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三位一体なる神については ヨハネ福音を主なものとして聖書記事からみちびき
出した神論です。純然たる神学です。

しかも この神論が経験思想の舞台にかかわり得て 次のような想定じょうの認
識になると捉えられます。(図式以下の議論です)。

それによると イエスが指し示した神であることに変わりはありませんが その
キリストの神であることにはとどまっていない。ましてや クリスチアニズムな
るオシヘや宗教とは 何の関係もなくなっている。ユダヤ民族の神が もはや揚
棄されている。と言ってよいと考えます。
これを問います。

つまり まづ
▲ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、
神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
☆ という一つの聖書記事から伸びて 次の図式が得られると理解します。(基
礎としては アウグスティヌスに拠っています)。 

○ (ひとは カミの似像である。) ~~~~~~~~~
   ――ひとと社会の成り立ちについての図式―― 

 光のたとえ・・・・・・・光(光源・・・・・発耀・・・・・明るさ・暖かさ)
 三位一体なる神・・・・・神(父なる神・・・子なる神・・・聖霊なる神 )
             ↓  ↓      ↓      ↓
 ___________________________________
  スサノヲ市民( S )・・・アマテラス公民( A )
 ___________________________________

             ↓   ↓      ↓     ↓
 身体〔の運動〕・・・・・精神・(記憶・・・・・知解・・・・意志 )
 ・・・・・・・・・・・・↓・・(↓・・・・・・↓・・・・・↓ )
 [S者/S圏]
 個体・・・・・・・・・・家 族(秩序・・・・・労働・・・・愛 )
 社会主体・・・・・・・・自治態勢(自治組織・・〔生産〕・・共同自治 )
 経済主体・・・・・・・・生産態勢(組織・・・・生産・・・・経営 )
 政治主体・・・・・・・・↓ ・・・ ↓・・・・・↓・・・・・↓ 
 [A者/A圏] ・・・・・・↓・・・・・↓・・・・・↓・・・・・↓
 社会科学主体・・・・・・社会形態(社会組織・・経済活動・・・政治 )
  〃・・・・・・・・・(国 家 :司法・・・・立法・・・・・行政 )

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1. 神を・つまりすでに普遍なる神を 光にたとえるなら こうです。

   子の父は 光源であり 
   父の子は その発耀であり 
   父と子とのまじわりから発出する聖霊は その明るさ・あたたかさである。

2. ただし 光はただのタトヘですから 本体の三位一体には時間的なへだた
りはなく 三つの位格は つねに一体である。

3. 神はこの三つの位格(ペルソナ)に分かれるとは言え 無限を二で割って
も三で割っても 商はやはり無限であるように 父と子と聖霊とは 互いにひと
しく それぞれの個は全体とひとしく 全体はそれぞれの個とひとしい。という
ものです。

4. そこで 《ひとは 神の似像である》という命題については こうです。:

 父なる神は 人間の自然本性にあっては精神の秩序作用としての《記憶》に 
 子なる神は 精神が精神するというかのようなハタラキとしての《知解》に 
 聖霊なる神は 記憶と知解にもとづき生きることの中軸としての《意志》に

それぞれ当てはまるというタトヘです。

5. 神にあって三つの位格が一体であるかのように 社会にあっても三権分立
が 互いに――ただしこの場合は時間的なズレをともなって―― 分業=すなわ
ち協業している。そのようにして 一体ではある。これが 共生のひとつのかた
ちであるというタトヘです。

6. 真理(神)にあっては 時間の間を置くことなく 正解が得られているけ
れども 人間の経験世界では 時間的なズレをともなって ときに 正解が得ら
れそれが実現されることがある。かも知れない。

7. すなわち 人間にあっては 記憶があいまいであり得 そこから得た情報
とそれを加工(思考)するる知解も あやふやであり 記憶と知解とをにらみな
がら行為する意志も その心(記憶や知解の内容)にさからうことすらあり得る。
いわゆる自由意志は みづからの心にさからうという自由度をも持っている。

8. 人間として・また社会の仕組みとしてのミクロコスモスなる三位一体(三
一性)は 時間的な制約を受ける。すなわち 記憶・知解・意志のそれぞれのハ
タラキが分立し得るような自由度を〔すなわち自由意志によって〕持っていて
それらのあいだの協業が 時間的なズレと人間の能力の有限さとによってマ(間)
の違いを生じやすい。

9. 自由意志は 記憶とその基礎資料である知覚(感性)の内容を無視してで
も そしてさらに勝手な知解によってその無視ないし逆らいを正当化しようとし
てでも その自由を発揮しようとすることがある。


10. なお この三位一体論もしくはそれの人間観ないし社会理論への応用は 
それをイエス・キリストは後世に託したと言ってよいものと思います。すなわち
三位一体なる神論は 無宗教であり 普遍理論への道と成り得る。

11. もっともっとあたらしい理論づけが出て来るかも分かりません。



添削・批判をどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • お礼欄は 字数制限にて乱暴でした。すみません。

    善神悪神の二元論は マニケ―イズムやグノーシス主義として引き継がれたのち
    廃れました。異教・異端としての迫害を割り引いても 有効性はないはずです。
    善神と悪神とはどちらが強いのか? に答えられません。

    インド教は ブラフマンなる主宰神のもとにすべて収まっているはずです。その
    一神のもとに多様性があります。

    そのブラフマン一神体制が 土着の神々なる問題への正解だと考えます。多神は
    一神の分身だと見なせばよいはずです。

    日本教の場合は 《隠れたる神(デウス・アブスコンディトゥス)》なる一神を
    補助線として引けばよいはずです。

    梵我一如なる信仰の類型が 同じ内容として 霊霊一如として あらゆる信仰に
    当てはまります。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/04 10:58
  • ○ 《梵我一如》類型

    A. ブラフマニズム:梵我一如
      梵:ブラフマン・・・マクロコスモス。神なる霊
      我:アートマン・・・ミクロコスモス。霊我

    B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
      無梵:シューニャター(空)
      無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

    C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
      仏:アミターバ・ブッダ / マハーワイローチャナ
      仏:ブッダター(仏性)

    D. クリスチアニズム:霊霊一如
      霊:神
      霊:われ

    E. (プラトン?):霊霊一如
      霊:プシュケー・コスムー / アニマ・ムンディ
      霊:われ

    F. 《もののあはれを知る》
      霊:かみ(超自然および分身たる神々)
      霊:われ(自然本性)

    G. ユダヤイズム:霊霊一如
      霊:ヤハヱ―
      霊:われ

    H. イスラーム:霊霊一如
      霊:アッラーフ
      霊:われ

      補足日時:2016/11/04 11:16

A 回答 (14件中1~10件)

度々の回答、失礼いたします。



実は、下の質問に回答をしましたところ、何度かのやり取りのあと、質問者さんが体調を崩してしまわれました。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9484786.html

煩悶するharuさんに、こちらのNo.13のお礼にいただいた、”もののあはれ”のお考えを教えて差し上げたら、彼の心の慰めになるかと思い、No.25の回答をいたしました。ハンドル・ネームも出しております。

事前にお知らせせずに、申し訳ありませんでした。ご了承いただければ幸いです。
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この回答へのお礼

ちゃおぽるぽさん。ご回答をありがとうございます。

じつは きのう(日本時間 11月5日)の午後から きょうの午前中
まで わがパソコンは インタネットがつながらなくなるエラーに遭い
ました。

やっと書き込みをおこなっています。

さきほど まづ先に haru さんのほうへ投稿して来ました。

お返しみたいになりましたが ちゃおぽるぽさんのご回答の中からわた
しのほうも 再掲させていただきました。

事後承諾になりますが よろしく ご了承くださいませ。



わたしの文章をこころよく受け取っていただけて うれしいです。


これからですね。

お礼日時:2016/11/06 13:34

膨大なお礼と補足をありがとうございました。



現在、こちらのサイトでされている他の質問もざっと読んでみました。私の感想としては、質問者さんの理想とするキリスト教は、ほとんど神道である、というものです。(罪をはらってしまえば、自由の身である。)

私は、米国で新教徒として洗礼を受けましたが、現在は、オーソドックス教会や南米のカソリックの方とも、交流があります。そこで感じたことは、土地・風土によって、礼拝方法はさまざまであり、教えにも微妙に違いがある、ということです。

ですから、日本に住み、八百万の神様に親しんできた方の、キリスト教が、神道風でも、不思議はないですね。

新教徒の生きる目的は、”Live Christ-like”というふうに教えられています。これもやはり、宗派によって違うのではないかと考えます。ちなみに、質問者さんのキリスト者として生きる目的は何でしょうか。

以上でした。
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この回答へのお礼

★ ちなみに、質問者さんのキリスト者として生きる目的は何でしょ
うか。
☆ 小さな親切 大きなお世話よ! と言われないうちに さっさと
しりぞくということです。



ひとつだけ いま現在の時点で重要だと思ったことを申し上げます。

★ (罪をはらってしまえば、自由の身である。)
☆ この《罪》に ふたつの種類があると理解します。

ひとつは《原罪》です。ですが これは イエスの十字架上の死によ
って――エレミヤ書(31:31~)およびその聖句を取り上げたヘ
ブル書(8章)の説明するところを通じて―― あがなわれてきれい
に消えています。

もうひとつの罪は それでもひとは――その《記憶‐知解‐意志》なる
三一性がつねにズレをともなっていることにより――互いのあいだで
マの違いを生じさせ あやまちを犯すことがあります。その罪です。

こちらの罪については 自由――表現の自由――にともなう《答責性
(説明責任)》を果たすことによって 互いに自由に赦し合うことに
なります。
(赦し合えないばあいには けんかになります)。

場合によっては 身柄が拘束されしばらくの間 自由をうばわれその
――自然本性としての我れに還ることを経たのち――自由の回復を得
るという措置に服することもあります。




このような生活――その一端ですが基本的な中身を成す生活のあり方
――を いかなる特定の宗教のオシヘにこだわることなく いかなる
特定のオシヘを信奉する人びとの集まりが持つ規則にしばられること
なく―― 日から日へ一歩一歩 互いの共生へ向けて(すなわちこの
ことを世界規模において)いとなんで行くこと。
――これが わたしの思う現代人にとっての:
★ ”Live Christ-like”
☆ です。


これが
★ 神道風
☆ であったとしても きわめて厳格に《価値中立》であるはずです。
いかなる特定のオシヘからも自由な考え方だと思います。

《もののあはれ》とだけ言っているのですから もともと主観的な思
想や価値を特定したかたちで推し出すものではないわけです。

この《もののあはれ》を感じるかどうかについては それも人の自由
なのですから 何も片寄りや偏見や排他性などはないと思います。

神 照覧あって そのちからとゆるしを得るなら 世界はそうなって
行くものと思います。

お礼日時:2016/11/05 05:26

凄いですよ。

私は弘法大師の真言宗です。色即是空で少しだけ解りました。まだまだ奥が深そうですね、ちなみにスペイン人牧師さんはローマンカトリックです。まだまだ勉強不足ですね。どうもありがとう御座いました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 私は弘法大師の真言宗です。
☆ お坊さん? 真宗のお坊さんをお一人 このQ&Aの場で知って
います。

空海は なかなか天才的に優秀ですよね。

ついて行けないのではダメだと思って 一生懸命になって読むんで
すが その努力は報われるようであっても まなんだ内容は それ
ほどあたらしいものが 主題ごとに・論点ごとに たくさんあると
も思えないのです。

その途中半端の状態にいるとも告白せざるを得ないのですが まっ
わたしは親鸞派ではあります。



★ 色即是空
☆ は 空即是色としてそのあと継がれるように 三位一体なる神
の似像(にすがた)としての人間およびその社会が 空でありつつ
しかも現象(色受想行識)としては現実であるということを言って
いるのではないかと。

時間的なズレがあるということ。マ(間)の違いを生じやすいとい
うこと。




苦言:牧師は プロテスタントですよ。カトリックは 神父。
ビーフとチキンとは違うので。

お礼日時:2016/11/04 18:50

ありがとう御座います。

ユダの福音書とマグダラのマリアの福音書は読んだのですが、イエスをどちらの文献でも批判なくなぜか古代仏教的「自分の考えや修行で神につながる」と解釈しました。ナグハマディ書は今後の課題です。疑問はキリスト教では裏切り者がいてあたりまえで仏教では裏切り者はいない事です。スペイン人牧師が血の気が引いたような顔が忘れられず。ショックでしたね。頭が悪いので疑問???だらけです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ナグハマディ文書
☆ は 全部は読んでいません。恥づかしながら。

荒井献とそのお弟子さんたちの文献は かなり読んでいます。


★ イエスをどちらの文献でも批判なくなぜか古代仏教的「自分
の考えや修行で神につながる」と解釈しました。
☆ そうなんですか。たぶんわたしは謙虚ではなくなっている側
面があるのだと思います。

基礎理論でうったえるところが乏しいと いまも捉えています。


それと
★ 修行
☆ は まだるっこしいですね。親鸞は 非行非善ですから。
その即得往生は 空海の即身成仏の説に同じだと考えます。

あるいは 自未得度先度他の思想でもよいと思います。

《謙虚さ》で 二千年 同じ地点にとどまっているとしたら?




★ 仏教では裏切り者はいない
☆ 例の――ゴータマの従弟だか何だかの――デーヴァダッタ
はどうですか?

もっともその裏切り説は ゴータマ側の作文もしくは誇張では
ないかとも言われているようです。



★ スペイン人牧師・・・
☆ 宗教――そのオシヘとその組織――の保守に回ると なか
なかあたらしい良い考えは 出て来なくなるでしょうね。



★ 頭が悪いので疑問???だらけです。
☆ わたしは アウグスティヌスを読んで《悪は 悪そのもの
としては存在しない。善の欠如としてその現象があるのみ》と
いう説を聞いて ひとまづ――三十歳前後で――大きな疑問は
解け始めました。



〔なぜか〕 にっぽん がんばれ。

お礼日時:2016/11/04 18:17

お久しぶりです。

貴方は宗教に精通去れているので馬鹿な質問ですが、数年前ユダの福音書とマグダラのマリアの福音書が10年間かけて解読しました。ナショナルジオグラフィックです。これをスペイン人牧師に言ったら、あり得ないグノーシスは認めないとなぜでしょうか?頭の悪い私にも解るようお願いいたします。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。ビーフカレー おいしかったよ。

★ ユダの福音書
☆ の評価については 次のわたしの質問の趣旨説明欄をごらんください。
横着しますが 字数制限の関係です。

☆☆【Q:ユダの福音書の何が注目されるのか】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4531741.html



★ グノーシス主義
☆ については その№16のお礼欄にいくらか書き込みました。

また 次のような質問を挙げています。
☆☆【Q:グノーシス主義の良さをおしえてください】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3183765.html



★ マグダラのマリアの福音書
☆ については これまで触れたことはありませんでした。次のように考
えます。

▲ (ヰキぺ:マリアによる福音書) ~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA …

§ 3 内容
2. ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主が他の女性たちにまさ
ってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救
い主から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そもそもこのように《秘伝》の存在を言い秘密を重んじる態度につい
ては 眉唾物ではないかと考えます。

その存在があってもいいわけですが 要するにその内容をもったいぶって
隠しているとすれば そういう態度はいただけません。

パウロなら 《愛》だと明かしています。


☆ いづれの論点にしても あなたがどうしてこれらグノーシス主義関係
のものを買おうとするのか。むしろそれを先に明らかにしてください。

基本的に言って 神論としての哲学的価値に乏しいとわたしは思っていま
すので。

お礼日時:2016/11/04 17:33

三位一体については、牧師さんも、神父さんも、あまり語りたがりません。

おっしゃる通り、純然たる神学であり、理論であり、日曜学校で話し合っても、私たちの生活に、直接、役立つことはないからでしょう。

ご存じのとおり、キリストは、旧約聖書の預言を、成就させるためにやってきました。ユダヤ人だけのものであった戒律の宗教を、愛の宗教にかえ、その教えを、世界中の人に広めるように、と言って、復活後に、この世を去ります。最初は、ペトロは異教徒への布教に積極的ではなかった、と聞いています。パウロの手紙を読みますと、”自分の教えが唯一、正しい”と、繰り返し、正統性を主張しています。

この、異教徒への伝道で、一番困難であったのが、私は、土着宗教の、完全なる払拭あったと思うのです。旧約聖書では、カナンの地に定住したユダヤ人が、”土着宗教=バール”の祭祀を行うので、神は、いい加減、頭に来ます。旧約の中で、悪人中の悪人は、バール信仰をやめることができなかった、ジュザベルでありました。彼女は、死の後、犬に食われるという悲劇にあって、当たり前だったのでした。

パウロが最初にアテネを訪れたときには、アテナイ人は、布教話に耳も貸しませんでした。恐るべきは、多神教なのだと思います。多神教から、はっきりとした一線を引かなければ、新しい神を、人々に印象付けることは無理なのです。

父がゼウスで、子がアポロ、聖霊がヘラクレスと同一視されないように、一神教であることをとにかく、理論的に、整理しなくてはいけません。相手は、西欧文明・文化を発明した、誇り高いアテナイ人なので、よほど念入りな仕掛けが必要です。

という、ことで、最古の図書館があったという、アレクサンドリア在住のインテリ中のインテリ、アウグスティヌスの提唱する、三位一体論が、歓迎されたのではないか、というのが、私の中での、物語です。

ここからは、無駄話で。。。

”神の顔”の質問に回答した際、逆にこちらから、ヒンズー教について教えていただいて、ヒンズー教は、土着の神々をすべて含んだまま発展していった、と教えていただきました。古い世代の神は、悪魔として取り扱われる、とも。

ヒンズー教よりも、ゾロアスター教がキリスト教に影響を与えたのでは、と、ヒントをいただきました。バビロン捕囚がありましたから。そういえば、ユダヤ人たちは、エジプトにも放浪したのでした。

そういった、古代の宗教からの逸脱も狙っていたのかなぁ。。。と。その当時としては、そして、現代においても、斬新な、三位一体論です。コンピューターの発明のように、革新的で、モダンなものであった、と推察するのです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ちゃおぽるぽさん ご回答をありがとうございます。

▼ (マタイ福音 16:20) ~~~
それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、
と弟子たちに命じられた。

▼ (ヨハネ福音4:25-26) ~~~
〔* サマリアの〕女が言った。
 「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。
  ・・・」

イエスは言われた。
 「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

▼ (同上 14:6-14) ~~~
イエスは言われた。
 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、
  だれも父のもとに行くことができない。
  あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることに
  なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

フィリポが
 「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」

と言うと、イエスは言われた。
 「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていない
  のか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父を
  お示しください』と言うのか。

  わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じない
  のか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではな
  い。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。

▼ (同 14:26) ~~~
しかし、弁護者(パラクレートス)、すなわち、父がわたしの名によってお
遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したこ
とをことごとく思い起こさせてくださる。

▼ (同 15:26) ~~~
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、
父のもとから出る真理の霊

▼ (同 16:14―15) ~~~
その方はわたしに栄光を与える。
わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。

父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。
だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』
と言ったのである。
~~~~~

☆ およそ《父と子と聖霊なる三つのペルソナの一体なる神》はすでに語ら
れています。イエスがなぜキリストかなる問題なのでは?

お礼日時:2016/11/04 10:45

あいよ了解ついでにヤハウェも入れといた。

今からパート仕事あとよろしくね。
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この回答へのお礼

★ ヤハウェ
☆ って何よ? 野菜が欲しいんぢゃあ。




行ってらっしゃい。

お礼日時:2016/11/02 13:24

今もう煮込んでる。

無理だよ。
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この回答へのお礼

きらいではないんだけど。ジャガイモ。おなかがふくらむので苦手。

とびっきりうまいの たのむよ。

お礼日時:2016/11/02 13:16

処女懐胎は、「科学」では、絶対に、100%在り得ません。

ですが、昨日も私は述べましたけれども、ヤーヴェという、「全能の」神がいる以上、出来無い事は、何一つありません。実際、ヤーヴェの行った「奇跡」は、何も処女懐胎に限った事では無い事は、bragelloneさんも、山ほどご承知でしょう。モーセの行く川の水が割れたり、預言者の杖を蛇に変えたり、ノアの洪水もそうでしょう、いづれも、「科学」では「絶対に」在り得ない事が、旧新約聖書には、山ほど書いてあります。 ですから、処女懐胎のみを、特別に抽出する意味は無いと思います。                         そうなると、行き着く所は、結局、信じる信じない、の、宗教になると思います。哲学、では無いでしょう。宗教、でしょう。
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この回答へのお礼

宗教は――つまり オシヘだけなら〔研究すれば〕いいのですが オシヘ
を信じなさい(そのまま鵜呑みにして受け容れなさい)と言われた日には
―― お呼びではありません。

個人の信仰は まったく別です。オシヘ以前ですし。


★ 奇蹟
☆ の問題は いちおうここは哲学カテですので 出来るだけ経験合理性
にもとづき取り扱おうと思っています。

ですから 非科学的なことについては 《虚構・物語》という前提のもと
に話をする。という恰好です。

そうすると
★ 行き着く所は、結局、信じる信じない
☆ という地点ではなく そうはならずに 経験合理性の範囲で議論する
ことも かなりの程度で出来るのではないか。こう考えています。


すなわち 《三位一体》はすでに・確かに信仰の問題です。そしてそれを
出来るだけ経験的なものごとに――仮りにですが――対応させて取り扱う
ならば その対応する経験的なことがらについて 妥当性を問うというこ
とで ふつう一般の議論が出来る余地が出て来ます。

そういう意味で 問い方・扱い方をわたしなりに考えて問うているつもり
です。

生活日常の・社会一般のことがらについてなら その妥当性を判定するこ
ともあり だと思います。



こんにちはおはようサン ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/11/02 13:14

いいて事よビーフカレージャガイモたっぷり後2時間で出来るよ。

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この回答へのお礼

ところが ジャガイモは苦手と来ている。

野菜もたっぷり欲しいんだにゃあ。

お礼日時:2016/11/02 12:57

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