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アジアにおける最初の近代化は、言うまでもなく日本の明治維新です。
でも、西洋から最も離れた位置にある日本において、最初に近代化が始まったのはなぜでしょうか。
普通に考えたら、西洋から比較的近い場所にあるトルコやイランで最初に近代化が始まってもおかしくないと思うのですが。

それとも、日本では江戸時代までに近代化に入れる下地が出来ていて、そのために西洋の文明を迅速に吸収できたということでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 欧州の文化のことを言っていますか?
    であれば、そのとおりですね!

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/29 18:41

A 回答 (8件)

>それとも、日本では江戸時代までに近代化に入れる下地が出来ていて、そのために西洋の文明を迅速に吸収できたということでしょうか。



その通りです。近代化する下地が日本にあったからです。そして日本以外の「半文明国」にはその下地はありませんでした。


大きな理由は二つあります。

①国民国家としての下地が、もともと日本人に備わっていた。
②近代国家を成し遂げてくれる、偉人に恵まれた。




①の説明

トルコやイランは国民意識の統合に躓きましたが、実は、欧米でも国民国家としての意識統一はかなり時間が掛かっています。イギリスですら300年ほどかけて、イングランド人もスコットランド人もウェールズ人もアイルランド人も「先祖の時代からイギリスで生まれ育ったのだから、我々は同じイギリス人だ」という国としての国民意識の統合に時間をかけて行いました。
この、「私は○○人だ」という今では当たり前の国意識は、近代国家になる上では重要です。

これにはどこの国でも時間が掛かりました。自分のペースで国民国家になれたヨーロッパとは違い、「半文明国」は、列強の外圧によって短時間で国民国家にしなければならないため、当然のごとく多くの国が失敗します。



日本が何故、世界で唯一このように短時間で国民国家を成し遂げたかというと、そもそも「とっくの昔から日本人としての国民意識は統合されていた」からです。

日本人の国民意識の統合が完成されたのはかなり昔で、聖徳太子の時代からです。白村江の戦いに破れ、防衛線を張ったのですが、聖徳太子がもしも、九州の人員だけしか、防衛戦力に動員できなかったら、日本は他の国と同じような状態だったでしょう。しかし、聖徳太子は関東などの日本全国から人員を動員しました。これは現在で言う国民国家の動因と同じです。聖徳太子の優れた才覚によって、「九州の海岸防衛の問題は日本の問題。だから関東人も皆日本人として防衛すべき」という、日本人としての共通の意識を完成させたからこそ、全国から動員することが出来ました。この時に、日本人の国民意識の統合は完成されました。


その後は、天皇と言う存在が日本人の統合の象徴となりました。地方によって言葉が通じなくとも、天皇と言う存在が統合の象徴となり、日本人の国民意識の統合は継続されていきます。

そして、嵯峨天皇以降は、天皇が日本を直接統治するのではなく、適切な者にその統治権を委任すると言う形をとりました。幕府がそれに該当します。鎌倉幕府や室町幕府や江戸幕府など、いろいろな幕府がありますが、これは委任統治です。戦国時代は委任統治権の争いであって、「王」になるための争いではありません。

近代化に絶対必要な要素である国民国家ですが、その下地がそもそも日本では聖徳太子の時代からはぐくまれていたので、明治維新で鮮やかな国民国家による近代国家を誕生させる事ができました。




②の説明。

どんなに近代国家になれる下地があっても、実際に近代国家を成し遂げる者が誕生しなければ達成されません。
日本の場合、その幕末の偉人が誕生した事が幸運でした。


実は、幕末の江戸幕府も、近代国家にしなければ滅びるのは分っていましたし、当時の江戸幕府は「無能」と言うイメージが世間にはありますが、実はかなり優秀でした。他の「半文明国」とは違い、江戸幕府は徳川吉宗の時代から、白人の危険性を理解した上で欧米研究をしていたため、欧米の国際状況、植民地の現状などもかなり正確に現状を理解していました。そして、幕府の官僚たちは、何をすべきか分っていました。

しかし、これまでのシガラミのせいで出来ませんでした。そのシガラミを跳ね除けて近代化を達成した者が、大久保利通です。

はっきり言って、大久保利通がいなかったら明治維新はありえません。勿論、高杉晋作や伊藤博文やそれ以外の多くの偉人の功績も大きいですが、大久保利通がいなければ彼らがあのような行動を起こす事もありません。


しかも、大久保利通は、当時では誰も相手にされない小物でした。


幕府の官僚も、徳川慶喜も、近代化しないといけないことは知っていました。しかし長年のシガラミのせいで出来ませんでした。やらなければならない事はわかっているが、それが出来る人が誰もいませんでした。大久保利通以外は。

日本には、彼のような偉人に恵まれたので、明治維新が誕生し、もともと、国民国家としての日本人と言う民族意識が日本中の人に養われていたので、近代化に成功しました。





①も②も、どちらかが抜けていたら、日本の近代化は失敗していたでしょう。




勿論、「日本人は勤勉だった」「原理主義的な宗教価値観がなく、外国の知識であっても優れていれば素直に取り入れた」「寺子屋なので、学問の素養が広く行き届いていた。そのため識字率は欧米よりも高かったと言う説もある」「昔の日本は農業国と思っている人がいるがそれは誤り。多くは兼用農家。工房が盛んで日本は昔からアジア有数の工業国であった。だからこそ戦国時代では鉄砲を自国生産してその保有量が世界一になったり、明治維新の近代化を成し遂げる事ができた。」なども、近代化の成功の要因かと思います。






>西洋から比較的近い場所にあるトルコやイランで最初に近代化が始まってもおかしくないと思うのですが。

近代化が始まったのは日本よりトルコが先です。そして、近代国家に必要な憲法の運用をトルコがしたら2年で停止する羽目になり、見事に近代国家に失敗しました。

伊藤博文が日本にも憲法(大日本帝国憲法を悪法だと思っている人がいますが、当時では世界各国から絶賛されました)を導入すると欧米人に言ったら、「トルコでも失敗しているのに無理でしょ(彼は日本を馬鹿にしたつもりはない。心配してあげただけです)」と言われたそうです。

そして、憲法を運用したら、見事政権交代。伊藤博文は野党になります。しかしそれでもトルコのように憲法停止はしませんでした。そして正当な選挙によって与党に帰り咲きました。

近代化が始まったのは日本が最初ではありませんが、近代化に成功したのは欧米以外では日本が最初です。
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オランダ船と貿易で、アヘン戦争など知っていた。


種子島の鉄砲を自力で大量生産出来た国。
寺子屋と識字率、教育が驚異的に高かったから。
※英仏独でも農民は文盲だった。
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アジアにおける最初の近代化は、言うまでもなく日本の明治維新です。


でも、西洋から最も離れた位置にある日本において、
最初に近代化が始まったのはなぜでしょうか。
 ↑
1,江戸時代、庶民の教育が広く普及していた。
 識字率などはおそらく世界一。
 
2,諸外国が、高等教育に力を入れたのに対し
 日本は初等教育に力を入れた。
 これが、近代化に大きく貢献した。

3,日本は中国に習ってきた歴史があるので
 欧州からもすんなり習うことが出来た。
 中国は中華文明に絶対的自信があったので
 遅れた。

4,天皇を上手く利用できた。
 当時の庶民には日本人なんて意識はほとんど
 ありませんでした。
 あるのは、薩摩藩人、会津藩人です。
 それで、山県有朋と西周が相談して、天皇を
 持って来ることにしました。
 
 お前等は薩摩藩人、会津藩人、という以前に
 天皇が治める日本国の国民である。
 日本人なのだ。
 これが成功したわけです。



普通に考えたら、西洋から比較的近い場所にあるトルコやイランで
最初に近代化が始まってもおかしくないと思うのですが。
  ↑
 現代でもそうですが、ああしたイスラム社会では
 宗教の縛りが強すぎて、新しいモノを受け入れることが
 困難なのです。



それとも、日本では江戸時代までに近代化に入れる下地が出来ていて、
そのために西洋の文明を迅速に吸収できたということでしょうか。
  ↑
そういうことです。
イスラムと違い、日本には原理原則など
ありません。
外国のモノをすんなりと受け入れ、
我が物とするのは、日本人の得意とするところです。
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専門的なことはまったく知りません。

 一般の学説も知りません。
たまたま、この質問を読んで、面白そう!と思ったので、思いつきを書きます。
内容の妥当性については、まったく保証できません。

近代化というのは、「産業活動が盛んで、いろいろな生産活動が次々興り、社会状態を変えているし、新技術を工業にどんどん採用し、事業の経営規模も大きくなっている、人々の経済活動への就業も短期間にずいぶん変わり、第二次産業へ大きくシフトしていく」というような状態をつくるということでしょう。
逆に、近代化以前というのは、「人々の経済活動への就業状態は比較的安定的で、大多数の人は第一次産業に就業し(交易都市・商業都市では第三次産業従事者が多い)、豊かで文化もすてきになっていたとしても、その繁栄が社会構造を変えるようなことはない」ということだと思います。ギリシャ・ローマ・唐・明・清・ベネティア・オスマントルコ・ロマノフ・ブルボン・江戸などは近代化以前ということでしょう。

そうだとすると、基本的に産業資本の活動の素地があるか、できているかがポイントではないかと思います。

日本は島国で江戸時代は海外交易をかなり制限していました。で、農地開拓、農業技術の解良があっても、米は不足し、農本主義のようなやり方はほぼ破綻して、幕府も商人から多額の借金をしないと生きていけない事態になってしまい、各藩も産業振興、特産品生産に重点を置いた政策をとらざるをえず、その実行主体は商人資本・大商人・各地の金持ちに依存することになっていました。 だから、それに対応するためにも、手習いソロバンは中層農民でさえも必要になって来ていたようです。 勉強好きや朱子学、徳育論が好きだから勉学していたのではなく、生きるために、少しでも有利に生きるために、文字も読むし、新しい動向に目を向け、新技術や時代の先を読んで作物や特産物を作るというこことに、中流以上のものはそこそこ関心をもって行かざるをえない世の中になっていたのだと思います。

ところで、多くの諸外国は島国ではなく領土は固定的ではないし、王朝のような上層部は領土内の農産だけを冨にしているのではなかったので、領内の産業振興に熱心ではないし、豊かな冨は他地域との交易などでも獲得できるので、中層以下の民は単に働くだけで生きていて、それ以上の機会はないし、情勢判断や新知識吸収の勉学などもしなかったのではないかと思います。

たまたま、英国は島国で経済的に苦しかったので、これを脱するために、農民を土地から引き離し、工場労働に刈り込んで、工場生産品を海外に輸出する方向に転換し、土地から引き離された労働者の子弟は生活のため雇い主を探す、それを低賃金で使ってもうける事業を興す事業主も多く出現するというようなことで、社会構造が変わって、近代化の道へいち早く動き出したのでしょう。 この英国の近代化は冨を増やす顕著な効果があったので、英国の近隣の王朝も地域も、より多くの冨を獲得するために英国の近代化を採用したのだろうと思います。

アジアや中東、東欧、ロシア、巨大王朝の中国などは、この近代化のスゴさを実感できなかったり、身分と職業の安定した社会を快いという価値観から脱することができなかったししたのだと思います。

市場としても、資源国としても、インドや中国などは、近代化した欧州各国の狩り場にされたのでしょう。 朝鮮や日本は、それに比べると遠いし魅力は少ない。 一応日本も狙われたのですが、江戸幕府と藩は基本的に夷狄扱いし、排除に熱心だったのも、日本が後回しになった要因になっていると思います。
そうこうしている内に、日本列島内は各地で商業資本と金持ちによる事業経営体制とそのノウハウ、流通体制、金融システムなどの経験がしっかり根付いていきます。
で、いよいよ欧米やロシアなどから通商要求が武力を背景に要求されたときには、もう、第一次産業の農林漁業や鉱業にどっぷりという社会ではなくなっていて、そこそこに商業生産が行われ、簡単な工業が資本家の経営でなされていて、そこそこ輸出できる産業が成立していたのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
明治政府の中核の政治家や御用商人、地域の金持ちも、貿易と工業化を柱にできることを自負していています。 もちろん、お茶の輸出、繊維製品の輸出など、まだたいした力量はなかったとはいえ、江戸時代に「○○改革」をなんどもせざるをえないほど経済的に破綻が生じていて、その間に特産物産業振興と資本家の活動やそれを支える土地から切り離し可能な労働力と、一般人でさえも文字や計算などの教育を当然とみなす社会ができてていたこと、政治や権力の中枢には実力と見識を家筋血統以上に重視する社会にもうなっていたことが、大きな要因だったのではないか、
そう思います。
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鉄砲伝来から江戸時代末期までの日本における火縄銃の進化の歴史を調べると答えが見つかると思います。



以下、私の答えです。

・日本人は私も含めて、井の中のかわずです。いわゆるガラパゴスに住む人々です。
・でも、今の退屈で平和な状況に満足できない輩が出てきますが、必ず井の中のかわずの権威ある連中にボコボコにされて、それで終わりです。
・そうやって、グローバルな進化に取り残された、ちょうど良いころに外国から新たな技術が訪れるので、短期間に吸収してしまうのです。

ですので、島国に住むということは良いこともあれば悪いこともありますが、私は島国育ちで良かったと思います。

興味が湧いたら、同じ島国のイギリスや台湾の歴史を調べたら、新たなことに気づけるかもしれません。
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近代化ってゴミを放って そのままにしておく文化なのかな?



遅れた文化だなぁ・・
この回答への補足あり
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近代化が始まったのはオスマン帝国のほうが先です。


タンジマートといいます。
ただ、欧米と接していて以前から戦争していたなど、結局はうまく行きませんでした。

日本は近代化に「成功した」という点でアジア最初なのかも。
インドや中国が欧米と戦っていても、日本にはまだ時間的な余裕がありましたし、他のアジア諸国の事例をみることもできました。
逆に欧米との距離があったので、日本にとっては良かったのかもしれません。
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国の政治体制の違い(王による独裁では無かった)


一応、法治国家であった。
寺子屋(手習い所)での教育。
学問好き(和算は、世界でも有名)
宗教的な縛りが無い。
好奇心旺盛な国民性。
島国で、外国からの侵略が無かった。
などなど (^_^)
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