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こんにちは

日本語には様々な他動詞があると思いますが、それらは目的語、もしくは暗に想定される客体と一緒に使用しなければならないのですか?
例えば、「食べる」は、卵を食べる、など目的語と共に言わなければいけないのか、もしくは、共通の話題として卵が想定されている必要があるのか。

よろしくお願い申し上げます

A 回答 (12件中1~10件)

質問者には申し訳ないが、行きがかり上、No.9の方に答えさせてください。


 わたしは、かなり常識的なことを申しあげただけです。日本語には、自動詞の受動態(受身形)があるのはよく知られています。
「赤ん坊に一晩中<泣かれ>て困った」「わたしは雨に<降られ>た」「母親に<死なれ>た」などがそうです。これは「迷惑の受身」と呼ばれますが、はっきりした「能動文」がないことが特徴です。(「雨がわたしに降った」は言えません)
 したがって、受動態の存在が他動詞を証明することには、なりません。「わたしが富士山に登った」→「富士山がわたしに登られた」これは後者が不自然です。普通は言わない言い方。

>それでもなお「登る」を他動詞として扱うつもりならば、日本語独自の明瞭な基準を作る必要性が出てくる。
 
 「他動詞」は「自動詞」の間違いでしょうが、わたしは日本語の明確な基準を作る立ち場ではありません。
なお、疑問があれば、おっしゃってください。外の方々がお答えくださると思います。
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こんにちは。



1 他動詞とは「目的語」をとる動詞である。(「目的語」とは何か、が問題)

2 動詞がとる名詞は、その動詞がなりたつために「必須」と考えられる名詞
  ただし、文脈によってわかれば省略されうる (「必須」とは何か)
  (「ご飯、食べた?」「食べたよ」)

3 「目的語」とは、基本的に「名詞+を」
 3-1 「名詞+を」の中で、「移動」に関する動詞の通過点などを除く。(割と通説)
 3-2 「名詞+に」の中で、「受身」になるものは目的語と考える(一部の説)
   (「受身」の中で「まともな受身」になるもの:ここの議論はめんどう)

4 国語辞典の「自」「他」「自他」(両方の用法がある動詞)の指定はかなりバラバラ
 私が調べたものをご参考までに (かんちがい、写し間違いはご容赦を)

       新明解 明鏡 三国 岩波  集英社 広辞苑5 日国大
 持ち寄る   自   他  他  他   他   自    他
 喜ぶ     自   他 自   他  自    自他  自他  
 怖がる    自   他 なし  自   他   自他   他 
 焦る     自  自他 自  自   自    自   自   
 忍ぶ     自他 自他 自他  他  自他    他   他
 頼る     自他 自他 自他  他   他   自   自
 急ぐ     自他 自他 自他 自他  自他   自他  自他 
 嘆く      他  他 自他 自他  自他   自他  自他
 誇る      他  他 自他 自   他    自   自 
 働きかける   他 自  自  自   自     他   他

 けっこう違うものです。広辞苑と日国大が似ていたのが意外でした。

 saburoo
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この回答へのお礼

端的な説明でわかりやすかったです。
目的語は必ずしも助詞によって決まっておらず、「に」でも受動態にできるかどうかによって目的を示すことができる、という説は初めて聞きました。
わざわざ例をたくさん調べて頂いて、大変ありがたいです。

お礼日時:2017/07/09 19:02

#2です。


#9さんのご投稿に興味を惹かれましたので、もういちどおじゃま致します。

>それでもなお「登る」を他動詞として扱うつもりならば、日本語独
自の明瞭な基準を作る必要性が出てくる。

まず、「他動詞」の定義ですが、大辞泉によると、
動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/137776/meaning/m …
です。
『明瞭』とは言えないかもしれませんが、順当に解釈するなら『基準』にはなっていると思うのですけどね。

> 多くの人が富士山に登る。 → 富士山は多くの人に登られる。
 (行為主体が「多くの人」であることが明らかなので、「登る」
 は他動詞)

この受動態は、「富士山は多くの人に(登山の対象として)登られる」という意味で、一応成立すると思います。
ただ、それ(受動態可能)をもって他動詞とする条件にしてしまうと、迷惑の受身に関して説明がつかなくなる。
この点では#7さんに同意します。
この例文に関しては、先の辞書語釈に則って、
「(富士山に)登る」という動作が、富士山について、単なる山とは異なる要素を付加する(作り出す)働きをしている動詞である。
と解釈すれば良いでしょう。
逆に言うと、「わたしは山に登るのが好きだ」などは、こうした解釈ができないため他動詞ではない。他の例を挙げるなら、
「(出初め式で)訓練を積んだ優秀な消防士がはしごを上る」⇒「(出初め式で)はしごは、訓練を積んだ優秀な消防士に上られる」
という能受変換の場合、
「(はしごを)上る」という動作が、「はしご」について、単なる「はしご」とは異なる要素を付加する(作り出す)働きをしている動詞である。
とは言えない、ということ。

要するに、わざわざ受動態にするまでもなく、上記辞書の語釈にあるように、【動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。】という条件をクリアーしていれば、それは他動詞である、とすれば十分。
そうした条件の対象は、基本的に格助詞「を」で示される、ということ。むろん、「基本的に」ですから、「に」などによって示される場合もある。
ただ、基本的に格助詞「を」で示されるのではありますが、#2でも触れましたように、良く言われるところの、場所や通過点を示す言葉に続く場合は例外となる。
なぜなら、
「駐車場を通る。」
「電車をおりる。」
などの
「通る」「おりる」といった動作が、「駐車場」「電車」といった「場所や通過点」に対して、【動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。】という条件をクリアーしているとは言い難いから。
こうした点を押さえておけば問題ないわけで、およそ、以上のような論理で合理的説明になるのではないかと思われます。
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No.7さん、



行為主体を示す受動態を作れるのであれば、動詞は他動詞と見なせ
る。あるいは、他動詞であると見なしたほうが、説明をより一貫し
たものにできると思う。

 多くの人が富士山に登る。 → 富士山は多くの人に登られる。
 (行為主体が「多くの人」であることが明らかなので、「登る」
 は他動詞)

自動詞で受動態を作れる言語は確かにドイツ語など存在するのだが、
その場合、行為主体を示すことができない。

それでもなお「登る」を他動詞として扱うつもりならば、日本語独
自の明瞭な基準を作る必要性が出てくる。
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No.1です。


回答の訂正です。当初「を」が付く場合他動詞である、と説明しましたが、下記、124の「を」が付く、または想定される場合、とさせてください。

「道を行く」は3に該当するので、削除します。それ以外は、前の説明の通りです。

#「を」の説明の1に「他動的意味の動詞」と出てきますが、循環論になりそうですね。事ほどさように、突っ込んでいくと西洋言語の文法を無理やり日本語に当てはめて、どちらとも付かない例外を多量に抱え込んでしまっているのが、この問題にも現れてきている、と思います。
横たわる<->横たえる、見る<->見える、など自他の明快な組み合わせがあるのを良いことに、当面他言語の文法を当てはめてみました、程度の世界のことなので、上記の「を」が付く程度でヤンワリ受け止めておかないと訳が分からなくなるのは目に見えています。

を《格助》
1.
他動的意味の動詞が表す動作・作用の向けられる対象を示す。 「本―読む」
《活用語の連体形に続けて》 …(する、である)ことを、の意に使う。 「口にする―はばかるような事件」
《「A―Bに…」などの形で》 AをB(の状態)にして…。 「娘―相手に話し込む」
2.
動作・作用が働いた結果であるものを示す。 「湯―沸かす」
3.
《移動に関する動詞と共に使って》 起点、経過する時・所、相対的位置、または限界を示す。 「席―立つ」
4.
《心情を表す語と共に使って》 心情の対象を示す。 「君―好きだ」
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No.6のご発言はわたしのあげた用例への批判と受け取ります。



「登る」「渡る」については、[日本国語大辞典][広辞苑・第四版][三省堂国語辞典・第三版]いずれも
わた・る 【渡・済・渉・亙】
〔自ラ五(四)〕

のぼ・る 【上・登・昇】
〔自ラ五(四)〕
([日本国語大辞典]の例)
のように、自動詞としています。

 「ふれる」については「自動詞」「他動詞」の両方有るとしていますが、その内容については辞書により差があります。[日本国語大辞典]の場合は、お触れを出す、の意味しか他動詞としていません。「~を触れる」

 なお、他動詞の受動形は「自然な」言い方ですが、自動詞も受動形が出来ないことはありませんが、自然でなく、「迷惑の受身」とされるのは確かです。「富士山は多くの人に登られる」は自動詞の受身ですが、有ることはあるのです。
 また、「に」が来るときには自動詞の場合が多くなります。「登山」(山に登る) 「渡米」(米国に渡る)

 現代、自動詞が他動詞化している例
子供を叱る=(他動詞)
子供を怒る(おこる)=(他動詞)←怒る(いかる)=自動詞。怒る(おこる)は怒る(いかる)から発生し、~に(対して)怒るであったのが、多くの人が、他動詞として使い始め、ついに辞書も載せるようになった。

自動詞・他動詞の対応関係
 日本語の場合、自動詞と他動詞がはっきり対応しているものが相当数あり、それを見ることで自他の区別が出来ます。その例を集めて一覧表を作っているのですが、これを引用すると大量になり場所を取り過ぎるので出来ません。(ネット上にはあります。)
たとえば「わたる(自)←→わたす(他)」のように対応しますから、「わたる」は自動詞と分かります。

 国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
 の「抜ける」は自動詞なのです。
    「ぬける(自)←→抜く(他)」で分かります。
しかし、対応関係がはっきりしないものもあります。「のぼる」←→?。 上がる←→上げる
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暗黙にせよ明示されているにせよ、目的語を伴うものが他動詞です。


助詞が何であるのかは日本語の場合にはあまり関係がありません。

 私は箱を壊した。 ... "壊した"は他動詞。

 私は箱に触れた。 ... "触れた"は他動詞。

他動詞なので、受動態を自然に作ることができます。

 箱は壊された。

 箱は触れられた。

さて、いろいろと検証しましょう。

 この坂は多くの人に登られる。○ ... "登る"は他動詞のようで
 す。

 この街道は多くの人に行かれる。× ... "行く"は自動詞のようで
 す。

 この運動場は多くの人に走られる。× ... "走る"は自動詞のよう
 です。

 この橋は多くの人に渡られる。○ ... "渡る"は他動詞のようで
 す。

 この家は多くの人に出られる。× ... "出る"は自動詞のようです。
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この回答へのお礼

受動態にできるかどうかによって、他動詞かどうかを判別するという視点は有用そうですね。
助詞がなんであるかどうかは、問題ではないということも僕にとっては画期的でした。
ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/09 19:15

他動詞は「ヲ格」(目的語)とともに使わなければならないものではありません。

(文中に出ない場合、すなわち省略ももあり得ます。)
 しかし、重要なのは、No.2の方、No.4の方がおっしゃるように、「~を」がついていてもそれが目的語ではない場合があることです。「坂を登る」「街道を行く」「運動場を走る」「橋を渡る」「家を出る」などの「~を」は経過する場所を表す場合や動作の起点を表す場合等であり、目的語ではないので「登る」「行く」「走る」「渡る」「出る」はすべて自動詞です。
 なお、「自動詞」・「他動詞」の区別をはっきり書いているのは、[日本国語大辞典][広辞苑][三省堂国語辞典][明鏡国語辞典]その他です。これらで調べれば簡単に分かります。注意するのは「自動詞・他動詞」のどちらもある場合です。辞書によって違いがありますが、「言う」「する」などは自他同形です。
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この回答へのお礼

自動詞、他動詞の区別をはっきり書いてある、辞典まで載せていただきありがとうございます。
なるほどとてもわかりやすい説明ですね。

お礼日時:2017/07/09 19:13

他動詞だから客体が想定される、のではなく


客体が想定されるから、他動詞なのでは…
前の方が、「を」がつくものが他動詞としていますが、「を」がつくからといって、他動詞とならない場合もあります。
例えば、「卵を食べる」は、モノを対象としていますが、「道を行く」の「道を」は、通過点であり、対象とは違うものと考えることもできます。
「過ぎる」の場合も、「時間が過ぎた」のように、明らかに「を」が想定されない文と、「東京駅を過ぎた」のように、「を」がつく文とがあります。ただ「東京駅」は通過点でしかないので、「過ぎる」はほぼ自動詞といえるかと思います。
「を」にも様々な意味があります。

実は、自動詞他動詞の区別だけでも、辞書によってまちまちなところがあって、論文があるくらいです(うろ覚えなので、自信はないですが)
同じ形の動詞でも、あるときは自動詞であるときは他動詞だったりすることもあるかもしれません(例が出なくてすみません)

僕もあまり詳しくないので、上のことについて論じることはできませんが
質問者さんの質問に答えるとすれば、順番が逆です。
他動詞だから客体が想定されるのではありません。客体が想定されるものが「他動詞」と呼ばれるに過ぎないのです。
だから、「他動詞」と呼ばれるのであれば客体が想定されるのは当然ではないでしょうか。
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何故、他動詞。


国語は文法さえ習えばみにつくのではなく。
言葉文章が理解できて初めて文法が理解できます。
他(をして)動(かす)詞。
他動詞が使用される、文章の内容がそうなっているからです。
他に該当するべきものが不要なら、他動詞という名は付きません。
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この回答へのお礼

簡潔でとても説得力のある説明ですね。
それが他動詞である限り、他をして動かしているということですか。
ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/09 19:09

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