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古墳時代の焼き物、ハニワ。
ユニークで可愛らしいのですが、あれってやはり当時の大人が作っていたのですよね。
もちろん技術や道具が無い時代。現代の彫刻や、平安時代の仏像のように人にそっくりに作るのは難しいと思いますが、もう少し本物に似せて作るのは難しかったのでしょうか。
制作者には失礼なのですが、現代の幼児でも作れてしまうように思えるのですが。
それともかなり精巧な作品もあったけど、残ったのがハニワのみとか。
あれが精一杯だったのでしょうか?それとも何か事情があったのでしょうか?
想像で考えるのみなのですが、何か思いつきますか。

A 回答 (1件)

いくつか考えられる事がありますが、まずは埴輪の用途というか使用目的から述べていきたいと思います。



ご存じの様に、埴輪は古墳の上部や周辺部に置かれていて、祭祀に使われたという考えが一般的ですが、中でも質問者様の言う、人物や動物を象った「形象埴輪」は、古墳に埋葬されている主の生前の功績を示す目的で作られたという見方があります。
群馬県の保土田八幡塚古墳からは、埋葬されている王が鹿や猪を狩り、巫女と共に祭祀を行う生前の様子を再現した埴輪が出土されています。誰にこれを伝えるためだったのかは、今となっては知るすべがありませんが、文字や文章の代わりに一目見てその内容が解る埴輪を伝達手段とした時点で、最も重要なのは伝達内容であり、その造形にリアルさの追求は不必要だったのではないでしょうか。細部にこだわらなくても内容が伝われば良い、という考え方です。

次に考えられるのが、埴輪の材質や、制作から納品までの流れです。
埴輪は土製品(焼き物)という性質上、乾燥・焼き・輸送のいずれかの段階でどうしても壊れる事があります。当時、埴輪は「埴輪窯」という埴輪専門の窯で職人集団によって、古墳の制作主、いわゆるスポンサーの注文を受けて制作していたと考えられています。スポンサーが「いついつまでに何個を納品せよ」と言ったら、それに従わねばなりません。しかし、すべて人の手で作るため、埴輪の制作能力には当然上限がありますから、個々の細部を作りこんで一定時間あたりの制作数を減らすと納期に間に合わなくなる恐れが出てきます。古墳の規模が大きくなればそれに比例して使用される埴輪の数も増えますから、注文数を確実に期日までに納品するために個々のクオリティを下げざるを得ない、といった状況もあったのではと想像されます。
また、壊れやすい材質という観点から、壊れにくい造形、すなわちリアルさよりも頑丈さを採用した結果そのような埴輪が多く残った、あるいはリアルな物も作られたが納品までにことごとく壊れてしまいゴミとなって未だ発見されてない、という可能性もゼロではないでしょう。

もうひとつ、「子供でも作れそうな造形」という「様式」が、当時のスタンダードだったという事も考えられます。先人の作風を忠実に再現・模倣する事が埴輪制作の上で最重要事項であり、個人の作為工夫は不必要、むしろ邪魔だったという事です。とはいえ、細かい部分については実に様々な「製作者の工夫」が見られますから、これはあまり正しい見方ではないかもしれません。

ここまで様々述べてきましたが、私、研究者でもなんでもないので、「こういう考え方もあるよ」程度に読んでいただければ幸いです。
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この回答へのお礼

とても詳しいご回答、ありがとうございました。
ハニワを当時の芸術品と考えるなら、ある程度時間をかければもう少し精巧に出来るのではないか(せめて輪郭など)。
もしかすると知能指数なども現代人より大幅に低かったりしたのかな?といろいろ考えてしまいましたが、芸術品というよりは祭祀用の道具として既存の型を模倣した量産品である、と考えれば精巧さは必要ありませんよね。
当時の芸術の概念も、現代のものとは違うかもしれませんし。
逆にあちこちで出土されるハニワが皆、似たような形である(専門家がよく見れば全然違うのかもしれませんが)事を考えると、質問者さんのおっしゃる通り、一目見て内容が分かる壊れにくい量産品の限界がハニワなのかもしれません。
勉強になりました。ハニワを今までと違う目で観察出来そうです。

お礼日時:2017/11/01 01:32

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