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ビックサイトで開催されるコミケは、前は晴海や幕張であったと聞きました。会場は転々としてるのですか?他にはどこでやってたのですか?
変な質問ですみません。知ってる方、教えてください。

A 回答 (3件)

コミックマーケットの歴史は、同時に開催場所移転の歴史でもある。

以下にそれを追っていく。

日本消防会館会議室
第1回のコミックマーケットは1975年12月21日、漫画批評集団迷宮主催の下、東京・虎の門の日本消防会館会議室において、参加サークル32(ただし委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者700名で開催された。前日には合宿も行われ、アニソンが高歌放吟されたというSF大会の影響の濃いものだったらしい。また、参加サークルの半分近くを学漫(学校内クラブ活動としての漫画研究会)が占めていた。この第1回以降、春・夏・冬の学校の休みに合わせて、年3回のコミックマーケット開催が定着する。

板橋産業連合会館から都内各産業会館
1976年には第2回から第4回の春・夏・冬コミが板橋産業連合会館で開催される。この頃はまだ参加サークルは100に満たない状態だった。だが、1977年第5回に大田区産業会館に移った頃から入場待ちの行列ができるようになっていく。途中、四谷公会堂と東京都立産業会館・台東館を1度ずつ使用したものの、結局1979年いっぱいまで同館の使用は続き、同館最後の第13回では、参加サークル300弱、参加者数4,000人と、コミックマーケットは確実に大きくなっていった。また、参加サークルにおける学漫の占める率は低下し、オリジナルの創作系が増えていった。また『宇宙戦艦ヤマト』などアニメのファンサークルの参加も目立ちだす。

川崎市民プラザから横浜産貿ホール
1980年から1981年にかけて川崎市民プラザで4回開催されたコミックマーケットは、参加サークル350~400、参加者7,000人規模で推移するが、すぐに会場が手狭となり、第18回では横浜産貿ホールを2日間使用し、ついに参加サークルは500、参加者は1万人を突破する。この時期、『うる星やつら』のファンサークルが激増、ロリコンブームと相まって、現在の男性向創作分野の基礎が作られる。「シベール」の行列が館外に作られ、今の壁サークルの走りとなったのもこの時期である。

晴海(1期)
1981年の冬コミである第19回は、当初川崎市民プラザで開催される予定であった。しかしそこに分裂騒動が起こり、コミケット準備会は望まぬままに晴海国際貿易センター(通称晴海)の使用に踏み切った。以後、コミックマーケットは6年間に渡って晴海に落ち著く。その間、参加サークル、参加者数共に増大を続け、1983年冬コミの第22回において参加サークルは1,000を越え、第一期晴海時代の最後の開催である第30回には3,900サークル、35,000人が参加するに至る。また、この間に1983年を最後に春コミが廃止された(後に一度だけ開催される)。この間、『キャプテン翼』が女性サークルに絶大な人気を呼び、いわゆる「やおい」サークルが増加、男性参加者が圧倒的に多かった川崎市民プラザ時代に対し、女性参加者を大きく増やすこととなった。

東京流通センター
晴海での1日開催の限界に達したコミックマーケットは、1987年の第31回から翌年の第33回まで、東京流通センター(TRC)を使用しての2日開催を行う。この間、4,400サークル、4~6万の参加者を獲得した。

晴海(2期)
TRCでの2日開催でも人員を収容しきれなくなったコミックマーケットは、翌1988年の第34回より晴海での2日開催を決行する。その結果、参加サークルは9,200と倍増し、翌年の第36回では、ついに1万サークル、10万人の大台に乗ってしまう。

幕張メッセ
晴海の全館2日使用ですら収まりきらないほどに巨大化したコミックマーケットは、1989年第37回より幕張メッセに移行する。翌年の第39回には参加者25万人を数えるに至り、コミックマーケットはこのまま幕張に落ち着くかに見えた。しかし、次の開催は猥褻図画摘発と会場からの申し出から使用不能となってしまう。

晴海(3期)
幕張を追い出された形のコミックマーケットを迎え入れてくれたのは晴海だった。1991年の第40回より1995年の第49回まで、コミックマーケットは三度晴海に落ち着く。その最終年の第48回において、コミックマーケットは初の3日開催を行い、参加サークルは22,000を数えた。なお、翌1996年春には通算回数にカウントされない「さよなら晴海!! コミケットスペシャル」が開催され、コミックマーケットはのべ10余年のつきあいを終え、晴海に別れを告げた。

この時期のコミックマーケットにおいて特筆すべきは『美少女戦士セーラームーン』の存在である。同作品は男女両性の読者へアピールしたため、女性作家による男性向け創作が大幅に増えることとなり、この傾向は続く『新世紀エヴァンゲリオン』のブームへと続いていった。

有明
1996年の第50回より東京国際展示場(東京ビッグサイト、通称有明)に移ったコミックマーケットは、初年度こそ2日間開催だったが、翌年の夏コミである第52回からは3日間開催となり、参加サークルは33,000を数えるに至った。それを追うように、冬コミも2002年の第63回より3日間開催へと移行(1999年にも一度会場の都合により3日間開催が行われた)、年2回各3日間開催が定着しつつある。(2004年冬コミ;第67回に関しては12月29日、12月30日の2日開催。)

有明の初期、'90年代後半は『新世紀エヴァンゲリオン』のブームがコミックマーケットを席巻した。『美少女戦士セーラームーン』に続く同人誌バブルともいえるこのブームで、コミックマーケットはいっそうの活況を呈するのだが、一方でコミックマーケットを代表とする即売会以外の同人ショップなどの販売チャンネルを増加させることにもなり、相対的にコミックマーケットの存在価値を下落化させつつもある。

'00年代前半に至ると、同人ソフト『月姫』の登場により、同人ソフトを元にした同人誌という、右手の行為を左手が真似るが如き自己パロディ現象が生じたが、これもコミックマーケットの巨大化の一つの現れといえるだろう。

有明後で特筆すべきは、企業スペースの設置である。ビッグサイトの構造の問題から一般会場から隔離されたスペースを企業に貸し出すこととしたのだ。当初は同人誌即売会という理念に反すると異端視さえされたこのスペースだが、現在では期間限定商品などの入手場所として、多くの同人誌販売スペースよりも人気を呼びつつある。

野放図にとすら言えるサークルと参加者の増大、企業との関係、さらには有害図書やコスプレに絡む性表現の問題、多大な金銭のやりとりによって生じる税務当局との関係、そして最大の問題とも言える著作権の問題など、幾多の問題を抱えながら、コミックマーケットの歴史は今も続いている。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F% …
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この回答へのお礼

たくさんのレス、ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/14 08:56

確実では無いですが


大田区産業会館→晴海見本市会場→幕張メッセ→晴海見本市会場→東京国際展示場(ビッグサイト)
という順番で会場が移動していると記憶しています。
幕張メッセでは1回か2回のみ行われ、県条例のため会場を晴海見本市会場に戻しました。
(千葉県の県条例に、ジャンルの成年男子向けが引っかかるとのこと)
私は、17年ほど前から参加していますが、一番晴海会場が移動しやすかったなーと思います。
ビッグサイトは東→西(その逆もしかり)の移動が面倒ですよね?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/14 08:54

晴海国際展示場で開催されていたものが、来客数の増加により幕張メッセに移動しました。


が、ビッグサイトが出来てからはそちらに帰ってきましたね~。
幕張は交通の便あまりよくなかったので…(^-^;)

カタログ春先まで取っていたのですが、売っちゃったので詳しい時期まではちょっと不明です(^_^;)
http://www.comiket.co.jp/info-a/

参考URL:http://www.comiket.co.jp/info-a/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/14 08:56

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