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既に存在するものは既に存在しているのであって、これを創造することは出来ません。
例えばこの宇宙である。
宇宙は如何なる場所においても、またいつ如何なる時においても常に存在したのである。
既に存在するものは創造することは出来ないのであるから、宇宙は創造することは出来ないのである。
このよーに考えるといわゆる創造神なるものは存在し得ないことになります。
創造神なるものは有り得ない。
神について語る時に、まず第一に考慮すべきは「創造神なる神は存在し得ない」ということではありませんか。

A 回答 (14件中1~10件)

この世は物質と精神で構成されています。

もし、この世は物質のみで構成されているとしたら、私は何も感じないでしょう。

熱いとか赤いと感じている主体が私です。熱いとか赤いと言う感じは、幾ら高性能な顕微鏡で脳の中を覗いても見えません。物質が、熱いや赤いに対応する動きをしているのが見えるだけです。
その動きの刺激を受けて、精神である私が熱いとか赤いと感じているのです。
熱いや赤いは物質ではないので、それを感じている私も物質ではありません。私は、無限の感受性である精神です。

物質の全体を宇宙と言います。質問者さん、それでは「精神の全体」を何と呼んだら良いでしょうか。

そして、この世の始まりを物質のみで説明することは出来ません。物質の因果関係は、原因が結果を生じ、その結果が原因となり更に結果を生じると言う形になります。
従って、宇宙の始まりは原因なくして結果を生じなければなりません。つまり、無から有を生じなければなりません。しかし、それは不可能です。

一方、精神は物質を動かすことが出来ます。精神である私は物質である手を動かすことが出来ます。ですから、宇宙の始まりにおいて最初に動いたものは、「原因から自由な精神」以外にはありません。

質問者さん、この「宇宙を創造した精神」を何と呼んだら良いでしょうか?

 ユダヤ教・キリスト教では、外界は神が創造したと信じます。
 ここに物が落ちたのは、ここに落ちるように、宇宙が作られているからであると考えます。そして、どうしてここに落ちたのかを追求し、 物体は外から力が加わらなければ、そのまま飛び出した方向へ等速運動を続けるが、落下距離は時間の2乗に比例する為、 放物線を描いて地上に落下し、ここに落ちたことを発見します。
 宇宙で起る全てのことは、必然であり意図されたものであると考えます。ですから、一見偶然に思える事柄に対しても、 必然であると確信し、その仕組みを解明しようとします。
 ある天才は、「神はサイコロを振らない。」と言いました。 これは、現象を確率で説明しようとする態度に対して、必然な説明をしなければならないと批判したものです。
 この様に、西洋では神が宇宙を創造したと言う確信により、自然科学は発達して来ました。

 それに比べて、東洋では仏が宇宙を作ったとは考えません。精神の中に仏が存在していると考え、内心の仏を追求します。
 宇宙は偶然出来たと考えます。物は色んな所に落ちます。物がここに落ちたのは偶然だと考えては、 落下の法則や万有引力の法則は思いつかないでしょう。
 無神論も同様です。ハッキリと必然と分ること意外は偶然であると考えたのでは、人に先駆けて新しいものを発見することは出来ません。


 神を持ち出すと、単純に非科学的であると非難する方が居られます。しかし、科学で全ての現象を説明出来るでしょうか。
 第一、物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。 物質の因果関係は、原因→結果=原因→結果=原因→結果・・・と続きます。原因があり、その為に結果が生じ、 その結果が原因となり次の結果が生じると言う順番となります。
 しかし、これでは最初の原因が存在出来ません。その最初の原因は、何らかの原因により生じなければなりませんが、それがありません。 物質のみでは、宇宙の始まりを説明できないのは自明のことです。

 また、コインのゲームを考えて見ます。コインを縦に立て、倒れて表が出れば私が勝ち、裏が出れば貴方が勝ちます。 科学では、このゲームで私が勝つ確率は50%、負ける確率も50%としか言えません。 しかし、現実にはどちらかが勝ち、掛け金を全て手に入れます。それを決めるのは何でしょうか。
 これと同じことは、素粒子レベルでは無数に起っています。完全に均衡している状態で、僅かな力が加わり少しの不均衡が生じると、 不均衡が不均衡を呼び次第に大きくなり、終にはコインは倒れます。

 確率は50%ですが、ほんの僅かな力が加わることで、表が出たり裏が出たりする。その為に、ある者は人生で成功し、ある者は失敗する。 その僅かな力が精神である可能性はあります。

 精神である私は、物質である手を動かすことが出来ます。肉体は動かすか動かさないかで物的に均衡した状態にあります。 ほんの僅かな精神の力を、物的に均衡した物質(脳)に加えることにより、手は動いたり動かなかったりします。 この様に、精神は物質を動かすことが出来ます。

 単なる偶然の連続で、この宇宙は進行しているのでしょうか。それとも、何らかの意図があり、僅かな精神の力が加えられているのでしょうか。

正しい知識を得るには、全てのものを疑うことの出来ない自明なものなのか否か問いかけることが必要です。 デカルトは、この方法的懐疑により、全ての知識を自明なものか否か検証して見ました。
 その結果、自明なことは唯一つしかないことが判明しました。それは、全てのものを疑っている自分が存在することだけは 疑うことが出来ないと言うことでした。 「我思う故に我あり。」です。それ以外は、正しいと思ってはいたが、そう思っていただけであることが分りました。 これが「無知の知」です。

 しかし、自明なものしか信じないのであれば、そこまでです。そこから先は、何を信じるかによります。
 心は、その中に宇宙を作り出しています。私たちが感じている宇宙は、心の外の宇宙ではありません。心が作り出した宇宙です。 心の外を覗くことは不可能です。心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。
 しかし、心は外界に似せて、心の中に世界を作り出しているのです。心の中では、1+1=0でも、1でも3でも何でも構いません。 心の中に在るものは、消えたり生じたりします。従って1つと1つ在ったものが消え去り0となっても良いし、 新しく生じて3になっても良いのです。決して増えもせず減りもしないと前提して、1+1=2としなければならない必要はありません。

 しかし、外界では、無から有は生じませんし、有が消滅して無となることもありません。エネルギー保存の法則が成立します。 従って、1+1=2でなくてはなりません。
 心が1+1=2に制約されている事実は、心の中の世界は、外界に出来る限り似せて作られていることを証明しています。 外界に1+1=3を適用すると、その行動は誤りであり、失敗するからです。
 従って、外界には、心で感じている様な世界が存在することを前提とせざるを得ません。

 宇宙の仕組みを完全に解明した時、物質だけでは説明出来ないことが残されたら、神の存在を証明したことになります。  この様に、宗教は全く科学的な態度であると言えます。

「神の存在」について、私のホームページに纏めました。是非ご参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/syuukyouhahikagakut …
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この回答へのお礼

>この世は物質と精神で構成されています。

これは私の言葉で表現すると次のよーになります。

「宇宙には宇宙の法則がある。
宇宙なくして宇宙の法則はなく、宇宙の法則なくして宇宙はない。
宇宙と宇宙の法則は一体である。」


>そして、この世の始まりを物質のみで説明することは出来ません。

あなたはこの世に始まりが有ると考えているよーですね。
あなたは宇宙を有限と考えています。
これを有限宇宙観といいます。
この点私の考えは全く違います。
宇宙には始まりなど存在しません。
何故なら宇宙は無限だからです。


>質問者さん、この「宇宙を創造した精神」を何と呼んだら良いでしょうか?

あなたは宇宙は創造されたものであると考えているよーですね。
宇宙を創造した精神が存在すると考えています。
やはり有限宇宙感に包まれています。
この点私の考えは全く違います。
「宇宙は創造されたものではない」というのが、私の考えです。
宇宙の法則は宇宙を創造してはいません。
何故なら宇宙は如何なる場所においても、またいつ如何なる時においても常に存在したからである。
既に存在するものは創造することは出来ないのであるから、宇宙を創造することは出来ないのである。


西欧人であれ、日本人であれ、多くの人は宇宙は創造されたものであると考えているふしがあります。
それは神官であっても同じなよーです。
殆どの人間が有限宇宙観に支配されているのです。
残念なことです。

宇宙は無限です。
宇宙は創造されたものではありません。

お礼日時:2017/05/04 02:49

みなさん凄い回答なので、


興味津々です。

創造神とは、
意思を持った能動的力学
を発する存在?
というべきか。

宇宙の法則性を
あらゆる宇宙で適用可能か
どうか
興味あります。
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「創造神なる神は存在し得ない」


そう決める事は出来ません
宇宙は一つ と決めると そうなる

 詳しくは 述べないが
永遠のインフレーション理論の数式から多元宇宙
が 今注目されている
天文学や量子力学の巨大なダークエネルギーの存在
空間の理論や 物理学の弦理論等も まだ仮定 想定の領域なのです
宇宙の物質すら70%が不明なのです未踏の地なのです

 詳しくは 述べないが
量子力学等では もし 「この宇宙を神がつくったならば」
神の数式(法則)がある と探しています 研究中

詳しくは 述べないが
生命科学等では 
「何らかの手が加わった」
「ありのままを受け入れるしかない」 これ科学者が言います
すなわち 科学の「原因と結果」の法則では
 説明不能な世界が生命であり 地球であり 宇宙なのです
今 学者が最も支持している説は 「宇宙からやってきた」
と言う説にならないような説です これほんとですよ

詳しくは 述べないが
加來道雄(理論物理学者日系3世)科学者は
 科学の未来は、宗教と融合を目指す中に開かれるはずだ」
と述べています  又地球プロジェクトのロジャーネルソンは
実験の結果が 論理的に説明出来ない事に科学の限界を感じているのです
アインシュタイン等も 宗教の必要性を述べています

今 空間が分かれば すべてが分かる 
これ 科学者の常識
仏教では 空 が分かれば すべてがわかるのです

中途半端な習いそこないが 神はいない と言うのです
本当の科学者は そんな事言いません
神が宇宙を作った生命を作った 否定等できません

余談
詳しくは述べないが
宗教と科学  これ 同じです
キリスト教 仏教 儒教 西洋哲学
同じ方向を向いています
エセ宗教は別

余談の参考
仏教 キリスト http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm
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大体知りたい事が分かってきました。



創造神は存在しないと思うが、神はいると思っている。
しかし、その実体が分からない、という所でしょうか。

聖書によると、全知全能の神、創造神は「永遠から永遠に存在している」と書かれています。

これは人間にはとても理解しにくい概念です。

目に見えないとはいえ、風の作用を見て空気の存在を知る事が出来るように、神も、その働きによって存在している事が分かります。

ローマ人への手紙には、
神は創られた物を通して、ご自分を知らせておられる、とあります。

ここから、宇宙や自然の摂理、形ある物の不思議な統一的性質から、神の性格や考え方が分かります。

例えば、自然を美しく創られた事から、神は美しさを大切にしておられる事が分かります。

宇宙の法則が規則正しい事から、秩序を愛する方である事が分かります。

では、その神を創ったのは誰か?
という事を考えておられるのだと思います。

聖書によれば、神には始まりも終わりも無い、物質的な存在を超えた存在です。

例えば、「時間」というものが存在します。
しかし、時間そのものはここが初め、という事がありませんし、ここまでが最後という事もありません。

同様に、創造神も、絶対的存在で、初めもなく、終わりも無いのです。

イエスを創り出される前に、神がどのように過していたのかは知るよしもありませんが、
それは、短命な生き物が、人類の歩みについて理解出来ないのと同じレベルにあります。

答えはあるが、ちっぽけな人間には理解出来ないだけなのです。

しかし、この絶対的存在である創造神を信じれば、世の中の事全てに説明がつきます。

まずは、この教えを説いている聖書が信頼できるかどうかを調べられてはいかがでしょうか?

もし、それが信頼に値するなら、理解を超えた事であっても、信じるに値する教えである事がわかるはずです。

神を知るには、自然界と聖書そのものを調べる事が役にたちます。
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【宇宙の法則=神】



これもさっき述べた『昔の人間の自然災害など~』の現代の解釈かと思われます。
要は、説明が出来ない事象などに対して『神』という存在で終わらせようとするのではないでしょうか?

質問内容とずれていってるみたいですみません。











すみません、質問事項と掛け離れていってるみたいで。
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神という概念はヒトが作り出したモノ。

昔は自然災害など抗えない恐怖から「知識」を持ったヒトがその災厄から逃れたいと考え、上位の存在を勝手に作り出した。その結果宗教などにより定着化していった。
というのが私の持論です。

宇宙の創造に関しては分かりません。
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この回答へのお礼

>神という概念はヒトが作り出したモノ。

宇宙の法則を神と考えればよいのではないでしょーか。

お礼日時:2017/04/28 00:15

バイロギクさんに1票!


化学と宗教は相入れません。
人間が 心で 作り出したものが 神だと 認識しております。
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★(№5お礼欄) ~~~~~~~~~~~


超経験とは経験の積み重ねによって接近してゆく先にあるものです。

我々は真理の探求というプロセスによって経験を積み重ね、次第に
超経験へと近づくことが出来るのです。

我々は真理の探求という唯一のプロセスによって宇宙の法則である
神と語り合うことが出来るのです。
~~~~~~~~~~
☆ ダメ。ただの作文です。

もしそうなら どんな会話をしたのか? 神とです。それを明らか
にしてみなさい。

出来っこないし やったとしても それが神との対話であるという
証明は 誰にも出来っこない。というのが 相場です。



いいですか? 円周率 π は 小数点以下延々と限りなく数値がつづ
きますが その全体は 3と4との間におさまります。つまり 有
限です。そういう相対の世界に属します。

いくら経験を積み重ねても そのいとなみの全体は 相対なる経験
世界におさまるのです。

いくら作文をしても ダメ。哲学のきびしさを知りなさい。
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既に存在するものは既に存在しているのであって、


これを創造することは出来ません。
  ↑
時計が存在している、ということは
これを創造したモノがいるのではないですか。



宇宙は如何なる場所においても、またいつ如何なる時に
おいても常に存在したのである。
  ↑
ビッグバン以前には存在しなかったのでは?



既に存在するものは創造することは出来ないのであるから
  ↑
同じ種類の時計は創造できるが、
同じ時計は創造出来ない。
こういう意味ですか?

こうなると、それは「同じ」の定義次第という
ことになりませんかね。
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この回答へのお礼

>こうなると、それは「同じ」の定義次第という
ことになりませんかね。

定義も何もない。
同じ人間は一人しかいない。
同じ人間は創造できないってことだ。

お礼日時:2017/04/26 07:10

こんにちは。



★ 神について語る時に、まず第一に考慮すべきは「創造神なる神は
☆ 超経験なる神について 擬人化しその物語として描いたものだと
知ることです。


人類は 超経験なるナゾを 神として想定しています。

人間の経験を超えているのですから 思考や認識も及びません。

経験世界が否定されているのではなく それを超えているのですから
認識し得るかし得ないか それが分からないナゾなのです。



この《超えている》という捉え方を拡張して 超えている《つくる側》
と超えていない《つくられる側》とに分け つくる側を創造主として
描こうとしたということです。



認識し得ないという証明ができたわけではないのですが 認識し得た
という表明も 最終的には あり得ていません。

したがって 人びとは 神は有ると言ったり 神は無いと言ったりし
て それぞれおのれの神を持つというかたちになっています。

《神は有る》派のうちの一派が 創造主としての神をさらに打ち出し
たということです。

《神は無い》派の・それとして(想定じょう仮りに)認識している神
(つまり 無い神)と まったく同等です。




しかし それにしても 日本人は宇宙が好きですね。

そして 何とかのみちさん 進歩してないぢゃん。
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この回答へのお礼

>人類は 超経験なるナゾを 神として想定しています。

超経験とは経験の積み重ねによって接近してゆく先にあるものです。
我々は真理の探求というプロセスによって経験を積み重ね、次第に超経験へと近づくことが出来るのです。
我々は真理の探求という唯一のプロセスによって宇宙の法則である神と語り合うことが出来るのです。

お礼日時:2017/04/26 13:51

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