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江戸時代に普通に行われていた共同浴場での男女混浴ですが、西洋人から猛批判を受けて明治政府は禁止することにしたと聞いています。

でも男女混浴の何が悪いのでしょうか?男女区別なく浴場に浸かり身体を洗うというのは極めて男女平等・男女同権的であり、それを禁止することはむしろ男女差別を推進する政策のように思えるのですが。

質問者からの補足コメント

  • 同性愛についても日本では古来から男色とか衆道といった文化があったのに、西洋からの圧力によって廃れ、今になってLGBT運動で日本は遅れているなどと西洋から批判されており、訳がわかりません。

    捕鯨もアメリカは盛んにクジラを獲っていたのに、鯨を減らした張本人であるアメリカが日本がいまも鯨を獲っている(僅かですが)のはケシカランなどとイチャモンつけていますし。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/20 14:02
  • 日本がむしろ進んでいたということですよね。
    現代ヨーロッパ人の意識が、ようやく江戸時代の日本に追いついたという感じの。

    日本では宗教が力を持った時代は、室町・戦国時代で終わっていますから。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/20 16:56
  • >ですからある意味「男女混浴の何が悪いのでしょうか?」と質問するのはナンセンスです。
    → そんな質問はしていません。タイトルの通り、明治維新前後、日本の男女混浴が西洋から批判された理由について聞いています。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/20 18:26
  • 通用?
    何を言いたいの?

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/21 19:12
  • キミはもう回答してくれなくていいよ、悪いけど。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/21 19:25

A 回答 (8件)

そもそも西洋において、性(同性愛などもそう)が「いがわしいもの」といった意識が広まったのはキリスト教以降で、日本人もある程度ご存知でしょうが、古代ギリシャやローマでは性や裸に対してはもっとオープンで寛容でした。

丁度日本の江戸時代(いやそれ以上?)のような社会だったのでしょう。

「ごく限られたある時代、ある地域」の価値観を、さも「人類共通の当たり前」のように信じ込んでしまうのが人間の愚かなところで、それはいつの時代も変わっていません。

ところが人間とは勝手なもので、日本にキリスト教的な価値観を持ち込んでおきなから、ヨーロッパでは19世紀末にはもう、ヨーロッパのルーツである古代ギリシャを見直すという流れが先進的な文化人や知識人を中心に起こっていました。
そういった時代も影響しているのでしょうが、ヨーロッパでは次第にそういった意識が浸透し、現代では性や裸といったものに対して(アメリカや日本に比べ)とてもオープンな側面があります。例えば映像やアートといった表現活動で裸になることは普通ですし、年輩なんかの間では伝統的なものとしてヌーディストイベント愛好家がいるらしいですし、北欧では男女混浴のサウナ(勿論タオルなどで隠すことなく丸見え)が今も市民権を得たものとしてあり若い女の子も利用するらしいです。
現代ヨーロッパにおいて、性、愛、裸といったものは、平和的で自由なとても良いもののようです。

まぁヨーロッパは近代化してもう長く、しかも各国の文化交流も盛んですから、「当たり前な価値観なんてものは無い」ということに気付いている人達も多い、ということもあるかもしれません。
ですから、今のヨーロッパ人が、日本の江戸時代を目の当たりにしても、驚かない人も少なくないと思いますよ。「私達のルーツである古代ギリシャと、日本も同じ時代があったのね」くらいで。日本の男色文化も「先進的」くらいに思われるかもしれません。
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今の時代、そうじゃなくても、セクハラって騒がれてるのに、銭湯が混浴になって、誰が入るの?高齢者の方々?

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そんなに女の裸がみたけりゃ風俗行ってこい!

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いくら江戸時代、明治時代、でも通用するするわけがない、

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男女混浴が批判されたのは「西洋的キリスト教的価値観に照らしておかしい」と西洋国が考えたからです。


それは現代でも同じで、西洋的な平等思想や人権思想などがあり必ずしも日本の伝統的な価値観とあっているわけではありません。特に捕鯨問題なんかは「余計なお世話」であるわけですが、そういう価値観の摩擦は現代でもあり、日本はそれほど反発しませんが、これがイスラム教的価値と摩擦になるとテロなどにつながっていくわけです。

問題はなぜ明治政府がそれを唯々諾々と受け入れたのか、ということでしょう。理由は「西洋列強が強大だったから」であり「西洋国はキリスト教的価値観を押し付けることを植民地化政策の必須政策としていたから」です。

日本は西洋国の植民地にならなかったほぼ唯一の国だとされています。明治維新と言う大転換を経て、辛くも植民地化されることを防いだわけですが「植民地化政策のすべてを防ぎきれた」わけではありません。

まず開港政策や不平等条約など、国交の基本的な部分について西洋国に押し切られるように日本は開国していますし、軍事的経済的な政策についても西洋国の押し売りを受け入れています。

逆を言えば「明治政府はそのような押し付けを受け入れることで、近代化を推し進めた」ともいえ、いまも昔も日本は「外圧が無いと変革できない国」であったのでしょう。

明治維新が成ったと言っても、人心がすぐに変革したわけではありません。廃刀令で魂を失い、廃藩置県で帰属先を失った武士階級は薩摩藩に限らず不満を募らせており、彼らの不満は西南戦争と言う形で暴発します。
これ以外にも急激な変化による社会的な歪みは多数あったはずで、それを政府が「目に見える形で新しい価値体系に収束していく」には「外国はこうだから」とか「西洋ではそれではダメだから」という理由がもっともリーズナブルであったといえるでしょう。

第2次世界大戦の敗戦後の日本も、GHQがやってきて教科書を黒く塗りつぶし、昨日まで「鬼畜米英・八紘一宇」と叫んでいた教師たちが、いきなり「平和国家日本になりましょう」と猫なで声を出して、当時の小学生(今の80歳前後)に不信感をうえつけたわけですが、そういう急激な価値観の変化を明治政府は西洋国化しなければならない日本の課題として受け入れたのだと思います。

ですからある意味「男女混浴の何が悪いのでしょうか?」と質問するのはナンセンスです。なぜなら「キリスト教的価値では男女混浴はダメだから」しかないからです。ま、イスラム教でもダメですけどね。

これは正しいかどうかよりも文化が内包する価値観の問題であり、明治開国期は西洋的価値の押し付けを受け入れなけば植民地化されてしまうギリギリの攻防があった、と言うことだと思います。
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ローマ時代も前半は男女混浴でした。

 でも、共同風呂で飲む・打つ・買うがはびこったため、キリスト教が混浴を禁止しました。 日本人は野蛮な西洋人と異なり、共同風呂で飲む・打つ・買うなんてことはやりませんでしたが、キリスト教徒主体の西洋人は日本人を自分達の枠に入れて混浴を批判したわけです。
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文化の違いで、当時はあまり考えずに、西洋に倣えだったのでしょう。


長屋やその住民達の服装にも、かなりのカルチャーショックを受けたみたいです。
大浴場というより、蒸し風呂=サウナに近いものではなかったですか?
西洋人が想像してたのと違い、そんなに色っぽいものではなかったようです。


付き添いが必要なケースを想定して、湯治=温泉は、混浴可のままのところもあります。
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自分達の常識を押し付けるのが欧米のやり方です。


日本を征服した気でいたのでしょう。
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