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‪自分の弱さと向き合って乗り越える

弱いところを潰して乗り越える
の違いがわかりません。

弱さと向き合って戦え、壁を乗り越えろ。
なんてよく言いますが、たしかにその通りだと思います。正しいと思ったし私もそうやってきました。

しかし私は自分の感情を押し潰していたようで、後々いろんな形で精神的な支障が出てきてしまいました。

そこまできて次に、自分の感情を押し殺さないで、とか言いますよね。

弱さと向き合う、壁を乗り越える、戦う、とはなんなのでしょうか。自分のためにやったことは自分を潰してしまうのでしょうか。戦ってきた人は皆どうやってきたのでしょうか。

教えてください。

A 回答 (7件)

目的と手段がごちゃ混ぜになっている


自分の弱さを克服するのは目的ではなく手段です
例えばバスケット選手にとって背の低さは弱点です
ならば彼が弱点を克服するとは薬や手術で背を伸ばすことでしょうか
違いますよね
弱点を補う技術を磨いたり、逆に背の低さを利用した戦術を考えたりすることが克服であるはずです
バスケット選手にとっての目的は試合に勝つことで、自信の弱点の克服はそのための手段です
その位置決めはずらしてはいけません

あなたは目的と手段が入れ替わってしまた、だからこのような質問がたつのではないですか
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この回答へのお礼

この度は御回答ありがとうございます。
バスケット選手の例、とてもわかりやすく説明していただきありがとうございます。
そこで1つお聞きしたい事があるのですが、それがバスケット選手ではなく日常的な、例えばイジメだとどうなるのでしょうか。
イジメられ、傷ついた。繰り返したくはないしこの問題を解決するために加害者側へ勇気を振り絞り話をした。
この場合、まずイジメで残った傷は消えません。そして、話をするには傷や恐怖、不安に蓋をして勇気を振り絞るしかないです。
バスケット選手ならばそれを活かす事ができますが、イジメられた事を活かすにしても自身は満足できるでしょうか。
2度目の質問、そして長い文になり申し訳ありません。もしよろしければお返事ください。

お礼日時:2017/01/10 20:29

#6



>この問題を解決するために加害者側へ勇気を振り絞り話をした。

それでイジメ問題が解決するなら勇気を振り絞ったかいがあるのではないですか

目的:いじめられないこと
手段:加害者へ話すこと
障害:話すためにはかなりの勇気が必要(弱さの克服)

理にかなっていると思いますよ
問題が解決しないなら別の手段を考えればいいだけです
もしかしたら次に思いついた手段には障害となる自身の弱さを克服するなんて必要はないかもしれません

>イジメられた事を活かすにしても自身は満足できるでしょうか。

確かにその問題が解決したとしてもこれと言った満足はないかもしれませんが、問題の解決能力は上がるんじゃないでしょうか。
人生において他者との関わりは避けて通れません
この問題をうまく処理できればそれは自信にもつながるしストレス耐性が上がることにもなると思いますよ
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この回答へのお礼

重なる御回答ありがとうございます。
理にはかなっているものの、私にはそのような努力を重ねることが負担になっていたように思えました。
自分自身のストレス耐性が上がるものの、周りにはその耐性や経験が無く、それにまた振り回され、のループでした。しかしここで終わるのでは無く、次はループしない方法を考えるべきだとわかりました。
この度は2度にわたる御回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2017/01/11 19:10

すげー勘違いしているよ


自分の弱さと戦うってなんのことよw
自分の弱さが目的達成の邪魔をするからどうにかしましょうというという話でしょ
あくまで主目的は受験や商談など明確な目的達成であって自分の弱さなんて二の次
どうでもいいんだよ
たまたま邪魔だからどうにかしようという話なのにあなたはそれが主目的になっちゃってる
本末転倒だ
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この回答へのお礼

この度は御回答ありがとうございます。
受検や商売のために必要なモノが自分には無いとしたら、その弱さをどうでもいいとしたら目的自体達成できないのではないでしょうか。私の場合もその弱さをどうでもいいモノとして乗り越えていける状況ではなく、こうならざるを得なかったのではないかと思い質問しました。
御回答内容の理解まで勘違いがありましたら申し訳ありません。

お礼日時:2017/01/10 20:36

まあ、誰がこしらえたのかは知りませんけど、適当な論理ですよね。


根性論というのとあまり変わりはないようなものです。

「弱さと向き合う」というのは、言ってみれば
「体が頑健な人が怪我をした…でも、なめてたら治った」というのと同じことです。
頑健だからこそ、少しの怪我ならば放っておけば治る、ということ。
もし、虚弱体質で、細菌に弱い体の人だったら、普通はそんなこと言いませんよね?。
そんなことしたら下手すれば死んじゃうもの。

あなたは精神的に虚弱(あまりいい言い方じゃないですね、すいません)だから、弱いところが例えわかっても、免疫が効果的に作用しないんですよ。
精神の免疫不全なんですね。
だからかえって大きなダメージを受ける。
辛い部分がどんどんと増えていってしまう。
とってきた方法が、あなたには合わなかったんです。

戦えるのは武器あってこそ、防具あってこそ、人あってこそです。
様々なものが足りない場合は、そも戦いにもならないはずです。

ではどうするか?というと…戦わないのがいい。
世間に自分を合わせない、社会の常識は疑う…自分と社会の常識は、必ずしも整合しないんだ、ということを学べばいいのです。
働ける場所を見つけて働けばいいし、嫌になったならば辞めればいい。
精神の免疫が徐々にできてくるまでは無理はしない。
自分で自分を壊す必要はないのです。

不要な戦いは避けることです。
乗り越える、なんて言葉は、格好のいい「嘘」でしかありません。
人生には課題や戦いは時にありますけど、それは正面切ってクリアするというだけのものではないんです。
ゲームのイベントじゃないんです。
もっと頭は柔らかく、考え方は柔軟に持てることが望まれますね。
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この回答へのお礼

この度は御回答ありがとうございます。
自分が好きだと心から思える人は、1000人いたらその内1人だけだと私は感じています。
それと同じように、働ける場所を見つけて(いろんな人と話してみて)、嫌になったらやめればいい(合わないと思ったら離れればいい)と言う事ですよね。
その「最終的に自分に合う仕事(人)」と巡り合うためにはそれまでに合わないモノと出会って嫌だなと感じつつそれでも尚違うモノに触れていく努力が必要です。
これを「たった1つのモノを見つける努力」と言わず「合わなかったややめればいい気楽」と言い換える事が防具なのですね。
1つのモノをこの世界から探し当てるのはどうも大変で、失うものと得られるものの見合ってないように思ってしまいました。ごめんなさい。もう少し頭を柔らかくしていくよう意識します。

お礼日時:2017/01/10 20:47

>弱さと向き合って戦え、壁を乗り越えろ。

なんてよく言いますが、たしかにその通りだと思います。正しいと思ったし私もそうやってきました。
これは結構簡単な仕組みで、あなたが乗り越えられた壁は、壁自体あなたの性格向きの壁だったので苦労すれば乗り越えられた、例えば営業マン、現在実際には景気は底で、営業など単純に拡大出来ない。だが十年二十年前は少しマシだった、バブルは弾け、リーマンショックはあったがそこが底で頑張れば上向きになった。
だが現在景気は全く上向かない、日本は午後三時を過ぎたのです、メガ企業には生きる途が見えるが、庶民の生活は向上どころか停滞なら良い方で、転がり落ち始めた。ここでまた営業マンに戻ると、個人の営業で成績が向上する様な社会構造は崩壊してしまった、だから多分あなたの前の壁は突破出来ない、社会があなたに立ちふさがっている、だから、
>弱さと向き合う、壁を乗り越える、
と言っていた人達は自分の力で乗り越えた訳ではなく、経済成長に上手く乗れただけだ、という悲しい結論になります。あと二十年このまま行くとワーキングプアは餓死に直面し、内乱、戦争、革命の時代になるでしょう、早く来すぎたマルクス君は残念でした。
だが、マルクス君の仕事を冷静に分析して、革命なんか来ないよ、革命に見えたのは餓死寸前の暴動だった、だからマルクス君が期待した「訓練され、倫理の高い労働者の革命は当分無理だ」と言ったマックス・ウェーバー君が言った通りになった。その条件はレーニン君も望んだ事で「ルンペンプロリアート」を殺し尽したいほど憎んだけど、国民総生産がお話しに為らぬ程小さかったので、潰れてしまった。
現在国民が分断されつつあるので、マルクス君は喜んでいるだろう。
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この回答へのお礼

この度は御回答ありがとうございます。
なるほど。私は、たまたま経済状況の良かった時に成功したような人たちの意見を、経済状況の悪い時代に生きている今、信じて行動していたということですね。
他人の言う真実は私にとっては虚偽であり、自分にあった方法を自らで探していこうと思います。

お礼日時:2017/01/10 20:53

人の感情や、考え方、生き方に正しい言葉はないとおもいます。

その人の置かれている状態によって、使える言葉があったりしますが、必ずしもそれが適切な言葉かは誰も断言できないはずです。私は、「逃げる」事も大事だと思います。弱っているところで闘うのはしんどいはずですから。 「弱さと向き合う、壁を乗り越えろ」とは、戦後己を叱咤激励するときにつかわれたもの。今は、もっと複雑で、デリケートなものだと思います。疲れたら、休んで下さい。
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この回答へのお礼

この度は御回答ありがとうございます。
詐欺目的の宗教のように何かを「こらが正しい」と信じ込む事は愚かだと気付きました。
時代(自分)に合っていない言葉を信じていたのかもしれません。考え方を変え、自分のペースを作っていこうと思います。

お礼日時:2017/01/10 20:57

弱いなどの精神論は思考停止だと思います。


精神論ですべてを考えると自分を責めたりし自己嫌悪に陥る確率が上がります。
なんの解決にもならないし成果も上げられないのでは無意味じゃないですか。

人間なんて弱いもの、どう工夫するか。

具体的な方法を考えなければ成果は得られません
仕事ができる方はいかに楽をするか考えるそうです。
楽をするというのは、怠けるのではなく仕組み化するということです。
例えばなんらかの勉強をしているとします。
そのまま疲れて家に帰って勉強できる人は稀じゃないでしょうか。
帰宅中にどこか寄って勉強する
その方が確実に勉強しますし習慣化します。

あまり精神論にこだわるのは良くないと思います。
別の考え方もあります
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この回答へのお礼

この度は御回答ありがとうございます。
アナキン坊さんの言う通り今まで成長するために行ってきた事が結局自己嫌悪に陥り何も意味なかったです。
しかしそれは単に、方法が自分に合っていなかったという1つの失敗ですね。
疲れて家に帰ってもそこで怠けるのは悪だとし、疲れても勉強しているようなものだったのだとわかりました。
もう少し頭を使って新しい方法を考えたいと思います。

お礼日時:2017/01/10 21:02

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