プロが教えるわが家の防犯対策術!

“神道のル―ツ”という解説書を読んでいます
神社について、次のような分類で、紹介されています。
1.都市の血統
2.山の血統
3.海の血統
4.武・文・人神の血統

ところで、神道では、都市・山・海などの地理的な条件が、神社のグループを作るほどに(ができるほどに)、神社の特性に影響を及ぼすのですか?

A 回答 (3件)

はいそうです。



分かりやすい例を先に書きます。

私のうちの近くに、川が流れているのですが、全長は10キロ程度しかないのに、昔からよく氾濫する暴れ川として有名でした。また周囲の地形が割と峻険な山というか丘なので、昔は土砂災害も多く発生したようです。今は都市化していますが、昔は川に沿った平野部に田圃をつくり、住人は傾斜のすぐ近くに住んでいたため、土砂崩れによって亡くなる人も多かったようです。

そのため、この川の流域には「杉山神社」という社が多く置かれ、その社の置かれている場所はほぼ「土砂災害の多い場所」か「氾濫しやすい川の湾曲部」などになっています。 
そして面白いことにこの神社は、わたしの住んでいる市に流れている3本の川沿いにしかなく、この神社が記録に表れるのは平安時代なのですが、ご神体や本社などが謎でいまだに論争がある、という面白い歴史を有しています。

日本は災害の多い土地でありつつ、その災害を逆手に取るような形で農業などが発展してきた歴史を有しています。ですので、その地形や適した農作物などに合わせて神様が配置されていったといえます。

その中で「霊験あらたか」であるとされれば、災害退治の神様として、川の流域にいくつも社殿が作られるようになったりするわけです。

山・川・海という自然の地形に沿った神様たちは「霊力のある神様」が残ったり、または人々が移住する時に一緒に新しい土地に移動して祀られたりしたために、現在では「地理的な条件によって、神社のグループを分類できる」ようになってしまっているといえます。

たとえば紀州の熊野神社は房州(千葉県の房総半島)にも非常に多くあり、関東の熊野神社は千葉県の房総半島に特に多くみられるのは、紀州の漁師たちが房総半島に移住して漁業に従事した歴史があるからです。


また、特に都市部については、職人が移住して住んだことにより、たとえば鍛冶屋が大切にする火の神とか踊り子が大切にする神様とか商売繁盛の神様などを奉ったことから始まりますので、京都や江戸の下町などには辻々に小さな祠があったりするわけです。他には大名が転封されるときなどに、元の出自の神を連れていき、新しい都市に大きなお社をつくったりすることもありました。

そういう「日本人の神々に対する習わし」を整理すると、地理条件による神社グループとして分類できるわけです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
詳細な丁寧なご説明のおかげで、よく理解することができました。
<「日本人の神々に対する習わし」を整理すると、地理条件による神社グループとして分類できる>のですね。
私なりに解釈しますと、神道は土着の宗教(地域の神様)のようですね。(これに対して、キリスト教やイスラムは、普遍性(大きく言えば、すべての人への宗教ですね) 信者(住民)は、その生活によって、各神社に、自分(地域)の<神々に対する習わし>を持っているのですね。信者(住民)の生活が同じであれば、また移動すれば、神社も同様に同じ、あるいは移動(分割)することになるのですね。従って、神社の特性は、地理的条件に関係するのですね。

お礼日時:2018/10/23 17:25

端折って簡素に。



神道の起源は、自然崇拝(アミニズム)
人の力が及ばない自然の猛威の前には、恐れおののき手を合わす以外の術がなかった。
そこから、自然の万物に神や精霊が宿ると考えるようになる。
山からの恵みは山の神。海からの恵みは海の神。のように。

時代が下ると、現象を神格化した神が登場する。
これが、神話に基づく天孫降臨の神であったり、祖先を神として祀る氏神。

よって、地理的条件は神社の形成と大いに関係があると言えます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<神道の起源は、自然崇拝(アミニズム)>なのですね。
<山からの恵みは山の神。海からの恵みは海の神。>なのですね。
その地域ごとに、恵みや(おそらく恐れも含み?)独自の信仰・神社が形成されたのですね。

お礼日時:2018/10/23 19:26

#1です。

お礼ありがとうございます。

>神道は土着の宗教(地域の神様)のようですね。(これに対して、キリスト教やイスラムは、普遍性(大きく言えば、すべての人への宗教ですね)

ハイその通りです。というか、一神教以外はどこでも地域特性に合わせた神々だったといえるでしょう。

キリスト教がある意味すごいのは「どこでも通用する普遍性」を持たせたことなのですが、実はけっこう地域性があります。
たとえばイタリアでは、街道沿いにキリストの聖人の祠が立っているのですが、これは古代ローマ街道だった時代、キリスト教ができる前には土着の神様、日本でいえば道祖神のようなものだったのが、キリスト教と習合して、聖人の祠として残ったものです。

ハロウィンも、元々はドルイド教の「夜の季節」のお祭りがキリスト教と習合して変化したもので、特にヨーロッパの北の方は夏の日の長さと冬の夜の長さの対比が際立っているため、冬の入口である11月の直前の10/31を「夜の世界に人間が入り込むこと」を祝う祭りとして誕生したと言われてます。これも「北欧」という地理的条件によって生まれた宗教的・文化的要素ですね。

キリスト教はどこでも同じようにみえますが、実は地理的条件によって、各国や各地域で習俗が異なるので、神道ほど顕著じゃないとしても(また、キリスト教徒はそれを認めないとしても)、地理的条件による変化はあるといえます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
キリスト教も(といえども)<各国や各地域で習俗が異なるので><地理的条件による変化はある>のですね。マリア信仰も、古くに起源をもつ母神信仰に由来している部分もあるそうですので、各地で濃淡がありますね。

お礼日時:2018/10/24 11:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!