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いろんなことを考えるのは自由ですね。
哲学についても同様です。

ただ、自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。
自分の考えも、他の人の考えも共に尊重していきたいものです。

孤独の中で考えていると、どうしても自分の考えだけが正しいという結論にたどり着いてしまいます。
そうなると、他人が馬鹿に思えてしまうようです。

どんな考えも自由ですが、他の違う考えにも耳を傾けたいものです。
そうでないと、誰にも理解されず、最終的には自分が疲弊していきます。

人生も半ばを過ぎると、唯我独尊はなかなか治らないものですか?

A 回答 (11件中1~10件)

記憶によると、「天上天下、唯我独尊」だと思いました。


詰まり、当時は色々な宗教が、ごちゃごちゃしてましたので、
「新しい価値観を、自分が切り開いていく。」みたいな意味合いで
理解していました。

それはいいとして、「唯我独尊」と釈迦の言葉と結びつける
必然性もないし、確かに「己を信じる。」と言う意味では、
良いのではないか、と思います。

問題は、「自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。」です。

少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を
他者に依っています。

先ず、それを認めることが重要です。

教育を受け、書を読み成長してきたのであれば、それは
先人の知恵を頂いてきた事でもあります。
このことを謙虚に認めないといけない、と思います。
認めて初めて、他者に耳を傾ける事が、出来る。

哲学も同じでしょう。
私は、哲学で、路傍の石ひとつも動かせるわけでもなかろうに、と
思っていますが、それでも、存在を全く否定している訳でもありません。

しかし、独善的な論理構成と結論には、悲哀を感じます。

そういう人は、自分が受けてきた教育や読破した書の価値が
理解できていない。
どのように自分の血となり肉となったか、の理解も出来ていない、と
思っています。

まあ、病気なんだと思っています。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

「少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を他者に依っています。先ず、それを認めることが重要です」
⇒その通りでしょうね。

「教育を受け、書を読み成長してきたのであれば、それは先人の知恵を頂いてきた事でもあります。このことを謙虚に認めないといけない、と思います。認めて初めて、他者に耳を傾ける事が、出来る」
⇒something2013さんのご指摘内容に同感です。
現代によくいる高学歴を自慢する人間は、他人に勝つために高学歴を利用しています。
まあ、それを煽って来た先人たちも少なくありませんでしたが。

「哲学も同じでしょう。私は、哲学で、路傍の石ひとつも動かせるわけでもなかろうに、と思っていますが、それでも、存在を全く否定している訳でもありません。しかし、独善的な論理構成と結論には、悲哀を感じます」
⇒まさに悲哀ですね。

「そういう人は、自分が受けてきた教育や読破した書の価値が理解できていない。どのように自分の血となり肉となったか、の理解も出来ていない、と思っています。まあ、病気なんだと思っています」
⇒病気ですか~(笑)!
自己顕示欲が強過ぎるというのは、戦後の焼け野原から高度経済成長に暴走した社会が意図的に作り出してきた産物、と団塊世代の私には感じるのですが。

前回の私の質問にも回答いただいたsomething2013さん。
「そのお言葉に、人生の経験の積み重ねを感じます」とお答えしたのですが、戦前の旧制中学、旧制高等学校での真の人間教育を彷彿させます。
ご回答に感謝します。

お礼日時:2017/03/10 12:57

他人を含む全ての世界は、自己の脳の中にしか存在しない、というのが量子力学のもたらす世界観だ。


認識体による「いい加減な(階層現象表面的かつ経験的な定性化)認識によって、有限な存在性(世界)は派生する」という。
であれば、「唯我独尊」というより「唯我独存」だ。
他人の意見は参考にして自己を高めるためでしかなく、比較して優越感を感じたり劣等感を感じたりする必要はない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「他人の意見は参考にして自己を高めるためでしかなく、比較して優越感を感じたり劣等感を感じたりする必要はない」
⇒そうでしょうね。

お礼日時:2017/03/12 09:47

「唯我独尊を治したい」という目標を立てたものの、志半ばで短気を起こして、なかなか治らないからと感じて諦めなければ、治ります。



その目標を立てたヒトが、当事者であった方が理想的ですが、第三者であっても治ります。

方法は、治すヒントを見つける度に、そのヒントを基にしながら治す努力を試みることです。

治すヒントをもらう出所は、6種類程度あります。

-----------------------------------------------------

(出所1)これまでの人生の中で脳内に蓄積された知識や経験

(出所2)身の回りのヒト

(出所3)書籍やメディアによる言語による情報

(出所4)ヒトの作った芸術や音楽などの感性による情報

(出所5)ヒト以外の生物

(出所6)季節の移り変わりや自然災害などの自然の摂理

-----------------------------------------------------

「唯我独尊を治したい」という志に立ちはだかる壁が大きいほど、壁を乗り越えるヒントを様々な種類の出所から得る必要があります。

※インターネットが普及して20年以上経ちますが、当初は、自分の知りたい情報が無限に詰まった夢の道具と言われておりましたが、現状を見ると、「便利な検索道具を手にしても、ヒトは自分の興味のある情報しか見ない」ということが明らかになりました。出所1から出所6まで、様々な情報がありますが、志を立てて、立ちはだかる壁を乗り越えるための取り組みを行わない限り、使いこなそうとはしないのです。

「唯我独尊を治したい」という志を立てたことによって、(出所2)身の回りのヒトにしても、価値観が異なるヒトからも情報を得たいという気持ちになり、更に、立ちはだかる壁が大きいほど、(出所3)書籍やメディアによる言語による情報の中でも歴史上の人物による書物にも目を向けるようになり、(出所4)から(出所6)までの言語以外からの情報を通じて、何らかの教訓めいたヒントを得て、自分独自の壁の乗り越え方が見つかるようになります。

「唯我独尊を治したい」という志を立てて、歩み始めた当初は、誰でも思い付くような取り組みしか思いつかない。様々な出所から得られるヒントを試してみて、様々なヒントが融合されたオリジナルな取り組みが見つかるようになります。

オリジナルな取り組みが見つかるまで10000時間(経験年数10年)かかるとも言われています(マルコム・グラッドウェル 2009 天才! 成功する人々の法則)

野村克也氏の金言が書かれた本も、(出所3)としておすすめです。あと、貞観政要(帝王学)の六正六邪(自分の苦手のヒトに目を向けるようになる)の話、孫子の兵法の地の話、などなど、人類が書いた書物は膨大なので、(出所3)は本当に宝の山です。それに目を向けさせるのは、志を立てたヒトだからこそです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

視野を広くということでしょうね。

お礼日時:2017/03/11 11:28

正しさですか。

完全に、正しいことなど何一つありはしません。確からしいことがあるだけ。

人間は、ゲーデルの大海に漂う浮き草です。
そして、正しいと思っているほどに間違いに気づいた時の反動は大きい。
だから、他人が馬鹿に思えるほどに自分が愚かだということ。

コペルニクスの転換でしたか、天動説が正しいに決まってますが、いつまた、地動説に戻るような転換がこないとも限りません。そんな馬鹿な、そんなことあり得ない、いやいや分りませんよ。実生活は地動説ですし。

そうやって、何度も大転換をしているんですから。もうちょっとフワフワっと生きればいいんじゃないでしょうか。浮草ですし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「正しさですか。完全に、正しいことなど何一つありはしません。確からしいことがあるだけ」
⇒その通りですね。

「人間は、ゲーデルの大海に漂う浮き草です。そして、正しいと思っているほどに間違いに気づいた時の反動は大きい。だから、他人が馬鹿に思えるほどに自分が愚かだということ」
⇒同感。逆に、間違いに気づかないのは寂しいことです。

「もうちょっとフワフワっと生きればいいんじゃないでしょうか。浮草ですし」
⇒私の人生観も”浮草のごとく”かもしれません。

お礼日時:2017/03/11 10:20

歳をとると頭が硬くなるといいますから、そのこともおっしゃってるのかなと思います。

経験も若い人より多いからそれをどうしても過信するし、長い年月かけて自身の癖が厚く刷り込まれていてそのパターンから抜け出せない。
でも、聴く耳さえ無くさなければ、きっと孤独も破れる時が来ると思う。
強者の声を人は尊ぶ。でも、弱者の声を聴く人の方が、聴くことに関しては優れている。聴くことに優れている人の学識は増大する。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「経験も若い人より多いからそれをどうしても過信するし、長い年月かけて自身の癖が厚く刷り込まれていてそのパターンから抜け出せない」
⇒そのような傾向は、”老害”といわれていますね。

「こでも、聴く耳さえ無くさなければ、きっと孤独も破れる時が来ると思う」
⇒そういうことですね。

「強者の声を人は尊ぶ。でも、弱者の声を聴く人の方が、聴くことに関しては優れている。聴くことに優れている人の学識は増大する」
⇒その二つは、深い意味がありますね。

お礼日時:2017/03/10 22:48

去年、囲碁の世界チャンピオン、になったことのある、イ・セドル九段がALFA・GOに負け。

去年の暮れに、ネット対局に登場した。MASTERというのが、世界ランクナンバー1のカケツ9段や日本の6冠を含む、プロを相手に60連勝をした。
トッププロとの間に、4子の差はある。と言われ。正体が人口知能ログラムである事が明かされました。プロの感想は、
五千年の人間の知恵の蓄積は、間違いだったかもしれない。とか、人口知能に比べると人間の知恵は石器時代レベルと言わざるを得ない。というようなものでした。実験対局を終え 、今年は公開対局をする?? 4子置かせてもらって。トッププロが教えてもらうのでしょうか。
人間の知能は石器時代レペル。というのは当たり前、と言える事なのです。クロマニヨンが、知能のピークであった、との説もありますし。知識はかえって知をあやふやなものにする「老子」
嘘、本人は言っていない事がはっきりしている、言葉、言い伝え、に、生まれるとすぐに立ち上がり、三歩あるいて。天を指差し
「天上天下唯我独尊」と釈迦は言った。との伝説です。
生まれてすぐにた上がるのは、集団での移動中に生まれた、草食動物の赤ん坊ぐらいであり。人間の赤ん坊がすぐ立ち上がり、言葉を発する。というのは、あり得ない事です。伝説の意味するところは。
我は我一人である。己こそ、己のよるべ。自分で自分を導き生きてゆけ。というような意味と、もう一つは
自分の心が第一である。との思想は間違っている。我がなくとも世界はある。その事を知らせるためにの。
釈迦の生まれてすぐの思想である。と釈迦本人ではない、誰かの作り話であるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、唯我独尊の話ですね。

お礼日時:2017/03/10 22:41

方法は二つあります。



一つは、「自分の考えだけが正しいと言い張ってしまう」分野の話題は、その話題になる事そのものを避ける。
もう一つは、いっその事そのこだわっている分野を専門家並みに博学になる。



対処法1

あなたはどういう時に、自分の考えだけが正しいと言い張ってしまいますか?

政治と宗教と野球の話はするなと言われますが、この分野は多くの人が「自分の考えだけが正しいと言い張ってしまう」分野です。
あなたにもそういう分野があって、友人と会話でたまたまその分野の話になったとします。あなたはその分野は多少の知識がありますが、友人は全く知識がない。知識が無いくせに知った風な口をしてお門違いな間違った分析を偉そうに語っているとします。
そういう状況って、イライラしますよね。それで間違った事を正してやろうとガツンと言ってしまう。「自分の考えだけが正しいと言い張ってしまう。」

こういう時ってありませんか。対処法は、自分のこだわっている箇所の話はなるべくしない、話題になったら聞き流して会話に参加しない、あるいは「なるほどね」と本音は殺して聞きに徹して話題が変わるのをひたすら待つか、話題を変える。



対処法2

いっその事、その分野を猛勉強すると言う方法です。

方法は、まずその分野の本を読みます。既に本は読んでいると思いますが、本には必ず参考文献というのが記載されています。その記載されている参考文献を全部読みます。その参考文献には、その本の参考文献になった本が記載されているはずです。またそれを読みます。合計4回繰り返します。

新たに買ってきた本を読む時も、これを常に四回繰り返します。本は、いい加減な事も多く書かれていますので質も大切ですが、量に上回る質はありません。

1000冊くらい読み終える頃には、専門家並みの知識が身についていると思います。
そしてその頃には、「自分の考えだけが正しいと言い張っている」という話し方が変わってきます。

今までは浅い知識だったので、意見しか言えなかったのに対して、あなたの考えを補強する出典を出せるようになるからです。「自分だけの考え」ではなく、実際の人物名を言った上でこういう意見があるとか、勿論それにはこういう反論があって、などもいいながら、でも僕が思うにはこうだね。と言う自分の考察が言えるようになります。

ここまでくれば、「自分の考えだけが正しいと言い張っている」とは人は思いません。
知識が無い者や浅い知識の者は意見しか言えませんが、深い知識の持ち主は考察が出来るようになります。




対処法1は明日から出来ます。対処法2は大変です。1000冊と言わなくとも、週に一冊で2、3年で100冊でも読まないよりはかなり違うのかなと思います。

参考までに。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

「対処法1 対処法は、自分のこだわっている箇所の話はなるべくしない、話題になったら聞き流して会話に参加しない、あるいは「なるほどね」と本音は殺して聞きに徹して話題が変わるのをひたすら待つか、話題を変える」
⇒でも、それはあくまで対処法ですね。
本質的な問題解決にはならず、むしろコミュニケーションが阻害されるでしょう。

「対処法2 いっその事、その分野を猛勉強すると言う方法です。」
⇒これも難しいでしょうね。何故かと申しますと、上には上がいるからです。諸行無常といわれますが、常に情報は変化しています。一時的に学んでも翌日にはその知識は陳腐化する宿命でしょうね。

お礼日時:2017/03/10 14:03

自分が正しいと思うことから脱出はできません。


「自分の考えは間違っていることもある」とか
「自分の考えはすべて間違っている」と思ったとしても
この「自分の考えは間違っている」という考えは正しいと
思っているんです。

どこまで行っても、この枠からは出られません。
頭の中で思っているだけなら問題ありません。だれでも
そうなんですから。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

「自分が正しいと思うことから脱出はできません」
⇒そうですか。

「どこまで行っても、この枠からは出られません。頭の中で思っているだけなら問題ありません。だれでも
そうなんですから」
⇒確かに、頭の中で思っているだけなら問題ありませんが、他人と接する時には少し考える必要はあるでしょうね。

お礼日時:2017/03/10 13:55

哲学に関しては唯我独尊も有り(良いじゃないか)と思います。



ただし、Q&Aサイトで質問したり、回答する人は、唯我独尊ではありません。
唯我独尊でないからこそQ&Aサイトに出入りするわけです。

唯我独尊でないQ&Aサイトの投稿者が、他者の考えに耳を傾けないのは、ただ我儘なだけかと思います。
まあ、所詮Q&Aサイトですから、我儘な人が出入りすることは防ぎようがないので、それなりに対応することが必要です。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

「哲学に関しては唯我独尊も有り(良いじゃないか)と思います。ただし、Q&Aサイトで質問したり、回答する人は、唯我独尊ではありません。唯我独尊でないからこそQ&Aサイトに出入りするわけです」
⇒なるほど。

「唯我独尊でないQ&Aサイトの投稿者が、他者の考えに耳を傾けないのは、ただ我儘なだけかと思います」
⇒そういうことでしょうね。

「まあ、所詮Q&Aサイトですから、我儘な人が出入りすることは防ぎようがないので、それなりに対応することが必要です」
⇒まあ、そうでしょうね。

お礼日時:2017/03/10 13:16

まず、唯我独尊の解釈として釈迦がどうこうの由来や本来の意味の話は置いておいて、おそらく質問者様のおっしゃっていることは一般的に多くの人がしている意味解釈としての「自分だけがすぐれていると自負すること」と理解します。


それを前提として回答します。

私は治ると思います。
きっかけさえあれば……ですが。

お恥ずかしい話、事実私は過去唯我独尊であった時期がありました。
自分の想定した通りに事が進み、良いことも悪いことも自分の思い描いた通りの結果になり、「ほら、枝葉末節に至るまで俺が言った通りになっただろう」とか「だから言わんこっちゃない。全部予想通りじゃん」みたいになっており、正直言って自惚れていました。
本気で「ほんとお前らアホだよな」などと思ったりしてました。
バカですよね。
そこには多分に自分の経験と知識という裏付けがあったのも確かですが、確実に「たまたま」という運の要素もあったんです。
その運が抜けてしまった時に、当然自分の想定していた範囲外の出来事が起こったりして、「やばい。あの人の言う通りになった」という結果になった出来事を経験しました。
その損害も大きかったというのもあり、そこでかなり学んだと思います。
それからは他者の異なる意見も取り入れるようになりました。
そして自分の側近には思考プロセスやアルゴリズムなどが自分と全く異なるタイプの人間を置くようにしました。
信念はブレないようにしていますが、論拠さえあれば他者の意見を批判無しに素直に受け入れられるようになりました。
おそらくですが、これは「なおった」と言って差し支えないんじゃないかな?と勝手に思っています。
あの頃を思い返すととても恥ずかしい気持ちになり、枕に顔を埋めて足をバタバタさせたくなります。

一方で、私のように失敗経験無く、順調に思い描いた通りに進んできた方々で唯我独尊に陥っている場合は、なかなかその意識は変わらないと思います。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

bfoxさん、久しぶりですね。

ご自分の経験談、よく理解できます。

「おそらくですが、これは「なおった」と言って差し支えないんじゃないかな?と勝手に思っています。あの頃を思い返すととても恥ずかしい気持ちになり、枕に顔を埋めて足をバタバタさせたくなります」
⇒そのお気持ち、よく分ります。
お気持ちを率直に書いていただき、感謝です。

「一方で、私のように失敗経験無く、順調に思い描いた通りに進んできた方々で唯我独尊に陥っている場合は、なかなかその意識は変わらないと思います」
⇒そうでしょうね。
この優秀な自分を誰も認めてくれない、と地団駄踏んでいる人は変わらないでしょうね。

お礼日時:2017/03/10 13:11

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