アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

中傷や、キツい事を言われても気にせず頑張る人や努力家の人や冷静で理知的な人や、また、それで真面目、勤勉、穏和で思慮深い優秀な人は、時にはあまり下手をすれば、ある輩からは我慢が出来なくなる極限まで追い込まれたりして、咄嗟に暴力事件や犯罪やテロを起こすようになるまでに仕向けられるかのように陥れられてしまいそうになったり等、
なる場合もあったりするのでしょうか?

A 回答 (1件)

>場合もあったりするのでしょうか?


難しい質問の割には、「あったりする?」という誰でも回答できそうな誘導ですね。
「人によっては、あったりするでしょうね」って回答に収束するのではないかと。

理性を「タガ」のようなものだとすると、それの外しっぷりも人それぞれです。
酒に例えてみましょうか。
普段は真面目でも、飲むと変わる人がいます。
変わるまでのプロセスには、いくつもの堰があります。逆引きすると…
 飲み過ぎなければ、大丈夫。
 調子に乗らなければ、飲み過ぎない。
 節度を守れば、調子に乗らない。
 店に入る前に、節度を保つと決めておく。
 誘われなければ、店に行かない。
 交友が狭ければ、誘われにくい。
 …など、キリありませんね
スタート位置もマチマチですが、どこかでストップできれば醜態を晒すことは無いだろうと。
ですから「暴力事件や犯罪やテロを起こすようになるまでに」は、幾つかの自制する機会があるのですが、それが【咄嗟に】ということであるのなら、その理性が働かない・あるいは働く機会を与えられない状況なのだと考えます。
そういった状況は、例えばISに銃を突きつけられているような危急な場合とか、洗脳されたなどの、特別な状況下に於いて起き得る可能性はありますし、そのような中でさえ強い信念で拒絶できる人もいることでしょう。

単に、外的要因の影響力と内に抱えた信念の度合とを比較し、特定の個人に於いて前者が大きければ質問のようなケースに陥ることになるでしょうね。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!