので、いろいろ質問していきたいと思っています。ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/03 21:17

神事として流鏑馬をするところ一覧。



昔からやってたかは未詳ですが、これだけ多いということは、???


http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%B5%81%E9% …


日本の馬3.11も併せてご覧下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!